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平成5年(93年)の春から夏にかけて引き起こされた3件4名の連続殺人事件において、殺害の道具に使用されたのは、いずれの場合も硝酸ストリキニーネである。これが裁判所の認定である。ただし、被害者の遺体はすべて焼却・投棄され、わずかに発見されたのは骨片だけであり、これでは検証は不可能なので、この認定は科学的実証的になされたわけではない。裁判所が、Y氏の供述が三人の供述のうち最も信頼性が高いと判断し、Y氏は被害者の殺害に関与していると主張する関根氏および風間さんの供述を退けたということである。しかし果たしてこの判断は正しいだろうか。硝酸ストリキニーネはアフリカケンネルが犬を安楽死させる際にかかりつけのY獣医から過去何回か入手したことのある薬であるが、一審弁論要旨からこの薬の性質・効能についての記述を引用して説明する。

 硝酸ストリキニーネ

「検察官は硝ストの毒薬としての作用について、服用した人や動物が身体を硬直させることを別とすると、ほとんど声を上げずに静かに死亡する作用の毒薬であり、被告人関根も硝ストを投与された犬が声も上げずに静かに死亡する状況を見てその薬効を知っていた旨述べる。/しかしながら、まず硝ストの作用に関し、ほとんど声を上げずに静かに死亡する作用の毒薬であるという点については、硝ストにこのような作用がある旨記載した硝ストに関する甲号証はない。/むろん硝ストの作用による硬直性痙攣を生じている場合、声を上げることは困難であろうと思われるが、硝ストは小腸で吸収され、肝臓による解毒作用を越えた時に血液中のストリキニーネが脊髄の神経作用を生じさせる部位に到達して中毒症状が出るので(甲第934号証)、それまでの間で硝酸ストリキニーネが胃粘膜に強い刺激を与えて服用者に胃痛を与える可能性がある(甲第930考証)。/また、症状発現までは15~30分程度である(甲第934号証)。/したがって、硝スト服用後、症状発現までの間に腹痛等の痛みが生じうることになるから、この間に、服用した者が何らかの行動に出る可能性はあることになる。」(『一審弁論要旨』p204)

硝酸ストリキニーネは、青酸カリのように、服用後直ちに症状が現れる性質の薬ではないようである。熊谷市内の薬局Fの店長であるN氏の一審における法廷証言によると、平成5年(93年)2月から3月上旬ころ関根氏から硝酸ストリキニーネが入手できるか否か尋ねられ、これを断ったと証言し、H薬局店の店主H氏も同じく関根氏から硝ストを取り寄せてくれと言われてこれを断ったと述べている。このことは、事件の1~2ヶ月前に関根氏が硝酸ストリキニーネを入手しようとして果たせなかった事実があったということであり、関根氏がKさんおよびEさん、Wさんに服用させた薬はあらかじめ所持していた硝酸ストリキニーネだったかも知れないが、そうではなかった可能性もあるということだ。関根氏自身は、取調べ段階では、使用した薬について硝ストと供述していた時期もあったが、法廷ではそのように述べてはいない。では、その関根氏をはじめ、Y氏、風間さんの三人が、硝酸ストリキニーネ、およびその他の薬や飲物に関連してどのような供述をしているかを、一審判決文を基にして個別に見てみたい。なお、8月26日に起こった3件目のSさん殺害事件では、風間さんは訴追されていないが、一応その供述も記す。(氏名の敬称は略す。)

① K事件(4月20日)のケース

関根供述…Yと三人で車庫内に置いてある車(ライトエース)の中に入り、自分が運転席にKは助手席に座り、YはKの後ろの後部座席に座った。自分がKに対して適当な話をしながら、用意して来ていたワンカップの陶陶酒等を飲ませたり、バランス(精神安定剤)などを何錠かKに飲ませたところ、しばらくしてKはうとうとと居眠りを始めた。Yの方を見たら、Yは目で合図するのと同時に隠し持っていた綿引(犬を繋いだりする紐)を背後からKの首に掛け、ぎゅうぎゅう絞めて絞め殺した。

Y供述……関根が車内でKにドリンク剤などを勧めていたが、自分はその後関根に言われて給油と買い物に行ったので、殺害場面は見ていないが、その時の様子からして、関根が何らかの毒薬をKに飲ませて殺害したのだと思う。

