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文芸評論家の三浦雅士氏に「漱石 母に愛されなかった子」という本がある。2008年刊行の岩波新書である。私はこれまで三浦氏の著作を読んだことはなかったが、「母に愛されなかった子」という題名に興味を惹かれて図書館の棚から手にとってみると、本文最初のページは次の文章で始まっていた。

「 漱石は母に愛されなかった子だった。少なくとも漱石はそう思っていた。そのことはたとえば『坊ちゃん』を読めばすぐに分かります。」(下線は引用者による。以下も同様)

下線を付した部分に私は驚いてしまい、「これはいけない!」と思った。そもそも漱石について「母に愛されなかった子」という表題を付けること自体、はて、そう言い切ってしまっていいのだろうか? と少し首をひねったのだった。というのも、漱石は『硝子戸の中』などで母親の思い出を書いたり、他のところでもふと母親の記憶に触れたりしているが、私の知る範囲でだが、母親の言動によって心が傷つけられたなどの辛い思い出、悪い記憶は一度も書いていないはずだ。たとえば、『硝子戸の中』には次の文章がある。

「母の名は千枝といった。私は今でもこの千枝という言葉を懐かしいものの一つに数えている。だから私にはそれがただ私の母だけの名前で、けっしてほかの女の名前であってはならないような気がする。幸いに私はまだ母以外の千枝という女に出会った事がない。/(略)/悪戯で強情な私は、けっして世間の末ッ子のように母から甘く取扱かわれなかった。それでも宅中で一番私を可愛がってくれたものは母だという強い親しみの心が、母に対する私の記憶の中には、いつでも籠っている。」

このように漱石は母親に対して「強い親しみの心」をもっていたと述べている。けれども一方、漱石は、生れ落ちてすぐに里子にやられ、8、9歳になって実家に呼び戻されるまで養父母の下で暮らさなければならなかった。随筆ふうの文章や自伝的小説と言われる『道草』などを読むと、このことは漱石にとって決定的に不幸なことであったに違いないと感じられるし、『硝子戸の中』には、

「私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいう話が、今でも折々は繰り返されている。」

とも書いているのだから、漱石はあるいは口にこそ出さないが、はっきり嫌っていた父に対してだけでなく、母に対してもある屈折した感情をもっていたかも知れない。三浦氏が漱石について「母親に愛されなかった子」という見方をするのならそれもまるっきり理解できないというわけではない。この本が表題を支えるだけの充実した内容と説得力を持ちえれば、むしろこの主題は興味ふかいことであり、漱石の人物および作品の評論・研究としても意味があるのではないかと思う。しかしながら、書き出しがこれでは…。

『坊ちゃん』は自叙伝でも随筆でも歴史小説でもなく、小説である。作家が想像力をもって自由に構想し、事実に脚色をくわえて創作する小説を解読することにより、その著者が母に愛されなかった、少なくとも著者はそう思っていた、ということの証明がなされるなど、論理上からいっても考えられないことである。

たとえばスタンダールの『赤と黒』という作品はよく知られているとおり父親に憎まれ虐待されて育つ主人公をもつ。その主人公・ジュリアンも父親を憎悪している。一方、『赤と黒』の作者であるスタンダール自身も父親を心底から嫌っていて、このことは本人が『アンリ・ブリュアールの生涯』他でことあるごとに書いている。だから作者自身の父子関係があの『赤と黒』という作品のジュリアン父子に反映しているであろうという推測は十分可能だし、現実に多くの研究者や読者がそのような指摘をしている。しかし、そうだからといって、スタンダールの親子関係の実態は、『赤と黒』を読めば分かる、などということは決して言えないはずのことである。スタンダールは自分が父親の養育によってどれほど酷い目に遭ってきたかということを生涯をとおして力説していたが、16歳で故郷を離れパリに向かうとき乗合馬車に乗り込んだ息子を見て父親は涙を流しているが、一方息子のほうはその父親の顔を醜いと感じた、という感想を述べている。人によっては、このような我が儘かつ薄情な息子をもった父親こそ本当に気の毒だと感じるのではないだろうか。スタンダール自身の認識とも『赤と黒』に描写されている親子関係の内容とも異なって。

