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中野重治全集の解題を書いている松下裕氏によると、中野重治は「政治活動をする人間として文学をやりたい」とどこかで述べているそうである。私はその文章を直接見てはいないが、こつこつその全集を読んでいると、中野重治は確かにそうであったろうということが実感される。戦前・戦中、書きたくても書けないことが胸に積もりに積もっていたのだろう、敗戦後5、6年間の中野重治の舌鋒鋭い言葉には迸るかのような勢いを感じる。天皇制、東京裁判、戦争責任の問題、等々、さまざまな問題がなんともヴィヴィッドな筆致で幅広く取り上げられ、批評の対象にされている。阿波丸事件、管季治事件などということも、どこかで断片は聞いたことはあっても詳細については全然知らなかったものを、中野重治全集によってそれらの問題が当時の社会でどのように受け止められていたのかなどについて私も多少知ることができた。他にも同様のことは数多くあり、次の例もその一つである。

ニム・ウェルズというアメリカ人女性が書いた『アリランの唄』という本を推奨している中野重治の文章がある。1953年(昭和28年)に「日本読書新聞」に寄稿された文(全集25巻に収載)で、題は「ニム・ウェルズの『アリランの唄』」。白竜の歌う「アリランの唄」は知っていても、この本については初めて知ったのだが、このなかに次の一節があった。

「 われわれ日本人は朝鮮を忘れている。朝鮮と朝鮮人とにたいするおのが犯行を忘れたがつているのだ。寺内が題辞を書き、竹越・内田が序を書いた『亡国秘密 なみだか血か』も忘れた。外骨のつくつた『壬午鶏林事変』も忘れた。1930年に出た金民友の『朝鮮問題』戦旗社版も忘れた。アメリカとの関係で、黒田寿男が日韓議定書の問題を国会で出したとき日本人はほんとうにおどろいたのだつた。」(下線は引用者)

黒田寿男と日韓議定書の問題。初めて聞く名前と内容だったので、ネットで検索してみると、中野重治の上の文章が書かれる2年前の1951年10月19日、時の首相吉田茂(注)に対する衆議院議員 黒田寿男の国会質問を見つけることができた。その年吉田茂が全権大使として渡米し、9月8日に「講和条約」とともに「日米安保条約」を結んで帰国してから1カ月余り後の出来事である。中野重治は「日本人はほんとうにおどろいたのだつた」という黒田議員の質問内容について何も書いていないが、これはこの日、10月19日の国会質問を指しているのはおそらく間違いないと思われる。黒田寿男は締結したばかりの「日米安全保障条約」と1904年に日本と韓国の間で結ばれた「日韓保護条約」の条文が酷似していると言い、そこからくる懸念について吉田総理に質問しているのであった。このような国会質問がなされたこと、それが当時日本社会を驚かせたり、話題になったりしたことを私は初めて知ってそれこそ大変驚いた。当時人々の間にどのような意見が出て、どのような議論や会話がかわされたのだろうか。国会答弁を読んだかぎりでは、吉田首相は黒田議員の質問に「それをお手本にしてつくつたものではなく」と答えているが、当然そうだろう。ただこの答弁のしかたには奇妙だといえば奇妙だと感じるところもある。首相の口調は思いもかけない質問をうけたというふうではないようにも思えるのだ。

去る4月25日は沖縄で普天間基地の県内移設に反対する大集会が行なわれ、9万人もの人々が結集したとのことである。鳩山政権は選挙前の公約を必ず守らなければならない。また高校の授業料無償化法案から朝鮮学校のみを排除しようとする動きをみても分かることだが、近年在日朝鮮人に対する差別を固定化し強化する露骨な動きが見られる。また最近、植民地支配に関して「日本は朝鮮に橋や鉄道を作ってやった、衛生設備を整えてやった」などの発言が日本人の口からよく出るようになっている。これは恥知らずの上にも恥知らずな言い分としか言いようがない。「日米安保条約」と「日韓保護条約」とを同列に並べるようなことは決してしてはならないが、こと条文に関しては、黒田氏が「生き写し」という言い方をしているとおり、双方の内容が大変よく似ていることは事実のように思う。時が時でもあり、日本社会の現状を考える上で参考になるようにも思うので、下記のサイト

