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岩波書店の『世界』5月号の岡本厚編集長による「編集後記」を読んだので、その感想を述べてみるつもりだが、その前に岡本氏と同じくやはり岩波書店の役員である小島潔氏の「カッコ良いひと」という柄谷行人氏を評した文章の印象を書いておきたい。これを「Web版新刊ニューストップ」で読んで私はかなり驚いた。今からもう10年ほども前の出来事のようだが、小島氏は知り合ったばかりの柄谷氏から活動の舞台をニューヨークに移すという話をすきやきをつつきながら聞いたそうだが、そのときのことを次のように記している。

「柄谷さんは野望に燃える青年のようだった。「でも、アメリカでは誰にも相手にされないかもしれないじゃないですか」と、私が茶々をいれると、「それならそれでいいんだ」と、何のてらいもなく言った。日本にいればいくらでも「威張って」いられるのに、そして日本での威を着たまま海外に出れば苦労なんかしないのに、わざわざ一個人として自分を試しにいく柄谷さんは、やはりカッコ良かった。」

なんだか不思議な話ではないだろうか。小島氏がここで述べているのは、このような場合私たちが普通に想像するような、文筆家がアメリカへどんな目的や抱負や意欲をもって行くのか、行った先で何を研究したいのか、というような職業や生き方に関連したことではなく、「日本にいればいくらでも「威張って」いられるのに」、「アメリカでは誰にも相手にされないかもしれない」のに、それを振り切って渡米しようとする柄谷氏のその決断(心意気?)がすばらしいとそのことに小島氏はいたく感心しているようなのである。

これを読んで私はタレントの吉田栄作の渡米にまつわる出来事を思い出した。柄谷氏よりは4、5年ほど早い時期だったと思うが、彼も芸能界を一時休業、役者修業のためということで渡米したことがあったのだ。そのとき、芸能レポーターは栄作を追いかけ回してあれこれしつこく質問したり、本人のいないところで盛んに揶揄したりしたものである。レポート内容はきまりきっていた。小島氏が柄谷行人に述べた内容と瓜二つで、「日本にいればアイドルとして仕事もあるし、固定ファンもいる。でもアメリカに行ったら、誰にも相手にされないにきまっている。きっと寂しいよ~」。吉田栄作に対する芸能レポーターの口調はかなり意地悪だったと記憶するので、その点小島氏の柄谷氏に対するそれとは異なるが、それでも、述べている内容自体はほぼ同じである。小島氏にとって、柄谷行人は芸能人のようなものなのか? まあ、小島氏は肩のこらない、柄谷氏に対して読者が親しみをもてるようなエピソードを披露しようと考えたのではあるだろうが……。

さて、『世界』(2010年5月号)の「編集後記」を読んで、これにも私は大変驚いた。岡本氏は授業料無償化対象からの朝鮮学校の排除問題に関して下記のようなことを述べている。

「 ある意味で、朝鮮学校の存続は、同化、排除、差別政策によって民族性を喪失させようとし続けてきた日本政府、日本社会に対する、民族性を守る闘いそのものであった。」

朝鮮学校が被ってきたこれまでの迫害や日本政府の差別政策などについてこのような認識をもっているのならば、『世界』は、なぜ今日まで、5年も6年もの長期にわたって佐藤優氏をああまで熱心に起用しつづけてきたのだろう。佐藤氏が『世界』をはじめとした雑誌に登場しはじめた当初から、北朝鮮をはじめ韓国や中国、また日本国内では朝鮮総連に対して差別・敵対意識に満ち満ちた内容の言説を発しつづけていたことは歴然としていた。この人は、自らの逮捕は国策捜査によるものであるとして、有罪判決に対する上訴をつづけながら、一方、「国策捜査は必要」と言い(『世界』にしろ『金曜日』にしろ、周囲のライター達にしろ、この発言の矛盾の重大さに疑問を呈さないのは信じられないことである。)、その一例として、朝鮮総連への国策捜査を煽動してきた。たとえば次のとおりである。