風間供述…関根がYにKを絞殺させた上Yとその死体を損壊遺棄したことは、翌日の4月21日の午後6時ころに関根から教えられて初めて知った。

② E・W事件(7月21日)のケース

関根供述…E方に着き三人でE方に上がり、雑談などをした後風間がEにカプセル2個を渡して飲ませ、自分がYを介してWにカプセル2個を渡して飲ませた。まもなくEは腹が痛いと言い出したが、Wの状態は変わらなかったので、毒の量が少ないし古いのでやはり効かないのかと思った。Wは、救急車を呼びに行くために外に出て行ったが、Wがどこかの家の中に入って倒れたりすると大変だと思い、取り敢えずYに後を追いかけてもらった。Yは、Eが死んだのを確認して出て行った。その後、自分も風間も外に出て、Wらの所へ行き、(略) 風間がカリーナバンを運転して来たので、Wがその助手席に乗り、自分とYが後部座席に座った。(略) 自分がYの方を見ると、Yは目配せすると同時に綿引でWの首を背後から絞めた。少し経ってからYが、「社長、社長、紐。」と言って綿引の一方の端を持つよう言ってきたが、そのときは車が停まっていて、風間が後ろを向いて「もう死んでるよ。」と言った。

Y供述……E宅前で関根に「待ってろ」と言われたので、自分は家の中には入らず、そのまま車内で待機していた。20分か30分位して、Wが玄関から飛び出して来て県道の方に走って行き、その後1分位して風間が手ぶらで出て来た。風間は、代行(E)が急に具合が悪くなったので救急車を呼んでいるなどと言い、Eの家の中からは「代行、大丈夫ですか。今救急車を呼んだから。」などという関根の声がした。風間が出て来てから5分位して関根も出て来て、自分に車を持ってくるように指示してWの所に歩いて行ったので、カリーナバンを運転して関根らの所に行き、Wが助手席に乗り、関根と風間は後部座席に乗って出発したが、(略)走り出して7、8分経ったころWが突然「気持が悪い。病院に連れて行って下さい。」と言った。(略)その2、3分後にWが突然「うー。」とうなり声をあげて一瞬体を硬直させ、両足を強く突っ張ったため、左足と右足が付いていた場所を中心にフロントガラスの左下部の二か所にそれぞれ直径30センチメートルほどの蜘蛛の巣状のひびが入り、Wはそのまま動かなくなって死んでしまった。E宅に戻ると、Eは部屋の中ですでに死んでいた。したがって、自分はW・Eともに殺害現場は見ていないが、関根と風間が毒薬を飲ませて殺したと思った。

風間供述…当日は、関根からE方に午後10時に迎えに来るように指示されて行った。家の中に入ると既に関根とYが来ており、Eからは「お母さん、まだ。」などと聞かれたが、自分は何のことだかわからず曖昧な返事をしていた。そのうちにEが腹が痛いと言い出し、まもなくWとYが外に出て行った。その後Eは気持が悪いとか言っていたが、それほど大変な様子ではなく、自分も余りその場にいたくなかったので外に出て、自分の車の中で持っていた。5分位して自分の車をE方前から少し移動させて車を降りE方前に戻ったところ、関根とYが家の中から何か重そうな物を運んで出て来たので、近寄って自分もそれを持ったところ、毛布が被せられていたが、その感触から死体であると感じてびっくりした。関根とYは、それを玄関の近くに停められていた車(カリーナバン)の荷台に運び込み、関根が「お前が運転しろ。」と言ったので、思わず「はい。」と言って運転席に飛び込んだが、カリーナバンにはWが椅子を半分倒したような状態で助手席に座っていた。(略)車を走らせていたところ、関根とYが「掛かったか。」などと言いながらWの首に紐のような物を掛けて、二人で何度も「せえの。」などと声を掛けながら引っ張り合っていた。そのときWの両足がダッシュボードの上にせり上がり、足が窓ガラスに当たってガラスが蜘蛛の巣状にひび割れ、Wはその場で死んだ。

