QLOOKアクセス解析
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
政治学者の山口二郎氏に「政治を語る言葉」(七つ森書館・2008年7月刊)という著作があることを知ったのは、金光翔さんのブログによって、だった。この「政治を語る言葉」では中野重治と永井荷風という二人の文学者が取り上げられているとのことで、金さんは、6月19日の記事「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 6」で中野重治をふくんだ山口氏の下記の文章

「彼(注・中野重治)は左翼の人ではありましたが、日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだという薄っぺらな歴史観をもっていたわけではないんですね。戦争で倒れた、戦争で苦しんだ普通の人々に対して限りない共感と愛着を持っていた、戦争で倒れた人々とともに戦後民主主義を何とかつくりだしていこう、庶民の感覚に根を下ろした民主主義をつくりだしたいという問題意識を彼はもっていたと、私は理解しています。」(50頁。強調は引用者)

を引用し、次のように批判していた。

「私はこの一節を読んで、驚いてしまった。「日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだ」という認識は、「薄っぺらな歴史観」なんだそうだ。(略)」

ここで金さんが批判しているのは、上記のように「日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだ」という認識を、「薄っぺらな歴史観」という山口氏の見解である。私も金さんの批判はもっともだと思ったが、ここにはもう一つ問題があるように感じた。中野重治は「日本は侵略戦争で悪いことをしたから、負けて当然なんだという薄っぺらな歴史観をもっていたわけではない」という山口氏の中野重治についての認識は妥当かという問題である。中野重治は、「日本は侵略戦争(で悪いこと)をしたから、負けて当然」という歴史観をもっていなかったのだろうか。そうではなかっただろうと思う。山口氏が引用している「冬に入る」という文章は、『展望』の1946年1月号に載ったものだが、同時期の『民衆の旗』1946年2月号には、「日本が敗けたことの意義」という題の次の文が掲載されている。

「 しかし国民のなかには、日本は太平洋戦争に敗けたのだと思っているものがまだまだ多い。日本は太平洋戦争に敗けた、それもおもにアメリカに敗けた、アメリカの物量と科学とに敗けたのだと思っている人がまだまだある。私はそんなことでは、日本の再建はおぼつかないと思う。そんなことでは、食糧難の突破も、憲法の制定も、戦争犯罪人の処罰も、てきぱきとは運ばぬと思う。戦争に敗けたと知るだけでは足らぬ。何戦争に敗けたのか、どんな戦争に敗けたのかを知らねば新日本は生めぬと思う。
 日本は何戦争に敗けたのか。日本は太平洋戦争に敗けたのではない。太平洋戦争「で」敗けたのではない。アメリカないし連合国は、太平洋戦争「で」勝つたのではないのだ。太平洋戦争という土俵の上で、日本と連合国とが勝負をして、日本が投げられ、連合国が土俵に残ったというのでは決してないのだ。太平洋戦争という、日本の出した土俵そのものが微塵になったのだ。
 日本の仕かけた戦争は「聖戦」ではなかった。それは野蛮で卑劣な戦争だった。それは「アジア人のアジア」のための戦争ではなかった。アジア諸民族を奴隷にするための戦争だった。それは「自存自衛」のための戦争ではなかった。他国を侵略し同時に自国民をも奴隷とする戦争だった。天皇の国日本は、「大御稜威の下」その「八紘一宇」の精神で満州人を殺し、中国人を殺し、安南人を殺し、フィリピン人を殺し、同時に自国民に重税を課し、自国民手持ちのすべての物資を徴発し、少年から老人までをいくさに引きだして殺し、産業と文化とを破り、耕地を荒らし、これに反対するものすべてを国への叛逆者として縛ったり殺したりした。それは、人道とその文明とにたいするあくまで下等、あくまで野蛮な破壊戦だった。それだから連合諸国がこれをうち倒したのだ。連合諸国は別々の国だ。イギリスと中国とは国柄がちがう。中国とアメリカとは国柄がちがう。アメリカとソ連とも国柄がちがう。しかし彼らは、民主主義の国々として、国柄のちがい、人種のちがいを越えて、人類とその文明とに噛みついた二ひきの狂犬を連合して始末したのだ。そしてその結果、アジアがアジア人のものとなったのだ。帝国日本の「アジア人のアジア」のための戦争がうち破られた結果、フィリピンはフィリピン人のものとなり、中国は中国人のものとなり、朝鮮は朝鮮人のものとなった。」(中野重治全集第12巻p37)

