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去る12月16日に、1963年(昭和38年)に発生した「狭山事件」の再審開始の実現が期待できそうな下記のニュースが流れた。

「 昭和38年に埼玉県狭山市で女子高校生が殺害された「狭山事件」で、強盗殺人などの罪で無期懲役が確定し無実を訴える石川一雄さん(70)の第3次再審請求審の三者協議が16日、東京高裁であった。門野博裁判長は検察側に対し、警察の捜査メモや犯行時間帯の目撃証拠などの開示を勧告した。狭山事件の再審請求で証拠開示が勧告されたのは初めて。

 検察側が「存在しない」としている殺害現場の血液反応の検査報告書については、不存在についての合理的説明を求めた。石川さんの弁護団が明らかにした。

 弁護団は殺害現場の血液反応の検査報告書や、犯行時間帯の目撃証拠などの開示を求めていた。勧告に法的拘束力はないが、弁護団によると、検察側は再審請求での勧告にはほとんど従い、開示しているという。

 裁判をめぐっては、石川さんの捜査段階での犯行を認めた自白や被害者の家族に届いた脅迫状の筆跡鑑定などが有力な証拠となり有罪が確定したが、弁護団は信用性に疑問を呈した。今回、高裁が開示を求めた証拠は、石川さんの取り調べメモや、筆跡鑑定のために捜査段階で石川さんが書いた脅迫状と同内容の文書など。犯行時間帯に現場近くにいた男性が「石川さんや被害者を見ていない」と証言した調書も含まれる。

 殺害現場の被害者の血液反応の検査報告書については検察側が一貫して「存在しない」としてきた。しかし高裁は「存在しないというのはおかしい」と検察側に合理的説明を求めた。」(産経新聞)

石川一雄さんの長い間のご苦労には言葉のかけようがない思いがする。再審開始の確定が一日も早いことを願ってやまない。検察が「血液反応の検査報告書」がないというのなら、そのような最重要の書類がなぜなくなったのかの懇切な説明が求められるのは当然のことだ。「取調べメモ」や「筆跡鑑定書」や「目撃証言者の調書」など、検察は速やかな提示をしなければならない。これまで隠しとおしてださなかったのがおかしいのだ。今年発生後60年目を迎えた「松川事件」の場合も、同様の事情があった。列車転覆のための犯行計画・準備のための謀議がなされたとされる時間に、その謀議に出席していたはずの、そしてそのために一・二審ともに死刑を宣告されるはめになった佐藤一氏が、実はその時間には会社の団交に出席していたことが会社側の諏訪氏によってノートに記されていた。このいわゆる「諏訪メモ」が初めから法廷に出ていたならば、一審の段階で事件がでっち上げだということはもっと広く認知されていたはずなのだ。事実は、そのメモを一人の検察官が最高裁段階まで十数年もの間、後生大事にあちこちの転勤先に転々持ち歩いていたということであった。

実は、「埼玉愛犬家殺人事件」の風間博子さんの場合にも同様のことがある。検察は弁護人がどんなに催促しても捜査記録を法廷に提出しなかったり、あるいは風間さんの供述調書をそのうちのあるものは証拠請求し、あるものは請求しない(隠す)というように、すべて風間さんの不利になるような細工をしている。ただし、前述の「狭山事件」や「松川事件」などと事情が異なるのは、風間さんの場合は証拠の隠匿が判決に決定的な役割を果たしたとまでは言えないかもしれないということである。というのも、風間さんには殺害関与の物的証拠もなければ、自白もない。殺人の有罪の根拠とされたのは、関根・Y氏という共犯者の証言だけなのだ。それも、関根氏は警察の取調べの初期段階では風間さんの関与について何も述べてはいなかったのだが、その途中から風間さんを主犯とする供述を始めている。一方、Y氏は取り調べ段階では関根氏と共に風間さんをも事件の主犯としていたのだが、裁判が進むにつれ、(Y氏は関根・風間の両被告人とは分離の裁判であった。5年の実刑判決が下された)、風間さんの殺害関与を否定する証言を始めた。そしてその証言はその後一貫して変わっていない。つまり、風間さんの場合は何らの証拠もなく死刑判決をくだされているというのが実情ではないかと疑われるケースなのである。

