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石原慎太郎東京都知事は4月米国で尖角諸島(釣魚島)を東京都が買い上げると宣言し、その後一般から寄付を募って寄付金額がやれ10億円を超した、13億円になった、日本人もまだまだ捨てたものではない、などと勇ましかったが、その後中国側がこれではだめだと本気で怒って両国間に緊張と危険性が増し、また自分に対しても中国各紙が「石原」と呼び捨てにするかたちで論理的で実証的な、かつ徹底的な個人批判をするようになったら、すっかりおとなしくなってしまった。重大な騒ぎを引き起こした張本人であり、しかも当人自身文筆業者を名乗るのなら、このようなときこそ本領発揮、中国側の批判(こちらこちらなど多数)に堂々と反論し、外部に向かって自分の計画の正当性を訴えるのが公人であり一人前の確かな人間である者のとるべき態度だろう。しかし当初からおそらく多くの人が薄々想像したことと思うが、この人は安全地帯にいて(右翼や産経新聞などの仲間に囲まれたなかで)、後先深くは考えずに調子に乗って一方的な悪態をつく以上のことはできないのだ。

14日、尖閣諸島周辺に中国の海洋監視船6隻がやって来ると、「人の家にずかずかと土足で踏み込んできた。追っ払えばいい。まさに気がくるっているのではないかと思う」とか、「かつてはいろんな教養や文化を持ち、孔子や孟子など日本に価値体系を教えるような先人がいた」が、「それをまったく喪失し、中国共産党の教導の下にああいうことを起こして平然としている国家は信じられないし、軽蔑する」と強い言葉で非難したそうだが、もはや精一杯はった虚勢、強がりにしか聞こえない。特に「軽蔑する」という発言は、相手側からの反響をそのまま口にしているだけのように聞こえる。「 かつてはいろんな教養や文化を持ち、孔子や孟子など日本に価値体系を教えるような先人がいたが、うんぬん」との発言にしても、中国側にしてみれば、「アンタにだけは言われたくない」で終るだろう。実際、言っちゃあ何だが、領土問題に関して石原氏(日本政府と日本のメディアも同様)の発言と中国側が繰り出す発言内容とでは、歴史認識の深さといい論理の確かさといい視野の広さといい、 双方の見識には目がくらむほどの差異があるように思う。もちろん中国側にもなかには感心できない論述もあるが、そんなことは当たり前のことであって、いつか浅井基文氏は自身のコラムで中国の論者には弁証法的思考法が身に沁みついていると評されていた。また別のところでは彼らには古典の素養が身に備わっているとも述べていたと記憶するが、確かに領土問題、日中関係を論評、分析した中国各紙の文章を読んでいると、その評価は適切だと思わないわけにはいかない。

それから民主党の前原誠司氏はTBS( 9月13日)によると、12日、アメリカ・ワシントンで講演し、南シナ海において東南アジア諸国と領有権をめぐり対立している中国について、「理解しがたい論理や主張に基づき行動している」「国際秩序への挑戦を恐れなくなってきている」と述べたそうだ。私は最初これを読んだとき、日本の与党政治家が中国の領土問題について発言したというのだから、当然日中間の紛争の種である尖角諸島について語ったのだと思い、 これまでに積み重ねられてきた中国側の尖角諸島に関する発言に対して前原氏は「理解しがたい論理や主張」と述べているのかと、私はそう受けとめてびっくりした。虚心に耳を傾けさえすれば、誰にとっても尖角諸島に関する中国側の論理や主張が「理解しがたい」なんてことはないはずと思うからである。そう思ってもう一度読んでみると、前原氏は尖角諸島についてではなく、中国がフィリピンやベトナムとの間に抱えている領土問題について語り、その件で中国を非難しているのだ。しかし私もその一人だが、日本人の大多数はよその国の領土紛争について事情を何にも知らない。そういうところにいきなり「理解しがたい論理や主調」「国際秩序への挑戦」などと中国に対する最大限の非難の言葉を投げかける前原氏の行動は浅薄であり品位に欠けるものだろう。もし中国のイメージを悪化させたいというような思惑があったのだとしたら、みみっちい卑怯な行動とさえ言えるだろう。領土問題は日本の例を見て解るように理解するになかなか厄介な事柄を数多く含みもつことが明らかだが、そもそも前原氏は他国の領土問題に対してそのように一刀両断するに足るどの程度の豊富かつ正確な知識を持っているのだろう。