③ S事件(8月26日)のケース

関根供述…S(注:被害者女性)を車から降ろし、車を近くの駐車場に入れて買い物に出かけ、佐谷田の車庫に戻ってみると、Yが車庫の中に置かれていた車の中でSを綿引で絞めており、風間がすぐそばにいて、「もう死んでいるよ。」と言った。

Y供述>……事件の起きた当日、関根に呼ばれて佐谷田の車庫に行くと、女の人の死体を見せられた。殺害場面は見ていない。

風間供述…自分は何も関与していない。

上記の三人の供述を要約すると、まず関根氏は、Kさん殺害について、自分がKさんに酒や精神安定剤入りのドリンクを飲ませてウトウトさせたところでY氏が背後から頸を紐で絞殺した、と述べている。2件目のE・Wさんの場合は、二人にカプセルを飲ませ、Eさんはそのカプセルによって死亡したが、Wさんはしばらくすると家を飛び出したので車に乗せ、走行中にKさんの場合と同様Y氏が絞殺した。なお、E・W事件において、関根氏が薬の種類を特定せず、「カプセル」と述べているのは、薬を用意したのは風間さんであり、自分は「風間とともに、風間がどこからか取り出して来た硝酸ストリキニーネをカプセルに詰める作業をした」(『一審判決文』p116)などと述べ、それゆえ薬の種類について自分自身ははっきり知らないのだといっているのである。それから、関根氏は、3件目の被害者であるSさんの死因もY氏による絞殺だったと述べている。次に、Y氏の供述だが、上述のとおり、殺害現場は3件とも自分は一切見ていない、W氏の場合も、車内で苦しんで死亡するところを見ただけだと述べている。次に、風間さんであるが、KさんをY氏が絞め殺したと関根氏から聞かされた。カリーナバンの車内でWさんが関根氏とY氏に紐で絞殺されるのを現認した。またSさんについても、関根氏から「Yに殺らせた」と聞かされた、と供述している。

以上のように、三人の供述を簡単に説明したが、これらの供述内容から殺害に使用された薬を「硝酸ストリキニーネ」と明確に断定するのは困難ではないかとも思われる。関根氏はKさんに与えた飲物について「陶陶酒」「カプセル」と述べ、E・Wさんの場合も「カプセル」と述べていて、「硝酸ストリキニーネ」と明言されてはいないので、何らかの薬が使用されたことは確実だが、それを頭から「硝酸ストリキニーネ」と決めつけていいのかについては疑問が残る。

さて、裁判官は硝酸ストリキニーネと風間さんの関係について下記のように認定している。

「風間は、公判廷においては、これまで2回にわたって右Y獣医から犬を薬殺するという名目で硝酸ストリキニーネを直接受け取っていたことを自認しており、また風間の逮捕後に江南町の風間方居宅を捜索した結果、風呂場の脱衣場に置かれていた整理タンスの中から円筒状に丸めて輪ゴムで括ったビニール袋が発見され、その中には薬包紙に包まれた約1.545グラムもの多量の硝酸ストリキニーネが入っていたのである。風間は、後述するとおり、右薬は平成5年8月10日ころに飼犬を薬殺するためにY獣医から手に入れたものであり、また同人から受け取ったままの状態で保管していたと弁解するが、これが虚偽であることは後述するとおりである。そして、風間方から発見された右硝酸ストリキニーネは、白色紙片及びビニール片に包まれていたが、右白色紙片等は何回も開け閉めした形跡があり、しかも硝酸ストリキニーネの数量が約1.545グラムという中途半端なものであること(Y獣医は後述のとおり処分する犬1頭当たり約1グラムの硝酸ストリキニーネを渡していたものである。なお、同人は硝酸ストリキニーネを関根らに出すときはその都度秤で計量していたと言う。)からしても、その一部を使用した残りである可能性が高いと解される。/更に、風間は、捜査段階で一旦は「自分がY獣医から硝酸ストリキニーネを貰ったのは昭和60年ころの1回だけで、その後貰ったことはない。」旨述べたものの(乙76)、その後「平成5年の7月か8月ころサッチャーという名の犬を殺すためにY獣医から硝酸ストリキニーネを貰って来たことがあるが、その犬は薬物を使用することなく処分できたので、貰って来た薬は整理ダンスの中に入れておいた。」旨述べるに至り(乙77)、更に公判廷では前記のとおり「整理タンスの中から発見された硝酸ストリキニーネは平成5年8月10日ころにY獣医から貰って来たものだ。」などと述べているのであって、その供述内容を転々とさせているものである。(『一審判決文』p239~241)