このように、小説のなかのある人間関係から作者をはじめとした登場人物の実生活における意識や実態を想像したり推測することは自由だし、ある程度まで可能なことではあるだろうが、しかし、ことの性質上、決してそれは確言はされえないことのはずである。これはどのような作品と作家の関係についても言えることだと思う。作者個人の実生活上のある秘密なり感情なり事実なりの実在の証明が、その作家の作品の検討によって論証しえた実例がこれまでにもしあったのだとしたらそれを教えてほしい。

以上の問題は小説という文学形式の原則に関わっての疑問だが、次は、『坊ちゃん』という小説の内容に即しての三浦氏への疑問である。これまで私は『坊ちゃん』をおそらく7、8回は通読していると思うが、その読後感からすると、確かに、父親にしろ、母親にしろ、「坊ちゃん」に対して厳しいし、決して温かいとは言えないとは感じる。むしろ冷たいのではないかとも思う。しかし、「坊ちゃん」があまりにも無鉄砲で日常的に心配をかける息子であることも事実であろう。なにしろ隣近所から「悪太郎」と呼ばれているくらいなのだ。親は心配や責任感などで気苦労が絶えず、そのために甘い態度は見せられなかったのだという見方もできるだろう。いずれにせよ、「漱石は母親に愛されなかった、少なくとも漱石はそう思っていた」ことが、『坊ちゃん』を読めば、理解できるなどということはまったくないと思うし、三浦氏の断言は理解しがたい。

三浦氏は、自分の述べていること――漱石は母親に愛されなかった、少なくとも漱石はそう思っていた――を証明しようとして、作品から文章を多数引用し、解説にこれつとめているのだが、それはことごとく空回りしているように思えた。たとえば、坊ちゃんが母親の死に目に会えなかったことについて、三浦氏は次のように述べている。

「 母が病気で死ぬ二、三日前、台所で宙返りをしてかまどの角で肋骨を打って大いに痛かった。母がたいそう怒って、おまえのようなものの顔は見たくないと言うから、親類へ泊まりに行った。その泊まりに行っているあいだに母が死んだ、というのです。怒ったときに顔も見たくないというのは、怒りの強さを示すひとつのレトリックにすぎない。親がそういうレトリックを使うことは誰だって繰り返し体験することであって、誰もほんとうにそうだと思いはしない。ところが坊っちゃんは、そのレトリックを言葉通りに受け取って、病人の母を置き去りに、じゃあ、目の前から消えてやるよ、とばかりに親類の家に泊まりに行ったわけです。いささか穏やかではない。拗ねている、僻んでいると受け取られてもしようがない行動である。
 本人もそれを認めている。そう早く死ぬとは思わなかったと書いているからです。そんな大病ならもう少しおとなしくすればよかったと思いながら帰ってきた、と。これは乱暴もいたずらも父母の気を惹くための行為だったと認めているようなものだ。

母親に「おまえのようなものの顔は見たくない」と叱られて親類の家に泊まりに行ったことをもって坊ちゃんが「拗ねている、僻んでいる」と断定することはとうてい無理だと思うし、「じゃあ、目の前から消えてやるよ」というような心理や発想は、坊ちゃんの性格から遠くかけ離れていると感じる。しかし、三浦氏は、これこそが坊ちゃんのあらゆる行動の真の動機だと捉えているようである。この場合だけではなく、やがて物理専門学校を卒業した後教師として赴任する四国の中学校での坊ちゃんの行動もすべて「じゃあ、目の前から消えてやるよ」という拗ね、僻みという心理が原動力になっているというのである。この「じゃあ、目の前から消えてやるよ」という発想については後でまた取り上げることになると思うが、さらに、「これは乱暴もいたずらも父母の気を惹くための行為だったと認めているようなものだ。」という見解にいたっては、どうしてこういう解釈ができるのかまったく理解できない。これでは、坊ちゃんが友達にからかわれて西洋ナイフで指を切ったのも、「弱虫やーい。」と囃し立てられて学校の二階から飛び降りたのも、動機は親の気を惹くための行動だったということになる。三浦氏の読解をさらに見てみる。