「緒方元公安調査庁長官の事件でも、結局は朝鮮総連が被害者になるような筋立てになってしまっていますが、そんな体たらくでどうするんだといいたいですよね。ああいう事件は当然、政治的に利用すべきですし、ここはしっかり国策捜査すべき局面でしょう。総連に対して圧力をかければ、拉致問題を巡る交渉も有利になるからです。それは先の段階で総連に対する圧力を緩めるということが、外交カードになるからです」(『軍事研究別冊』2007年9月号)

となんだか空恐ろしいことを述べているが、岡本氏は佐藤氏のこのような発言についてよく知っているはずである。橋下大阪府知事などは朝鮮学校を視察して「援助を受けたいならば朝鮮総連の関係を切れ」と脅迫しているが、私には佐藤優氏がこれまで述べてきたことも橋下氏が現在主張していることも根本的にはそうちがわないように思える。岡本氏は佐藤氏の朝鮮総連弾圧煽動を容認してきたこれまでの自分たちの姿勢をどのように考えて、上記の発言をしているのだろうか。

私は、佐藤氏の朝鮮総連に対する積極的な団質煽動発言、そしてそういう発言の主を他のどこにもまして重用しつづけてきた『世界』の姿勢は今回の朝鮮学校排除に関する政府判断にも社会全体の空気にも相当な影響をおよぼしていることは間違いないと思う。岡本氏はこのような発言をする前に、まずこれまで佐藤氏の排外的な言説を容認しつづけてきた自分たちの姿勢に対する説明や現段階での自己批評があってしかるべきだろう。<佐藤優現象>推進者としての『世界』に向けられた批判など存在しないかのような今回の岡本氏の発言内容には唖然とさせられる。まさか、奇妙奇天烈な理由であろうとも、佐藤氏が「朝鮮学校排除」に反対しているから、自分たちも安心して反対できると考えてはいないだろうと思うが。

「 いかなる社会にあっても、少数派の人権、尊厳は守られなければならない。 」

「うーん」と考えこんでしまう。文句のない立派な考え方だと思うのだが、でもそれならば、会社と組合総がかりで金光翔さんになしてきた「表現の自由」なんぞ眼中にないとしか思えないこれまでの「いやがらせ」「いじめ」の数々を何と説明するのだろう。「少数派の人権、尊厳」に対する配慮の一片もないかのようだったが。

「在日韓国・朝鮮人は、日本の植民地主義の結果、日本に居住せざるを得なくなった人々の子孫である。日本に特別の責任があり、その少数派としての教育には、むしろ特別の配慮があってしかるべきなのである。」

これにも上述の場合と同じ感想をもつ。この立派な発言と、岡本編集長らが社内で行なってきたらしい言動とがあまりに食い違っているのに唖然としてしまう。こういうところにも佐藤優氏の影響、もしくは共通点を感じてしまう。

「 高校授業料無償化の「朝鮮高校除外」は、普遍的人権の問題であり、子どもの学習権の問題であると同時に、歴史認識の問題でもある。もしこのようなことが行なわれれば、日本は政府が少数派を公然と差別すると国際社会に向けて宣言するに等しい。あまりに恥ずかしいことではないか。」

広範に「進歩的・良心的」という社会的イメージをもち、自らもそのことを誇っていると思われる『世界』が『金曜日』とともに他のどんな雑誌にもまして、差別的・排外的言辞をまき散らす国家主義者である佐藤優氏を重用してきた。このような事態に対しては、社員であれ読者であれ気づいた者はそのおかしさをきちんと指摘し、しっかり批判しなければならない。このような批判は、表現、思想、言論の自由に基づいた私たち一人一人の権利(同時に岡本氏の言う「歴史認識の問題」を考えることでもあると思う。)である。これに対し岩波書店はどのような形でもいまだ一切答えていない。岩波は日本で有数の言論機関だというのに。私は岡本氏の発言をもじって次のように言いたい。「岩波書店および労組の一体となった一個人への攻撃は、岩波書店は少数派を公然と差別すると社会に向けて宣伝しているに等しい。あまりに恥ずかしいことではないか。」