このような事情で、狭山事件などとは同一に論じられない点はあるが、それでもなお、警察・検察の恣意的な証拠請求のし方が、風間さんの死刑確定の要因の一つであることは事実である。その点を下記に記しておきたい。

① Kさんが殺害された4月20日夜11時前、風間さんは自宅でY氏からの電話をうけた。これにより、Kさんの車であるアウディを放置のために東京(八重洲駐車場)まで運ぶことになったのだが、実はこの夜の二人の行動は偶然にも当日設置されていた警察の「Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置」により捕捉されていた。だが警察・検察はこのNシステムの内容を隠蔽し、一切の証拠提出を拒絶している。被告・弁護側の要請により、担当の警察官(幹部)が法廷に呼ばれた。しかしこの人物は「Nシステム」が二人の当夜の行動を捉えていることを認めながら、しかしその内容を、車が何時にどこを通過したかも含めて、「許可が下りないから言えない」と一切証言しないのである。報告書が現存するのかどうかもはっきりしない。しびれを切らした弁護人に「警察がNシステムを導入した目的は何か」と訊かれて、「主に犯罪捜査のためだと承知している」と述べながら、Y氏と風間さんの車輛の通過時刻を頑として明かさなかったのだ。待ち合わせ場所を出発した時間や途中三芳パーキングエリアに立ち寄ったのが往きだったか帰りだったかについてY氏と風間さんの証言内容が異なり、検察はY氏の証言を信用できると全面擁護し、風間さんを嘘つき呼ばわりして非難した。判決文もまた以下のようにこれに同調している。

「(風間は)自分達が三芳のパーキングエリアに寄ったことは事実だが、それは帰りではなく、行く途中のことである。」旨弁解し、そのことは自分が上りのパーキングエリア売店で饅頭と大きなどら焼きを二、三個ずつ買ったことからしても間違いないと断言し(60回公判)、更に検察官から最初にその点の確認を求められると、「大きいというのは、少しじやなくてとても大きくて、直径20センチメートル位もあったと思う。それはばら売りで二、三個買った。そして饅頭の方は二、三箱だった。」などと詳細な供述をしていたのである(62回公判)。ところが、その後検察官による補充立証により、風間の言う「大きなどら焼き」は当時の三芳の上りのパーキングエリア売店では販売されていなかった(逆に下りの同売店で販売されていた。)ことが法廷で明らかになると、その供述内容はたちまち曖昧になり、「大きいどら焼きを買ったと言ったのは、当時の取調警察官からそのように言われて、自分もいつの間にかそのように信じ込んでしまった。」などと趣旨不明の弁解をしつつ(64回公判)、下りではなく上りのパーキングエリアに立ち寄ったことをただひたすら強調するという態度に終始しているのであって、その供述内容は支離滅裂で、帰りにマット等を捨てるために下りのパーキングエリアに立ち寄ったと明確に述べる山崎供述と対比して全く信用できない。(一審判決文p263)

「どら焼き」は裁判官が判示しているように、確かに下りの売店で売られていたとのことである。だからこれは風間さんの供述の誤りであろう。この件につき、弁護人は、下記のように論述している。

「前述した様に、被告人風間は取調べの過程で虚偽の事実をあたかも真実であるかのように言われるなどして自白の強要を目的とする過酷な取調べを受けているのであって、このような取調べの過程の中で誤った認識が生じてきてしまったとしても何ら異とするに足りないことである。その立ち寄ったパーキングエリアで何を買ったかというささいな事項は、そうでなくても明確な記憶を持つことが困難であり、/検察官は、そのように記憶が混乱することはありえず、信用しえないと言うが、人間の記憶が思いこみやその他の理由によって比較的容易に他の記憶とすりかえられ、また存在していないことを存在していたように記憶が変容することがあることはよく知られていることであり、/検察官は、被告人風間が大きなどら焼きの大きさについて自らの手を使って約20センチの大きさを表現したことを指摘しているが、下りの三芳パーキン グエリアで販売されていた大きなどら焼きは13センチ程度のものであったのであるから、むしろこの点においても被告人風間の記憶が混乱してしまっていることを示しているものと言える。」(『一審弁論要旨-p291~292)