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/012/1216/01210191216004c.html 
「第012回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号」

から該当個所を引用して掲載する。(なお黒田寿男の経歴をこちらで見てみると、学生時代は東大新人会のメンバー、1937年には「人民戦線事件」で投獄され、議会を追放された人物のようである。弁護士でもあった。)


「○田中委員長 黒田寿男君。
黒田委員 私は本日は平和條約と安全保障條約とを合せて、多少根本的な問題を総理にお尋ねしたいと思うのでありますけれども、総理の方でおさしつかえがありまして、予定しただけの時間がいただけませんので、きようはただ一問だけ特に御質問申し上げたいと思います。あとはこの次の機会に質問する権利を留保させていただきたいと思います。
 そこできようは、便宜上、私は安全保障條約の―この安全保障條約と申しますのは、今回の日米安全保障條約のことでありますが、この安全保障條約の性格について政府にお尋ねしてみたいと思います。私の見るところでは、日米安全保障條約は、名称は安全保障條約でありますけれども、実質的にはいわゆる安全保障体制の性格を備えていない。それでは一体何であるか、私も懸命に研究してみたのでありますが、結局私の結論は、安全保障條約ではなくて、むしろ保護国條約の性格を持つておる、あるいはその通りでないにいたしましても、それに非常に近い性格を持つておるものである、こういう結論に到達したのであります。これにつきまして私は自分の所信を述べながら、政府の御所信を承つてみたいと考えるのであります。
 そこで第一に、日米安全保障條約は、本来の安全保障條約ではないと私は結論を下すのであります。なぜであるか、本来の安全保障体制であるためにはどういう條件が必要であるかと申しますと、すべての参加国が継続的にして効果的な自助及び相互援助を行うものでなければならぬ、こういう條件が必要なのであります。現に本来の安全保障條約でありまするところの北大西洋條約、米此相互防衛條約、オーストラリア、ニユージーランド、アメリカ合衆国、この三国間の安全保障條約等の本来の衆団安全保障体制を研究してみますと、すべてこの條件を備えておるのであります。しかして今日吉田総理が単独で調印されて参られました日米安全保障條約なるものは、この條件を備えていない。だから暫定的なものであるという言葉が用いられておるのであります。すなわち将来本格的な安全保障体制ができることを米国は期待しておるというておるのもあります。将来本格的な安全保障條約になるのであるならば、今は本格的な安全保障体制でないということは明らかである。この区別だけははつきりさせておかなければならない国民は、名称が安全保障條約というので、本来の安全保障條約ができるのであるかのごとく考えさせられているのであります。これは、私は非常に危険なことであると思うのであります。そこで今度首相の調印されて参られました安全保障條約なるものは、いわゆる暫定的なものであつて、本来の安全保障体制としての條約ではない。このことをはつきり国民に知らせておく必要がある。この点につきまして私と同じようにお考えになるかどうか、ちよつと総理大臣の御見解を承つてみたい。
吉田国務大臣 これは安全保障條約の中にはつきり書いてあります。つまり日本が国連またはその他により、いわゆる恒久的なといいまするか、安全保障あるいは日本の独立を守るだけの措置ができたならば、そのときはやめると書いてあるので、暫定的というお話は私も同意であります。またこれをもつて何百年もやる考えはないのであります。しかしながら、日本は独立はできたが防備はない、その空間を満たすための暫定條約であつて将来国力が充実するか、あるいは国連その他の国際的機構が充実される場合には別に考えるべきで、独立を得たその瞬間における独立安全をどうしてはかるか、そのさしあたりの必要に応ずるためにこの條約はできたのであります。ゆえに暫定であります。またわれわれも暫定と考えております。
黒田委員 これは文字通り暫定と書いてありますから、わかる人にはわかるのでありますが、国民がこの暫定ということに気がつかないで、いろいろと間違つた考えを持つのではなかろうかと思いますので、あえてこの点を明らかにしていただいたのでありますけれども、やはり総理も暫定だと申されますし、むろん私も総理のおつしやつたように暫定と考えております。
