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前回の記事で、もう2年近くも前の2008年に阿佐ヶ谷ロフトの講演で佐藤優氏が述べたという小林多喜二(注1)およびその作品「蟹工船」に関する発言をとりあげた。ブログ「Key(きー)さんです」(http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/55952790.html)によると、その日、佐藤氏は、多喜二について「ブルジョア」という発言もしていたようである。

「蟹工船などはインチキ小説だ。小林多喜二はブルジョアなんです。ただリアリティが随所にみられる。」

「カラマーゾフの兄弟」の誤訳博覧会とでもいうべき亀山郁夫氏の翻訳本を賞賛するために、よりによって先行訳にありもしない「誤訳」を自ら捏造して押しつけたり、どういう理由かは不明だが敵意をもっているらしい小林多喜二とその作品である「蟹工船」に対して聴衆を前に「ブルジョア」「盗作」などのデタラメおよび無根拠な決めつけを口にしたりと、佐藤氏は最低限の倫理観をもち、文学をふくめた言語表現活動にいささかでも尊敬の念をもっていたらとうていできるはずがないと思える行為を堂々実践している。

この日、誰かが思いきって手を挙げて質問をしたらよかった。「多喜二は貧しい家の出身だときいていますが?」と尋ねる。「小説の最初の部分は他の小説からの盗作」「当時の漁業労働者他からの取材もしないで「想像」だけで書いたような話」という発言に対しては、「盗作ということですが、どの作品から盗作したのですか?」、「取材なしで書いた、と断言できる根拠は何ですか?」というような質問をすべきであった。同席していたという佐高信氏は蟹工船ブームに乗って(?)、多喜二をテーマにした講演会で何度も講師を務めているのだから、その佐高氏に佐藤氏の発言が正しいかどうかを尋ねてみてもよかった。何も自分がそういうことをしなくてもそのうちたとえば専門家筋の誰かが批判したり訂正したりしてくれるはずだと思っても、もうそういう期待に応えてくれる人はメディアにはいないようである。これではデタラメがそのまま広範にまかり通り、文化の衰退状況はますます絶望的になる。何より怖いのは、このような異常な状態が私たちに当たり前のこととして感受されるようになることである。だから、おかしいと思ったことは、私たち一般市民が自ら立って納得がいくまで相手に問いただす。もうそれしかないかも知れない。

(1)
先日、ブログ「連絡船」を拝見していたところ、魚住昭氏との共著「ナショナリズムという迷宮」(朝日文庫)のなかの佐藤氏の文章が批判的に取り上げられていた(こちら)が、その批判と(直接的にではないが)間接的に関係する文脈で、次の文章も引用されていた。(下線は引用者による)

「 私は魚住さんの手法に、かつてロシアで私が深く影響を受けた二人と共通の要素を感じたので、この人と話を続けると私の中にあるナショナリズム、国家に対する混沌とした知識を整理することができると感じ、できるだけ頻繁に飲みに行くようにした。魚住さんとの出会いがなければ、私は書斎に引きこもり、社会に再び出て行くという選択をしなかったと思う。従って、本を書くことも、論考を発表することもなかったと思う。」

これは、「ナショナリズムという迷宮」の「まえがき」の一部分である。この本は私もだいぶ前だが読んだことがあり、この部分に関してそのとき感じたことを上記の「連絡船」の記事により思い出したので今回はこのことから書いてみたい。揚げ足をとるわけではないが(?)、まず佐藤氏が、「書斎に引きこも」ることと、「本を書くこと」や「論考を発表すること」を相対立する行為のように書いているのはおかしいのではないか。本や論考を書くのは、たえず実社会に出ている人よりも、むしろ書斎に引きこもりがちの人のほうが多いだろうと思う。現実的にも、書斎に引きこもりがちの生活では、本を出したり、論考を発表したりの執筆活動をしなければ経済生活も成り立たないのではないかと推測されるし、佐藤氏のこの記述については不思議なことを聞くように感じた。が、それよりも、魚住氏との出会いがなければ、「社会に再び出て行くという選択をしなかったと思う」や「本を書くことも、論考を発表することもなかったと思う」などの発言は、佐藤氏が以前述べていたことと矛盾するのではないか。この本の刊行より以前の、その文章が拘置所のなかで綴られていることが明記されている「獄中記」という本には、

