QLOOKアクセス解析
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
Kさん殺害からおよそ3ケ月が経った平成5年(93年)7月21日に発生したEさんとWさん二人の殺害事件。この事件に関する判決文の認定について、これまで気にかかりながら書きもらしていた疑問点をこれから数回に分けて記していく。自宅で殺害されたEさんは、関根氏とは約十年来の付き合いであったが、殺害当時、関根氏は暴力団の幹部でもあるE氏に金銭を要求されることが多くなり、その存在を鬱陶しく感じるようになっていたようである。判決文は二人の交流について下記のように述べている。

「被告人関根は、日ごろから自分が暴力団員と親交を有していることを周囲の者に得意気に吹聴するなど、自己が暴力団にも顔が利く人間であることを誇示するとともに、犬の売買等で相手方と紛争が生じたときにはEに仲介を頼むなどして暴力団幹部である同人の威力を利用しており、Eもまた被告人関根との交際を通じて自己の利を図るなど、両名は複雑な利害関係を保ちつつ親交を重ねていた。」(『一審判決文』p39)

関根氏とEさんの関係は数々の証言から推察するに、上記の判決文の認定どおりでほぼ間違いないと思われる。

しかし、Eさんと風間さんの人間関係についての裁判所の認定にははなはだ疑問がある。判決文は、風間さんがEさんを「毛嫌いしていた」(p40)とか「K建設との間でこのような紛争が生じたのは仲介者であるEが前記2000万円をK建設に渡さずに着服するなりしてしまったからではないかと疑うとともに、Eに対する不快感を益々強めるに至った。」(p42)などと、風間さんがE氏を嫌悪し、憎悪していたと断定する。しかし、風間さんがE氏に対して判決文が示すような悪感情をもっていたことを裏付ける証拠は関根氏の証言以外には何もない。風間さん自身は、E氏は暴力団員であり、K建設との間のゴタゴタや金銭に関する日頃の行動からみて当然Eさんへの信頼感などもってはいなかったが、しかしEさんの行動は何事も関根氏と裏で画策した上でのことであると考えていたので、E氏に対して嫌悪も憎悪も特別な感情などもっていなかったと述べている。

他方、21歳の若いWさんは当時Eさんの付き人兼運転手のような役目をしていた人で、関根氏との間に利害の衝突や人間関係における軋轢などは何もなかった。側近として常にEさんと行動を共にしていたために、それを唯一の理由として口封じのためにEさんと一緒に殺されることになってしまった。どの被害者の方もそうだが、Wさんも気の毒としか言いようがない。

事件当夜、関根氏、Y氏、風間さんの三人が各々どのような行動をしたかについて、判決文は今回もまたY氏の供述こそが全面的に信用できるとしてこれを採用し、次の事実認定を行なっている。

「Eは、いよいよ暴力団員の本性を露わにして、(略)被告人らに対して、「銭を借りるから江南町の土地建物の権利証や実印を21日までに俺の家に持って来い。」などと露骨な要求を突き付けるに至った。そのため、被告人両名は、その対応策について相談するうちに、このままではせっかく自分達が築いた財産を全てEに取られてしまうに違いないとの危機感を強め、こうなればいっそEの右要求を全部呑むふりをして同人を安心油断させ、E方で同人及びその付き人として常に同人の傍らに控えているWに毒薬(硝酸ストリキニーネ)を服用させて両名を殺害した上、Kの場合と同様に、Yに手伝わせて両名の死体をY方に運び込み、同所で死体を解体等した上で遺棄することを決めるに至った。そこで、被告人両名は、Eに対しては、右要求に応じるため被告人両名が7月21日の午後10時ころE方を訪問する旨告げて同人の了承を得るとともに、かねてから隠匿保管していた硝酸ストリキニーネをカプセルに詰めるなどしてEらを殺害するための準備を進め、また死体を解体するための包丁等も用意した上で、同日午後10時前ころ、右の事情を知らないYに車(トヨタカリーナバン)を運転させて万吉犬舎を出発し、約束の時間にE方に到着し、被告人関根がYに対して車の中で待機しているよう指示するとともに、被告人両名がE方に入って行った。」(『一審判決文』p50)