この「どら焼き」の判示には、一種のトリックのにおいが感じられる。「どら焼き」が下りのパーキングエリアでしか販売されていなかったのは事実のようだが、しかしここで風間さんは判決も明示していることだが、翌日会社でのおやつにするためにと饅頭を二、三箱買っているのだ。アウディを八重洲駐車場に置いての帰り、Y氏と車庫で別れる際、風間さんはそのうちの一箱をY氏に分け与えている。風間さんは、取調官に饅頭を買ったことを思い出して供述したが、「その他にも何か買わなかったか」と何度も何度も言われて、「どら焼き」をも買ったような気がしてきたと述べている。裁判官はしきりと「どら焼き」の件で風間さんを責めているが、これが理解できない。「どら焼き」を買ったことが、帰りではなく行きにパーキングエリアに立ち寄ったことの証拠になると誰にしろ思うはずはないのではなかろうか。また帰りではなく行きにパーキングエリアに立ち寄ったと供述したことについても同じことが言えるように思う。パーキングエリアへの立ち寄りが往復のどちらであるかに何かの意味があるとは普通誰も考えないだろう。どちらにせよ、風間さんは単に記憶のままに答えたに過ぎないだろうと考えたほうが自然であろう。風間さんは、「どら焼き」の件は確かに勘違いであったことを認めているが、しかし依然として、パーキングエリアに立ち寄ったのは行きだったという主張は変えていないのである。「嘘つき」呼ばわりするのなら、Nシステムの証拠を提示すれば万事が明らかになるはずである。それをしないところを見ると、通過時刻や行動についての二人の供述のうち、Nシステムの捕捉した客観的事実に合致しているのは、Y氏のものではなく風間さんのほうだったのではないかということが推測される。Nシステムに関する上述の警察官のこのような証言拒否の姿勢は、そのためなのではないだろうか。納税者の血と汗の結晶である大切な税金を遣って「犯罪捜査」を目的とするはずの「Nシステム」なるものを導入しておきながら、こうして肝心要の「犯罪捜査」に用立てることを拒否するのは、納税者への背理でもあるだろう。


② 一審の判決文は下記のように述べている。

「風間は、検査官の取調べの当初段階においては、関根から右のような指示を受けていたことはないと明言するとともに「Sにはいつも用事を頼んでいたのでその依頼を断る気にはならなかった。」などと述べていたのである(乙75)。」(『一審判決文』p262)

判決文のなかの「右のような指示」とは、Kさん殺害の前日、風間さんがペットショップにやってきた関根氏から言われていた

「S(Y氏のこと)から連絡が入ったらできるだけ動いてくれ
Sには俺の用事で色々動いてもらっているから」

という言葉のことである。関根氏からそのように言われていたので、殺害したKさんの車アウディを東京に放置に行くためにY氏が20日の夜間11時前に大原の自宅に電話をかけてきて

「車を東京まで置きに行きたいんだけど行けるかい
社長から聞いている」

と言ったとき、風間さんは、これは前日関根氏が述べていた用事の件だと考え、手伝うことにし、「大丈夫だよ」と答えている。

さて、判決文は、「風間は、検査官の取調べの当初段階においては、関根から右のような指示を受けていたことはないと明言」と、検察官の主張どおりの認定をしているが、これは完全に事実に反する。判決文の認定とは裏腹に、風間さんは取調段階から、公判廷とほぼ同様の供述をしている。検察官が当該の供述調書を出さなかっただけである。しかし、弁護人は、法廷で検察官により隠されていた供述調書を基にして次のように論述していたはずである。

「 検察官主張の虚偽性について
(1)言うまでもなく、検察官は前述の被告人風間の調書及び上申書の内容を全て把握し、さらに被告人風間がいついかなる時期に何故にそのような上申書並びに調書が作成されたかについての被告人風間の供述を全て当公判廷で聴取しているのである。/しかしながら、検察官はこともあろうにK事件のアウディ放置にまつわる事項に関し乙第七号証の問答形式の供述部分(平成7年1月20日付員面調書)を引用しつつ、以下の如き主張を展開しているのである。