「読書する大衆、すなわち活字メディア(月刊誌)の読者をターゲットとする。『世界』、『論座』あたりが狙い目か。」(p47)、「獄中生活1年を経た頃から博士号や大学への就職に対する熱意が失せてきた。その分、きちんとした本を作るという意欲が強まっている。」(p385)

などの文章が散見される。佐藤氏は「私には人生の転換点で決定的な影響を与えた(注2)人が数人いる。そのうちの一人が魚住昭さんだ。」とまで述べて魚住氏との出会いの大きさを強調しているが、「獄中記」における上記の文章を読むと、魚住氏との出獄後の出会いがなかったとしても、佐藤氏は現在と同じように本を書き、雑誌に論考を発表するという生活を選んでいたであろうことがほぼ確実と推測される。これでは、自分は魚住氏に決定的な影響を受けたという佐藤氏の言い分自体に疑問をもたざるをえないのだが、そうだとすると、この一文は魚住氏を評価し敬意を表するものではなく、逆に魚住氏を侮辱するものではないだろうか。

ちなみに、「読書する大衆」という言葉であるが、佐藤氏は2007年4月、自分について書かれた『AERA』の記事に不満をもち、執筆した大鹿靖明『AERA』記者に「公開質問状」を送っている(このことについては前回少し述べた)。これは現在でも、『週刊金曜日』のウェブサイトに掲載されているが、大鹿記者が『AERA』の記事に「獄中記」のなかにある「読書する大衆」という言葉を引用したことに関して、この「質問状」には下記の文面がある。

「質問19.「読書する大衆」という記述について
(1)《「思考するメディア」「読書する大衆」をターゲットとする戦略》(19頁)という記述がありますが、ここでいうターゲットの意味を説明してください。
(2)私が「読書する大衆」という言葉を用いたことがあるか、あるとするならばどこで用いたかについて明示してください。
(3)私は「読書する大衆」という認識をもっていません。従って、そのような言葉を用いた記憶がないのです。それにもかかわらず、カギ括弧つきであたかも私の発言であるかの如く「読書する大衆」という記述を大鹿さんがなされた真意について釈明を求めます。」

上の質問状の文章を素直に読むと、佐藤氏は、自らが「読書する大衆」という言葉を「獄中記」に記したことを忘れてしまっていたことになるが、はたしてそんなことがありえるのだろうか。「読書する大衆」という言葉はそれまであまり聞いたことのない特異な表現であり、目にした者にはつよく響いてくる印象的な言葉なのだが。もし本当に忘れていたとしても、結果的にこれが大鹿記者に対する非礼な言いがかりであったことには違いない。質問状には「ターゲットの意味を説明してください」ともあるが、佐藤氏自ら「活字メディア(月刊誌)の読者をターゲットとする」と本にちゃんと書いている。過っているのは大鹿氏ではなく、佐藤氏のほうである。『金曜日』のウェブサイトを見ると、この誤りは今も訂正されることなく、そのまま放置されている。大鹿氏へも釈明や謝罪などなされていないのではないか。なお、このことは金光翔さんがすでにこちらで取り上げて佐藤氏、『週刊金曜日』の双方をきびしく批判している。