敗戦の2、3ヶ月後に書かれた文章であり、今読むと、戦争にも連合国に対する見通しにも誤りや甘さがあるかとも思うが、それは仕方のないことだと思う。中野重治は、戦前・戦中の文学者のなかで国家から最もはげしく憎まれた人物の一人だった。1932年には投獄され2年間の獄中生活の後転向を余儀なくされた。1942年に「文学報国会」ができたときは、その会から弾き出されることを恐れ、菊池寛宛てに入会についての問い合わせの葉書を書いてもいる。中野重治のこの時の心境について、平野謙や埴谷雄高などは1938年に執筆禁止処分を受け、その後もずっと特高警察のきびしい監視下に置かれたため、「文学報国会」会員から外されたら、これでもう永遠に執筆の機会が奪われるという精神的恐慌状態に陥ったのではないかとの推測を述べているが、中野重治自身は、治安維持法による逮捕拘禁をのがれるために「文学報国会」に拘ったのだと記している。

「つまるところ、それは「執筆著作の機会」うんぬんにはほとんどまったく無関係だった。主眼は逮捕拘禁をのがれることにあって、下手に執筆の機会があたえられるなどは、ふらついている私にとって鋏みうちを食う危険でもあったろう/12月8日政府発表の途端の、猫も杓子もの調子での、「これですうッとした」、「胸のつかえが一ぺんに下りた」といった声のいっせい噴出、それをあびせられる側の一人として私が受けとらねばならなかったときのことを私はおぼえている。「執筆著作」のことなどは、いわば主観的に私に問題でありえなかった。」(『歳末補註』1971年)

「文学報国会」の発会式について、中野重治が会場にいた自分のその時の心情について「乞食のような惨めな気持ち…」と書いているのを私はどこかで読んだことがある。このようにいくらか中野重治の著作を読んだことのある私には、山口氏が述べる中野重治像は、「一体これは中野重治のことなのだろうか」というような、まったく別人のごときイメージしか喚起されないのである。「政治を語る言葉」を読んでみて、永井荷風についての記述にも同じ感想をもったが、これは別の機会に譲ることにして、山口氏が自著で引用している中野重治の「冬に入る」について述べると、全集を見てみたところ、この部分は、当時、『東京新聞』に発表された河上徹太郎の

「8月16日以来、わが国民は、思びがけず、見馴れぬ配給品にありついて戸惑ひしてゐる。――飢ゑた我々に『自由』といふ糧が配給されたのだ。」/「私は今更不ざまな戦時中の政治の死屍に鞭つ興味を持たぬ。その頃『自由主義を撲滅せよ』といふスローガンの下に、彼等の頭の悪い観念論に同化し得ぬ風潮を味噌も糞も一しょくたに葬らうとしたのに対し、今更『自由』の旗印の下に共同戦線を張って復讐をすることは、之亦、反撃の相手と同じく捉はれたことであり、目標の不明確なことであり、志の低劣なことである。」/「然し自由も配給品の一つとして結構珍重されてゐる。」