上記の認定については丁寧に検証してみたい。「これが虚偽であることは後述するとおりである」、「その供述内容を転々とさせている」という箇所は非常に断定的な表現なので、これを読んだ人は大方、風間さんが明白に虚偽を述べたり、捜査段階から公判にかけて供述を転々と変化させてきたと思うであろう。そして、「後述」されているところの、「右白色紙片等は何回も開け閉めした形跡があ」ることや、「硝酸ストリキニーネの数量が約1.545グラムという中途半端なもの」であることにも疑いの目をむけるだろう。けれども、実態は判決文が述べているところとはまるで異なるのである。まず冒頭の

「風間は、公判廷においては、これまで2回にわたって右Y獣医から犬を薬殺するという名目で硝酸ストリキニーネを直接受け取っていたことを自認しており」

という文言における「公判廷においては……硝酸ストリキニーネを直接受け取っていたことを自認しており」との言い回しは思わせぶりであるが、風間さんは「公判廷においては」どころか、取調べ段階から「硝酸ストリキニーネを直接受け取っていたこと」を自認していた。そのことは、乙76と乙77の間にある2通の調書にちゃんと記されている。この2通の調書を検察官が隠匿していたのであるが、順を追って見ていくと、

「乙76は平成7年2月22日付員面調書であり、その中では、昭和60年ころ、薬殺用の薬をもらったこと、その時1回だけであることが述べられている。」(弁護人『上告趣意書』p96~98)

しかしその翌日の2月23日付、および2月24日付の2通の供述調書において、乙76で述べた内容について記憶を辿って思い出したことを追加したり、間違って話した内容を訂正したりしているのである。

「平成7年2月23日付員面調書では、2月22日付員面調書の内容を訂正し、平成5年7月か8月ころ、Y獣医がもうだめだと言ったマラミュート犬を薬殺しようとして薬をもらいに行き、もらってきたこと、その薬は結局使用しないで自宅にしまっておいた旨供述しており、また、更に2月24日付員面調書でも犬の薬殺について供述している。」(弁護人『上告趣意書』p96~98)

2月22日(乙76)には昭和60年頃の1回しか犬薬殺用の薬は貰っていないと述べているが、翌日の23日には、薬をその後もう一度貰ったこと、それは未使用のままタンスにしまいこんでいたことを記憶喚起し、それを捜査陣にちゃんと話しているのである。このように取り調べ段階から薬を2回貰ったことを自認していたのだから、判決文の思わせぶりな「公判廷においては……自認しており」という叙述は明白に誤りである。したがって、下記の

「また風間の逮捕後に江南町の風間方居宅を捜索した結果、風呂場の脱衣場に置かれていた整理タンスの中から円筒状に丸めて輪ゴムで括ったビニール袋が発見され、その中には薬包紙に包まれた約1.545グラムもの多量の硝酸ストリキニーネが入っていたのである。」

という判示における、自宅のタンスから薬が発見されたことが予想外の驚愕すべき出来事であるかのような表現はあんまりである。供述どおりにビニール袋入りの薬が自宅から出てきたことを不思議がる必要は何もないだろう。