(2)
「国家の罠」を読むと、佐藤氏は人間がもつ「嫉妬心」という感情が、鈴木宗男氏と自分の逮捕劇の一要因だったと考えていることがわかる。どうやら、「嫉妬心」はこの本をつらぬくキーワードの一つになっているように感じるのだが、しかし、ある出来事の発生の原因として「嫉妬心」のような強烈な感情を挙げる場合には特に繊細な注意が必要とされると思う。というのも、人の行動についてあらかじめ「原因は嫉妬である」と言い切ってしまえば、人をしてそれでもうすべてが解ったような気にさせてしまいがちなのがこの言葉の一大特徴だと思えるのだ。「嫉妬心」とは「言ったもの勝ち」の様相を呈することになる最右翼の表現ではないだろうか。だから、誠実な書き手、秀でた書き手は、この言葉を安易に用いるようなことはまずしない。事実でもって語らしめるという方法――ある言動を慎重に正確に客観的に描くことにより、その実体、真偽が浮き上がるのを待つという姿勢をとるように思う。

「国家の罠」はそうではない。鈴木宗男氏には嫉妬心が希薄であり、そのために他人の嫉妬心に気づかなかったというように、鈴木氏が他人の醜い感情(嫉妬心)などは察知もしない無垢で美しい心情の持ち主であることが本のあちこちで強調されている。

「政界が「男のやきもち」の世界であることを私はロシアでも日本でも嫌というほど見てきたが、鈴木氏には嫉妬心が希薄だ。/ 裏返して言えば、このことは他人がもつ嫉妬心に鈴木氏が鈍感であるということだ。この性格が他の政治家や官僚がもつ嫉妬心や恨みつらみの累積を鈴木氏が感知できなかった最大の理由だと私は考えている。(p39)」

「鈴木氏が田中(引用者注:田中真紀子氏のこと)更迭にあたって「鈴木氏からカードを切った」(「田中をやめさせて下さい。それならば私も引きましょう」と俺から総理に言ったんだ。総理から担保もとっている。田中をやめさせただけでも国益だよ」と淡々と電話口で述べた。)ことが恐らく裏目に出るだろうと私は思った。小泉氏にすれば、それは鈴木氏が閣僚人事にまで手を突っ込んできたことになる。/鈴木氏本人は、嫉妬心が希薄な人物だけに田中女史や小泉氏の嫉妬心に気がついていない点が致命的に思えた。2月1日の参議院予算委員会で小泉総理が「今後、鈴木議員の影響力は格段に少なくなる」と述べたことはレトリックではない。この時点で既に流れは決まっていたのである。(p116)」

という具合である。しかし田中真紀子氏や小泉純一郎氏は、個性の相違はあれども、どちらも「私が一番」「僕が一番」というように他者に対する自己の優位を信じて疑わない心性の持ち主であるように思える。彼らは格別に鈴木宗男氏に嫉妬しなければならない理由はもっていないのではなかろうか。佐藤氏は「小泉氏にすれば、それは鈴木氏が閣僚人事にまで手を突っ込んできたことになる。」と思わせぶりなことを書いているが、ここで何を言いたいのだろう。

上記の件は小泉・鈴木の両政治家による一つの取り引きであろう。このようなことは小泉純一郎のような人物にとっては何ら嫉妬心をかきたてられる理由にはならないのではないか。佐藤氏は自分のその判断の根拠を示していないので、これでは鈴木氏の存在感をきわ立たせるための強引な憶測のようにしか感じられない。ところが、鈴木宗男氏と面識もなく、特に鈴木氏についての知識ももっていないという佐藤氏の担当取調官である西村検事は内藤国夫著『悶死-中川一郎怪死事件』(草思社1985年)を一読した後、下記のように述べたことになっている。

「実に面白い本だったよ。/鈴木さんのパーソナリティーがよくでているね。要するに気配りをよくし、人の先回りをしていろいろ行動する。そして、鈴木さんなしに物事が動かなくなっちゃうんだな。それを周囲で嫉妬する人がでてくる。(略)/しかし、鈴木さんは自分自身に嫉妬心が希薄なので、他人の妬み、やっかみがわからない。(略)/中川夫人の鈴木氏に対する感情と田中真紀子の感情は瓜二つだ。本妻の妾に対する憎しみのような感情だ。嫉妬心に鈍感だということをキーワードにすれば鈴木宗男の行動様式がよくわかる」