2008年暮れに死去した文芸評論家の加藤周一は、文学者のなかで戦後の早い時期から中国との友好関係の重要性を指摘してきたうちの一人だったが、1972年に日中国交正常化が成るその10年以上も前の1959年に「中立と安保条約と中国承認」という題の文章において次の一節を書いていた。

「 私はアジア・アフリカ作家会議準備委員会で、中国の作家と同じ屋根の下に暮していたとき、もし私が中国を訪ねたら、中国の町や村の人々は私に対してどういう態度をとるだろうか、ときいたことがある。われわれは歓迎するだろう、と私の話相手の作家はいった。いやそういう意味じゃない。君たち作家は歓迎してくれるかもしれないが、大衆のなかには日本人に敵意をもっている人も多いだろう、と私はいった。相手は笑いながら――その笑いが何とあたたかく、人間的で、しかも誇りにみちていたことか!――中国のどんなところを旅行しても、どんな町、どんな村でも、君が敵意のある態度に出会うことは決してないだろう、と答えた。私はそういう保証を俄に信じる気にはなれなかった。町にも村にも、日本人に親や兄弟を殺された人々は少くないはずだが、その人々はわれわれに石を投じないのだろうか。投じたとしても、抗議する資格がわれわれにないという考えが私にあった。しかし中国の作家は、そんなことは決してないだろう、と繰り返し、中国の大衆は日本帝国主義と日本の人民とを区別することを知っているといったのである。事実戦後中国を訪ねた日本人から私のきいた話は、すべて彼のいうところに一致していた。日本の天皇の軍隊は――それはそう呼ばれていた、「皇軍」という言葉もあった――中国に侵入して、中国人大衆を掠奪し、拷問し、凌辱し、虐殺した。そのあとで、つまり大がかりな犯罪のあとで、日本人がその中国へ行って、石を投じられぬとすれば、それは人間の歴史に例の少いおどろくべき事態ではないだろうか。もし中国革命が六億の大衆の民族的自覚と共に倫理的自覚を意味していないとすれば、どうしてそういうことが可能であろうか。われわれは史上にいくつかの革命の過程を知っているし、また旧植民地または半植民地の独立と国民的統一の多くの例を知っている。しかしその倫理的きびしさにおいて、これほどの例は知らない。アグネス・スメドレー Agnes Smedley が中国革命軍の倫理的高さについて語ったときに、彼女はまちがってはいなかったのである。中国の作家と話しながら、私は一種の衝撃をうけた。衝撃は直接には、われわれ日本国民に対する中国側の態度から来ていた。しかしそれはただちに、中国に対する日本側の態度にもつながらざるをえない性質のものであった。日本人から被害をうけたにも拘らず、日本人に石を投じない六億の国民がある。その国民を代表する政府をわれわれの政府が正式に認めないという事態に、われわれが倫理的な抵抗を感じないわけにはゆかないだろう。中国の承認は、政治問題であり、損得利害の問題であるよりまえに、われわれにとっては倫理の問題であり、国民としての品位の問題である。
 しかし損得利害の問題もないことはない。経済的観点からみれば、……中国市場は、現在はもとより将来も、アメリカにとって致命的に大切なものではないかもしれない。また経済的にみてアメリカよりもはるかに小さな資本主義国であるイギリスや西ドイツにおくれて中国市場に乗り出しても、アメリカにとっておくれをとり返すことは困難ではないかもしれない。しかしイギリスや西ドイツよりももっと小さい日本にとっては、当然困難であろう。しかも将来の中国市場は、おそらく日本にとって致命的に大切なものになるにちがいないのである。要するにアメリカの実業家が中国との経済的関係の緊密化に不熱心なのは少しも不思議ではないが、日本の実業家が不熱心で、中国承認を躊躇う政府をだまってみすごしているのは、全く不思議である! もちろんすべての資本家は共産主義を嫌うだろう。それほどあたりまえのことはない。しかし中国承認の故に共産主義化した国はどこにもなく、将来共産主義化しそうな国さえどこにもない。そのことは中立主義政策に関連して先にも触れたとおりである。」(「世界」1959年4月号・著作集第8巻)
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「 中国のどんなところを旅行しても、どんな町、どんな村でも、君が敵意のある態度に出会うことは決してないだろう」、なぜなら「中国の大衆は日本帝国主義と日本の人民とを区別することを知っている」から、と中国人作家は笑いながら言ったそうだが、その笑いについて、加藤周一は「何とあたたかく、人間的で、しかも誇りにみちていたことか! 」と書いているが、確かに当時中国人が日本人に対してそのような見解を自信をもって言えたのなら、そのときその人の表情が誇りある美しさにかがやきわたるのは当然のことだったろう。加藤周一は「事実戦後中国を訪ねた日本人から私のきいた話は、すべて彼のいうところに一致していた。」とも述べているが、これもものすごいことだ。

