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前回のエントリーの最後に (つづく) と記したのだが、そのつもりで書き始めてみたものの、内容がまったくタイトルにそぐわないものになってしまった。仕方なくタイトル名を変えることにしたしだいです。

   1
小沢一郎氏は91年1月の湾岸戦争のとき与党自民党 (海部内閣) の幹事長であった。戦争協力のために日本は135億ドルの資金援助をしたが、それにもかかわらず、本当か嘘かは定かではないが、 クウェートからてんで感謝されなかったという説がある。小沢氏の話によると、米国は日本に対し金銭より軍事物資の輸送などの具体的、実質的支援を望んでいたそうである。戦争終結後、 小沢氏が「これからはもう金さえ出せばいいという時代ではない。」と発言したというのを当時テレビか新聞で聞いた記憶がある。瞬間、「怖い」という気がしたのでよく覚えている。これは、今後は自衛隊を戦場に派遣もし、場合によっては軍事行動にも参加すべし、ということではないかと当時思ったし、実際そうだっただろうと思う。

その時以来、今日まで小沢氏のこの考え方には何の変化もないのではないだろうか。2007年には、「政権をとれば、ISAFへの参加を実現させたい」「ダルフール紛争への国連のPKO部隊派遣にも参加すべき」(『世界』2007年11月号)と述べていた。最近の出来事で印象深いのは、2009年、与党民主党の幹事長として官僚の国会答弁を禁止するための 「国会法改正案」成立に対して小沢氏が見せた異常なばかりの執着ぶりである。あれは、内閣法制局が長年にわたり堅持してきた集団的自衛権に対する「憲法上行使不可」という法解釈を葬り去りたいという一念に衝き動かされてのことではなかったか。小沢氏のこの動きに対し、当時民主党と連立を組んでいた社民党党首の福島瑞穂氏は記者会見で、「与野党の国会議員が答弁を求めたときは、 必要があれば役所が答弁するのは当然だ。運用面で工夫すればいいことで、法律まで作って答弁を禁止するのはおかしい」と述べ、反対の意向を表明している。

この発言は、当然のことではあるが、福島氏および社民党が小沢氏の意図、思惑を正確に把握していたことを示していると思う。ところがその後、小沢氏が記者会見でぶ然とした口調で福島発言を非難すると、それに気圧されたのか、福島氏は批判を引っ込めてしまった。小沢氏の「脱官僚」「政治主導」の実体がどのような性質のものかはこの動向に如実に顕われていると思う。幸い「国会法改正」は今のところ成立していないが、今後どうなるか分からない。日本で集団的自衛権が行使できる法体制が整備されることは、アジア近隣諸国はもちろん、世界に新たな災厄をもたらすことになるのは確実だ。英仏米中心のNATO 軍が長期にわたってリビアを空爆し、破壊攻撃を繰り返しているのを見て今さらながらそう感じた。

小沢氏が『日本改造計画』を著したのは、湾岸戦争の2年後の93年であった。執筆したのは財務官僚 (当時の大蔵官僚) だという説を耳にすることもあるが、とにかくこの本に小沢氏の考えが正確に記述されていることに違いはないだろう。日米安保条約は全身に国連を纏って作られた、とはよく言われることだが、小沢氏の『 日本改造計画 』にも同じことが言えるのではないだろうか。国連安保理の承認ということを前提条件として常に前面に押し出し、その実は、軍事行動も躊躇してはならないというのが小沢氏の主張の核心ではないかと思う。93年当時の日本社会はバブル景気とその崩壊を経験した直後で、そのせいかそれまでは見られなかった奇妙な空虚さが社会全体を覆っていたように思う。そのような環境の影響もあったのか、この本を読んだ人のなかには、吉本隆明のように、国連、国連、という言葉の頻出に惑わされ(?)、小沢氏を何の危険もない平和主義的な考えの持ち主のごとく言う人もいた。吉本隆明は『 日本改造計画 』を称賛した『わが転向』(文春文庫1997年。初出1995年) の別の箇所では、憲法第9条の正しさについては、絶対に人に譲れない、と大見得を切っているのだから、矛盾もはなはだしい。