 そこでその点を、はつきりさせておきまして、しからばこの安全保障條約が、本来の安全保障体制たることができないのはどのような條件が欠けておるか、このことを私は考えてみた。そうすると、それは言うまでもなく日本が自身として軍備を持つていないことである、こういうことがすぐ答えとして出て来るのであります。すなわち日本が自国の防衛のため漸増的にみずから責任を負い得るような條件をつくらなければ、安全保障体制に入ることができないのだ、こういうことが言えるのである。そこで、しからば日本は何ゆえにこの條件を欠かねばならぬか、こういう問題が次に出て来ると思います。それは言うまでもなく今の憲法が嚴として存在しておるからである。この憲法が存在する限りは、日本は、この條件を満たすことができない、すなわち再軍備をすることはできないのであります。従つて安全保障條約の名のもとに、実際は安全保障條約でないところの、しかも実質は一種の軍事條約が結ばれる、こういうところに落ちて行くよりほかない、こういうことになろうとしているのであると私は考えるのであります。そこで総理にお尋ねしたいと思いますことは、日本が再軍備をしなければ、この日米安全保障條約はいつまでも存続して行かねばならぬという論理の帰結になるのでありますが、そういうように解釈してよろしいのでありましようか。言いかえれば、この暫定的安全保障條約から、本来の安全保障條約に入らなければならぬ條件を満たすためには、再軍備をしなければならぬ、この條件にかかつておる。こういうように私どもは考えざるを得ないのであります。この点についてはつきりと総理の御見解をお尋ねしておきたい。
吉田国務大臣 お答えしますが、これは必ずしも再軍備―軍備とかあるいは兵力とかいうものに、一にかかつておるとは私は解釈しないのであります。日本の国力がどう発展するか、あるいはどう充実されるか、あるいは日本の今後における大勢といいますか、政治その他の條件あるいは客観情勢がどうなりますか、内外の情勢について判断すべきものであつて、いわゆる危險とかいうようなことは内外の情勢がきめるもので、その大きさ、その内容に従つて考えるべきものである。これは将来の事態の経過によつて判定すべきである。その事態において善処する。いかなる恒久平和條約ができるか、それはできたときに御相談をいたします。
黒田委員 そういうお答えでありますと、念のためにもう一度しつこいようでありますがお尋ねします。この点は昨日芦田氏もお尋ねになつたのでありますけれども、尋ねる方も答える方も、何か歯にきぬをきせたような応答であつたと思いますので、私どもももやもやとした感じがまだとれておりません、そこではつきりひとつお尋ねしてみますが、この安全保障條約の中に書いてあります「日本が自国の防衛のため漸増的にみずから責任を負い得るような條件をつくる」ということは、軍備を再建するということではないのでありましようか。この点をはつきりと私ども国民としてお聞きしたい。
吉田国務大臣 はつきり申しますが、これはいろいろの意案含んだ広義なものであります。
黒田委員 それではそのいろいろな條件の中に、軍備の再建というものも含まれているかどうか、その点を質問いたします。
吉田国務大臣 特に軍備を含むとかいうような、具体的な話はまだいたしておりません。
黒田委員 まあこれはこの程度にしておきます。何べん繰返しましても今言うようなお答えしかなさらぬだろうと思いますから……。
 そこで次の問題をお尋ねいたしたいと思いますが、その前に、ちよつと中間的にお尋ねしておきますが、日米安全保障條約が一種の軍事條約であるということは、これは政府もお認めになると思いますがどうでありますか。
吉田国務大臣 お尋ねは軍事條約……。
黒田委員 軍事的性質を持つた條約であるかということ……。
吉田国務大臣 軍事的性質は持ちます。
黒田委員 ちよつと聞き漏らしましたが、もう一度……。
吉田国務大臣 アメリカの駐兵を許しておるのでありますから、軍事的性質を持つております。
黒田委員 そこで今までの質問応答で、本来の安全保障條約ではない、しかもそれにもかかわらず、一種の軍事的な條約であるということがわかつたのでありますが、その次に私ども国民として真剣に考えてみなければならないと私の思いますことは、しからば一体この條約の性格は何であろうか。私どもは政治家として物事をいい加減に考えることは許されない。あくまで真相を突き詰め、真実を発見するという態度で国会におきましても働かなければ、議員としての役割を果すことはできないと考えます。そこで安全保障條約でないとすれば一体何かということを私は考えてみた。自助の力もなく、相互援助の力もない状態で、しかもそれは軍事條約でいるというようなものを締結するときに、その條約の性格は一体どんなものになるか、これを私は考えてみた。これは言うまでもなく、当方としては義務があつても権利はない。先方様は権利があつても義務がない。こういう根本的な性格を持つ條約に落ちて行くよりほかには行きかたがないものであるが、事実私は日米安全保障條約の内容を見て、米国とわが国との権利義務の関係は、まさにこの通りになつていると考えるのであります。これについて政府はどういうふうにお考えになりましようか。多少私の説明が極端であるかもしれませんが、必ずしも今申し上げましたように日本には権利が全然ない、向うにはまた権利ばかりあつて義務がないとは申しません。けれども事の本質から見れば、とにかく日本の方には権利はなくて義務ばかりある、向う様には権利ばかりあつて義務はない、大体本質的にこういう性格の條約になつている。こう私は考えますが、一般論としてどうでありましようか。