「で、帰ってきたその坊っちゃんのことを兄が親不孝者だとなじる。母の寿命を縮めたのはおまえだというわけです。坊っちゃんとしては口惜しい。愛されていると信じたい、そのことを確かめたくてしたことが、ことごとく裏目に出てしまうから口惜しい。口惜しくて悲しくてたまらないのは自分のほうだ。そこで兄の顔を殴ってしまう。また叱られる。
 面白おかしく書いているので、こちらもつい軽快に読み飛ばしてしまうが、ことは母の臨終にまつわることである。考えてみれば、ずいぶん深刻な話なのだ。じっさい、漱石自身、親類の家に泊まりに行って母の臨終に立ち会っていないのです。親類へ行っていて立ち会えなかったと、後年になって書いている。もちろん仔細が書かれているわけではないが、しかし心理的にはこれにたぐいすることがあったと十分に想像できる。短いながら、『坊っちゃん』には心理の機微がきちんと書かれているからです。
 事実はどうであれ、漱石はここで、坊っちゃんを借りて、自分の母への心理的なこだわりを書いているのだと言っていい。

坊ちゃんが親類の家へ泊まりに行くことになったのは、「台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨を撲っ」て、母親に、おまえの顔は見たくないと言われたからだが、この宙返りをも三浦氏は、坊ちゃんが「愛されていると信たい、そのことを確かめたくてしたこと」だと言っているようである。漱石が実母の臨終に立ち会っていないことを私は今回三浦氏の上述の文章ではじめて知った。だとすると、これは作品と実生活の出来事とが一致していることになるのだから、漱石のどの作品にこの事実が書かれていて、どのような内容の文章なのかをここで紹介してほしかった。そうすれば三浦氏の論証の説得力がいくらかでも増したのではないかと思う。また三浦氏は、漱石の実生活に「心理的にはこれにたぐいすることがあったと十分に想像できる。」と書いている。つまり、三浦氏は、漱石の母が死去した際に漱石が親類の家に行っていたのは、『坊ちゃん』の場合と同じように、母親に叱責されて、という事情があったのではないかと推測しているわけだが、その推測の根拠は、「『坊っちゃん』には心理の機微がきちんと書かれているから」だと言う。しかし、母親の死に際して『坊っちゃん』に描かれている文章は、次のとおりである。

「そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜しかったから、兄の横っ面を張って大変叱られた。」

簡潔な文章であり、自然なあっさりとした書き方だと思う。これでどうして、漱石が『坊っちゃん』と同じ心理的経験をしたに違いないとまで言えるのか不思議である。まして、この場面によって、「漱石はここで、坊っちゃんを借りて、自分の母への心理的なこだわりを書いているのだと言っていい」とまで述べられたのでは、それがどのような性質の「心理的こだわり」なのか三浦氏が何も書いていないので、読者の私は戸惑うばかりである。

そういう母への心理的なこだわりが、逆にその正反対とも言える清という下女のイメージをかたちづくったと言えます。清のような老女が周辺にいたのかもしれない。あるいは、実母自身のなかにそういう一面がじつはあったのかもしれない。それを拡大したのかもしれない。けれど、それを取り出してひとつの明確なイメージにまで高めるためには、それなりのエネルギーを必要とします。母の一面をむやみに拡大するにもエネルギーがいる。その出所は母への心理的なこだわりの強さ以外には考えられない。漱石は母に対してわだかまりがあったのだと考えるほかない。

清に限ったことではないが、作家が明確な性格と輪郭をもった一人の人間を創造するには、確かにエネルギーがいるだろうと思う。清はたいそう魅力と存在感のあるおばあさんだから、尚更そうだったかも知れない。しかし漱石によるこういう人物造形の出所がなぜ「母への心理的なこだわりの強さ以外には考えられない」のかが分からない。三浦氏は自分がそのように考える理由を他人が理解できるようきちんと説明すべきであろう。その他、

「清の話が出てくるそのつど、坊っちゃんは父母の情愛には恵まれなかったんだ、少なくとも本人はそう思っていたんだと思わせるわけです。母への心理的なこだわりが清を生んだと言わざるをえない。