それから、裁判所は「これが虚偽であることは後述するとおりである。」と述べているが、薬の包み紙に「何回も開け閉めした形跡がある」ことも「後述する」虚偽の一つということになるようである。でも、「開け閉めした形跡」を刻んだのは、捜査過程における警察ではないのだろうか? 常識では、それ以外に考えようはないと思うのだが。また1.545グラムの量についてだが、中途半端といえばたしかにそうである。しかし、アフリカケンネルの男性従業員Sさんは、Y獣医から平成4年9月にこの薬を受け取った時、「毒薬だから取扱いに注意してくれ」と言われはしたものの、「硝ストを単に小さいスプーンで直接薬ビンから取り出して、これを薬包紙に入れて包んだ旨述べ、Y(獣医)が言うように量りで量った上で薬包紙に包む作業がなされるのを見ていない。」(『一審弁論要旨』p201)とのことである。「Y獣医は(略)硝酸ストリキニーネを関根らに出すときはその都度秤で計量していたと言う」と判決文は述べているが、Sさんの証言をみると必ずしもそのとおりではなかったようである。「包装紙に開け閉めした形跡がある」とか「薬の量が中途半端」とか、「Y獣医本人が薬はその都度秤で計量して渡していたと述べている」などと、根拠の不確かな理由で、「これは殺害にその一部を使用した残りである可能性が高い」との判断を導きだすのでは、その論法はあまりに乱暴であり、またひどく作為的なものに感じられもする。そもそも、この事件は、風間さんらが逮捕されるまでに「埼玉愛犬家殺人事件」として1年もの長期にわたるマスコミ騒動があったということを忘れてはならない。もし風間さんが硝ストを用いて殺害に関与していたのなら、その使い残しをタンスにしまったまま忘れるなどということがありえるだろうか。「見つかったら大ごとになる」とばかり、さっさと始末したはずである。弁護人の次の判断こそがごく普通の常識だと思われる。

「K及びE・W事件において硝ストをもってこれらの被害者を殺害し、右殺害について主犯としての役割を有していた場合、その決定的な証拠である硝ストをあえて保持しているなどということは到底考えられないし、ロレックスなどと異なり、高価ではなく、投棄自体もはるかに容易である硝ストを、強制捜査の約1年前にマスコミで大々的に報道され、(略)、最も重要であって投棄も極めてたやすいにもかかわらず、被告人風間において整理ダンスの中にしまったまま忘れてしまうなどということがありえるはずはないのである。」(『一審弁論要旨』p221)

上記の弁護人の論述を見れば、硝ストに関する判決文への反論も批判ももうこれで十分ではないかと思えるのだが、もう少しつづける。

 従業員Mさんの証言と風間さんの供述の相違点

風間さんは2月22日(乙76)、23日につづいて24日にも捜査官に薬(風間さんは「硝酸ストリキニーネ」という言葉を捜査段階で使用していない。裁判官が判決文のなかで風間さんの言葉として「硝酸ストリキニーネ」と明示しているのは不公正だと思われる)についての供述をしている。念のために確認すると、22日にはY獣医から硝ストを貰ったのは昭和60年ころの一度だけと述べ、翌23日にはそれを訂正し、平成5年の7月か8月ころサッチャーという犬のために薬を貰ったことがあること、しかしそれはサッチャーの容体が回復したために使わずに済み、そのままタンスの引き出しにしまいこんでいることを供述した。そしてその翌24日には、結局貰いに行きはしなかったが、薬に関する話を従業員にしたことがあることを述べている。供述調書から引用する。

「私は今までで従業員に対してY獣医さんのところに薬殺用の薬をもらいに行かせたことはありませんが、
  Y獣医さんのところで薬殺用の薬をたのめばもらえる話をした事
があります。
その話をした従業員は、
  M 20歳位
でMさんに話をしたのです。
私がMさんに話をした時期は/ちょうどサッチャーが具合が悪くなった頃ですから/平成5年7月か8月の事でした。
Mさんに話をした場所は
  万吉犬舎か
  店
のどちらかだと記憶しています。
Mさんはその頃万吉犬舎で働いていたので万吉犬舎で話した可能性が高いのです。
話の内容は、
  店に来たお客さんの飼っている犬の具合が悪いので処分する薬をくれる様なところがあるんですか、と聞かれたので、私は「どうしてもという時は店に来てください」とお客さんに言った事でした。」
「しかし、そのお客さんは私の店には来ませんでした。そしてそのお客さんが来た話をMさんにしてから3、4日後、またMさんと雑談している時に前言った話を思い出し
  「薬のお客さんこなかった。/ だからもうもらってやんないんだ。」
と話したのです。するとMさんは
  「そうなんですか」と返事をしただけでした。
私は結局、薬殺用の薬をY獣医さんには客の為にもらいにはいかなかったんです。」

