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2月1日付の金光翔さんのブログ「私にも話させて」の「第5回口頭弁論期日報告」で、安田好弘弁護士が佐藤優氏の専属弁護人に就任し、この日の法廷に出席していたことを知った。実は昨年12月15日の金さんの記事「第4回口頭弁論期日報告」のなかで、「なお、現在の被告代理人3名に加えて、佐藤氏が自らの代理人を追加したとのことで、新しい論点が提示されるため、次回口頭弁論期日の開催が少し遅れることになった。」という文章を読み、そのとき佐藤氏専属のこの代理人がもしかすると安田弁護士ではないか、という気がチラとしたのだった。しかし、まさか、と思い(注1)、その後もこの疑念を打ち消し打ち消ししてきたのだが…。

現代の言論や表現の自由にたいする侵害は、かつてのような公権力や右翼の攻撃のように誰の目にも分かりやすい形で行なわれるとは限らない。そのことをまざまざと示したのが金光翔さんの論文「<佐藤優現象>批判」をめぐる『週刊新潮』や岩波書店や掲載雑誌社の動向だったと思う。特に深刻だったのは、論文を掲載した雑誌社までもが一枚噛んだことではなかったかと思う。金さんは、論文中で勤め先の岩波書店をも批判の対象にしたことで、岩波からの攻撃の可能性はある程度予想していたのではないかと思う(佐藤優氏を問題視した論文を書く以上、岩波書店への批判は避けて通れないものだったろう。岩波が佐藤氏を「一流の思想家」のごとく扱い、盛り立てたことが一連の現象の起動力だったと思われる。そして佐藤優現象への批判はぜひとも誰かがしなければならないことだったはずである。)。しかし、掲載雑誌社が著者の意向を無視して佐藤優氏と「話し合い」をもち、佐藤氏の覚えをめでたくしようとするような行動をとるとは予想もしなかったのではないだろうか。もし自分が金さんの立場にたったとして考えてみると、最もふかく心を傷つけられたのは、おそらくインパクションの対応ではなかったかと思う。

論文の発表後、安田弁護士は、佐藤氏からインパクションと「話し合い」をしたいとの相談なり提言をうけたのなら、その時点で佐藤氏に反論文を書くことを勧めるべきだったろう。佐藤氏は金さんも述べているとおり、多くの雑誌に記事の連載をしており、いくらでも反論の場はもっていたはずである。掲載場所としてインパクションがいいのなら、佐藤氏の反論文を載せてくれるよう、インパクションに掛け合うことはもちろん賢明で正当な関わり合いの範囲であったろう。それをしなかったのはなぜなのだろう。またインパクションは安田氏から三者の話し合いを要望されたのなら、著者の意思に逆らって、あるいは著者に黙ってそんなことをしたら、雑誌社としての生命線を傷つけることになるから不可能の旨を伝えるべきだったろう。三者の話し合いは行なわれたようだが、このような方法が後々までふかい禍根を残すことになるのは素人でも分かることである。

さまざまな悪影響が考えられるが、ごく単純に考えて、たとえばこの次に同じような要望がインパクション誌で批判された側からまただされたら、今度はどうするのだろう。今回と同じく「話し合い」の場をもつのか、もたないのか。そしてそのうちのどちらの選択をするにせよ、判断の基準をどこにおくのか。またインパクションはもし著者が金さんのように無名の新人ではなく、実績のある著名人だったとしたら、著者を無視して佐藤氏と会合をもつというような行動をとったのだろうか? このことも私には疑問である。それから、何でも具体的な場面を想定して善悪、真偽を判断しようとするクセのある私はついつい下記のような発想をしてしまうのだが、深田氏や安田弁護士は、佐藤氏の立場にたったのがもし自分の子どもだったとして、子どもが佐藤氏のような行動をとろうとしたら、これをいさめないのだろうか? 裏から手をまわして対象論文を無価値なものにしようと画策したり、抹殺しようとするのではなく、堂々とした反論文を書きなさい。それこそが言論人のあかしではないか、そう言わないのだろうか? さらに、いろんな出版社や雑誌社がインパクションと同じ行動をとり始めたら、一体どうなるのだろう。出版界と著者や読者との信頼関係はゼロになるしかないと思うのだが。