これに対して、佐藤氏は次のように述べる。

「 私はこのときまでに「鈴木氏に嫉妬心が希薄で、それ故に他者の嫉妬心に鈍感だ」という見立てを西村検事に話したことはない。この検察官の洞察力を侮ってはならないと感じた。(p272~273)」

佐藤氏と担当検事とは「嫉妬心」をめぐる鈴木氏に関する見解がピッタリ一致したことになっている。おかしいと思わざるをえないのは、鈴木宗男氏と会ったこともないこの検事が上述の本一冊読んだだけで「鈴木氏に嫉妬心が希薄で、それ故に他者の嫉妬心に鈍感だ」と断言していることである。期せずして佐藤氏の鈴木観と一致したことになるわけだが、検事のこの態度は「洞察力」があるというより、あまりにも軽率、不自然過ぎると思う。「中川夫人の鈴木氏に対する感情と田中真紀子の感情は瓜二つだ」などという見解は一体どういう根拠の下で引き出されているのか、不可解である。この問題で佐藤氏は一貫して何ら具体的な事例を示さず、実証もしていない。それで人の内面的感情である「嫉妬心」について縷々断定的に述べ、それを事件発生・解明の鍵の一つとしている。これはずいぶんご都合主義的な乱暴な話ではないだろうか。

(3)
上の(2)で述べたことといくぶん関連することになるかと思うが、佐藤氏は初期のころの著書に「土下座」ということについてよく書いていた。土下座についての話をする人など珍しいと思い、興味ぶかかったので、よく記憶しているのだが、この件について少し考えてみたい。まず、こちらのブログに資料として掲載されている記事のなかから、佐藤氏が逮捕された当時に報道された土下座に関する「時事通信」の記事を引用する。

「外務省職員に土下座強要=鈴木氏の前で「謝るときはこうする」−佐藤容疑者
 外務省関連の国際機関「支援委員会」をめぐる背任事件で、逮捕された同省前国際情報局主任分析官佐藤優容疑者(42)が、鈴木宗男衆院議員(自民党離党)にしっ責された職員の前で「謝るときはこうするのだ」と土下座し、職員にも土下座を強要していたことが17日、関係者の話で分かった。」

佐藤氏自身による「土下座」に関する発言は次のとおりである。

① 「鈴木氏の前で土下座し、鈴木氏に「浮くも沈むも鈴木大臣といっしょです」という宣言をしたり、鈴木氏の海外出張で文字通り腰巾着、小判鮫のように擦り寄っていた外務省の幹部たちが、「鈴木の被害者」として、それこそ涙ながらに鈴木宗男の非道をなじっている姿が走馬灯のように浮かんだ。(「国家の罠」p352)
  「かつて外務省の幹部たちは「浮くも沈むも鈴木大臣と一緒」といつも言っていました。土下座して、無理なお願いを鈴木代議士に対して行う幹部たちの姿を私は何度も見ています。」(「獄中記」p111)

② 「東郷(和彦)さんは精神も行動様式も「貴族」なのであって、カネや人事に固執せずに、自らが国益と信じる価値を実現するためには、私のようなノンキャリアの若手官僚も活用するし、歴代総理や鈴木宗男さんの前で平気で土下座することができる。本質的なところでの矜持があるから、小さなプライドを捨てることができたのだと思うのです。」(「国家の自縛」p28)

①と②とでは、佐藤氏は「土下座」という行為についての価値判断を微妙に変えているように思える。①では、土下座までして忠誠を誓ったのに、外務省の幹部は鈴木氏を裏切った、と述べていて、土下座という行為に重い意味を見ているようである。しかし、②の東郷氏の土下座に対する佐藤氏の判断は①の場合とは異なるようだ。土下座は些細なプライドさえ捨てれば、誰の前でもやすやすと行なうことができる、表層的な行為に過ぎない。東郷氏は土下座などものともしないだけの本質的な矜持をもっているとのことで、ここでは土下座は「忠誠の誓い」という特殊な行為とは別種の、わりあい気軽な行為として扱われているようである。