23日につづく24日付のこの調書が存在しているにもかかわらず、検察官はこれらの調書を隠匿し、いかにも風間さんが供述を変転させているかのように裁判官に受け取らせる細工をしているのである。そして、裁判官は審理の進行過程における被告・弁護人側からの検察に対する反論と批判によりこの事実を十分承知しているはずであるにもかかわらず、判決において次のように述べているのである。

「風間は、捜査段階においては、客から頼まれて硝酸ストリキニーネをY獣医から貰ったことはないと明言していたのに、公判では、客から硝酸ストリキニーネの入手方を打診されたことはあり、Mに対してMが述べているのに近い話はしたが、結局客のために硝酸ストリキニーネをY獣医から入手したことはなく、しかもMに話をしたのは7月15日でなく、7月28日である旨捜査段階の供述を実質的に覆す供述をしているのであるが、この供述変更にももっともな理由は見出せず、前同様の意図とMの強烈な供述内容を知りこれとの辻棲合わせを何とか図って自己の弁解を支えようとの意図からなされたものと見られるのである。その内容も甚だしく不自然であって(客から硝酸ストリキニーネの入手方を頼まれておらず、単なる打診があっただけだとすれば、風間がMに対してMが述べている話(客の頼みでサッチャーを薬殺すると嘘をついてY獣医から毒薬を入手した(する)ので、Y獣医から聞かれたときはサッチャーは間違いなく処分したと言ってほしいという話)に近い話などするはずはないであろう。そのほか、サッチャーを薬殺する必要が現在あるわけでもないのに、サッチャーを薬殺するために毒薬を入手したとしている点なども不自然である。)、前記M供述と対比し、到底措信できるものでない。
そして、右信用できるM供述の内容と風間が(右のような信用できない供述をしつつも)Y獣医から硝酸ストリキニーネを入手したことを認めていることなどを総合して検討すると、風間は、7月15日ころ、サッチャーを薬殺するという虚言を弄してY獣医から相当量(一頭分であるから恐らくは約1グラム)の毒薬(硝酸ストリキニーネ)を入手していたことを優に認定できるのである。もっとも、Y獣医は、平成4年12月ころから平成5年初めにかけて渡したのを最後にアフリカケンネル関係者に硝酸ストリキニーネを渡したことはないと述べているのであるが、風間自身が受け取った事実を明確に認め、かつMもこれに沿う供述をしているのであるから、Y(獣医)の右供述の存在は何ら右認定の妨げになるものではないのである。」(『一審判決文』p307~309)

上記の判決文を吟味してゆきたい。まず、「風間は、捜査段階においては、客から頼まれて硝酸ストリキニーネをY獣医から貰ったことはないと明言していたのに、公判では、客から硝酸ストリキニーネの入手方を打診されたことはあり」と述べている云々、と風間さんを非難する判示は、意味不明とまでは言えないにしろ、実態とそぐわず実に妙な表現である。日本語の使い方として基礎的なところに疑問をおぼえる。もしも、「風間は、捜査段階においては、客から頼まれて硝酸ストリキニーネをY獣医から貰ったことはないと明言していたのに、公判では、客から頼まれてY獣医から硝酸ストリキニーネを入手したことがある」とでも述べたというのなら、「供述を変転させている」と非難されても仕方ないかもしれないが、風間さんは捜査段階から公判にいたるまで、「客から犬薬殺用の薬を貰えるかどうかにつき打診され、その話を従業員の一人に話した。しかしその客はその後店に来なかったのでその話はそれっきり沙汰止みになった」と一貫して述べている。客に「打診されたことはある」という内容の供述も2月24日にちゃんとしているのである。いったい裁判官はここで何を言いたいのだろう?