裁判所のこの認定に対し、風間さんは全面的に異議を唱え、上記のすべての認定を否定している。「硝酸ストリキニーネをカプセルに詰めるなどしてEらを殺害するための準備を進め」たことも、「死体を解体するための包丁等も用意した」ことも。事実、判決文にこの認定を裏付ける証拠は記されていないのであるが、ここでは、「同日午後10時前ころ、右の事情を知らないYに車(トヨタカリーナバン)を運転させて万吉犬舎を出発し、約束の時間にE方に到着し、被告人関根がYに対して車の中で待機しているよう指示するとともに、被告人両名がE方に入って行った。」という認定--三人がY氏の運転するカリーナバンに同乗して一緒にE宅に向かったという判示について検証する。

風間さんは、、自分はその日の夕方6時30分頃、Y氏と一緒にペットショップにやってきた関根氏から、「Eんちへ行っているから、10時頃迎えに来てくれ」と言われ、母親や娘と一緒にうちわ祭を見物して帰宅した後、夜10時過ぎに大原の自宅から一人でE宅に向かったのだと主張している。殺害計画など何も知らなかったし、E宅からその頃関根氏が一人で暮らしていた江南の住居まで送り届けるつもりで、サンダル履きの軽装で出かけたのだと述べる。そしてこの供述を正しいと証言してくれる証人はちゃんといるのだが、裁判所はこの証言をも退けている。これはまったく不当なことだと当ブログは考えるが、判決文は上述の判示につづいて、「罪となるべき事実」として次の判断をくだしている。

「被告人両名は共謀の上、平成5年7月21日午後10時過ぎころ、埼玉県×××所在のE方居宅において、同人(当時51歳)に対し、殺意を持って、硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを栄養剤と偽って交付し、即時同所において、情を知らない同人をして右カプセルを服用させ、よって、そのころ、同所において、同人を右毒物により中毒死させて殺害した。/被告人両名は共謀の上、前同日午後10時過ぎころ、前記E方において、W(当時21歳)に対し、殺意を持って、硝酸ストリキニーネを詰めたカプセルを栄養剤と偽って交付し、即時同所において、情を知らない同人をして右カプセルを服用させ、よって、同日午後10時40分ころ、同町大字樋春付近の荒川右岸堤防沿いの道路を走行中のY運転の小型貨物自動車(カリーナバン)内において、右Wを右毒物により中毒死させて殺害した。」(『一審判決文』p51~52)

このように、裁判所は、関根氏と風間さんが共謀してE氏・W氏の殺害計画・準備を進め、その上で事情を何も知らないY氏を脅して手伝わせ、二人の毒殺を実行したと認定しているので、関根氏、Y氏、風間さん、この三人の事件への関与の構図はKさん殺害事件と同じということになる。ただし、Kさん殺害の際は、風間さんは事前共謀と被害者の車の放置にだけ関与し、殺害現場に登場することはなかった。佐谷田の車庫にいたのは加害者としては最初から最後まで関根氏とY氏だけだったが、今回は風間さんは殺害に赴く車に自らも乗り込み、関根氏およびY氏と共にE氏の自宅に向かったのだと認定している。この点、Kさん殺害の場合と状況は大きく異なる。判決文の認定が正しいかどうか、風間さん側の主張や証言などの証拠と照らし合わせて検証してみたい。風間さんがどのように述べているか、一審弁護人の弁論要旨から以下抜粋する。