吉田国務大臣 いろいろ御議論もありますが、私はそう考えません。もし日本の平和が脅かされたとか、あるいは日本の治安が第三国の進出あるいは威嚇等によつて脅かされた場合には、日本としては当然米国軍を要求する権利がある。これに応ずべき義務がアメリカにはある。これは相互的な権利前務があるからこそ、ここに條約ができておると考えるべきであると思います。
黒田委員 この点につきましては、きよう私はこれ以上総理に御質問いらしません。私は総理とは見解が違いますけれども、これはまた他の機会に條約局長にでも少し詳しく聞いてみたいと思ひます。そこで私は今申しましたように、一種の軍事同即でありながら本来的の安全保障條約でない。わが国に権利がなく、相手ばかり権利を持つておる、こう申したのでありますが、私はこの見解から議論を進めるのでありますから、そのようにお考え願いたいと思う。
 そこでこの安全保障條約の内容はこのようなものである、その本質はこうだというふうに考えてまゐりますと、一体その性格は何になるか、この疑問がなお私どもの頭に残る。政治家の良心はこれを探求せしめねばやまないのである。そにで私はこれをやつてみた。咋日芦田氏は総理に対する質問の際に、日米安全保障條約のような内容を持つ條約の例を知らない、こう言われた。芦田博士の博学をもつてしてなおその例がないと言われた。それは安全保障條約という名前を持つておる條約の中に先例を見出そうといたしますから、そういう條約の中には今回の日米安全保障條約のような屈従的内容を持つたものはない、こう言われる意味であろうと私は考えるのであります。私どもはこの点は芦田氏と同意見である。そで方面をかえて先例を探してみなければならぬというとろに私は来た。どういう先例を探求すべきか、私は安全保障という名称にとらわれないで、その実質から見て、この條約が非常に従属的性格を持つておるその面に目をつけて、こういう見地から私は過去の條約について先例を調べてみた。そうすると私は先例がないのじやなくてあると思う、確かにある。実にあるのであります。共産党の諸君は日満議定書の例をよく引用されます。私から見れば、なるほどそれもある程度の類似性を持つておりますが、もつと多くぴつたりした類似性をもつものが、私の目から見ると、あると思う。もつと適切な例を私は指摘することができると思う。私は過去の條約集を、根気を出して年代的にさかのぼつて、先にくとページを繰展げて調べて参りましたところ、実に今から約五十年前、明治三十七年の日韓保護條約の例に私は到達したのであります。私はこの條約に目を通したときに、実にこれだと思つた。実によく似ておる。今ごろになつて保護国というと諸君はおかしいと思われるだろう。国際関係におきましてそういうものは次第になくなりつつあります。今はもうほとんどないといつてもよろしいでしよう。ところがこの日韓保護條約の例に、この日米安全保障條約の例が実によく似ておる。この日韓保護條約は、名前のごとく、韓国が日本の保護国となつたときの條約であります。それは実に約五十年近く前のことである。幾昔も前のことであります。そして、それがやがてその次には日韓保護協約となりまして、それからその次には明治四十三年にいよいよ韓国併合條約、こういうところに行き着いてしまつた。もとより私は日本がそういうところに落ちるとは思いません。けれども韓国がこのようなところに落ちて行く、その過程に、日本に保護を求めるという條約が、韓国と日本との間にできましたその條約に今日の條約は実によく似ておると思う。そして朝鮮は、今私が申しましたような三つの條約の成立の過程を経て、結局日本の資本主義侵略の手中に落ち、遂に日本の植民地となつてしまつたのであります。そうしてあの長い苦難の経験を経て、太平洋戦争の後に今や独立に向つて進んでいる、その途中でまた今回私どもが見ておるごとき苦難の道をたどりつつあるのであります。しかしとにかく朝鮮の向う方向は、独立への方向であるということだけは私ども大づかみに認めることができる。しかるにわが国は、これからかつての韓国のごとき状態に陥れられるような條約がここでできるのではないか、何という情ないことであるかと私は思う。