私は当時-2年前から上記のような疑問をもっていた。先月、朝日新聞に載ったインパクションに関する記事に関連して金光翔さんはインパクションを批判していたが、この記事を読んだ私は、フォーラム90とインパクション宛てに下記に掲載するメールを送信した。インパクションはともかく、フォーラム90にこのような文面のメールを送ることが妥当かどうかは自分でもなかなか判断の難しいことではあったが、しかし、この件は多くの人が自分の問題として考えるべきことだと思う。私などはこのブログを始めるまであまり文章を書く機会もなかったが、そんなときであっても、自分の意見を言いたいときには誰に遠慮することなく(真に言いたいことを)言えるという自由をもっていることは生きる上で絶対的に必要不可欠のものであった。

メール文には、こまごまとした点では過誤や思い違いもあるかもしれないが、私自身の基本的な考え方は明示していると思う。文章には追加して具体的に述べてみたい点もあるが、いま現在、時間の余裕がないので、そのうちゆっくり書いてみたいと思う。なお、この問題を考える上で、藤田省三の「日本における二つの会議」は示唆的であると思うので、一部を別途引用掲載した。ぜひお読みいただければと思う。言論への侵害や弾圧に関する問題は秘密裏に処理しようとしたり、隠匿したりすることなく、読者をふくめて広く公的な問題とすることが何よりも大事であることは、藤田省三だけではなく、「風流夢譚事件」を経験した京谷秀夫氏などの編集者や「パルチザン伝説」の著者である桐山襲氏などが口を揃えて述べていることでもある。金光翔さんが実践していることはその手本のように思える。

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死刑廃止フォーラム90 様
インパクション 様

いつも「死刑廃止フォーラム90」の機関紙をお送りいただきありがとうございます。実は、講読を中止したいと思いまして、その旨のご連絡をさせていただきます。ここ2年ほど購読料を含めたカンパもお送りしていませんでしたので、近々、郵便局の払込取扱票で僅少でもお振込みをし、その通信欄にて講読中止の依頼をする心積もりでいましたところ、数日前に金光翔さんのブログで「佐藤優のいない〈佐藤優現象〉」という記事を読み、気持ちが変わりました。貴会にたとえ些少でもお振込み(注2)をすることは今気持ちの上でどうしてもわだかまりを感じます。失礼ですが、また残念でもありますが、このメールにて講読中止のお願いをさせていただきます。よろしくお願いします。

上記の件に関連して、下記に少し私見を述べさせていただきます。2008年早々だったと思いますが、かねてから愛読していた金光翔さんのブログで『インパクション』が自ら掲載した「〈佐藤優現象〉批判」の著者に対して驚くべく非人間的な対応をしていることを知り(内容が内容だったものですから、書かれていることが100%本当のことであるかどうかという疑問も当然なくはありませんでしたが、ただ公的に発表する文章にことさら偽りが書かれているとは思えませんでしたし、またその書き方から推察してまずそのまま信頼していいと思いました)、私はそれ以前にとある冊子に佐藤優さんを批判する文章を書いていたという経緯もありましたので、その年の3月に『インパクション』にメールをお送りしました。内容は、金さんが週刊新潮や勤め先の岩波書店およびその労組から手ひどいイジメ攻撃に遭っている最中でもあり、「掲載雑誌社として著者を守ってやってほしい。またそうすべきだと思う」というようなものでした。

私は出版業界とは何ら関係をもったことはありませんので、読者としての経験からのみ述べるのですが、掲載された文章に関して外部から批判や抗議をうけた場合に雑誌社が著者に対してこれほど(非礼をはるかに超えた)冷ややかな対応をとった例をそれまで知りませんでした。小説家の随筆などを読んだ経験から推測して、編集者というのは、何よりも著者にすぐれた原稿を書いてもらうことが生きがいの種族であるらしいと漠然とながらそう感じ、ずっとそのように受けとめてきました。金さんの論文の出来映えは出版・編集者のそのような期待に十分応える水準のものと思いましたし、また「パルチザン伝説事件」や「風流無譚事件」が発生した時、著者である桐山襲氏や深沢七郎氏に対する出版社および編集者の態度は、自分たちが追い詰められていたこともあり、大いに不十分ではあったと思いますが、それでも『インパクション』のような冷酷というような性質のものでは決してなかったはずです。そのため、『インパクション』の対応についての金さんのブログを読んだ私は大変驚き、深刻な懸念を感じたのですが、同時に、「これはきっと佐藤優という書き手が産経などでどんな内容の文章を書いているか、よく知らないのではないか」とも思いました(今考えると、そんなことはありえないことだったと思いますが)。