という文章を批判する文脈で述べられていた。長くなるが「冬に入る」から引用する。

「 10月26日の『東京新聞』で河上徹太郎氏のこういう言葉を読んだときにも私はそれをすらりと呑みこむことができなかった。私はいやな気がした。いまもしている。
「見馴れぬ配給品にありついて」、「国民は……戸惑ひしてゐる」、「配給された自由」、「自由も配給品の一つとして」、私にはこういう言い方が自由を穢しているもののように思えてならなかった。こういう言いまわしが、自由と国民とに或るよごれをつけようとして、文学的に頭で考えだして書かれた言葉であるように思われてならなかった。
「配給された自由」という言い方は、気がきいているようにみえる。いまの日本の自由と民主主義とが、全的に国民の手でもたらされたものでないという事実から、この気のきいてみえることがいっそうそういうものとして通用しそうな外観をもつてもいる。
 しかし、それだからといってそれが正しい言いあらわしであるかどうか。国民に与えられた自由が、いわば外部からのものであったにしろ、それを国民の内部に全く無関係に「配給品」あつかいすることが正しいかどうか、いったい国民がそれを与えられて「戸惑ひしてゐる」かどうか検べてみることは一応も二応も必要なことだろう
 日本の国民が今持っている自由はたしかに国民がこれを全的に獲得したものではない。日本の国民は、王の処刑をふくむ革命の実行をしたものでもなく、バスチーユの破壊を実行したものでもなかった。それは帝国日本の連合国にたいする完全な敗北によって、それを機縁としていわば外側から日本国民に与えられたものであつた。しかし日本の国民は、自己の民主主義革命を実行できぬうちに自国の敗戦によってそれを外側から得ねばならなかったという、帝国日本から「第四等国への顚落」と外部から銘うたれねばならぬような事態をとおしてそれを得ねばならなかったという歴史的事実のうちに、かえって与えられた自由を「配給された自由」と称ぶことを一般に許さぬ内面的権威を持っている。
 それだから、日本の国民にとって与えられた自由は決して「思ひがけぬ」贈りものではなかった。それは日本の国民が喘ぎかわいて待ったものであつた。日本の国民は与えられた自由の前に少しも「戸惑ひして」いない。
 かえつて日本の国民は、与えられた民主主義が自己の力で独立に獲られたものでないことを泣かねばならぬほどよく知っている。それだから日本の国民は、与えられた民主主義の糸ぐちを大事なものとして、貴重に取りあつかわねばならぬことをよく知ってそれをそのように扱っている。あの、大きな、長いあいだの苦痛、あの大きな、長いあいだの、そして今もつづく大きな飢え、それをとおしてこの糸ぐちにたどり着かねばならなかつたことを知っている国民は、この糸ぐちを一種のヒステリーに仕立てようとする人びとに従う必要を自身認めぬし、この糸ぐちをほしいままな個人的「復讐」に仕立てようとする人びとにも従う必要を毫も認めていない。
 河上氏は、「言論の自由」を「戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てること」として書いている。
「或ひは此の敗戦を戦争責任者の失敗と怨むより、いはば天災の一種と観ずるのが、佯らざるわが国民の良識に近い。かかる時、専ら戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てることが『言論の自由』だとすれば……」
 また河上氏は、戦時ちゅう支配した軍国主義観念とのたたかいを、当の軍国主義と同様な、「志の低劣な」「復讐」だとして書いている。
「私は今更不ざまな戦時中の政治の死屍に鞭つ興味を持たぬ。その頃『自由主義を撲滅せよ』といふスローガンの下に、彼等の頭の悪い観念論に同化し得ぬ思潮を味噌も糞も一しょくたに葬らうとしたのに対し、今更『自由』の旗印の下に共同戦線を張って復讐をすることは、之亦、反撃の相手と同じく捉はれたことであり、目標の不明確なことであり、志の低劣なことである。」
 たしかに、「専ら戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てること」は、「言論の自由」の主要本質ではない。けれども、それだからといって、当の戦争責任者その人が、彼にもわかたれた「言論の自由」において、「言論の自由」に「ヒステリックな憤懣の喚き立て」を等置して、そのことで、本来はしばしば無邪気なものに過ぎぬ「ヒステリックな憤懣の喚き立て」をも遮断し、それによって戦争責任者の本質的批判そのものをも遮断しようとするとすればどういうことになるだろうか。むしろ今の場合、「戦争責任者へのヒステリックな憤懣の喚き立て」さえも取りあげて、これを戦争責任者への本質的批判へ導いて行くことが「言論の自由」を本質的に尊重する所以でもあり、「戦争責任者へのヒステリックな憤懣の喚き立て」に出てそこにとどまるしかないような人びとにたいする河上氏の文学者・批評家としての態度であるべきであつたのでもなかろうか。