少し前のことになるが、8月19日付東京新聞に日中国交回復が成立した72年当時の日中の政治家の言動に関する記事が「日中正常化の原風景」という題名で掲載されていた。「正常化前後の中国を取材して印象に残ったエピソードを紹介しておきます。」との記者の前置きで中国の毛沢東、周恩来、日本の田中角栄、大平正芳などの各政治家が叙述されていたが、そのなかで私には周恩来の言動がとりわけ印象深く、感銘を受けた。記事の内容は下記のとおりであった。

「1972年9月、田中訪中に先立ち自民党訪中団と会見した周恩来首相は、随員の中に外務省の橋本恕中国課長(後の中国大使)がいるのを見て「田中訪中の準備は順調に進んでいますか」とたずねました。同課長は「中国側の配慮で順調です」と感謝しました。ところが周首相は即座にこう返しました。「配慮しているからといって、行き届いているかは別問題です。行き届かない点があれば遠慮なくいってください」」

周恩来のこういう態度は中国の一人の作家から加藤周一が聞かされた「中国の大衆は日本帝国主義と日本の人民とを区別することを知っている」という言葉の、その中国の大衆の姿勢と同じ根から出ているもののように思える。あるいは周恩来は自国民に向って折にふれそのようなものの見方を説くことがあったのかも知れない。中野重治は1957年に「第2回中国訪問日本文学代表団」の一員として中国に招かれ、山本健吉、本多秋五、堀田善衛などとともに総勢7人で40日間の旅をし、帰国後「中国の旅」という一冊の本を刊行している。この本はとてもおもしろく興味深い内容で他の人にも一読をお薦めしたいほどなのだが、ここには周恩来のことなど出てこない。いや正確に言えば、一ヵ所出てくることは出てくるのだが、それは中国旅行の「中国の旅」執筆の前年に読んだという日本の新聞記事における周恩来の発言の引用なのだった。

