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「米フロリダで14日、オスプレイが墜落したことを聞き、身震いするほど恐ろしかった。森本敏防衛相が配備計画を「日程通り進める」とし、沖縄を一顧だにしない態度に身震いした。「まったく痛みを分かろうとしない。そのことが一番悔しい」と言葉を強める。」

上記は、昨日(6月17日)の『沖縄タイムス」に載っていた宜野湾市在住の女性の声である。本当にそのとおりの心境であろうと肯くしかない。8月にもオスプレイ配備との通知を受けて機体の危険性に対する尽きない危惧と恐怖、米軍と日本政府に対する怒りや不信が募る最中でのフロリダにおける新たな墜落事故の報せである。新外相の森本敏氏が米国追従一辺倒の考え方をする人であることは、2001年の9.11以後のテレビ出演における折々の発言でよく知っていたが、それにしても、非人間的というべきか、無責任というべきか、このような事態を受けてなお配備計画を「日程通り進める」と述べるとは。森本氏はもし日本国内でオスプレイによる事故が発生したら、自らいったいどんな責任がとれると考えているのだろう。野田首相は福井の大飯原発3、4号機の再稼働について「国論を二分している状況で、ひとつの結論を出す。これはまさに私の責任であります」と述べていたが、こちらもいったん大事故が発生したらもはや手遅れ。そんなことになったらどんなに青冷めようと地団駄踏もうと、もう個人であれ組織であれ責任をとることも不可能な次元の事柄なのだ。それなのに、一人は「私の責任で」とできもしないことを言い、もう一人は自己の責任には触れもせず虚しくも「日程通り進める」と言う。発言の中身は双方ともに無責任きわまりないものだ。日本という国、政府は、かつての中国侵略、太平洋戦争がそうであったように、今も決定的な破滅に至るまで、過ちを認めて方針転換をするという知惠を持てない国なのだろうか。

下記の記事はオスプレイ配備についての読売新聞の社説である。これをたまたま私が読んだのは今回の米フロリダ墜落事故の発生後であるが、掲載されたのは事故の前日である6月12日だったようだ。内容があまりにひどいのでちょっと取り上げてみたい。

「 オスプレイ配備 着目すべき米軍の即応力強化(6月12日付社説)
 安全性だけでなく、在日米軍の即応力の強化にも注目し、冷静に議論することが重要である。
 米軍の新型輸送機「MV22オスプレイ」が沖縄県の普天間飛行場に配備されることについて、沖縄県など関係自治体が反対している。
 (略)
 自治体は主に、安全性を懸念しているが、誤解も少なくない。
 1990年代の開発段階で事故が相次いだ。今年4月にもモロッコで墜落し、2人が死亡した。
 だが、開発段階の機体の不具合は解消し、米軍の安全基準を満たしており、現在、海兵隊だけで130機以上が世界に配備されている。モロッコの事故も、機体の安全性には問題がないとされる。
 こうした事実関係をしっかり踏まえることが大切だろう。
 そもそも米兵の生命に直結する航空機の安全性に最も注意しているのは、米軍自身のはずだ。
 オスプレイの性能も考慮すべきだ。CH46と比べて、最大速度は約2倍、搭載量は約3倍、行動半径は約4倍となる。航続距離は約3900キロで、朝鮮半島まで飛べるうえ、空中給油も可能だ。
 厳しい北東アジアの安全保障環境において、有事の邦人救出や離島防衛で重要な役割を担おう。
 沖縄配備には自治体の許可や同意は不要だが、安定した運用を続けるには、粘り強く地元の理解を得る政府の努力が欠かせない。
 その意味で、政府が沖縄配備前に山口県の米海兵隊岩国基地に一時駐機し、試験飛行を行う方向で調整しているのは評価できる。岩国市長は態度を保留しているが、政府は説得を続けてほしい。
 疑問なのは、オスプレイの早期配備を容認する森本防衛相に対して、民主党沖縄県連が辞任を求めたことだ。民主党本部は、政権党として、政府任せにせず、県連に翻意を求めるのが筋だろう。(略)  」