今私はここで両條約の内容を諸君の前で対比してみます。この條約はあまりにも古い昔の條約でありますから、最近の條約集を買つてみてものつておりません。私も一生懸命古本屋を歩いて、本郷の古本屋でやつと古い條約集を見つけてそれを見たところが、この條約があつた。そこで私はいかに両條約の内容が、共々に、みじめなものであるかということを明らかにいたしまして、吉田総理の御意見を承りたいと思うのです。日米安全保障條約というと、私どもはむしろ日本の利益になるような條約であると思つております、けれども、日韓保護條約のような保護條約と言われてみれば、これは考えてみなければならぬということになるのではなかろうかと私は思う。そこで私は、日韓保護條約はごく簡単な條約でありますから、参考のために日韓保護條約と日米安全保障條約の内容を比較してみたいと思います。日韓保護條約はわずかに六箇條にすぎません。それから日米安全保障條約は前文のほかに五箇條であります。しかしこのような條索の数がよく似ておるというようなことは、これは本質的な問題ではありませんので、ただこれだけのことを申し上げて、さて内容上はどうかということを私は申し上げてみたい。
 日韓保護條約の第三條に「大日本帝国政府ハ、大韓帝国ノ独立及領土保全ヲ確実二保護スル事。」こういうな條文がありますが、日米安全保障條約にもやはり「日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」アメリカは「この希望をかなえてやる、」こういうことになつておりまして、ちようどこの第三條のような関係が示されておるのであります。
 それから日韓保護條約の第四條に「第三国ノ侵害二依リ、若クハ内乱ノ為、大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全二危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速カニ臨機必要ノ措竃ヲ取ルヘシ。而シテ大韓帝国政府ハ右大日本帝国政府ノ行動ヲ容易ナラシムル為、軍略上必要ノ地点ヲ臨機収用スル事ヲ得ル事、」この点が日米安全保障條約に非常によく似ておるのであります。わが国とアメリカとの場合もやはり内乱問題が取扱われている。「一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じようを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、」云々という言葉がありますが、ちようどこの日韓保護條約の第四條にこれと同じことが書いてあります。それから今も申しますように、日本国政府が必要の場合臨機の措置をとるということと同様なことが、日米安全保障條約の中に現われておるのであります。
 それからなおよく似ておるところがある。それは日韓保護條約には、「両国政府ハ相互ノ承認ヲ経スシテ後来」―今後のことでありましよう。「後来、本協約ノ趣意二違反スヘキ協約ヲ第三国トノ間二訂立スルコトヲ得サル事」こういうように書いてありますが、これも安全保障條約の第二條の「第一條に掲げる権利が行使される間は、日本国は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における若しくは基地に関する権利、権力若しくは権能、駐兵若しくは演習の権利又は陸軍、空軍若しくは海軍の通過の権利を第三国に許与しない。」と書いてあります。これも非常によく似ておる。
 それからもう一つよく似ておることがある。これで最後であります。ごく短かい。日韓保護條約の第六條にこう書いてある。
 「本協約一一関聯スル未悉ノ細條ハ大日本帝国代表者ト大韓帝国外務大臣トノ間二臨機協定スル事。」これは日米安全保障條約の第三條に「アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する條件は、両政府間の行政協定で決定する。」こう書いているのとよく似ておるのであります。ほとんど日韓保護條約の全部が、ちようどこの條文も同じほどの数でありますが、ぴつたりと日米安全保障條約に当てはまる、生写しということがありますけれども、私は写せると思う、合せてみれば同じだと言えると思う。私はこういう條約があるということを発翻したのであります。私はこの條約を見て非常に深い感慨に陥れられざるを得なかつたのであります。年代があまりにかけ離れておりますから、人々は注意しないことでありましよう。けれどもその本質を調べてみると、このような類似点があるということは私どもも無視することができません。このような日韓保護條約があつたということは、これは政府もよく知つておいでになると思ひますから、こんなことがあるとかないとかいうことを質問する必要はないと思います。