ちなみに、当時『噂の真相』という雑誌は、吉本隆明はとうとう小沢一郎を称賛するまでに堕落した、耄碌した、と嘲笑する記事を掲載していたと記憶するのだが、何と今では、当該雑誌の編集長だった岡留安則氏が「検察は霞が関改革を進めようとする民主党の要・小沢を政権交代前から狙っていて、「捜査すれば何か出てくるだろう」というお決まりのパターンでやったけど、結局、起訴まで持っていけなかった。完全に検察の敗北だよ。」と、小沢応援団の典型的常套句を述べるようになっている。岡留氏の「霞が関改革を進めようとする民主党の要・小沢」という言葉は、その小沢氏がしゃかりきになって進めようとしていた「国会法改正」による「内閣法制局の答弁禁止」問題と考え合わせると何とも興味深い。

   2
小沢氏は『日本改造計画』出版の翌94年3月には、『世界に生きる安全保障 -21世紀への指針-』(原書房)という安全保障について論じた書籍のなかで「巻頭言」を書いている。この本は「日本戦略研究センター編」ということだが、当時の小沢氏はこの団体の会長を務めていたことが本人によって文中に明記されている。この本のほうが『日本改造計画』よりも、安全保障、防衛問題についての小沢氏の考えが鮮明に出ているように思う。小沢氏はここで安全保障問題に関して今後の日本はどのような途を選択すべきと述べているのか、その主張を以下にいくつか抜粋して掲載する 。

「 私はかねがね、平和維持部隊の派遣や国連軍の参加を含め、わが国が国際連合の平和維持活動に積極的に協力して世界平和に寄与することは、日本国憲法が許容するところで あり、冷戦後の世界秩序構築のために、わが国が果たすべき新たな国際的責務であると主張してきた。その責務を果たしてこそ、わが国は激動する転換期の世界情勢の中で、孤立化をまぬがれ、将来の繁栄と生存の道を約束されよう。国民世論はまだその域にまで達していないかも知れないが、私はこの主張を必ずや国民が受け入れてくれるものと確信していると同時に、自分のこの主張に責任を持ちたいと思っている。

…ここに日本戦略研究センターが政治への提言を披瀝する所以は、激動する国際情勢の中で、国際的安全保障活動(注1)への自衛隊の参加が、今や日本の生存と繁栄のために欠くべからざる選択であることを、広く国民全般が認識するよう希求し、その認識に基づいて、それの実現へ向かう政策を国民が支持することを念願するからに外ならない。

注1)国際的安全保障活動ー国連憲章第51条では、個別的自衛権と並んで集団的自衛権の行使を容認している。集団的自衛権については、国際法上は、上記の「集団防衛体制」の存在の有無に拘わらず行使できるものとされている。したがって、集団的自衛権を行使することは、同盟国の危急を防衛する場合と、同盟関係にない他国の危急を防衛する場合との双方が含まれる。

本書における「国際的安全保障活動」とは、「集団安全保障体制に基づく活動」と、「集団的自衛権の行使」との双方を総称して用いるものである。

(一)憲法解釈の是正
 日本国憲法は、国際紛争を解決する手段としての、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄している。
 また、国際連合憲章第1条は、国際連合の目的の一つとして、「国際的な紛争事態の調整・解決を平和的手段によって実現」すべき趣旨を規定し、第2条4号に、目的達成の行動原則として、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇、武力の行使、国際連合の目的と両立しない方法を慎まなければならない」という趣旨を述べてい る。つまり、国連憲章も武力による威嚇とその行使を禁止しており、日本国憲法はそれと軌を一にするもので、近代国家の憲法として当然の規定であろう。