どちらにせよ、当時外務省には土下座が日常茶飯のごとく横行していたらしい。私は土下座についてのこれらの文章を読んで、かつて田中真紀子氏が外務省を指していった「伏魔殿」という表現は実に卓抜だったのではないかという印象をもった。土下座をするほうの外務省幹部にも、される立場の鈴木宗男氏にも、また幾度となくその光景を見たと述べ、こうしてそのことを書いている佐藤氏にも、なんともやりきれない感じをもつ。土下座をする人物が大勢いたのなら、されるほうがそれを喜んだり望んだりしたからではないのだろうか。そこまで言わないにしても、少なくとも土下座を嫌悪したり拒絶したりして止めさせようとしなかったからこそなされたとは言えるだろう。外務省は一体どういう組織なのか(それとも土下座が行なわれていたのは佐藤氏の周辺だけだったのだろうか。)。土下座なぞ一般社会ではまず見られないし、話題としてもまず聞かれないことだ。私は土下座をテレビや本でしか見たことがない。上記の佐藤氏の文章を読むと、どことなく土下座をした人間に対して弱みを握っているぞと言わんばかりの調子も感じられ、また通常佐藤氏が見せる行動から判断しても、上述の「時事通信」の記事がかなりの信憑性をもって迫ってくるのは否めないことである。佐藤氏は、「国家の罠」で自分と鈴木氏の関係について、

「私と鈴木宗男代議士との関係についても、「私設秘書」と「恫喝政治家」というような関係ではなく、対露外交を推進する上での盟友でありかつ夏目漱石『こころ』の主人公と先生のような関係であることを検察側にどこまで正確に理解させるかということも、私にとっては重要なことです。(p76)」

と記している。「嫉妬心」が渦巻き「土下座」が横行しているという組織の実態を教えられた後で、「夏目漱石『こころ』の主人公と先生のような関係」という言葉を聞くと、これはひときわ異様に響いてくるが、このような側面こそ佐藤氏の真骨頂かも知れない。

     ──────────────────────────

(注1) そのころの文学青年の多くがそうだったようだが(梶井基次郎も面識はなかったが、志賀直哉の心酔者であった)、多喜二も終生志賀直哉を尊敬した。志賀直哉は、多喜二の死亡が新聞で報じられた日、日記に下記のメモを書き記している。

「小林多喜二 12月20日(余の誕生日)に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり アンタンたる気持になる、不図彼等の意図ものになるべしといふ気する」

また、2月24日には小林多喜二の母小林セキに次の文面の手紙を送っている。

「拝呈御令息御死去の趣き新聞にて承知誠に悲しく感じました。前途ある作家としても実に惜しく、又お会ひした事は一度でありますが人問として親しい感じを持って居ります。不自然なる御死去の様子を考えアンタンたる気持になりました。御面会の折にも同君帰られぬ夜などの場合貴女様御心配の事お話しあり、その事など憶ひ出し一層御心中察し申上げて居ります。同封のものにて御花お供へ頂きます。2月24日。志賀直哉。小林おせき様。」

小林多喜二は1933年、警察署で逮捕当日に殴り殺されたときまだ29歳の若さであった。あまりにも残忍な殺され方だったため、小林多喜二というと何か名前をきくだけで重苦しい気持ちがするが、いくらかホッとするような逸話の一つに、多喜二と志賀直哉との関係のことがある。

多喜二と志賀直哉の縁は、多喜二が小樽の高等商業学校に通っていた18、19のころにさかのぼる。そのころ多喜二はしきりに志賀直哉に手紙を書き送っていたそうであるが、その手紙のユニークさが、阿川弘之の『志賀直哉』(岩波書店1994年)に描かれていて、これには多喜二の若々しい姿が彷彿としていて楽しい。