 たしかに、軍国主義と軍国主義者とにたいしてほしいままな個人的「復讐」をはかること、「今更不ざまな戦時中の政治の死屍に鞭つ」ことは、けっして日本民主主義と民主主義者との任務ではなかろう。ベルリンが落ちたとき、地下壕から出てきたベルリン人のあるものは、写真を片手に、写真の主、彼らの個人的仇敵を廃墟のなかにさがしまわった。そしてそれを、街を占領した赤軍すらがある程度以上には制御することができなかつた。悲惨な、凄惨な話である。この種の事態の到来を断乎として予防すること、最悪の場合にもそれを最小限にくいとめることが日本の民主主義のために大事である。けれども、それだからといつて、復讐されるかもしれぬという恐怖に日夜おびえている人びとが、別の言葉でいえば、「戦時中の政治」の生きた「死屍」として生き残っている人びとが、国民が「自由の旗印の下に」張る「共同戦線」に「志の低劣な」個人的報復戦線を等置して、この戦線の中心眼目を「死屍に鞭つ興味」にあると主張するとすれば、どういうことにならねばならぬだろうか。
 現にこのことは日本政府によって実行されている。日本の政府は、下村陸軍大臣の名で発表した10月22日の声明のなかでこういっている。
「軍人の遺家族、傷痍軍人に対する擁護、復員された軍人軍属の将来保証の中で、前の二つ、即ち遺家族、傷痍軍人の件に就ては決して心配は要らぬ。外地に在る軍人の留守宅俸給、賜金手当等、これ等の給与が従来通り継続せらるることは申すまでもないことであり、傷病兵諸君は今後陸海軍が全く解体した後においても、必ず政府の手によって保護せらるることは既に決定してゐる。第三の問題即ち内外地を合して約六百万に上る復員軍人軍属の将来保証は実に国家としての大問題で、吾々の日夜心を悩ましつつある事項である。」
 つづけて、「最近国の内外において軍国主義の払拭、軍閥打倒覆滅といふ事が盛に論ぜられて居り、過去を顧みればその議論の起るのは当然である。私共は職を軍に奉ずる以上、仮令個人的には身に覚えなき事であっても甘んじて軍人として、或は軍の指導者として共同の責任を取り、悪かつた処や間違ってゐた点等は率直にお詫び致してゐる。ただここに何としても憂慮に堪へない事は、いはゆる軍閥的行為に対する追及と懲罰とが必要の程度を越し、その飛沫がこの種の行為に関係もなく、命のまにまに身命を抛って御奉公した純真な将兵の上にまで振りかかり、其の結果として此等の人々が罪なくして精神的にもまた物質的にも社会から閉め出さるる様になりはしないかといふことである。」
 政府の、このほとんど盗人たけだけしいともいえる狡猾は短時間効を奏した。ある新聞は、この狡猾に引きずられてそれを幇助するような見出し文句を書いた。ある新聞は、「指弾罪なき軍人に及ぶを憂」えた陸軍大臣の衷情にたいして心から無邪気な同情を表白した。そしてそれは短時間に過ぎた。軍人の遺家族、傷痍軍人、復員した軍人軍属の将来保証の問題はその後ますます深刻に真相をあらわにしてきている。
 しかし問題は、政府が、軍閥と軍国主義とにたいする国民の反感・批判・問責に個々の軍人への誤った報復を等置して、そのことで国民に泣きおとしをかけつつ、前者、軍閥と軍国主義とにたいする国民の批判の眼を曇らそうとしたことであつた。軍国主義への国民の批判と、「命のまにまに身命を抛って」戦った兵士にたいする国民の同情とは別ものではない。政府と陸軍大臣とがそれを切りはなそうとしてもそれは駄目である。「身命を抛って」戦った兵隊はそのことにおいて、「身命を抛って」戦って身命を抛って」しまつた兵隊はそのことにおいて、病気になり不具になった兵隊はそのことにおいて、そのすべての遺家族を連れつつ、その他の国民とともに、軍閥・軍国主義の国民的問責陣の主軸の一つをなしているのである。軍閥・軍国主義にたいする国民的追及の根拠の一つは大臣が泣きおとしの材料に使った「純真な将兵」そのもののなかにある。連合軍の手に俘虜となってその俘虜であることに日夜不安を感じている無数の同胞のその魂の苦痛のなかにある。そうして、それであるのに、昭和20年10月22日になって、戦病死した兵隊、傷痍軍人、その遺家族、復員軍人軍属、南方洋上の、またその他の地の俘虜にたいする施策がボイコットされつつ、こういう泣きおとしが政府の手で国民のまっこうへ射ちだされたというその事実にあるのである。