 ただし、国連憲章は加盟国の平和と安全を守る方策として、「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」に対し、第42条で安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な陸海空軍の行動をとることができるとし、さらに第51条で「武力攻撃が発生した場合」には、加盟国が個別的および集団的自衛権を国家固有の権利として行使できることを容認している。

 日本国憲法も当然この国連憲章の趣旨に従って理解されるべきであろう。国連に加盟した時点で、わが国は国連憲章第43条にいう「すべての国際連合加盟国は、……国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する」との約束を行ったのであり、国連軍に参加することは、加盟国として回避できない 義務を果たすことを意味する。

 集団的自衛権について、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(昭和35年6月23日発効)では、その前文に「日本国及びアメリカ合衆国は、…両国が 国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、」と記述されており、わが国はすでにその時点で集団的自衛権の保有を確認している。

 従来の政府答弁書では、「(自衛権の行使は、)……わが国を防衛するための必要最小限度の範囲にとどまるべきであり、……集団的自衛権を行使することはその範囲を越える…」という解釈を示しているが、わが国の存立に死活的影響を与える武力攻撃が特定国に加えられた場合に、それを排除することが常に必要最小限の範囲を越えるというのは、誤った集団的自衛権の解釈である。

 国連憲章の約束に従い、従来の政府解釈を速やかに是正し、わが国は他の国連加盟国と同様に安保理の要請に基づいて国連軍に参加し、必要な場合には集団的自衛権を行使できるように体制を整えなければならない。

(二)参加形態の是認
 上記の解釈により、日本国が現憲法のもとに、国際的安全保障活動に参加する形態は次のとおりと、是認する必要がある。
 国連軍(国連憲章第42条以下により編成される場合)
 多国籍軍(国連憲章第42条後半の規定による準国連軍
 平和執行部隊(国連憲章第40条の暫定措置-92年ガリ提案)
 平和維持部隊(国連総会または国連安保理の決議に基づく)
 その他、今後国際連合の決議により定められる組織
 集団的自衛権の行使  」


以上、小沢氏の「巻頭言」から一部引用した。安部晋三元首相が2006年の首相就任前後に著書『美しい国』やマスコミなどで力説していた「集団的自衛権を行使できないというこれまでの政府見解には納得できない。早急に解釈を変更すべきである。」という主張と小沢氏の上の見解は実によく似た論理構成を持っていると思う。それは、 集団的自衛権の行使ができて初めて他国、特に米国と対等の立場に立てるし 、国際的なレベルでの権利の主張も義務の遂行も可能になるという主張である。それから、その主張に当たって二人が「 従来の政府答弁書」として引用する集団的自衛権に関する政府答弁が81年のそれだということも共通している。豊下楢彦氏の『集団的自衛権とは何か』(岩波新書2007年) によると、81年に政府が行なった答弁は内容に不備があり、そのため5年後の86年に国会で物議をかもす事態を招き、そこで内閣法制局は81年答弁の不首尾を詫び、改めて政府解釈の基本である72年資料に基づいて正確な解釈を提示したのであった。つまり86年のこの時点で81年政府答弁は棄てられたのだ。

だから、94年の小沢氏にしろ、06年の安倍氏にしろ、集団的自衛権に関する政府解釈を俎上に上げて議論するのなら、72年資料か、86年答弁のいずれかを用いるべきなのに、二人とも内閣法制局長官が不首尾、誤りを認めて否定し、破棄したところの81年答弁をあえて用いているのである。これでは議論のそもそもの前提が誤っているので、いくらやっても中身のある議論にはなりようがないわけだが、なぜそういうことをするのかというと、81年答弁には、「必要最小限度の範囲」とか「その範囲を越える」という文言が存在し、量の大小を示すこの表現につけこむ隙があると思えたからであろう。以下に豊下氏の『集団的自衛権とは何か』から安倍元首相の集団的自衛権に関する主張を引用し、安倍氏と集団的自衛権の関係を見てみたい。やや長くなるが、小沢氏の主張と考え合わせると、なかなか興味深い文章だと思う。