という表現を見ても同じ感想をもつ。もっとも、三浦氏も読者からこれまで私が述べてきたような反論がくることは予想していたようで、

「 漱石は母に愛されなかった子だ、少なくともそう思っていた、そのことは『坊っちゃん』を読めば分かると述べて、坊っちゃん自身の、おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった、母は兄ばかり贔屓にしていた、という有名な台詞を引いたわけですが、坊っちゃんがそうだからといって漱石もそうであるとは限らない。小説と現実は違う。漱石自身の体験、教師として松山中学に赴任した体験をもとにしたとはいえ、『坊っちゃん』はあくまでも小説、つまり作り話である。証拠にはならないと反駁されるかもしれない。

と述べている。ところが、このような(読者からの)反駁に対する三浦氏の説明は次のとおりである。

「 しかし、四国に赴任してからの坊っちゃんの行動は、おしなべて、母の臨終のときに坊っちゃんがとった行動の焼き直しなのだということになれば、話はまた違ってくるでしょう。いたずらをしたら母がたいそう怒って、おまえのようなものの顔は見たくないと言うから、じゃあ、消えてやるよ、とばかりに親類の家へ泊まりに行った、その泊まりに行っているあいだに母が死んだというエピソードの、基本的には繰り返しであるということになれば、これは作者自身のわだかまりを反映していると考えるほかない。」

三浦氏は、最初のほうで引用したように、母親に叱られて親類の家に泊まりに行った坊ちゃんの行動は、母親に愛してもらえないために拗ね、僻んで「じゃあ、消えてやるよ」というごとき心理に支配されたものであると述べていた。そして四国の中学校における坊ちゃんの行動もその「焼き直し」である、つまり天麩羅事件に関しての教室での振る舞いやバッタ騒ぎや赤シャツとの戦いの際の坊ちゃんの行動は母親の臨終の際の反復だと述べているわけである。それは、坊ちゃんの「じゃあ、消えてやるよという、潔くもあれば捨て鉢でもある」母親に対しての構えであり、そのような「母に対してとった構えが習い性になってしまったところから出ている」とのことである。

「潔くもあれば、捨て鉢でもある」と三浦氏は書いているが、「潔い」ことと、「捨て鉢」であることは、似て非なるものである。これまで三浦氏が坊ちゃんの行動の原因について説明を重ねてきた、「拗ね」「僻み」「じゃあ消えてやるよ」というような発想・心理は、「捨て鉢」とは結びついても、「潔さ」とは逆の性格のものであろう。これがごく普通の一般的な言葉の理解ではないだろうか。

三浦氏は、坊ちゃんが校長の「生徒の模範になれとか徳を及ぼせとか言う」訓示に対し、とても言われたとおりにはできないからというので辞令を返そうとする行為についても、「母親に愛されなかった子」としての「拗ね、僻み」による「じゃあ、消えてやるよ」という心理のせいにして説明している。しかし、これは、学校出たてで世間知らず、もともと正直で単純な心の持ち主である坊ちゃんが、校長の話を大まじめに受けとめたからだろう。この反応は、「じゃあ、消えてやるよ」などという拗ねた心性とは正反対のものであることは誰が読んでも明らかだと思うのだが、三浦氏は次のように言う。

「『坊っちゃん』という小説の全体が母の臨終での一件の繰り返しだというのは、相手の台詞を言葉通りに受け取ってみせるところだけに表われているわけではない。母への心理的なこだわりは、結局、母が自分をどう見ているか、どう評価しているかということへの関心の強さから生まれているわけですが、坊っちゃんは中学の教師や生徒が自分をどう見ているか異常にこだわっている。自分がどのように見なされ、どのように扱われるかということにじつに過敏に反応する。自意識過剰と言ってもいいほどです。そのほうがさらに重要な、母の臨終での1件の繰り返しである。」