「……けれども、去年夏の周恩来の言葉がある。アジアをまわつてアメリカヘ行ったときの日本の岸の言動について、周恩来は三項目をあげ、特に第三項については六つの点をあげて具体的に目本民間放送使節団に語つている。それは日本のすべての新聞が書いていた。そこにはこうあつた。
「吉田内閣は中国を敵視していた。鳩山内閣と石橋内閣とは中国と仲よくしようとする希望を持っていた。ところが、岸内閣は前進するよりも後退している。アジア諸国はみなバンドン会議の一員だから、岸首相がアジア諸国を訪問したのはよい。また日本の首相が当分のあいだ中国にこられない事情もわかる。しかし岸首相がわざわざ、鳩山も石橋も、そして吉田さえ行かなかつた台湾に行き、中国人民の反感を買っていることは私のとくに遺憾とするところである。つぎに岸首相が台湾で発表した談話である。岸首相は、『もし蒋介石政権が大陸反攻を実行できれば私にとってまことに結構なことだ』と言つている。これは中国人民を敵視している言葉である。」「第三に、岸首相がインドを訪問したとき、新聞記者に『日本は中国を承認しない。なぜなら中国は侵略国家であるからだ』と語つたことである。インドは中国を承認し、中国の国連加盟を支持している。そのインドに対してこのようなことを言うのは挑発的態度としか思えない。私は東南アジアの八つの国を回ったが、日本の悪口なんかは少しも言つていない。毛沢東主席も、日本をふくめたアジア諸国と仲よくしたいと希望している。日本の首相が外国に行って、中国をののしる必要がどこにあるか。」
 中国の人民が、あげて台湾解放を問題にしているのは伊達でも酔狂でもない。(略)」(「中国の旅」全集第23巻)

ところが、1978年刊行の同書の「著者うしろ書」によると、中野らは旅行中偶然のことながら周恩来に会って挨拶を交わしていたのだという。

「……私は、山本健吉、井上靖、十返肇、堀田善衛、多田裕計、本多秋五といつしょに中国へ行った。第二回中国訪問日本文学代表団というので、北京では中島健蔵とも一緒になつた。私たちはかなりの距離を動いた。私たちはいろいろのものを見、いろいろの話を聞き、いろいろの場面に出くわし、またいろいろのものを飲み食いした。帰り、重慶から船でくだろうとするとき、送りに来てくれた中国の作家とのあいだで、私でも知っている名高い孔子の言葉について、私などが通俗にいつてペシミスティックに取つているところを、相手がオプティミスティックに取つているらしいのに不思議なような、あるいはそれが正しいのかなと迷うような思いをしたりなどもした。この旅行で、偶然私は周恩来を見た。そこに人が集まつている。いろんな外国人たちがまじつていて、踊つているものもいる。そこを縫つて、周恩来がいろいろの人と挨拶しながらこつちへやって来る。堀田(善衛)が私を押しだすようにして私たちは挨拶することになつた。何とか言えと堀田が私に言う。私は何ひとこと言うことができなかつた。その印象は今に続いている。いまにつづいているこの印象について、私はいつかは一人の人間として書きたいと思つている。」(「全集第23巻「著者うしろ書」」1978年2月27日)

中野重治が周恩来から異様なほどに深い印象を受けていたことがありありと分かる文章である。しかし中野重治はこの翌年に死去し、「いつかは一人の人間として書きたいと思っている」と言った周恩来の印象について書く機会は残念ながらとうとうなかったわけである。

現在の中国は貧富の差の拡大や軍事力の急速な膨張など懸念材料が多いことも事実と思うが、しかし私は4月の尖角諸島購入問題発生後、中国の新聞の日本語版サイトをのぞいたり、浅井基文氏のサイトで浅井氏が翻訳されている中国の論文や新聞記事などを読ませてもらったりしているうちに、中国の人々には今も50・60年代のころの品位高い感情や姿勢が未だに残っているのではないかと思うようになった。中国各紙では「中日両国は和すれば共に利し、闘えば共に傷つく。」というような言葉も繰り返しつかわれている。現在の中国の日本に対する反感はほぼすべて私たち日本人の側に原因があるのではないかと今さらのことではあるがそう思わないわけにはいかない。加藤周一の死が2008年だったことは先に述べたが、その2、3年前に加藤周一は澤地久枝さんとの対談で、澤地さんに中国との関係改善の大切さを言われると、その大切さをもちろん重々認めた上で、「でももう無理でしょう」と言った。加藤周一が言外にその原因をほぼ全面的に日本のこれまでの中国・アジアに対する態度においていることは聞くまでもなく明瞭だったと思う。
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2012.09.20 Thu l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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