「…志賀一家が我孫子住まひのころ、北海道からのべつ、気焔万丈の手紙を送りつけて来る文学青年がゐた。19世紀の末、北欧の文学が世界を風靡したやうに、日本では北海道で育った自分が北海道から文壇へ打って出て日本文学を席捲するのだなどと書いて来た。あまりの大気焔に、直哉は此の文学青年の名前を覚えこんでしまった。それが当時小樽高商在学中の、未だはたちにならぬ小林多喜二であった。
 奈良へあらはれた多喜二は、数への29歳、すでに一部で高く評価されてゐる新進作家だったが、(略)自分の信条を相手に強制するやうな態度はちっとも見せなかった。昔凄い手紙をくれたのを覚えてゐると話すと、まっ赤になったといふ。」

19世紀の末、世界を風靡した北欧の文学について、多喜二は具体的にどんな作家や作品を思い描いていたのだろう。それにしても、「日本では北海道で育った自分が北海道から文壇へ打って出て日本文学を席捲するのだ」などと意気のいい言葉を小林多喜二が他ならぬ心酔する人物に宛てて書き送ったというのは、ちょっと嬉しくなる話である。

(注2) ブログ「連絡船」では、佐藤氏のこの部分の文章の拙さを指摘している。詳しくは、「連絡船」を参照のこと。
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2010.03.06 Sat l 言論・表現の自由 l コメント (2) トラックバック (0) l top

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2012.04.05 Thu l . l 編集
ルンペンプロレタリアート様
何だか不機嫌そうなコメントをいただきましたが、
> 「小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に「叔父からの資金援助で進学」というのを知らないのか。
知ってますよ。多喜二の家はお父さんが病弱で彼もパン工場を経営している叔父さんの援助がなければ進学できませんでした。 現に彼の弟さんは小学校を出ると洋服屋にでっち奉公に行ってるでしょう。多喜二にしても4年間は叔父さんの工場で20数人の職人さんと一緒に早朝から相当な重労働をこなし、その後に学校に行っています。 多喜二のお母さんは、いくら進学させて貰っているとはいえ、あんなにまで多喜二をこき使わなくてもいいのではないかと少し恨みがましく思ったこともあったと三浦綾子の「母」という本によるとそういう告白をしています。

> 葉山嘉樹の「海に生くる人々」が、ネタ元なんてのは常識だ。
「ネタ元」はまだいいとして、「盗作」とかいう、 多喜二に対する無神経な言葉遣いには正直なところちょっと虫酸が走ります。 多喜二には女性に対する姿勢に問題があったなど弱点もあるでしょうが、盗作云々なんて。「海に生くる人々」と同様、「蟹工船」も海上の重労働を扱った作品ですから、自然似たところ、共通するところはあるでしょう。 また多喜二は葉山嘉樹を大変に尊敬していたようですから、もしかしたら意識的に表現を採り入れたのかも知れませんね。確かに普段はオーソドックスな表現をする多喜二の文章が蟹工船の最初の方は葉山嘉樹の「海に…」を彷彿させるようにも思います。しかしそれを盗作だなどと大真面目に宣うのは愚劣でしょう。優れた作家は例外なく優れた作家の影響を受けて進むのですから。私は中野重治や手塚英孝が多喜二について書いている文章を読むのが好きですが、中野にしろ、手塚英孝にしろ、盗作云々なんて触れてもいません。それは後ろ暗いからではなくて、そんな話題は馬鹿馬鹿しいからでしょう。

> こんなことも知らないのか。
> 恥ずかしいぞ。
そうですか? 恥ずかしいことは沢山ありますが、これは私は恥ずかしくありませんが…。


2012.04.10 Tue l yokoita. URL l 編集

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