が、一体講和とは何であるか、講和とは日本が独立することであります。その日本が独立しようという講和條約の中から日米安全保障條約というものが出て来た。その安全保障條約の内容が実にかくのごときものであるということを見たときに、私どもが率直に考えてみて、国民の一人として、これが独立のための條約であるというように一体考えられるでありましようか、私には考えられない。おそらく吉田総理は、そうお考えになつたからあの平和條約と安全保障條約に調印して帰られて、そして今、国会にその承認を求めておいでになるのであると考えますが、私がどうしてもこれに賛成する気になれないのは、この條約のかくのごとき本質を知ることができるからであります。どうでありましよう、こういうように考えて行くと、どうも私は日本がアメリカの保護国的地位に落される條約になるのじやないか、そう思われるのであります。これは政府に質問いたしましても、まさか政府はそうだとはおつしやらないでありましよう。だから私は質問はしませんが、私の結論だけは申しておきます。政府がどう考えられましようとも、私はそう考える。こういうように考える国民もおるということだけは、吉田さんも、また自由党の諸君もよくお考えください、それでよろしい。質問は致しません。そうして、こういうところに落されて、それで独立だ独立だといつておることが、はたしてほんとうに日本の独立のためになるかどうかということを、私は心から御反省を願いたいと思う。元来私ども国家の種類を―今私がここで講義する必要はありませんが、国家の種類を考えますと、一方において主権国があり、その反面において非主権国あるいは半主権国、不独立国というものがあるのであります。私はこのような條約の、すなわち安全保障條約というけれども、実際上の安全保障條約ではなくて保護條約である條約のもとに日本人が生きてゆかなければならぬようになつたときに、一体日本は主権国であるか、それとも非主権国でないとしましても半主権国、少くともこういうところに落されてゆくのではなかろうかという心配を私は持つのです。この憂慮は私だけが持つのでありますならば幸いでありますけれども、わからないからそう考えていないだけで、わかれば私と同じような心配を持つ国民がこれからどんどんとふえて来ると思う。私はそう考えざるを得ないのです。そこでこのような條約は―これは質問して答えは得られないと思いますけれども、私から見れば半独立国くらいに日本がなる條約にすぎないと思うのでありますが、念のために総理の御見解を聞いておきたいと思う。
田中委員長 この際ちよつと黒田君に申し上げます。総理大臣は四時からやむなき所用のために退席されるとのことでありますから、もう御承知のことと思いますがさよう御了承願います。
吉田国務大臣 私の言うことは、黒田君には承諾あるいは是認されないと思いますが、念のため申します。今度の安全保障條約は、日韓議定書ですか、それをお手本にしてつくつたものではなくて、全然新構想でつくつたものであります。先ほど申した通り、日本が独立する、その独立をどうして守るか、日本には防備はない、その真空を埋めるためにこの保障條約をつくつたのであつて、日韓議定書を調べてつくつたものではないのであります。また当時の日本政府の気持と申しますか、状態、あるいは朝鮮の状態と、日本の今日の状態とは全然違うので、われわれの将来が日韓併合と同じようなことになるとは、第一アメリカ政府がそういうふうに考えますまいし、われわれもまたされようとも考えませんから、この点は御安心になつてしかるべきものだと思います。
黒田委員 もとより吉田総理がおつしやいますように、日韓保護條約ができてそのあとに訪れた韓国の運命を、わが国が受けなければならぬようなことになろうとは私どもも考えておりませず、またそうならぬよう努力しなければならぬと思う。けれども今はあの当時よりもつと恐しい世界戦争というものがあるのです。あの時分にはこれほどの恐怖はなかつた、これほどの破壊のおそれはなかつた。けれども今やそういう我等のおそれがある。だから形の上で、必ずしも日韓保護條約が日韓保護協定になり、合併條約になつたというような途はふまなくとも、このような日韓保護條約的な條約の中に日本が引き込まれて行くと、日本の意思にあらずして外国と外国との戦争に巻き込まれる可能性を発生させるというようなことになつてしまう、そうなれば、この日韓保護條約の将来よりももつと恐ろしい将来が日本を訪れはしないかという心配もあり得るのであります。
 今日は私はなおいろいろと総理に御質問申し上げたいことがございますけれども、委員長の御注意もありましたし、次会に総理に対する質問の機会をもち得ることを希望いたしまして、今日はこの程度で終了いたします。」