読売新聞とは、日本の民間の新聞社というのは名ばかりで、実体は米軍の軍属(?)機関紙ではないのだろうか? この記事はそういう疑いを持ちたくなるほど異様な内容の連続である。「安全性だけ」に目を向けるのではなく、「在日米軍の即応力の強化にも注目し」なければならないと主張しているが、これは私には意味が解らない。オスプレイは4月につづいて6月にも事故を起したわけだが、ここで読売は「在日米軍の即応力の強化」により沖縄では事故は起りえないと言っているのだろうか? もしそうならば、それはどんな根拠で? 「モロッコの事故も、機体の安全性には問題がないとされる」そうだが、誰によって「問題がないとされた」のだ? 「問題がない」と言っているのは米国だけ(日本政府はそれに追従するだけ)だと思うが、読売がその米国の言い分を一方的に支持し、沖縄県民の恐怖や怒りに一瞥もくれないのはどんな理由に依るのだろうか。もし本当に機体に問題がないのなら、米国は(読売も)オスプレイの危険性を憂いている沖縄県民になぜそのことを直ちに具体的に説明しない? 何よりも、「機体の安全性には問題がない」のなら、なぜこんなに事故がつづくというのだろう。事故原因は操作ミスだという声も聞こえてくるが、操作ミスが連続して発生しているというのならそれも機体に問題があるからこそではないかと素人考えでは思うのだが? 

「朝鮮半島まで飛べる」「厳しい北東アジアの安全保障環境において有事の邦人救出や離島防衛で重要な役割を担おう。」との主張も不気味である。これでは読売は、自分の手はいっさい汚さず、沖縄の犠牲の上に立って、中国や北朝鮮を刺激し挑発して北東アジアに争いを引き起こそうとでもいうような妙な下心を持っているのではないかと疑いたくなる。

オスプレイ配備をとおして沖縄の米軍基地について論じた読売のこの社説には、沖縄県民の命と健康、また日常の暮らしに苦痛として侵入してくるさまざまな基地被害に対する視点や配慮がすっぽり抜け落ちていることは、これを読んだ誰しもが感じないわけにはいかないだろう。

しかし事と次第によっては、読売は他の新聞よりもはるかに被害者の立場に重きを置いた記事を書く新聞社である。たとえば、死刑制度を論じた場合がその典型である。死刑を求める被害者遺族の存在を強力な盾に死刑制度の存続を求め主張するという紙面の構成展開では読売は産経と双璧ではないだろうか。沖縄普天間飛行場のオスプレイの配備や基地の存続については、被害に関する住民の切実な訴えに対して歯牙にもかけずに黙殺、一方死刑制度については死刑存続を望む被害者遺族の声を強力に前面に押し立てる。この二つの行動は同じ根から出てきたものであり、読売にとっては何の矛盾もないことだろう。すなわち、権力と距離をとる術を知らず、その意思も持たずに権力と一体化し、結果的により強硬な権力の行使を促すというもの。死刑を言い渡されるような事件を起した人物はかりに死刑にならなくても現状では再び獄から出られる可能性はほとんどない。犯した犯罪の罰は身を以て受けざるをえないし、実際受けているのだ。それに比べて大惨事を引き起こした原発推進当事者や多くの事故を惹起しているオスプレイを平然と沖縄に配備しようという側はどうだろう。彼らに犯罪の自覚がないことは確実だが、現実に犯罪性がないと言えるだろうか。読売や産経がそういう事実に一切頬被りし、死刑について「自分の身内が殺された場合、自分が被害に遭った場合のことを考えてみろ」という世論の声ばかりを取り上げて死刑存続に執心するのは、読売のこの社説が沖縄住民の苦痛について一顧だに払わずに、オスプレイ配備に都合のいい米国発の怪しげな説を並べていることと決して無関係ではないように思える。沖縄がこぞってオスプレイ配備を拒否しているにも拘わらず、読売がそんなにオスプレイ配備が日本にとって重要だというのなら、読売はまず読売本社の近くへの配備を真剣に考えたらいい、考えるべきなのではないだろうか。こういう場合以上に「自分が被害に遭った場合のことを考えてみろ」という言葉が切実に受けとめられ、考えられるべきときはないように思うのだが。
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2012.06.18 Mon l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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