 そうして、政府に或る安心、その射撃効率についての或る確信を与えていたものは、軍閥・軍国主義批判における、自由と民主主義との理解・把握における、国民の側の弱さ、足りなさ、不十分であつた。11月4日の『東京新聞』にのつた、安藤安枝という人の「或る日の傷心」という投書もそれを説明するものの一つだと私は思う。
「10月30日御茶の水の千葉行ホームに立つて居りました私の耳に、異様などよめきと共に『おい皆んなパラオ島帰りの兵隊をよく見ろ』と大きな声が響き渡つて来ました。私は内心敗戦したとは云へ、兵隊さん達は懐しい日本の地を踏みどんなに嬉しさうなお顔をして居られるかと待兼ねました。電車に乗られるため後方ホームより、前方ホームに白衣も眩ぶしく歩んで来られました。然し眼前に見えた兵隊さん達のお顔は率直に申せば骸骨そのままです。即製の竹の杖を皆さんがつき、その手は皮だけで覆はれて恐らくあの白衣の下の肉体も想像がつきます。
 新聞で読む栄養失調症の兵隊さんの顔には白い粉がふいてゐるとのことでしたが、眼の前に見た兵隊さんの顔は誰も皆小麦粉を吹き付けた様な白さ、此の兵隊さんの姿を見て男の方も女の方達も声を上げて泣き出して終ひました。此の様に兵隊さんの肉を削った戦争責任者は之だけでも重罰の価値がありませう。この兵隊さんの姿を妻や子が親が見たらどんなでせう。電車を待つ間にやっと私は兵隊さんに『御苦労様でした、大変で御座いましたでせうね』と泣きながら申しますと、一人の兵隊さんは『いーやー』と心持ち首を動かしましたが、男の方の気軽さで云ふ『いやー』といふ声が出せないんです。混雑するので思はず私は側に居た見知らぬ子供の手を引いて居りましたが、眼の前にゐた兵隊さんが不自由に手を動かし、鞄の中からお弁当箱を出して、蓋の上に乾パンを載せ、声も出ぬ儘私の手を引いて居ります子供に差し出されたではありませんか。子供は無邪気に両手を出しましたが、そのお子さんの母は『勿体なくて戴けません』と繰返し泣いて居りました。私は兵隊さんの御心情も察せられ『折角の兵隊さんのお心持故戴きませうね』と戴きました。涙で見送る眼に白衣だけが残り、二輌目に乗りましたが、車外では兵隊さんを御送りしようと一斉に心からの見送りをして居りました。
 皆さんデモクラシー運動も大いにやって下さい。婦選運動も結構でせう。然しかう云った兵隊さんが各処に居られることを忘れないで心に銘記してからやって下さい。戦災死、戦災者の方達の上に心を止めないことには、敗戦日本に与へられた只一つの有難い国体護持も道義滅亡によって無価値なものとなるでせう。大口買出部隊に一言申します。闇買出しに使用するトラックにこの兵隊さん達を柔い蒲団を敷いてせめて上陸地から目的地に運んで上げる親切心を起して下さい。」
 これが全文である。これを泣かずに読める日本人はあるまい。そうして、安藤氏の兵隊にたいする気持ちも「デモクラシー運動」や「婦選運動」にたいする気持ちも、すべての日本人に素直に呑みこめるだろうと私は思う。また、「デモクラシー運動」や「婦選運動」やが、こういう兵隊の存在と安藤氏の心持ちなどとから多少とも離れたもののように安藤氏に映じていることをもすべての人が素直に受けとるだろうと思う。
 そしてしかしこのことが、軍閥・軍国主義への批判における、自由と民主主義との理解・把握における、国民の側の弱さ、足りなさ、不十分ということに動かし難く結びついている。そしてこのことが、独立の民主主義革命をとおしてでなしに、民主主義ないし民主主義への糸ぐちがいわば外から与えられたという国の歴史的実情に結びついている。日本の国民には、「言論の自由」とは「戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てること」だといわれればそこへ引かれるような、「『自由』の旗印の下に共同戦線を張」るとは復讐戦線を張ることであり、その眼目は「低劣な」「死屍に鞭つ興味」であるといわれればそこへ引かれるような後れが一般にあるのである。それだから、文学者・批評家としての河上氏のあの言葉は、あの限りそういう役をしたのである。自己の屍に鞭うたれることに興味を感じない人びとの或る気持ちと行動とをば、あの限りで弁護したのである。そのことで、日本軍閥と日本軍国主義者とを救うために日本国民を的に掩護射撃をすることになったのである。その反対の行動に出ることが河上氏にとつても国民にとつても望ましいと私は思う。」