「日韓議定書」と「日米安全保障条約(旧)」の全文を参考までに以下に示す。

日韓議定書 (1904年(明治37年)2月23日)

大日本帝国皇帝陛下ノ特命全権公使林権助及大韓帝国皇帝陛下ノ外部大臣臨時署理陸軍参将李址鎔ハ各相当ノ委任ヲ受ケ左ノ条款ヲ協定ス

第一条 日韓両帝国間ニ恒久不易ノ親交ヲ保持シ東洋ノ平和ヲ確立スル為大韓帝国政府ハ大日本帝国政府ヲ確信シ施政ノ改善ニ関シ其忠告ヲ容ルル事

第二条 大日本帝国政府ハ大韓帝国ノ皇室ヲ確実ナル親誼ヲ以テ安全康寧ナラシムル事

第三条 大日本帝国政府ハ大韓帝国ノ独立及領土保全ヲ確実ニ保証スル事

第四条 第三国ノ侵害ニ依リ若ハ内乱ノ為大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ而シテ大韓帝国政府ハ右大日本帝国ノ行動ヲ容易ナラシムル為十分便宜ヲ与フル事
2 大日本帝国政府ハ前項ノ目的ヲ達スル為軍略上必要ノ地点ヲ臨検収用スルコトヲ得ル事

第五条 両国政府ハ相互ノ承認ヲ経スシテ後来本協約ノ趣意ニ違反スヘシ協約ヲ第三国トノ間ニ訂立スル事ヲ得サル事

第六条 本協約ニ関聯スル未悉ノ細条ハ大日本帝国代表者ト大韓帝国外務大臣トノ間ニ臨機協定スル事


日米安全保障条約(旧) (1951年(昭和26年)9月8日)

 日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。
 よつて、両国は、次のとおり協定した。
第一条
 平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じよう{前3文字強調}を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。
第二条
 第一条に掲げる権利が行使される間は、日本国は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における若しくは基地に関する権利、権力若しくは権能、駐兵若しくは演習の権利又は陸軍、空軍若しくは海軍の通過の権利を第三国に許与しない。
第三条
 アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。
第四条
 この条約は、国際連合又はその他による日本区域における国際の平和と安全の維持のため充分な定をする国際連合の措置又はこれに代る個別的若しくは集団的の安全保障措置が効力を生じたと日本国及びアメリカ合衆国の政府が認めた時はいつでも効力を失うものとする。
第五条
 この条約は、日本国及びアメリカ合衆国によつて批准されなければならない。この条約は、批准書が両国によつてワシントンで交換された時に効力を生ずる。