「被告人風間の7月21日の行動
(1)(略)(ペットショップに)12時頃には長男Fが友人と店にやって来て、二人で食事に行きたいというので金を渡し、食事に行かせた。/その際、Fは夜うちわ祭に行くと言っていたので被告人風間はFに対し、「10時前には帰るように」と言った。/午後3時頃、被告人風間の母Y子が店にやって来て、N(娘)の相手をしてくれたことから、被告人風間は午後四時頃、バイクで万吉犬舎へ行き、従業員Mの手のあくのを待って、ログハウスの中でMと一緒にサッチャーに注射等の治療をしたが、治療に要した時間は約一時間くらいである。/被告人風間が万吉犬舎に着いたときは、被告人関根、Yはおらず、また駐車場にはトヨタライトエース(5971番)、トヨタハイエース(3458番)、カリーナバン(5996番)はなかったが、直後に右3台の車が万吉犬舎に入ってきて、被告人関根とYの顔はチラッと見たが、被告人風間はすぐにログハウスの中に入り、会話はしていない。/そして治療を終えて、被告人風間がログハウスから出た直後に、万吉犬舎前の道路にカリーナバンがやって来て、停車したのを見ている。/Yが運転席、被告人関根が助手席に乗っていたが、被告人関根から「砂場(注:そば屋)に行くからお前も一緒に来い」と言われ、被告人風間はカリーナバンに乗り、午後5時30分頃砂場で食事をし、万吉犬舎に戻り、被告人風間は、一人でバイクにのって6時10分頃店に戻り、母とN(娘)と従業員一名とすごした。
(2) 午後6時30分頃、被告人関根とYが店にやって来て、少しして二人でどこかへ出かけたが、その際被告人関根は被告人風間に対し、「Eんちへ行っているから、10時頃迎えに来てくれ」と言っていった。/そして被告人風間は、6時40分くらいに店を閉め、母、Nの3人でうちわ祭を見物し、その夜はNは母の家に泊まる約束になっていたので、お祭り広場で別れ、午後9時過ぎ頃、被告人風間はクレフに乗って一人で大原の家に戻った。
(3)同日午後9時30分過ぎ頃にもMR(注:愛人)より電話が入り、被告人風間はMRと会話をかわしている。
(4)そして午後9時50分頃、Fが帰宅し、「どう、今日は時間をちゃんと守ったでしょう」と会話を交わし、Fが当日タコ焼きの屋台でアルバイトをし、自分が初めて焼いたタコ焼きを待って帰ったので二人で食べた後、「お客さんのところにお父さんを迎えに行って江南に送ってくる」と言って、午後10時10分頃大原の家を出た。/その時の被告人風間の服装は、上は白っぽい色のTシャツまたはポロシャツ、下はジーパンをはき、健康サンダル履きの軽装で財布と免許証だけをもってクレフに乗って向かった。
(5)(略)午後10時30分頃E宅の路上にクレフを停車し、車中で5分位待機していたが、被告人関根が出てこないので、玄関の中に入り、「こんばんわ」と声をかけた。/Eが「おう入れよ」と言ったので、部屋に上がったところ、Eは低いソファに座り、被告人関根、Yは床に座り、Wは立って動き回っていた。/被告人風間は被告人関根のそばに座った。/そうするとEが「おかあさん、まだ」と言うので、被告人風間はその意味がわからなかったが「ええ?」という感じと「ええっ」と返事するような曖昧な感じで答えた。」(『一審弁論要旨』p93~96)

このように、風間さんは、自分は関根氏、Y氏と一緒にE氏宅に向かったのではなく、9時半頃うちわ祭から帰宅した長男と一緒にたこ焼きを食べ、その後、午後10時過ぎに自宅を一人で出たのだと主張している。風間さんのこの供述は取調べ段階から公判まで一貫して変わっていないが、この供述にはその正しさについての証言者がいる。当時中学3年生だった長男のFくんである。一審の証言台では、彼がなぜ鮮明にそのことを記憶しているかについて、前年の中学2年時は友人の家のタコ焼き店で売るほうだけしか担当させて貰えなかったが、3年の時はタコ焼き作りをさせて貰ったためとてもつよく印象に残っている、と答えている。控訴審の法廷でも証言内容は同じである。以下に記す。

「博子さんとタコ焼きを食べたのは?
   「中3のとき。」
なぜ憶えているのか?
   「自分が初めてタコ焼きを作ったから。 」
タコ焼き屋と自宅の距離は?
   「自転車で30分。」
うちわ祭りは何時までか。 
   「9時まで。」
10時前に家に着いたとき お母さんは
   「家にいました。」」(控訴審法廷供述2004年10月20日)

上の証言を読まれる方のなかには、あるいは「親子だから口裏を合わせているのではないか」というような疑いをもたれる人もいるかも知れない。しかしそのようなことは取調べの状況からいって不可能であった。というのも、風間さんは逮捕後5年余の間、95年(平成7年)1月の逮捕時から2000年(平成12年)の半ばまで厳しい接見禁止下にあり、家族との面会はもちろん、手紙類のやりとり、本や資料の差し入れなども禁止されていた。外部との交流は一切断たれていたのである。取調べは朝から晩までつづく厳しいもので、事件から2年近くが経っていることでもあり、日常の細かなところまで記憶が残っているはずもなく、次々に浴びせられる尋問に対して正確な供述をするための記憶喚起になる手がかりも何ら与えられないまま、ひたすらY氏の供述内容に沿う供述を強いられるという、過酷な取調べに晒されていた。証言台に立つ息子との口裏合わせなどは成り立ちようのない状態だったことは明白である。そのことは、裁判所が長男の証言を退けるに際して用いた理由を見ても分かる。一審裁判所は、