   3
「 新憲法草案の策定から1年を経ることなく、安倍は小泉純一郎の後を襲い戦後世代として初めて政権の座を担うこととなった。同時に、実現すべき最重要の政策課題として憲法改正を明確に掲げるばかりではなく、集団的自衛権の行使にむけて「有識者懇談会」を設けるなど具体的な取り組みに乗り出した戦後初めての首相となった。この意味で、集団的自衛権の問題を検討していくにあたって、安倍政権の帰趨は別として、彼の言説に焦点を当てていくことは、問題のありかを明らかにするうえからも妥当と言えるであろうし、また彼の議論には、集団的自衛権の行使が主張される場合の主要な論点が、ほぼ集約的に表現されているのである。

安倍は、自民党の総裁選拳を控えた2006年7月に、自らの「国家像」をまとめた『美しい国へ』(文春新書)を著し「戦後体制からの脱却」を唱えたが、それを象徴するものが 憲法9条の改正であり、集団的自衛権の行使なのである。なぜなら、集団的自衛権を行使できない日本は「禁治産者」にも比されるべき国家であり、集団的自衛権を行使できる ようになって初めて、日本は日米安保条約において「双務性」を実現し、米国と「対等」の関係に立つことができるからなのである。

政府解釈とは 以上のような戦略的展望をもつ安倍にとって最大の障害は、集団的自衛権に関する従来の政府解釈である。それでは、その政府解釈とはどのようなものであろうか。1972年10月14日、政府(田中角栄内閣)は参議院決算委員会に対し、社会党の水口宏之議員によるかねてからの質問に応える形で、集団的自衛権に関する政府見解として、 以下のような「資料」を提出した。

この「資料」は、次のような論理の展開で構成されている。まず集団的自衛権について、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも かかわらず、実力をもって阻止すること」と定義づける。次いで、国際連合憲章第51条などをあげて、「わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家で ある以上、当然といわなければならない」と、国際法のうえで日本も集団的自衛権の権利を有しているとの立場を明らかにする。

しかし問題は憲法との関係である。第9条について「資料」は、「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、(中略)自国の平和と安全を維持しその存立 を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」と、個別的自衛権の行使を認めている。ただその場含も、「だからといって、平和主義を その基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものである」と、個別的自衛権であっても、その行使に厳格な�制約″がはめられていることを強調するのである。

以上の論理の展開を踏まえたうえで「資料」は、集団的自衛権について次のような結論を導きだすのである。つまり、個別的自衛権であっても右のような�制約″が課せられる のである以上、「そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがっ て、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と。

これが集団的自衛権について、いわゆる「国際法上保有、憲法上行使不可」という、今日にまで至る政府解釈の「原点」なのである。当時、水口が集団的自衛権に関する政府解釈を執拗に追及した背景には、1969年11月の佐藤・ニクソン共同声明において「韓国・台湾条項」が導入されたことが挙げられる。1964年以来、米国は当時の南ベトナム政府 の「要請」により集団的自衛権を行使するとの口実でベトナム戦争に突入していったが、事態が泥沼化するなかで、韓国やオーストラリアなどに派兵を求めていたので ある。

右の共同声明は、韓国・台湾有事に際して米国が自衛隊に軍事的協力を求めてくるのではないか、という危倶を高めるものであった。ベトナム戦争の泥沼化に加えて、集団的自衛権がきわめてダーティなイメージを国民世論に与えている状況において、政府としても第9条を前面に掲げて集団的自衛権の行使を明確に否定する必要があったのである。ちなみに、韓国は集団的自衛権を行使して南ベトナムに32万人をこえる兵力を派遣し、5000人以上の戦死者を出した。