「Mに話をしたのは7月15日でなく、7月28日である旨捜査段階の供述を実質的に覆す供述をしているのであるが、この供述変更にももっともな理由は見出せず」

との認定であるが、弁護人によると、「「7月15日」という供述は、第一審で証拠採用された供述調書にはどこにもない。」(『上告趣意書』p98)とのことである。裁判官はなぜ判決文において自ら「Mに話をしたのは7月15日でなく」と、わざわざ「7月15日」という日付を創作するのだろうか? 裁判官が勝手に創作した日付を被告人が公判廷において述べないのは「供述を実質的に覆す」ことではなく、自然天然、当たり前のことであろう。これはとんでもない悪質な行為だが、死刑判決という裁判所にとって最も重大深刻な判決をなすにあたり、これほどいい加減な認定が堂々なされているのである。「7月28」日という日付は、2月24日付の調書に見られるとおり、取調べ段階で「平成5年7月か8月の事でした。」と述べていたのが(どうやら、裁判官は「7月か8月の事でした」という供述をなぜか「7月15日」にすり変えているようである)、その後、記憶をたどるうちに、日付を推測する材料がでてきて、それらとの関連でMさんに話をしたのは「7月28日」だったとの特定の日付に絞り込まれていったもので、人間の記憶喚起というのは、大抵の場合、このようにしてなされるものではないのだろうか。このように自然な経過を判決文のいうように「供述変更」と捉えるのは不合理・不公正きわまりないと思われる。

次に検討したいのは、「(注:供述変更は)前同様の意図とMの強烈な供述内容を知りこれとの辻棲合わせを何とか図って自己の弁解を支えようとの意図からなされたものと見られるのである。」

という判示であるが、むしろMさんの供述内容をこのように「強烈な」と表現することこそが驚くべき「強烈な」ことのように思われる。もっとも上述のとおり、風間さんは「供述変更」などまったくしていないのだから、そもそもこのような判示が導きだされる前提が成立していないのだが、仕方がないので、一つ一つ見ていくことにする。ここで述べられている「前同様の意図」とは何であるかといえば、下記のことのようである。

「風間は、Y獣医からの硝酸ストリキニーネ入手の時期につき、捜査段階では平成5年7月か8月ころと述べていたにもかかわらず(乙77)、公判で突如8月10日と言い出したのであるが、この供述変更は、一連の事件のうちE・W事件までしか起訴されずS事件での起訴を免れたことから、硝酸ストリキニーネの入手口をE・W事件以降にしてこの入手が起訴された事件とは無関係であることを印象付けようとの意図に出たものと見られ、他にもっともな理由があっての供述変更であるとは全く考えられないのである。」(『一審判決文』p306~307)

硝酸ストリキニーネ入手の時期につき「公判で突如8月10日と言い出した」との判定だが、ここにもまた故意かどうか分からないが、過誤がある。風間さんは硝酸ストリキニーネの入手日を「8月10日」と特定しているのではなく、「8月10日ころ」と述べているのだ。「捜査段階では平成5年7月か8月ころと述べていたにもかかわらず(乙77)、公判で突如8月10日と言い出した」ことについては、先程も述べたことだが、これは、漠然とした記憶がいろんな喚起材料をえて、しだいに明確な記憶を獲得していく人間の思考の働きに適合した自然なことと思われる。なぜこれが供述変更として非難されなければならないことなのだろうか? どう考えても非難するほうがおかしいであろう。このように誰の目にも供述変更と映るはずのないことを無理やり供述変更と決めつけ、その挙げ句、その供述変更の理由として「S事件での起訴を免れたことから、硝酸ストリキニーネの入手口をE・W事件以降にしてこの入手が起訴された事件とは無関係であることを印象付けようとの意図に出たものと見られ」と勝手にS事件を持ち出して押しつけたり、根拠も示さず一方的に人の胸の内を邪推したりしているのだから、これはとても正気の沙汰とは思われない。裁判官のいう「前同様の意図」とはこのような次元のものなのだ。さて、「Mの強烈な供述内容」とは、何かといえば、次のことである。

2月24日の供述調書のとおり、風間さんはMさんという万吉犬舎の女性従業員に、Y獣医さんのところで薬殺用の薬をたのめばもらえる話をしたことがある。その内容は、風間さんの記憶では、下記のようになっている。

「 店に来たお客さんの飼っている犬の具合が悪いので処分する薬をくれる様なところがあるんですか、と聞かれたので、私は「どうしてもという時は店に来てください」とお客さんに言った事でした。」
「しかし、そのお客さんは私の店には来ませんでした。そしてそのお客さんが来た話をMさんにしてから3、4日後、またMさんと雑談している時に前言った話を思い出し
  「薬のお客さんこなかった。/だからもうもらってやんないんだ。」
と話したのです。するとMさんは
  「そうなんですか」と返事をしただけでした。」