「このように、被告人風間が捜査段階では被告人関根からの指示がなかったことを明確に供述していたにもかかわらず、公判において、不自然な供述をしてまで被告人関根からの事前の指示があったかの如き供述に変遷したのは、捜査段階での供述内容があまりにも不自然であることに気付き、何とかつじつまを合わせるため、苦し紛れに供述を変遷させたからに他ならない。山崎の供述にあるように、Kを殺した後、同人が乗ってきた車を処分するために、山崎が被告人風間と連絡を取ることを、被告人関根はあらかじめ被告人風間に伝えてあり、被告人風間もその目的を承知した上で、山崎の呼出しに応じたと見るのが自然かつ合理的であり、これを否定する被告人風間の供述は信用することができない。」

(2)しかしながら、前述した通り、被告人風間は、被告人関根に対する恐怖から、K事件について被告人関根が関与する部分は供述を行えなかったところ、ようやくこれを脱し、2月8日付上申書で、被告人関根が右アウディ放置に関与している部分及び事件後被告人関根からK殺害を告げられた部分の概要を述べ、さらに同僚である検察官が作成した二月17日付検面調書においてその詳細を供述しているのである。右調書等は弁護人に開示されているが、検察官は意図的にその証拠申請を怠っている。

2月8日付上申書の内容は、以下の通りである。

「Kさんは平成5年4月20頃、私達が使っている佐谷田の車庫で関根元とS(Y氏のこと。以下同)が殺してしまいました。私はこのKさんの車をSさんと都内の駐車場まで置きにいってます。私はKさんが殺される2~3日前に関根から『Sさんから連絡が入ったら出来るだけ動いてくれ、俺の用でいろいろと動いてもらっているから』と言われました。Kさんを殺したあとSさんは私に夜十時~十一時頃電話をよこし『車を東京までおきにいきたいんだけど行けるかい』と言われたので『大丈夫だよ』と返事をし、東松山インター近くで待ち合わせSさんの乗って来た黒っぽい乗用車のあとをつけて私は自分の車(クレフ)でついていきました。東松山インターから関越にのって東京方面に走っていき首都高より都内の駐車場に入りSさんは入ってすぐ右側の駐車場に入れました。そのあとSさんはクレフの助手席にすわりSさんの案内で帰り佐谷田車庫でSさんをおろしました。/そのSさんが乗っていた黒っぽい車は一~二日後の夕方関根元より店の奥でKの車だと聞かされました。Kは殺しちゃった。KはSがしめ殺したとか言って手でポーズをしたのでロープかひもか何かで首をしめてしまったのだと思いました。私は『どうして』『何で』と聞くと『Kとの犬のトラブルがあったとかKさんの兄弟の誰とかがヤクザ者でその入やまわりの人たちが金をかえせとかいろいろ言ってきてうるさくてどうしようもなくなってしまい殺してしまった』とかいろいろと話してくれましたが、あとは頭の中がボーとしてしまっていて何を聞かされたのかわかりませんでした。
今まで言えずにきてしまいすみませんでした。/たくさんの人たちに心配や迷惑をいっぱいかけてしまいました。」

2月17日付検面調書の該当部分の内容は以下の通りである。

「今日、拘留の最後の日に当たり、上申書を書いたときの私の気持ちを話してもらえないかということですので、私のお話しできる範囲内でお答えいたします。
私は、平成5年4月20日の翌日か翌々日には、関根から
「Kをやっちゃった
Sの家に運んで処分した」
と聞かされ、関根がKさんを殺したことをその時から知っていたのですが、刑事さんにはその事を話せませんでした。
しかし、今回逮捕されて、毎日のように取調べを受けていると、つくづくあの時、つまり、関根に打ち明けられた時に、刑事さんに正直に話しておけばこんな大事にはならないで済んだのにと考えるようになり、そのことを上申書に書いて刑事さんに提出した次第です。
私は、今でも関根と

とが、一緒になってKさんを殺したことは間違いないと思っております。/何故かと言えば、いくら大ぼら吹きの関根でも、人を殺したなどという大事なことで嘘は言わないと思いますし、その日の夜、私は、Sからの連絡で東京の駐車場まで車を置きに行っており、あの車がKさんの車だということも関根から言われましたので、状況的にもぴったりと合致するからです。
私は、関根とSがKを殺したという日の2、3日前、たぶん店の中だったと思いますが、