そういうわけで、『インパクション』にメールを送るに際しては真意をちゃんと受け取ってもらえるのではないかという期待をもっていました。というのも、イジメに加担もしくは黙認しておいて、「死刑廃止論」をはじめとしたどんな人権擁護の主張も成立しないでしょう。また、自らその原稿を採用しておいて、少し抗議がきたからといって、あっさり著者を放り出したのでは、その瞬間から出版雑誌社としての存在基盤を崩壊させ、その信用を地に落とすことは間違いないでしょう。そのくらいのことを雑誌の編集長たる人間が理解できないはずがないと思ったのです。でも何らお返事はいただけませんでした。

その後内心ではずっと気になってはいましたが、今回、金さんのアップされた文章を読んでみると、当時の『インパクション』の対応が想像していたよりもはるかに冷酷なものだったことを知り、あらためて驚きました。この記事によると、編集長の深田氏は、金さんが「「首都圏労働組合特設ブログ」で『週刊新潮』の記事による攻撃への反論をはじめた際、「ブログなんて意味がない。そんなにブログに価値を認めているのならば、論文も、『インパクション』ではなく、ブログで掲載すればよかったのではないか」とも言っていた。」とのことですが、「論文も、『インパクション』ではなく、ブログで掲載すればよかったのではないか」という発言には、その内容の不合理性と無情さに言葉が詰まります。深田氏は、ご自分の雑誌も人間の思想もかけがえのない貴重なものとは考えておられないのでしょうか。

安田弁護士が佐藤優氏と『インパクション』との会合の仲立ちをしたことも大いに問題だと思います。この件がどんなに深刻な問題であるかを私はお伝えしたつもりですが、なぜ深刻かというと、会合が成功するということは、金光翔さんを排除するということとイコールだからです。佐藤氏が会合をもちかけたことの目的がそこにあるということを感じとれない人間はいないでしょう。それでもなおかつ仲介をしたということは、週刊新潮や岩波書店、岩波書店労働組合のイジメを容認し、自らもそのイジメに加担するということになるのではないですか? 気に入らない言論、または自分たちの利害に反する言論は相手に確認もせず、公の場で議論する労もとらず、ひそかに抹殺しても構わないという意思表示にもなるでしょう。

思い出されるのは、安田弁護士の著書に書かれていた、名古屋の女子大生殺害事件を起こした被告人の著書刊行が裁判所によって妨害されたという出来事です。あの被告人への出版妨害は許されないけれども、金さんへのあのような形での言論弾圧は許されるということになるのでしょうか? また、今後検察や裁判所から新たに何らかの形で被告人や受刑者に関する外部への文書発表や出版に対する妨害などがあった場合に、皆さんはどのように対処なさるのでしょうか? それだけではありません。今後かりに『インパクション』や『フォーラム90』に出版妨害があった場合、金さんにあのような対応をとった以上、もう「言論弾圧だ」というようなまっとうな抗議をする資格を自分たちが喪失しているかも知れないという疑いをもってみてもいいのではないでしょうか。

だいたい、佐藤優氏は、イスラエルによるパレスチナ人民の殺戮を全面擁護している人物です。また死刑廃止論者のようなことを述べたりもしていますが、「国家情報戦略」(講談社+α新書 2007年)という本では、スパイ防止の法整備を進めることを提案した上で、「スパイ防止法」という名称では世論が騒ぎだして反対するので、「情報公務員法」という名称の法律を制定し、「情報公務員が情報漏洩をして国に危害を与えた場合の最高刑は死刑にする。つまり、ものすごくきびしい罰則規定を設けるわけです。」(注3)と述べています。死刑廃止どころか、これでは死刑の拡大を呼びかけているとしか思えません。こういう人だからこそ、言論弾圧に他人を巻き込んだりもできるのだと考えるべきでしょう。

