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『月刊 長嶋茂雄』には「マンスリー長嶋」というコーナーがある。1号では、58年2月の明石キャンプから始まってオープン戦、公式戦、西鉄ライオンズと対決した日本シリーズ、来日したカージナルスとの日米野球(ルーキーながら長嶋は16試合中15試合に出場し、結果、大リーガーたちによって最優秀選手に選出されている。この日米野球には全盛期の中西太選手も参加し3ホーマーを放つなど活躍しているので、その中西選手をさしおいて選出された長嶋選手の最優秀選手賞には価値があると思う)まで、長嶋選手のルーキー年の活躍ぶりが月ごとにかなり詳細に描写されている。驚かされたのは、9月20日の阪神戦(後楽園)、長嶋選手が川上哲治選手の打席でホームスチールを試みていたことだ。惜しくも(?)、川上選手がファールを打ってこの試みは記録に残らないことになったが、写真を見ると、長嶋選手はホームのすぐ手前まで来ている。

ホームスチール
「一塁踏み忘れ事件」の翌日、9月20日の阪神戦では、川上哲治の打席で果敢にもホームスチール。結局ファウルを打った“神様”も驚きの表情?

この本盗について、キャプションが、「無謀にも」とではなく、「果敢にも」と表現していることにホントにホッとする。長嶋選手の表情にご注意あれ。この顔はホームスチールが成功しなかったことをひたすら無念がっていて、打席に入っているのが誰であるか、などにはまるで頓着していないように見える。「打撃の神様」とまで言われていた大打者川上の打席に本盗など敢行したら、その権威やプライドを傷つける由々しきことだなんて考えは長嶋選手の意識には露ほども浮かんでいないのだろう。それにしてもこのときの球場のどよめきはどんなだっただろうか。

ついこんなことを思うのは、もちろん、後に広岡達朗選手の打席に長嶋選手が本盗を敢行して、これが広岡選手と川上巨人との間を決定的に引き裂く事件に発展するという出来事があったからだ。1964年8月6日の国鉄戦。相手投手は金田。スコア0-2と2点リードされて迎えた7回、1死3塁でバッター・ボックスに入った広岡選手、カウント2-0の場面。

「3球目で3塁走者の長嶋茂雄が猛然と本塁へ突っ込んできた。外野フライでも1点入る場面。セオリー無視のホームスチールである。タッチアウトとなった長嶋を、私は呆然と見つめていた。」(日経新聞「私の履歴書・広岡達朗」から)

その後2-2から「見逃しの三振」に倒れた広岡選手は、次のように語る。

「私の怒りはベンチに向かった。『やめた、こんなばかな野球ができるか』とバットを持ってロッカールームに直行、そのまま家に帰ってしまった」

この本盗はベンチのサインによるものだったのか、それとも長嶋の独断だったのか。当時広岡さん自身は「私の怒りはベンチに向かった」と述べているように、川上監督のサインと思っていたようだが、じつは当時から諸説あった。ただ最近では、長嶋独断説が優勢のようである(こちらこちらのサイトを参照)。そして私もこの説に賛成である。1988年、たしか長嶋さんの野球殿堂入りが決定した時だったと思うが、NHKテレビで詩人のねじめ正一さんと長嶋さんとの対談番組が放映された。ねじめさんは長嶋さんに「ホームスチール」について質問した。これはとても珍しいことで、長嶋さんに対して「ホームスチール」を話題にするなんてほとんど最初で最後のことだったのではないだろうか。ねじめさんが、自分は長嶋さんのホームスチールを見ている。失敗も見たが、成功も見ている。最近プロ野球でホームスチールはほとんど見られないが、あれはおもしろいので復活してほしい、というような話をふると、長嶋さんは、即座に次のように答えた。

「観るほうからすると、攻撃で一番きれいなのは、2塁を蹴って果敢に3塁に走る、あの姿なんですが、しかしそれよりももっと人の心を打つものは、ホームスチールでしょうねぇ。」

これに対してねじめさんが、おそらくは過去の広岡選手のケースを念頭に置いてのことだろう、「ただ、ホームスチールというのは、打席に立っている人のプライドを傷つけるという側面がありますね。」と訊いた。これに対しても長嶋さんはキッパリとした口調ですぐにこう応じた。