「 「新しい公共」などと口で言いながら、人権感覚も、歴史への見識も、多元社会へ向かう寛容さも感じられない。深い失望を感じる。」

人権感覚、歴史への見識、寛容さ。これらが民主党政権に感じられないのは確かだが、それにしても、何度も繰り返すようだが、佐藤優氏をあれほど大事にしてきた『世界』編集部の、それも編集長の口からこのような発言を聞くとなんとも腑に落ちない気分になる。私なども無意識のうちに二重基準の発言をしてしまうことは生活の上である。今適切な例を思い出せないのだが、たとえば食べものや趣味などで以前キライだと言っていたものをスキだと言ってそのことを傍から指摘されたこともある。また、こちらで引用したことだが、詩人の萩原朔太郎にも往々にしてそんなことがあったことを中野重治は書いている。

「彼がいろんな意見を述べたが、その意見は本や何かで読んだことと自分の気質とをむすびつけたもので、歴史的に真実でなかつたから、そのまま伸ばして行くと、彼の主観的に大きらいな俗流ブルジョアの見地を弁護することとなるのだつたけれども、そんなことと全く気がつかずにしきりに彼はそれを主張した。」

しかしそのことを中野重治から指摘され、自分のあやまりに気づきそれを認めると、生真面目に自分の主張を撤回した丁重な手紙を寄こしたりしたそうである。それは中野重治が言うとおり、

「しかしまたそこに、一種の愛敬のようなものがあり、ことにその論理の勝手な処理が、何か自分の損得を考えてのことでないことが初手から明瞭だつたから、わが田へ利得のために水を引くものの醜さというものが微塵もなかつた。」

だからこそ朔太郎はこだわりなく訂正や謝罪行為ができたのだろう。しかし、佐藤優氏や<佐藤優現象>を形成している人たちの場合はどうか。言論・出版界を一空間としてみて、そのなかで寄稿媒体によってまったく相反する主張を繰り広げている人物が存在し、その言論活動が社会において支障なく通用しているというような異様な事態がこれまでの日本に、また世界の歴史においてもどこかでありえたのだろうか。大変に疑問である。これでは言論内容とは究極的には低俗な性質の政治的・社会的処世術の道具でしかなく、個人の思考の成熟や発展や深化なぞ望めないばかりか、問題でさえないことになる。誠実や正直や真理の探求などの徳とも一切無縁になる。もちろん岩波書店が自社の紹介文で言う「物事を筋道を立てて理解し,問題を深く的確にとらえる――このようないわば科学的思考」とも無関係になる。突飛な感じ方だとは思うが、私は佐藤優氏や<佐藤優現象>を見ると、『道草』という小説で夏目漱石が主人公健三の養母について叙述している下記の場面を連想することがある。

「 彼の弱点が御常の弱点とまともに相搏つ事も少なくはなかった。
 御常は非常に嘘を吐く事の巧い女であった。それからどんな場合でも、自分に利益があるとさえ見れば、すぐ涙を流す事の出来る重宝な女であった。健三をほんの子供だと思って気を許していた彼女は、その裏面をすっかり彼に暴露して自から知らなかった。
 或日一人の客と相対して坐っていた御常は、その席で話題に上った甲という女を、傍で聴いていても聴きづらい程罵った、ところがその客が帰ったあとで、甲が又偶然彼女を訪ねて来た。すると御常は甲に向って、そらぞらしいお世辞を使い始めた。遂に、今誰さんとあなたの事を大変誉めていたところだというような不必要な嘘まで吐いた。健三は腹を立てた。
「あんな嘘を吐いてらあ」
 彼は一徹な子供の正直をそのまま甲の前に披瀝した。甲の帰ったあとで御常は大変に怒った。
「御前と一所にいると顔から火の出るような思をしなくっちゃならない」
 健三は御常の顔から早く火が出れば好い位に感じた。
 彼の胸の底には彼女を忌み嫌う心が我知らず常に何処かに働いていた。いくら御常から可愛がられても、それに報いるだけの情合が此方に出て来得ないような醜いものを、彼女は彼女の人格の中に蔵していたのである。そうしてその醜いものを一番能く知っていたのは、彼女の懐に温められて育った駄々っ子に外ならなかったのである。 」