Sから連絡が入ったらできるだけ動いてくれ
俺の用事で色々動いてもらっているから

と言われてたのです。
私は、関根のその言葉を聞いて、普段からSさんには色々と用事を頼んでおりますし、関根がSさんに大事な用でも頼んでいてSさんから私に連絡があったらSさんの手伝いをするようにということだと思い、用事の中味までは確認しないでいたのです。/関根から、そのように言われた2、3日後で、夜半10時から11時位の間に、Sさんから私の自宅に電話があり、

車を東京まで置きに行きたいんだけど行けるかい
社長から聞いている

と言うので、私は、関根がSさんに頼んでいる用事のことだと考え、
大丈夫だよ
と答えて、Sさんが東京まで車を置きに行くのを手伝うことにしたのです。/東京まで車を置きに行った時の状況については、死体遺棄の事件の取調べを受けているとき話しているとおりですが、その中で、二つだけ嘘を言っておりました。/それは、Sさんの用事で車を東京に置きに行ったのだと話したことと、Sさんに高速料金を渡していないと話したことですが、東京まで車を置きに行ったのは、関根の用事で車を置きに行くことを最初から知っておりましたし、高速料金も私がSさんに2、000円渡しているのが本当のことであります。
私が関根から、関根とSの二人でKさんを殺したという話を打ち明けられたのは、私がSさんと一緒に東京まで車を置きに行った日の翌日か翌々日の日のことでした。/時間的には夕方でしたが、関根とSさんが、ペットショップの店に来て、Sさんは外におり、関根だけが店の奥の部屋に入って来ました。/その時、関根は私に対し、
Kは、Sがやっちゃった
と言って、両手を上に向けて握るようにして関いたのです。/私は、その関根のポーズを見て、KさんはSさんがロープか紐で絞め殺したんだなと思いました。/私は、関根のその言葉を聞いて、
なんで
と言って聞き返すと、関根は、Kさんとの犬のトラブルが元で、ヤクザ者まで差し向けて金を返せとか言ってうるさくてどうしようもないので、Kさんを殺してしまったという趣旨のことを言っておりましたが、関根の言葉は所々しか聞き取ることができませんでした。/それは、私がびっくりして頭の中がボーとした状態で、全ての言葉を正確に聞き取れなかったからであります。」

(3)右事実は、検察官が、捜査段階において、被告人風間が既に公判供述と同内容の供述をしていることを十二分に知っているにもかかわらず、前記上申書及び検面調書を証拠として提出せずに、これを隠し、あたかも公判段階において突然被告人風間が供述を変更したかのように装って、その旨主張し、嘘をついて裁判所をだまし、被告人風間の供述の信用性を損なおうとしているものにほかならないのである。/本件は死刑が求刑された極めて重大な事件である。/そして、被告人風間は無罪を主張し(ただし、遠藤・和久井事件の死体遺棄を除く)、 公判廷において極めて真摯な供述を行ってきた。/検察庁法第四条は「検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求」することを定めている。/右の「裁判所に法の正当な適用を請求する」ことは、意図的に嘘をついて裁判所をだまし、被告人の供述の信用性を傷つけて、裁判所に供述内容を疑わせ、それによって被告人の死刑を求めるなどということが含まれることは絶対にありえない。」(『一審弁論要旨』p239~247)

このように、弁護人は風間さんの取調段階における「2月8日付上申書」および「2月17日付検面調書」を用いて詳細に検察官の嘘を暴き、風間さんが踏査段階から公判廷にいたるまで如何に一貫した供述をしているかについて詳述しているにもかかわらず、裁判官は、平然と、前に述べたことの繰り返しになるが、下記の判定をしているのである。

「風間は、検査官の取調べの当初段階においては、関根から右のような指示を受けていたことはないと明言するとともに「Sにはいつも用事を頼んでいたのでその依頼を断る気にはならなかった。」などと述べていたのである(乙75)。」(『一審判決文』p262)

検察官は被告人に有利な証拠を隠匿して虚偽の主張をし、裁判官はそのことを上記のとおり百も承知でいながら、素知らぬ顔をして検察官の主張を採用する。こうして裁判は事実の解明がなされることなく終了する。でもこれは実質上、裁判とは言えない、その名に値いしないだろう。このような行為をして罪を問われない職業が他にあるのだろうか? ここで挙げている事例は一件だけだが、この判決文には類似の事実認定が頻出している。
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2009.12.19 Sat l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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