中野重治の上の文章が、山口氏の述べる趣旨とはまるで異なる内容をもつことは歴然としているのではないだろうか。小説、評論、雑文とにかかわらず、中野重治がもし山口氏が把握しているような内容の文章を書き続けてきたのだったら、今頃もう中野重治の文章が読まれるようなことはなかったのではないだろうか。文学には虚偽やごまかしをうけつけないところ、弾き飛ばすところがあると誰かが述べていたと記憶するが、私もまったくそう思う。古典について考えてみれば誰しも得心がいくのではないかと思うが、一定の時間を経ると、大抵のことはその真偽・善悪・美醜が自ずと明瞭になるように思う。

山口氏は、「中野は大変なナショナリストでした。」とも述べている。そうかも知れない。でも、このような重要でありかつ繊細・微妙な問題をふくむテーマについて述べるときは、ナショナリストはナショナリストであったとして、どのような世界観の下での、どのような性格のナショナリストであったかを、誤解のないようにできるだけ正確に述べる必要があるだろう。山口氏はその点に欠けるところがあるように思う。中野重治は最晩年の1977年「緊急順不同」という本を三一書房から出版しているが、自ら「雑文集」というこの本について、全集の「著者うしろ書」において「いろいろのことに触れているが、見てのとおり朝鮮のことをかなり扱っている。扱っているとまでは言えぬにしろ、それに触れているとは言えようと思う。その点では、たとえば石堂清倫から批評を受けることなどもでき、書いた本人としてはうれしく思っている。(略)」と述べているように、驚くほどに多く朝鮮および在日朝鮮人についての言及がなされている。「雨の降る品川駅」は中野重治の詩のなかで最もよく知られた作品の一つではあるが、その後も、また晩年になればなるほど、これほど数多く朝鮮、特に在日朝鮮人について書かれていたとはこれまで知らなかった。「さすが」と思わずにいられないほど、重要な深い指摘があると思う。また、中野重治のナショナリストの性質についての判断の参考になるかどうかは分からないが、1972年に書かれた「レスリングとボキシング――私のなかの愛国主義と非愛国主義」という一文があるので紹介したい。ナショナリストうんぬんを言わなくても、これは大変おもしろい文章なので、読んでいただければと思う。中野重治は、単に「食わずぎらい」に過ぎなかったようだが、当初、レスリングもボキシング(ボクシング)も嫌いだったそうである。