(注)「敵ながら天晴れ」という言い方があるが、中野重治は吉田茂に対してそうも思っていなかった、政治家としてもほとんど評価していなかったようである。ご存じのように、中野重治は1947年からの3年余を日本共産党所属の参議院議員としてはたらいた。そしてこのことはさほど広く世の中に知られていないようだが、国会での中野重治の演説は他党派の議員にも楽しみにして待たれるほどに感銘ふかいものだったという話もきく。それは極小の範囲内でのことかも知れないが、全集第23巻の「国会演説集」を見ると、そのような高い評価もあながちえこひいきや社交辞令ではないのかも知れないという気もする。

さて、中野重治は自分が国会議員に就任してみると、他の文学者にぜひ国会に足を運んでほしい、観察に来てほしいと念じたようである。1949年に「国会と文学者」という題で「あすこへ来て実地を見れば、見ただけのことは必ずある、酒を一ぱい飲むぐらいのことは必ずあるのだから、文学者という文学者が、見物という程度でもいいから国会へ出て見るのがいいと思う。」としきりに来場を勧めている(おそらくその願いが実現することはあまりなかったのではないかと思うが。)が、そこで、吉田茂に触れている部分があるので、以下に引用しておきたい。

「吉田という絵理大臣なども、新聞に出る写真やなぞとはちがつて、倣慢だとか、一本気だとか、そんな人間でないことが文学者の手で描きだされる必要がある。文学者がものの二、三十分も見ていさえすれば、あれがどういう人間だかということが間違いなくわかつてくる。一本気どころか、三本気とも五本気ともつかぬ、古手外交官風の手管つかいに過ぎぬことが見えてくるのだが、そういうことは、やはり文学者の眼に頼るほかないように――我田引水か知らぬがわたしとして思う。」

吉田茂は今も戦後政治家のなかで言及されることの際立って多い政治家である。だが、書物などにおける多くの描写・叙述においてその行動や発言に何か真に傑出したものが見いだせるか、印象ふかいものが存在するかというと、私にはそのような経験は記憶になく、案外吉田茂の印象は希薄である。中野重治のこの指摘は的を射ているように思う。この吉田観とは対照的な方向で、参議院のある議員の風貌を中野重治は見事に活写さしている。この議員が誰なのか私は皆目見当もつかないのだが、もしご存じの方がいらしたら教えていただきたい。

「 参議院にやはり外交官あがりのからだの小さい議員がいる。むかしは何がし自由主義的な点のあつた人らしいが、モスクワでは日本人のあいだでチャボというあだ名があつた。背の低い人にありがちの、いつも背いつぱいの高さに見せようとしてピンと伸び切つた姿勢でやつているのがおもしろい。なかなか役者のようなところがあつて、演壇に立つて胸ポケットから老眼鏡を取りだしてかける仕草などは見事なもので、日本の作家であの真似のできるものは一人もなかろう。つまり、手で眼鏡を持つて、それを顔の鼻にかけるという段取りをちやんとやる――と言つただけで説明不十分とすれば、ポケットから眼鏡を取りだして、その眼鏡の方へ顔を持つて行かないで、眼鏡の方を鼻へ持つて行くといえばはつきりしようか。そのあいだじゆう、背の低いからだはいつばいに伸ばしたまま、首も伸ばしたまま――というよりは項をいつぱいに伸ばしたままの――だから鼻は、最初演壇に立つたときの位置からすこしも動いていない。右うでで眼鏡を取りだすと、それをそのまま前上へ突きだして行く。そこで眼のさき一尺ぐらいのところで一旦とめて、今度は肘をひと曲げして一直線に鼻へ持つて行く。動かぬ鼻、動かぬ胸ポケット、眼のさき一尺の空間の一点、この三角形の、鼻から胸ポケットへの線以外の他の二線を眼鏡が移動して行く眺めは見事なものだ。これ一つ見れば、この外交官あがりの男の性格がそこにむきだしになつていることがわかる。こういう眺めを知らずにすごすのは惜しいと思う。」
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2010.04.28 Wed l 中野重治 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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