その後、1970年代末から米ソ間で「新冷戦」が始まり、米国が防衛協力の強化を求めてくる情勢を背景に、社会党の稲葉誠一議員が改めて集団的自衛権に関する 「政府見解」 をただしたのに対し、1981年5月29日、政府(鈴木善幸内閣)は次のような「答弁書」を提出した。つまり、集団的自衛権について72年「資料」と同様の定義を行なったうえ で、「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度にとどまるべきものと解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」との論理を 展開したのである。

この「答弁書」の叙述は、72年「資料」と似ているように見えて、その論理構成において問題を抱えていた。72年「資料」の論理を踏まえるならば、本来であれば、憲法9条の下においては自国が武力攻撃を受けた場合であっても自衛権の行使に“制約″が課せられている以上、他国に対する武力攻撃の場合に自衛権の行使が認められるはずがない、 とい う論理を組み立てるべきであったのである。

はたせるかな、5年後の1986年3月5日、衆議院予算委員会において、公明党の二見伸明議員は右の「答弁書」の叙述を引用した上で、次のように問いただした。「ところが、これを裏側から考えるとこういう解釈も成り立つのかな。今後、必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能だというような、そうしたひっくり返した解釈は将来で きるのかどうかですね。必要最小限度であろうとなかろうと集団的自衛権の行使は全くできないんだという明確なものなのか、必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能だという解釈も成り立ってしまうのかどうか、この点はどうでしょうか」と。

ここで言う「ひっくり返した解釈」とは、二見も指摘するように、一定の「範囲を超える」から集団的自衛権の行使は許されないというのであれば、逆に解釈すれば、行使が許される「範囲」というものがあり得るということになるのではないか、という問題提起なのである。これに対し、5年も前に出された「答弁書」にかかわる二見質問の意味を当初は十分に理解できなかった茂串俊内閣法制局長官は、結論として次のように回答した。

「おわかりにくいところがあって大変恐縮でございましたが、もう一遍それでは先ほど申し上げた点を重複はいたしますが申し述べます」と答弁の不首尾を詫びたうえで、個別的自衛権に関する従来の政府解釈を再確認しつつ、「この措置〔個別的自衛権の行使〕は、このような事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきである、そういう筋道を申し述べたわけでございます。したがって、その論理的な帰結といたしまして、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止するということを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないということを従来から明確に述べているわけでございます」。

つまり政府として、集団的自衛権に関する政府解釈は72年「資料」の論理そのものである、との見解を明確にしたのである。かくして今日に至るまで、72年「資料」が展開した 「国際法上保有、憲法上行使不可」という論理が、貯余曲折を経ながらも堅持されてきたのである。

ところが安倍は、「私は、〔集団的自衛権を〕現行憲法でも行使できると思っています」と主張するのであるが、その根拠は次のところに求められる。「内閣法制局は集団的自衛権も「必要最小限を超える」と言っているわけです。それは量的な制限なわけで、絶対的な「不可」ではない。少しの隙間があるという議論もある。であるならば、「必要最 小限の行使があるのか」ということについては、議論の余地を残しているといえる」(『論座』2004年2月号)。

言うまでもなくここでは、二見質問が提起した問題が前提に置かれていることは明らかであろう。つまり安倍は、二見の質問内容は把握しているが、政府側が結論として72年 「資料」の論理を再確認したことについては、そもそも議事録を読んでいないか、あるいは意図的に避けているのか不明であるが、フォローしてないようである。」


著者の豊下氏は安倍氏について、「 議事録を読んでいないか、あるいは意図的に避けているのか不明であるが、」と記述されているが、「政府側が結論として」再確認した72年 「資料」の論理をフォローしてないのは、安倍氏だけではなく、小沢氏も同様であった。時間の経過をみると、安倍氏のほうが小沢氏の手法を真似た可能性もあるかも知れない。違いは、安倍氏の態度は露骨、小沢氏は国連を前面に立てている分、ごまかしが効いているということだろう。集団的自衛権行使に対する二人の姿勢に本質的差異はないように思える。


参考になる記事
http://watashinim.exblog.jp/10535494/
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2011.10.19 Wed l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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