「風間の長男である前記Fは、「母親(風間)は当日の午後10時過ぎころまで大原の自宅にいたと思う。」などと風間の弁解に沿うような供述もしているが(Fの公判供述参照)、その内容は甚だ曖昧なもので、これによっては前記判断が揺るぐことはないのである。」(『一審判決文』p334)

と判示している。さすがに裁判官も長男に対して「母親の供述に合わせて虚偽の証言をしている」などとの非難はできなかったのである。しかしその替わりに、証言内容が「曖昧」だというのであるが、一体どこが曖昧なのかを裁判官は判決文に明示すべきであったろう。「うちわ祭」「中学3年」「生まれて初めてタコ焼きを作った」「祭が終了したのは9時」「その後間もなく帰宅」「屋台から家までの距離は自転車で約30分」「親子の間でちゃんと約束を守ったでしょう、という会話がかわされた」「家で一緒にタコ焼きを食べた」「母親である風間さんはこれから外出する旨をその用件内容と共に告げて家を出ている」、等々、何ら曖昧だとは思えないのだが? 裁判官はこのFくんにどのような「曖昧でない」証言をすべきであったと言っているのであろうか。何よりも、裁判官は法廷で証言内容が曖昧だと思ったのなら、曖昧に感じる点について証言者であるFくんにその場でなぜ具体的な質問をなし、事を詳らかにしようとしなかったのだろうか。また、接見禁止処分に付されていた風間さんの取調べ段階での供述と息子の法廷での証言がこのようにピタリと一致している理由についてどのような判断をもったのだろうか。「万に一つの偶然の一致」とでも考えたのだろうか。

ここでついでに述べておくと、被告・弁護人側は、この夜、6時40分から9時頃まで、風間さんが母親と娘と三人でうちわ祭りを見物していたことの証人として風間さんの娘のNちゃんをも法廷に呼びたいとの要望を出した。しかし、裁判所は「もう、このくらいでいいでしょう」と応じたので、この返答を聞いた風間さんと弁護人は、裁判所はもう十分に分かってくれている、無罪の心証をもってくれていると思い、それ以上執拗に証人申請を要求はしなかったとのことである。

それからもう1点、風間さんがEさん宅に入っていった時の様子に関する供述のことだが、一審弁論要旨には、「Eが「おかあさん、まだ」と言うので、被告人風間はその意味がわからなかったが「ええ?」という感じと「ええっ」と返事するような曖昧な感じで答えた。」と記されている。この件について、裁判所は、下記のような判示をしている。

「風間は、E方に上がった際に、Eから『お母さん、まだ。』などと聞かれたと弁解するが、Y子(注:風間さんの母)の訪問など全く予定されていなかったことは既に述べたことから明らかであって、右弁解もまたあからさまな虚偽というほかはない。(『一審判決文』p333~334)

これは実に奇妙な判断である。事実、「Y子の訪問など全く予定されていなかったことは…明らか」ではあるだろうが、しかしこれでは関根氏がE氏にそのような虚偽の約束をするなどはありえないと裁判所が判断していることになるのだが、裁判所が関根氏の供述にそれほどの信頼を置いているとはこれまで知らなかった。以下に弁論要旨からこの出来事に関する弁護人の推論を引用しておきたい。

「被告人関根の平成7年3月10日付検面調書によれば、「(注:風間さん名義の江南町の土地・建物の)権利証のかわりに現金をやることにしよう。夫婦別れすることにして、ばあさんから手切れ金として1億円を出してもらうことにして、半分の5000万円をEにやるということにして、7月20日(略)、万吉犬舎で話した。Eは信じ込んだ様子であった」と供述している。/そして被告人関根の第70回公判、第81回公判においても同趣旨の供述をしている。/また被告人関根の第69回公判では「Eから親の家の権利証、印鑑証明、実印等の書類を用意しろ。江南の方も言われたが、江南は月賦がついているので、意味がない。母の方のあれを持ってこい」と言われたと供述している。/とすれば、事件当夜、Y子は金1億円とY子名義の土地の権利証等を持ってくることになっていたのであり、実子である被告人風間はY子を伴って一緒に来ると考えた方が自然かつ合理手的である。」(『一審弁論要旨』p360~361)

以上の推理は、十分に合理的と言えるのではないだろうか。少なくとも「Y子の訪問など全く予定されていなかった」から風間さんの供述は「あからさまな虚偽というほかはない」という判決文よりどれだけ論理的・説得的であることだろうか。
関連記事
スポンサーサイト
2010.01.17 Sun l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://yokoita.blog58.fc2.com/tb.php/45-7daf1691
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。