漱石は、別の箇所で、この養父母によって「健三の気質も損われた」とも書いているが、上の短い文章からでも、漱石がまっ正直さにどんなに高い価値を置いているかが分かるように思う。この養母は無教養な市井の人だから言動があからさまだが、このような心性をもって現代性や教養の覆いをまとい政治的に振る舞えばどうなるか。必ずしも自分たちと無縁の存在とは言えない気がする。たまたまネット上の言説や刊行される新刊本の中身を見ると、一般読者のみならず著者のなかにも、佐藤優氏および<佐藤優現象>の影響を感じることがしばしばある。じわりじわりと社会の内部に、そして私たちの精神に浸透していっているのではないだろうか。


4月13日 一部に文意の通じにくい表現があり、訂正いたしました。
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2010.04.13 Tue l 言論・表現の自由 l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

こんばんは
こんばんは。小島と柄谷のくだりは思わず笑ってしまいました。『世界』の編集後記は私も白けながら読みましたが、以下の「ある意味で」という前置きが非常に気になります。

>「 ある意味で、朝鮮学校の存続は、同化、排除、差別政策によって民族性を喪失させようとし続けてきた日本政府、日本社会に対する、民族性を守る闘いそのものであった。」

「ある意味で・・・民族性を守る闘いそのものであった」という文章には、別の(より一般的な)「意味」においては・・・「民族性を守る闘いそのものであった」とは言えない、という含意があると思います。朝鮮学校の存続を無条件に民族性を守る闘いそのものとは見なさない岡本(『世界』編集部)のような立場においては、朝鮮人の民族性を守るためには日本人が朝鮮人の民族自決権を保障しなければならないという論理も、無条件では成り立たないことになるのではないでしょうか(「ある意味で」「朝鮮人の民族性を守るためには日本人が朝鮮人の民族自決権を保障しなければならない」という論理になると思います)。この「ある意味で」という一節も、岡本(『世界』編集部)にとって社会的問題への恣意的な「意味」づけ(二重基準の適用)が日常茶飯事になっていることを示しているように思いました。

>たまたまネット上の言説や刊行される新刊本の中身を見ると、一般読者のみならず著者のなかにも、佐藤優氏および<佐藤優現象>の影響を感じることがしばしばある。

岩波書店は特に顕著ですよね。意識的にボイコットをしなくても買う気がまったく起きないというところがすごいです・・・。岩波で最近面白い本ってありましたっけ?
2010.04.13 Tue l m_debugger. URL l 編集
m_debugger さま
m_debugger さま
コメントをどうもありがとうございます。

> 「ある意味で・・・」
私はさほど気にしていませんでしたが、言われてみると、岡本氏の場合はおっしゃるとおりではないかと思います。
この言葉は、意味どおりに素直に読める場合ももちろんありますが、たいていの場合は、アリバイのために、とまではいかなくても、書き手の心理的安心感のために安易に便利に用いられていると感じることが多いように思います。戦前の本で「ある意味で・・・」を見たことはまず一度もないような気がします。戦後にしても、敗戦後20~25年間くらいはほとんど使われてなかったのではないでしょうか。おそらく高度経済成長後の流行でしょうね。
小島氏と岡本氏、お二人の文章を読んで、いつもは何事にもすばやく反応できないのに、一日でエントリーを書いて、アップしてしまいました。個性的な(?)内容にあんまりビックリしてしまって。(笑)
>岩波で最近面白い本ってありましたっけ?
なんにも思い浮かびません。
いつも、興味をもってエントリーを拝見させていただいています。
2010.04.14 Wed l yokoita. URL l 編集

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