「ええ、でも、お客さんが喜びますよ。」 そして「ですから、今の選手たちにも機会があれば、ホームスチール、どんどん挑戦してもらいたいですねぇ。」

上の会話は記憶で書いているので、言い回しは必ずしも正確ではないと思うが、話の趣旨に誤りはないと思う。また走ることに対する長嶋選手の異様なまでのつよい意欲については、立教時代のチームメイトで4番長嶋の前で3番を打っていた浅井精(きよし)氏(この浅井選手も長嶋選手ほどではないにしろ、かなり駿足だったようである。)の次のような証言もある。

「 …4年生の頃、浅井が出塁してつぎの〈4番・長島〉がヒットで出ると、2塁の塁上にいる浅井は困ったそうだ。
 長島茂雄はしきりに眼くばせしたり動作で示したりして、スチールをうながしてくる。
「失敗は許されぬから、こちらは慎重になる。ところが、シゲは走りたくて仕方がないんだな。1点差でせっているような試合はべつにして、ほかのときはほとんどダブルスチールのサインを送ってくる。私はあわてて“待て”のサインを返す。それでもまたサインを送ってきて、シゲはぱあっと走る。2塁にいた私は、そうなると否が応でも走らざるを得ない。私は幾度か、3塁で憤死しましたよ。だから私は、シゲとコンビで塁上に出たときは、なるべく視線を合わせないようにした。眼が合うと、シゲは走ってくる。ところが眼をそらしていると、1塁のほうから“キヨシ(精)ッ!”とか、“セカンドランナー!”とか叫んでくる。思わず、はっとしてシゲのほうを見ると、もうおしまいだ。ぱっとダブルスチールのサインを出して、一目散に走ってくる。スタートが遅れながら私も走ってしまう。
 シゲは前へ走りたくてしかたがないのだ。たまらず私が“タイム”をかけて1塁のシゲのところへ駆け寄ると、私の言葉に耳をかすどころか、“ダメだよ、キヨシ、走れ”と興奮してささやく。走る場面ではないのにダブルスチールをやって2、3回成功しています。相手のチームやピッチャーも面くらったことでしょう。シゲには、たえず前の塁へ進もうとする動物的な本能のようなものがある。これは野球選手として、かけがえのない適性だった」
 と、浅井精氏は苦笑しながら賞めたたえている。 」(岩川隆「キミは長嶋を見たか」集英社文庫1982年)

ちなみに、立大時代の長嶋選手の盗塁数は、「月刊 長嶋茂雄」によると、1、2年時はゼロ、3年の春以降4・7・6・5と量産しているそうだ。このなかにホールスチールが含まれているかどうかは判らないが…。

上述のように、ルーキー時代に川上選手の打席で本盗を敢行したことや、本盗に対するそもそもの長嶋さんの考えや、立大時代のチームメイト・浅井精氏の発言などを長々と紹介したのは、64年の広岡選手の打席における長嶋選手の本盗の意図について考えてみたかったからだ。というのも、長嶋のこの本盗については広岡を排斥しようとする川上監督の思惑に沿って行われたものだという意見も稀に散見されるからである。たとえば、1985年、阪神大フィーバーの年になされた大岡昇平の次の発言がそうである。

「 顧れば、大正末にラジオ大学野球の実況放送始まってより、春秋シーズン欠かさず聞く。戦時中の中断をのけて、50年野球と共に生きたり。ラグビー、アイスホッケーを知ってよりは、中断せぬ動きのダイナミズムに魅せられたが、時期冬季に限らる。野球の方が時間的に長い。野球は投手交代があったり、ファウルばかりするバッターいたり、退屈なスポーツだが、50年見たり、聞いたりでつぶした時間の累計は厖大なものに上るべし。
 (略)
 われもともと大鵬、巨人、玉子焼にて、極めて健全なる趣味を有せり。立教時代より長嶋のファンなり。引続き巨人ファンなりしも、川上に媚びて、広岡バッターの時、本盗失敗を演じてより英雄失墜す。同時に巨人という球団自体がいやになってしまった。(このころからひがみっぽくなった)。江川問題あってより、ますますアンチ・巨人となり、一時読売新聞を取るのをやめていたことがある。
却って広岡のファンになりて、ヤクルト-西武と変転して、今日に到る。しかし今年の打の阪神に再び英雄を感じ勝たしてやりたい気がして来た。常になく力入る。逆転勝ち多く、うさ晴し効果あり。放送延長につき合い、解説もよく聞き、テレビ視聴時間3時間を越ゆ(7時から放送始まるから、ニュースは6時30分のTBSから見る)。眼に悪し。睡眠時間ずれて生活のリズム狂う。本も読む時間ますます少なくなる。 」(「成城だより Ⅲ」野球人生)