このような見方をする三浦氏は、坊っちゃんが、

「他の教師に聞いてみると教壇に立って一カ月くらいは自分の評判が良いか悪いか非常に気にかかるそうだが、自分はいっこうにそんな感じはなかった。」

と述べていることについても、それは「実際の行為とはまるで矛盾する」と決めつけている。私には、三浦氏のこの発言こそ不可解である。坊ちゃんの「自分の評判が良いか悪いか」気にかからなかったという発言がどの行為とどのように矛盾するのかが不明なのである。三浦氏はあらゆる坊ちゃんの行動を「母に愛されなかった子」という自ら設定した命題に結びつけなければならず、自分のその観念に脅迫されてなんでもかんでも強弁しなければならない羽目におちいっているのではないか。坊ちゃんの行動は、校長、赤シャツをはじめとした同僚教師、生徒、下宿のおばあさんなど、接する相手の行為や言動に対していつも健全に反応していると思う。その性格は単純率直、正義感の横溢した清新な魅力に富んでいて、「拗ね、僻み」などの暗い感情とは縁遠いのではないだろうか。もっとも、作品全体の基調は決して単純でも一概に明るくもないので、そのことと坊ちゃんの性格・行動とがあいまって、いまだに広く読まれているのではないだろうか。三浦氏は『坊ちゃん』のおもしろさ、魅力がどこにあると考えているのだろう。

前に述べたように、漱石は、母の千枝という名前がほかの女の名前であってはならない気がするほどに母の名である千枝という言葉を懐かしく感じていると書き、また、

「悪戯で強情な私は、けっして世間の末ッ子のように母から甘く取扱かわれなかった。それでも宅中で一番私を可愛がってくれたものは母だという強い親しみの心が、母に対する私の記憶の中には、いつでも籠っている。愛憎を別にして考えて見ても、母はたしかに品位のある床しい婦人に違なかった。そうして父よりも賢こそうに誰の目にも見えた。気むずかしい兄も母だけには畏敬の念を抱いていた。」

と述べて母親への敬愛の念を吐露しているのだが、三浦氏にかかると、このように漱石が母を褒めていることの理由は、「私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云った」ことや、最初の養子先が古道具の売買を渡世にしていた貧しい夫婦ものであったこと、そのために漱石はその道具屋の我楽多といっしょに、小さい笊の中に入れられて、毎晩四谷の大通りの夜店に曝されていた、ことなどを書いて発表したので、世間に「これだけでは不人情な母と思われかねないと思った」からであろう、と述べるのである。このような三浦氏の態度は、単なる邪推とつまらない揚げ足取りの域を出ておらず、そのために最初の意図がどうあれ、三浦氏の書くことは漱石の作品の魅力の源泉を涸らす役目をになう結果になってしまっているのではないかという気もする。また上の引用文において漱石が「愛憎を別にして考えて見ても」という言葉を記していることについても、三浦氏は、次のように述べている。

「 文面からは漱石が母に愛されていなかったとは思えない。少なくとも、相互に悪い感情を持っていたとは思えないわけだが、だからこそ逆に、なぜ里子に出し養子に出したのかという疑問がいっそう強められただろう。それが、愛憎を別にして考えてみても、という、ふつうならばあまり挿入しないだろう言葉に込められた意味ではないか。」

漱石は、「宅中で一番私を可愛がってくれたものは母だという強い親しみの心」が自分のうちにあることを述べたすぐ後で、「愛憎を別にして考えてみても」と書いている。これは、三浦氏の判断とは異なり、家の中で自分にもっとも愛情をかけてくれたのが母だったからという私情による依怙贔屓の感情によって母を「品位のある床しい婦人」と述べているのではない。漱石はそう言いたいがために、わざわざ「愛憎を別にして考えてみても」とことわっているのではないかと思う。

その他、三浦氏は、漱石が『一貫したる不勉強』と題された談話のなかで「二松学舎」に通っていた時分に「毎日弁当を持って家を出るが学校には行かずに道草を食って遊んでいた」と語っていることに対して、漱石は「登校拒否者だった」「いわば命がけで登校拒否していたのである。」とまたまた根拠もなく決めつけている。漱石が中学を中退した後、大学予備門に入るまでの経緯についてはこれまでも多くの人が不思議がってそれぞれの推測を書いている。しかし三浦氏のような断定の仕方をした人を私はこれまで見たことがない。それは、これまでの論者がはっきり分からないことを分かったかのように書いてはならないというもの書きとしての最低限の節度をわきまえていたからであろう。