『インパクション』へメールを送信した同時期に、私はもちろん岩波書店にも批判のメールをお送りしました。文面に「このようなイジメは個人が堪えうる限度を超えている」「もし何らかの不幸な出来事が起きた場合、あなた方はどのような責任をとるつもりなのか」というようなことを書きました。実際、不幸が生じた後では岩波書店やインパクションが廃業したって決して追いつかないでしょう。私にしてもそのようなことを現実的に考えているわけではありませんでしたが、しかし酷いイジメによってギリギリまで追い詰められている人間は数多く存在します。『インパクション』がそのようなことを気にかける様子もなく、掲載雑誌社としての責任を自覚した風もなく、「飼い犬に手を噛まれた」と言わんばかりの冷たい発言を連発していたことは驚嘆に値することです。

『インパクション』は、そして安田弁護士も、金さんに謝罪をするべきではないのでしょうか。もし金さんにも悪い点があったと思われるのなら、その旨伝えて意見を交換するなどの対応を積極的にとるべきでしょう。それが、世に「死刑廃止」を訴えたり、死刑執行に対する当局への抗議文の送信を呼びかけたり、署名やカンパの要請をする者としての最低限の務めになるはずです。『インパクション』の編集者にしても、『フォーラム90』の方々にしても、金光翔さんのブログをご覧の方もある程度存在するのではないかと思います。自分たちの身辺で発生しているこのような事態を深刻な問題としてうけとめた様子のないことは、私のような一般庶民の常識的立場からすると実に不可解なことです。

金光翔さんへの接触が行なわれるのであれば、このメール文はこのままにしますが、もしそのようなことが行なわれないのであれば、場合によって(たとえば1ケ月経過後)、私は自分のブログ(横板に雨垂れ)でこの文章をアップすることがあることをお伝えしておきます。『インパクション』にもこのメールを送信しますが、どちらにしろ、何らかのお返事をいただければ嬉しく思います。

それでは失礼いたします。

1月14日

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予想はしていたことだが、返事はいただけなかった。

注1)安田弁護士の「光市事件」をはじめとした刑事事件への弁護士としての取り組みにはずっと敬意をもってきた。2005年刊行の「生きるという権利」にも感銘をうけた。安田弁護士はあの本に最後の一章としてこの件を具体的に叙述した文章を追加してみてはいかがだろうか。双方に、同一人物の考え方、行動としてどのような一貫性、統一性があるのか、あの本を愛読したものとして知りたいと思う。

注2)フォーラム90の機関紙は、集会などに参加して氏名を記入するとその後送付してもらえるようである。私の場合もそのようにして送ってもらっていた。ここ2年ほど振込みをしていないが、ただそれ以前に購読料分くらいはカンパとして送付していると記憶するので、決して機関紙代を踏み倒したわけではない。その点、誤解なきよう。

注3)佐藤氏は、「国家情報戦略」で死刑に関連して下記のように述べている。

「①日本はスパイ防止のための法整備を進めるべきです。ただ、スパイ防止法の制定が適切であるとは、私は思いません。なぜなら、スパイ防止法という言葉は手垢がついているし、「そんなものはけしからん」とかいって、まちがいなく世論が騒ぎ出しますから、高い確率でまとまらないでしょう。/ 私は「情報公務員法」のようなものがいいんじゃないかと思っています。まず、軍でも外務省でも、これからできる対外インテリジェンス機関でも、情報を担当している人を「情報公務員」と規定します。そのうえで、国家公務員法の特別法にするわけです。/そして、情報公務員が情報漏洩をして国に危害を与えた場合の最高刑は死刑にする。つまり、ものすごくきびしい罰則規定を設けるわけです。②ただし、事前に自首し、捜査に協力した場合は刑を免除する。このような極端な落差をつけることがミソなのです。もちろん、共謀もしくは教唆した人間に対する罰則規定も設ける。共謀もしくは教唆した人間は、たとえ情報公務員以外の民間人であっても罰することができるようにするのです。そうした形をとることができれば、実質的にスパイ防止法と同じ中身になります。」

文章を①と②に分けたが、①はいろんなところで死刑廃止論者としての見解を述べている佐藤氏がこの問題でも二重基準を用いていることの証明になるだろう。しかし私はこの①以上に②における考え方が大変危うい、おそろしいと思う。ここに見られるのは、人が根源的にもっている死の恐怖、命を奪われることへの恐怖心を手玉にとってそれを振り回して人を支配しようとする発想の典型だと思う。まったく死刑廃止どころではない。ジョージ・オーウェルの「1984年」を連想せずにはいられない。またドストエフスキーの「悪霊」をも。

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2010.02.20 Sat l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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