しかし、法廷でのMさんの証言は風間さんの記憶とは微妙に異なっていて、彼女は風間さんから聞いた話として次のように証言した。

「ペットショップの近くのお客さんから、自分が飼っている犬が病気か何かで苦しんでいるので薬殺したいと頼まれて、Y獣医から薬殺用の薬を貰って来た。ただ普通の場合だと、そういう形では譲ってくれないので、一応名目上はサッチャーがもう助かりそうもないので自分の方で処理するから薬を下さいという形で貰った。だからY獣医から聞かれた場合には、あの犬は間違いなく処分したということを言っておいてほしい。』などと言われた(なお、右の貰ったという点については、これから貰うという言い方をしたかもしれない。)(『一審判決文』p304)

上記のMさんの証言が、裁判官によると「強烈な供述内容」であり、これを知ったために風間さんは辻棲合わせを図って自己の弁解を支えようとの意図から供述変更がなされたというのである。この場合の「供述変更」とは、すでに述べたようにMさんに硝酸ストリキニーネについての話をした日付が、捜査段階では「7月か8月ころ」だったのに、公判に入って「7月28日」と具体的な日付を述べるようになったことを指しているのである。硝酸ストリキニーネ入手の時期を具体的に述べるようになったことを非難した場合と同様の非難である。これを「供述変更」と呼んで非難するのはそもそも裁判官としてあまりにも低水準ではないかと思われるが、その理由はすでに述べた。

さて、一般に聞き違いということは日常茶飯によくあることである。同一の現象について、あるいは交わした会話について、一人一人がそれぞれに記憶している内容を照合すると、「エッ」と驚いたり、思わず笑いだしたりするほどの相違があることは珍しいことではない。むしろこのような経験をもたない人はほとんど皆無といってもいいのではなかろうか。そして、上述のMさんの証言だが、「Y獣医から聞かれた場合には、あの犬は間違いなく処分したということを言っておいてほしい」と風間さんが述べたとのことだが、この話は筋道にやや無理があるように思える。というのは、Y獣医はアフリカケンネルのかかりつけの獣医であり、犬が病気になれば必ずこの獣医の世話にならなければならないのだから、「サッチャー」が現に生きていて、いつ何どき獣医の診察をうけなければならなくなるか分からないのに、「獣医にサッチャーはもう処分したと言ってほしい」と風間さんが頼むというのは少々合点のいかないことである。そう考えると、二人のうち、記憶違いの可能性が大きいのは、風間さんではなく、Mさんのほうではないかというように思われるのである。

風間さんとストリキニーネの関係についてまとめると、風間さんの主張は、これまでY獣医からこの薬を貰ったのは2回だということである。1回目は、昭和60年(85年)のことで、薬を貰って犬の薬殺に使用した。もう1回は平成5年の8月10日頃で、風間さんの供述によると、

「万吉犬舎にはサッチャーという名前のアラスカン・マラミュートがいたが、その犬が7月中旬ころ重い病気に罹って発作を起こしたりしていた。8月10日ころにはサッチャーは普通に歩けるような状態になっていた。8月10日ころ他の犬を治療のためY獣医のところへ連れて行ったときに、Y獣医からサッチャーの病状について聞かれ、『今度発作を起こしたら、もう完全にいかれちゃって危ないぞ、飼い主だってどうなるか分からない。』などと言われたため、『そのときは覚悟して薬殺しますから、そのときのために薬を分けて下さい。』と言って貰った。」(『一審判決文』p301~302)

ということである。これまで見てきたように、風間さんは取調べ段階(2月23日)から公判までこの供述を一貫して行なっているし、実際、硝酸ストリキニーネは風間さんの供述どおりに自宅から出てきているのだ。矛盾はないと思われる。検察官は風間さんがいかにも供述を変化させているように装うべく、2月23・24日の調書を隠匿した。裁判官はその事情をまず間違いなく知っているはずであるにもかかわらず、素知らぬ風で「供述の変転」と決めつけ、執拗にあらんかぎりの難くせをつけている。けれども、具体的に事実を見ていけば、風間さんの供述の一貫性・合理性は誰の目にも明らかだと思われる。
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2010.01.19 Tue l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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