岩波書店の「漱石全集」は「世界に冠たる」(藤枝静男)全集として知られている。漱石没後間もなく始まった全集出版には、漱石の門下生が中心となって相談が始められ、内田百聞も森田草平とともに校正に携わったそうである。その百聞の『実説艸平記』によると、全集校正にあたって、まず、漱石の仮名遣い、送り仮名、用字の癖などを調べ、それに則った「漱石文法」を作成したそうである。そのような準備を整えて仕事に取りかかったにもかかわらず、「実際の場合にぶつかると、それがしょっちゅうぐらつく」。ときには七校も八校も取るようなことになり、岩波からは頻りに進捗させてくれと言ってきたそうである。それについて、百聞は「遅れる責めは重重こちらにあるとしても、だからこちらが悪いのだからと云ふので、漱石先生の全集に、これではいけないと思ふ所をその儘にして校了にするわけには行かない。」「だれに迷惑を掛けようと、発行日が少少どうならうと、この全集に承知の上で誤りを遺す事は出来ないと云ふのが十三号室(引用者注:校正室)のみんなの本心であった」と記している。その時には岩波書店は少々このような校正のやり方に困っただろうが、少し長い目でみると結局そのほうが想像を絶するほどに得(徳とも言える)なのである。岩波書店の信用は何よりも漱石全集によって作られたと聞いたことがある。

今も「漱石全集」を発行しつづけている岩波書店だが、編集者は、たとえば「漱石は母に愛されなかった子だった。少なくとも漱石はそう思っていた。そのことはたとえば『坊ちゃん』を読めばすぐに分かります。」という冒頭の言葉に疑問を感じなかったのだろうか。
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2010.05.09 Sun l 文芸・読書 l コメント (3) トラックバック (0) l top

コメント

も一回よく読んで。そんな風に揚げ足を取られるほど三浦雅士は一貫して浅い批評はしてきてないから。それと論文と批評は違うものだから。そこんとこお願い。
2011.10.19 Wed l ぺい. URL l 編集
Re: タイトルなし

ぺい様 コメントをありがとうございます。

>も一回よく読んで。

読むのはかまわないですが、どういう目的で何に注意しても一回読んだらいいのかが分からないので困ります。

>そんな風に揚げ足を取られるほど

ブログをちょっと読み返してみましたが、確かにやたらくどくどと書いてますね。それでよけい「揚げ足取り」に見えるのかも知れません。

三浦氏の作品を読んだのは初めてですが、

「 漱石は母に愛されなかった子だった。少なくとも漱石はそう思っていた。そのことはたとえば『坊ちゃん』を読めばすぐに分かります。」

という書き出しがそもそも間違いの元だったという意見を変えようはないんですね。

「母親に愛されなかった子」「拗ね、僻み」「じゃあ、消えてやるよ」というような見方を全否定はしていません。しかし、初めから坊っちゃんの性格をそのように決めつけてしまったため に、清が坊っちゃんに対して言う「あなたは真っ直でよいご気性だ」との印象深い言葉や、「清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って 人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないの かと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様 が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男 だ」というような清々しい坊っちゃんの性格などについて三浦氏は適切な批評ができなくなっているように思います。これでは一流の批評とは言えないでしょう。このことを、著者も編集者も問題にしないで出版に踏みきったことは私にはやはり驚きです。

それからこれは三浦氏以外の人は書いていないのではないかと思うのですが、「 漱石自身、親類の家に泊まりに行って母の臨終に立ち会っていないのです。親類へ行っていて立ち会えな かったと、後年になって書いている。もちろん仔細が書かれているわけではないが、」という件には、漱石好きの読者は関心を持ち、詳しく知りたいという気になりますので、こういうところにも神経を遣ってほしかったと思います。少し前の作家はこういう点での抜かりはあまりありませんでした。

せっかくコメントをくださったのに、ご期待に沿うお返事ができなくてすみません。三浦氏には心機一転また漱石に挑戦してほしいと思います。
2011.10.20 Thu l yokoita. URL l 編集
真摯に、律義に追うと確かにこの本雑駁過ぎる気もします。良い悪いはおいておいて、この人は何を語っても自身の主題に行き着くところがあって、私にはそれが愛おしかったりします。「私」ってなんぞや?って問いに掴まれてしまっており、一生かけてその問いを生きているような人です。頭が良い批評家さんは犬の糞ほどおりますが、傍観者として文化を嗜む輩と違って、この人の批評には苦々しくも三浦雅士の宿命が顔を出してしまいます。その仕方なさ、その切実に毎度息が詰まります。良き一日を!
2011.11.05 Sat l ぺい. URL l 編集

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