「 そうして時がたつた。いまや私はときどきテレビでボキシングを見る。それからレスリングを見る。両方ともプロのほう、商売のほうのを見る。家のなかで私ひとりだけがそれを見る。ニュースの時刻に重なつたりして見られぬこともあるが、家じゆうで四方からいやがられながら私はそれを見る。四方からしかしいつもは二人きりだからたいしたことはない。親類縁者がやつてきても私は非難され、嫌悪され、軽蔑されさえするのらしいが、私はなるべく彼らを刺戟しないように工面して何とかして見ている。
 私はテレビで見るだけで現場へは出かけない。このごろは炬燵にはいつていて、知らずに声を出したり、炬燵やぐらの脚を掴んで音が出るほど握つてゆすつたりするのらしいが私は弁解しない。そしてこうやつて見てきて、私のなかにおかしな傾向ができてきているらしいのに気づいて私は自分でどぎまぎすることがあつた。
 私はテレビで野球を見る。角力を見る。柔道も見れば甲子園大会なども見る。いちばん困るのが大角力の場所で、ある時期には3時半から5時半まで見、それから夜11時からダイジェスト版を見るのだつたから私はほんとうに困つた。角力のせいでではない。場所関係の制度について私は何も知らぬが、それが必ずというように原稿締切りにかかるために私は困るのだつた。このごろはダイジェスト版というのがなくなつて、私は助かりはするがさびしくないことはない。
 ところで、どんなおかしな傾向が私のなかに出来てきているというのか。出来てきているらしいというのか。簡単には説明できそうにないが、誤解されるかも知れぬことを承知で書けば、プロ・レス、プロ・ボキシングの二つについて、私のなかに愛国主義と非愛国主義とが、愛国主義的傾向と非愛国主義的傾向とがいくらか固定して出来てきているらしいのがそれだつた。
 もともと私はボキシングから見はじめていた。何年まえになるか思い出せもしないが、はじめのうち私はプロ・レスを見ることができなかつた。ときどきかけては見るものの、とてもそれ以上は眺めていられない。あまりにひどい。あまりに陰惨、残酷で、その上ずいぶんひどい違反をやる。それがそのまま見のがされる。それは言葉どおりスポーツらしからぬ醜だつた。背骨が折れるほどに、血だらけになつて死ぬるほどにひどいことをする。そこへ行くとボキシングのほうはいい。それでさえ初めは、アメリカの重量級選手なんかがどさツどさツとやる音、むしろ響き、あれが私には聞いていられなかつた。「顔面をとらえる」という言葉さえ私にはいやだつた。
 それがそのうちそうでなくなつた。あれには男らしいところがある。いい試合には昔物語の剣士のようなおもむきがある。「顔面をとらえる」も「ボデー攻撃」も気にならなくなつた。しかしそのときになつてもレスリングは見られない。
 それがどれだけ続いたか調べることもできないが、いつの間にやら私はレスリングを見るようになつていた。見ていてそれがおもしろくなつていた。そしてそれからまただいぶして、さつき言つた愛国と非愛国とのごつちやが自分のなかにあるらしいのに私は気づいたのだつた。
 結論からいうと――結論というのも大袈裟になる。――私はボキシングのほうに私自身の非愛国主義を感じてきている。レスリングのほうに愛国主義を感じてきている。愛国・非愛国というのだからこれは他流試合の場合、日本人選手がどこか外国の選手とたたかう場合のことに関してくる。日本人と外国人とがたたかう。しかも日本人の私が、肝腎の日本人選手に必ずしも贔屓しない。日本人選手が負ければいいというのではない。決してそうではないが、どんなやり方をしてでもどうしても勝てとは自然のこととして思わぬというのが実地のそれだつた。
 これはレスリングの場合に比べてみて自分でよくわかる。プロ・レスの場合、私はどうしても日本人側に贔屓する。日本人選手、どうしても勝てと切に思う。
 愛国主義、非愛国主義なんという言葉を私はもともと使いたくない。それはここで便宜上使うのに過ぎぬが、何でそんなものが出来てきたろうかと考えてみると、選手も問題があるらしかつたがそれ以上審判に問題があるのらしかつた。
 愛国主義のプロ・レスのほうからいうと、日本側選手たちの伎倆の問題もあつた。それだけ独立に引きだしていう場合の技術、訓練、それの不足ということも考えられなくはなかつたが、それ以上に試合のやり方にたいする私の不満があつた。何で彼らが、はじめからしまいまで、必ずといつていいほど相手側のコーナーへ引きこまれて行くのか。誘いだされるのか。何で彼らが、ある型の攻撃を連続して、同時に高速度で相手に加えないのか。何だか彼らに、最後の一つ手まえのところで、相手の様子をつつ立つて見ているようなところがある。よほど特別のときでないかぎり、日本人選手たちは同じところを蹴りつづけない。ねじり続けない。三度も五度も投げとばしたにしても、あと五つ六つ続けて投げとばさないで、もひとつ甲斐ないところで押えこんでしまう。そして撥ねかえされる。相手に休養をあたえてしまう。見ていて歯がゆくなるが、そのうえ外国人選手は見ていられぬほどひどいことをする。
 第一に私にあの仮面というのが気に食わない。何の必要があるか。彼らは非道なことをする。髪の毛をむしる。歯で噛みつく。眼をえぐるようにする。吊鐘のところを打つ。トランクスのうしろへ手をかける。それは力くらべ、業くらべではない。それにたいして日本人選手たちがおしなべておとなしい。さんざんに傷めつけられるのを待つていたようにして我慢する。相手の首にロープを巻くようなことは外国人のほうが主としてやる。しかし我慢しにくいのは審判者の態度こそだつた。