大岡昇平のいう、「川上に媚びて、広岡バッターの時、本盗失敗を演じてより英雄失墜す。」という長嶋選手に対する見方には、今回川上選手を打席においての本盗の試みを紹介したことで実質的にはちゃんと反駁できたと思うのだが、どうだろうか。ただ大岡昇平がそれまで長嶋選手のプレイにつよく反応し、心惹かれていたことは「作家の日記」(1958年3月19日の項)にもよく出ている。

「 小説は依然として進まない。
 春場所は珍しく上位陣が勝っているし、オープン戦には、長嶋なんて選手が出て来るし、オール・ブラックスは破壊的なラグビーを見せてくれるという有様で、朝から一日テレビの前へ坐っている始末だ。(略)
 朝、寝床の中で真先に開けるのは各紙の運動欄で、長嶋と若乃花の勝利の記録を三度も読み返せば、一時間は軽く経ってしまう。『報知新聞』を隅から隅まで読むなんてことが、日課になろうとは思わなかった。
 それにしても、長嶋なんてテレビで観るだけでも、胸がすくような選手が出て来たとは、意外なことになったものである。僕は職業選手のこづら憎いプレーが嫌いで、原則として六大学野球贔屓なのだが、長嶋が学生野球の空気を職業野球に持ち込んでくれたのはありがたい。ただし時間潰しで困る。
 野球評論家の解説というのが、また困ったものである。浜崎とか南村なんて連中は、批評すればいいと思っている。長嶋が本塁打をうってこっちがいい気持になってるところを、聞えてくるのは、いまの投手の球がいけなかったという批評である。
 彼等が野球はもうあきあきするほど見ていて、目前の変化がさして珍しいものでないことはよくわかる。解説も御苦労様だ。しかし折角お客がよろこんでるところへ、水をぶっかけるようなことを言って、よろこんでるのは、どういうわけだ。
 そこへ行くと中沢とか小西とか苦労人は違う、お客といっしょに野球を楽しんでいるように、少くとも、おもてむきはそう見える。これが同時解説の秘訣じゃないのか。
――と憤憑やる方ない思いのうちに、文学の方にも似たようなことがあるのに気がついた。(略) 」

近年の長嶋さんの振舞いに対する反感や批判によって、選手時代の長嶋さんのプレイが邪念あるもののように受けとられることがあるとしたら、それは間違いであり、グラウンドでの彼の動きは何よりもゲーム展開と自分の野球観とそれに基づいて湧きあがる意欲によって決断されていたというように私には思える。だから、敢行されたホームスチールもすべて支持するし、球場でスリル満点のホームスチールをまた見てみたいとも思う。ちなみに、58年8月20日にも長嶋選手はホームスチールを試みている。残念ながらタッチの差で失敗に終わっているが、このとき打席に立っていたのは藤尾捕手だった。

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2013.06.26 Wed l スポーツ l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

ダブルスチールの話
ダブルスチールといえば、WBCでの井端・内川事件が有名であり、刺されたのは内川ですが、それは井端が3盗試みて途中で止めたため。よってダブルスチールは一塁走者の方が遙かに難しいのですが、それが「利己的な」(笑)長島だったと想像するだけで、興味深いですね。

以上の理由で、捕手の立場で見れば、走者を刺す確率が高いのが1塁走者の方で、1塁走者の走力がさほどでもない場合は、確実2塁へ送球すべきです。広島・巨人戦で、広島の捕手・会沢は3塁送球で松本を刺そうとしましたが、一塁走者は矢野であり、捕手・石原でしたら確実に2塁に送球したでしょう。ちなみに数年前1塁走者・小笠原のとき、スタートがきれずに自重すべきときにつられて飛び出して、2塁の遙か手前でアウトでした。
2013.06.30 Sun l 檜原転石. URL l 編集
Re: ダブルスチールの話
檜原さん、コメントありがとうございます。
> ダブルスチールは一塁走者の方が遙かに難しいのですが
そうですか、一塁走者のほうが難しいのですか。瞬時にいろんな判断力が要求されるということなのでしょうね?
長嶋選手の盗塁成功率はかなり高いようです。決断力が並外れて良かったので、そのせいでしょう。
ダブルスチール、三盗などのプレイは、成功すると、見ていて胸がすきます。
2013.07.02 Tue l yokoita. URL l 編集

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