 正確でないが、あれはミスター・トルコとかいうのだつたかも知れない。何でそんな名なのか。国籍がトルコなのかも知れぬが、眼のくらんだ外国人選手にあばれられて、ミスターそのものが投げられたりすることもあるのだから一概には言えまいが、私には、審判の態度がどうしても故意に見えて仕方がない。わざとそう持つて行く。外国人選手がビールの栓抜きなんかをどこかに隠していて、腰のところからひよいと出してそれでひどいことをする。審判がそれを原則的にとがめない。日本人選手が相手を押えこんでカウントを取る。決まりの一歩まえで相棒が飛びこんできて日本人選手の背骨のところを蹴る。日本人選手の一人が審判に抗議する。ミスター・トルコが腕を上下に振つて抗議をしりぞける。そのあいだじゆう、土俵で外国人選手の反則が続けられる。そもそも言つて、日本人選手側の抗議の仕方がなつていない。あの「タッチ」のやり方でも、タッチしないでしたようにしてしまう外国人選手のやり方と、ちやんとしていながらしなかつたように審判に取られてすごすご引つこんでしまう日本人選手側のやり方と、見ていて腹が立つてくる。業が湧く。一般に、審判と外国人選手側とがグルになつていて、日本人選手側が絶えずそれに提燈持ちをさせられている、それを合法化するための道化を演じさせられているという形になる。そもそもいつて、プロ・レスの審判が一人だというのが気に食わない。それは不正を前提にしている……
 そこで私が日本人選手側に肩を入れたくなる。私が愛国主義者なのではない。ただ不義に従いたくない。それだけのことなのらしい。そこで相対的に、ボキシングの場合それほどにはいらつかぬのらしい。ボキシングの審判は複数になつている。そこに、一般的にいつて正義が感じられる。角力では一人の行司が立つ。しかし別に複数の検査役がいる。写真も使われる。そこはオリンピック競技なみ、競馬なみに近代化されている。ボキシングの場合、レスリングに比べて私が非愛国主義的になるように見えたのは、そこでは大体において正義が保証されていて、ずぶ以前の素人がおかしくやきもきしないでもすむという信頼感があつて来たせいなのらしい。
 ところでこのごろになつて、ついこのあいだの 「世界フェザー級タイトル・マッチ十五回戦」というので私に変化が生じた。これには「WBC」という肩書がついていて、何だかもう一つ世界なになにというのがあるのらしいが私の勘ちがいらしくもある。ボキシングでは例のカシアス・クレーに絡んで私に意見があるが、それは又のことにしてこの十五回戦はひどかつた。私は、日本で行なわれたこの試合はと書いておきたい。
 見ていると目の前で不義がまかり通つて行く。私は手で炬燵板を打つて罵つた。
 それでも、ずぶ以前はわかつているのだから私は新聞を読んでみた。ずぶ以前は誤つていなかつた。
『サンケイ新聞』の「ファイティング原田氏」の言葉を見てもいい。「日本ボクシング協会会長の笹崎氏」の言葉を取つてもいい。『東京新聞』の若山圭五、「日本におけるホームタウンデシジョン(身びいき判定)、これは世界のボクシング界に周知の事実だ……だがこんなにひどいのは初めてである」を取つてみてもいい。笹崎会長の、「こんなことをやられては日本の信用はゼロだ」を見てもいい。『毎日新聞』の八代の言葉を取つてもいい。『読売』『朝日』その他もかわらない。『デイリースポーツ』の「さらした悪名の本領、声援が怒号に……ファンは正義、ジャンジャン抗議電話、子供にわかる勝敗だ」を読んでもいい。なかでも私は『デイリースポーツ』の寺内大吉を読んだ。「ボクシングに訣別の辞」と題がついている。
「ドル・ショックにも逆重要事項が否決されてもビクともしなかつた僕だが、今夜ばかりは腰を抜かしてしまつた。この試合がドローとは……。僕は腰を抜かしながら決心している。もう絶対にボクシングは見ない。とくにレフェリーをやった鄭なにがしとは一体いかなる人物なのであるか。
 これはもはやスポーツではない。政治だ。それももつともいやらしい低級な政治というほかはない。」
「だれがなんといおうとも、歴然たる柴田の敗戦であった。ピストン堀口と中村金敬戦をリングサイドで見物して以来、僕のボクシングファン歴は四十年を越えるが、はつきりとここで訣別を告げたいと思つた。」
「もしもJBCが真の見識を持つならば、今夜の採点を厳重に調べ直すべきであろう。先夜の輪島戦でも……選挙違反もいいところ、その恥の上塗りである。」
「まず、その前にあの韓国人レフェリーをだれが、どこから選んできたのか、この点をはつきり明白にすべきであろう。」
 炬燵板を叩いて罵つた私はまちがつていなかつた。レスリングでの私の愛国主義とボキシングでの非愛国主義、つまるところそれは、スポーツに正義を求めること、試合審判でその不義に従いたくないこと、ただそれだけのことだつた。
 私は『スポーツニッポン』の深沢七郎の「風流巷談」も読んだ。私の意見に似ている。私のが深沢のに似ているのだろう。そしてそのへんで念のため私は『赤旗』を見た。そして「やはりナ……」というように感じた。「強打不発で苦戦、マルセルと引分ける」とそれは書いている。
「柴田がからくも引き分け、二度目の防衛を果たしました……得意の強打も不発に終わり不利な展開かとみられましたが、結局、審判の採点は三者三様、柴田は危うく引き分けて命拾いの防衛をなしとげました。」
 こう十九行、しかし写真入りで書いているのに過ぎない。『毎日』の、大活字で書いた「防衛へ微妙(!?)な採点、柴田を救う中立国の『いい主審』」の件には徹底して沈黙をまもつている。ふたりの談話にしても、確信と謙遜とのマルセルは排除して、「調子はよかつた」という柴田のだけを出している。つまり『東京』の、「ふてくされ気味、さながら敗者のインタビュー」だけを勝者の談話のようにして、「からくも」にしろ、「王座防衛者」の言葉としてのせている。ありつたけの新聞を見たわけではない。しかしこの手の報道が、『赤旗』以外に一紙でもあつたとは私に思えない。私のなかの愛国主義と非愛国主義、私のなかのスポーツ審判における正義と不義とから行けば、柴田・マルセル戦での限り、『赤旗』は非愛国主義と不義とに立つていた。しかしそこを私の結論とするのではない。私のずぶ以前の素人考えを書きつけるのにとどまる。」

「そしてそのへんで念のため私は『赤旗』を見た。そして「やはりナ……」というように感じた。」にはちょっと笑ってしまった。ちなみに、この記事が書かれた7年後、79年に中野重治が死去したとき、日本で唯一その死を報じなかった新聞が『赤旗』だったそうである。

関連記事
スポンサーサイト
2009.11.30 Mon l 中野重治 l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://yokoita.blog58.fc2.com/tb.php/32-080c77b5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。