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前回、三浦雅士氏の「漱石 母に愛されなかった子」という本の感想を批判的に書いたが、言いたかったのは、漱石自身が母に愛されなかったというつよい潜在意識をもっていたという三浦氏の断定には説得的な根拠がほとんど示されていないではないかということであった。特にいただけないと思ったのは、『坊ちゃん』というフィクションの主人公の行動を通して漱石の心理と行動を説明し、自分の言い分の正当性を証明しようとしている姿勢であった。

『坊ちゃん』は、夏目漱石が初めて書いた小説である『我輩は猫である』と同時期に、『猫』と同じく「ホトトギス」に発表された作品である。『猫』は1905年(明治38年。ということは日露戦争の最中である。)1月号から翌1906年の8月号までの連載。『坊ちゃん』は20日程で一気呵成に書かれ、1906年4月号に一挙掲載されている。「『坊ちゃん』の載った号には『我輩は猫である』の第10章も載った」(高橋英夫)そうだから、当時の漱石の創作力がどんなに旺盛で豊かだったかが分かる。

漱石は、芥川龍之介の『鼻』を本人に宛てた手紙に「落ち着きがあって、ふざけてなくって、自然そのままのおかしみがおっとり出ているところに、上品な趣があります。それから材料が非常に新しいのが眼に付きます。文章が要領を得て、よく整っています。」と書いて若い芥川を感激させたが、この手紙の文面は、そのまま『坊ちゃん』にも当てはまるように思う。『坊ちゃん』は作品全体が簡潔であり、活き活きした魅力にあふれているので、おもしろみもおかしさも「おっとり」しているというより、読者をして声をあげて笑い出させることが多いが、それでも清や下宿のおばあさんと坊ちゃんとの会話には「おっとり」したおかしみもあるように思う。これから、『坊ちゃん』のなかから魅力がある、おもしろいと私が思う場面を以下に引用し、感想を書いてみる。(下線はすべて引用者による。)

「校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。(略)到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。

漱石は帝国大学英文科を卒業して高等師範学校に就職することになるが、1914年(大正3年)の講演『私の個人主義』によると、実は卒業を控えて漱石には高等学校と師範学校の双方に口があり、結果的に漱石は両校に承諾を与えるような格好になってしまったそうだ。事が面倒になり、困った漱石は、いっそ両方とも断ってしまおうかとも思ったそうである。結果的には、師範学校に赴任することになるわけだが、校長の嘉納治五郎と面会したときの様子を次のように述べている。

「私は高等師範などをそれほどありがたく思っていなかったのです。嘉納さんに始めて会った時も、そうあなたのように教育者として学生の模範になれというような注文だと、私にはとても勤まりかねるからと逡巡したくらいでした。/ 嘉納さんは上手な人ですから、否そう正直に断わられると、私はますますあなたに来ていただきたくなったと云って、私を離さなかったのです。こういう訳で、未熟な私は双方の学校を懸持しようなどという慾張根性は更になかったにかかわらず、関係者に要らざる手数をかけた後、とうとう高等師範の方へ行く事になりました。」(『私の個人主義』)

四国の中学校での校長と坊ちゃんとの辞令を前にした会話はすこぶるおもしろいが、これは漱石自身の経験がモデルだったわけだ。寄宿生から宿直中の布団にバッタを入れられ、一晩中寝ずに生徒たちと談判した後の坊ちゃんと校長の会話にも妙味がある。校長に「あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業に及ばん」と言われた坊ちゃんは、「いえ、ちっとも心配じゃありません。こんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業はやります、云々」と答えるのだが、

校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分はれていますよと注意した。なるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面痒い。蚊がよっぽと刺したに相違ない。おれは顔中ぼりぼり掻きながら、顔はいくら膨れたって、口はたしかにきけますから、授業には差し支えませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねと賞めた。実を云うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。」

下線を付した部分の校長の態度、言葉にはなんともいえない渋い味わいがあると思う。また、坊ちゃんも、校長は自分をひやかしたのだとちゃんと感じとっているところはなかなかのものだと思うのだが、このように、坊ちゃんは決して一本調子の人間ではない。感情の機微の感じ取り方はいつもたいへん正確だし、人との対応は意外に大人である。たとえば下宿のおばあさんと交わす坊ちゃんの会話は年齢にしては巧みである。坊ちゃんは清の手紙を待っていて、時々おばあさんに「東京から手紙は来ませんか」と尋ねてみるのだが、おばあさんは「何にも参りません」と気の毒そうな顔をするが、時々部屋にやって来ていろいろな話をする。

「どうして奥さんをお連れなさって、いっしょにお出でなんだのぞなもしなどと質問をする。奥さんがあるように見えますかね。可哀想にこれでもまだ二十四ですぜと云ったらそれでも、あなた二十四で奥さんがおありなさるのは当り前ぞなもしと冒頭を置いて、どこの誰さんは二十でお嫁をお貰いたの、どこの何とかさんは二十二で子供を二人お持ちたのと、何でも例を半ダースばかり挙げて反駁を試みたには恐れ入った。それじゃ僕も二十四でお嫁をお貰いるけれ、世話をしておくれんかなと田舎言葉を真似て頼んでみたら、お婆さん正直に本当かなもしと聞いた。
「本当の本当のって僕あ、嫁が貰いたくって仕方がないんだ」
「そうじゃろうがな、もし。若いうちは誰もそんなものじゃけれ」この挨拶には痛み入って返事が出来なかった。
「しかし先生はもう、お嫁がおありなさるに極っとらい。私はちゃんと、もう、睨らんどるぞなもし」
へえ、活眼だね。どうして、睨らんどるんですか
「どうしてて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ち焦がれておいでるじゃないかなもし」
こいつあ驚いた。大変な活眼だ
「中りましたろうがな、もし」
「そうですね。中ったかも知れませんよ」
「しかし今時の女子は、昔と違うて油断が出来んけれ、お気をお付けたがええぞなもし」
何ですかい、僕の奥さんが東京で間男でもこしらえていますかい
「いいえ、あなたの奥さんはたしかじゃけれど……」
それで、やっと安心した。それじゃ何を気を付けるんですい
「あなたのはたしか――あなたのはたしかじゃが――」
「どこに不たしかなのが居ますかね」 」

24歳で結婚するのは珍しくないと半ダースの例をあげるおばあさんの様子も眼前に見るように活き活きしていて感嘆するが、「へえ、活眼だね。どうして、睨らんどるんですか」、「何ですかい、僕の奥さんが東京で間男でもこしらえていますかい」という坊ちゃんの受け答えを見ると、話の内容は悠々としていて、態度は練れている。二人の会話を聞いているうちに、このおばあさんと清との共通点も相違点も自然と理解され、この場面も一度読んだらまず忘れられない。おばあさんは、坊ちゃんをこの下宿に紹介したもの静かなうらなり先生とマドンナと教頭の赤シャツ、この三人の間に起きている悶着の詳細をも坊ちゃんに話してきかせる。この日から数日後、偶然停車場で見かけた坊ちゃんが「全く美人に相違ない。何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみたような心持ちがした」と形容することになるマドンナはうらなり先生の婚約者だそうだ。

「「ところが、去年あすこのお父さんが、お亡くなりて、――それまではお金もあるし、銀行の株も持ってお出るし、万事都合がよかったのじゃが――それからというものは、どういうものか急に暮し向きが思わしくなくなって――つまり古賀さんがあまりお人が好過ぎるけれ、お欺されたんぞなもし。それや、これやでお輿入も延びているところへ、あの教頭さんがお出でて、是非お嫁にほしいとお云いるのじゃがなもし」
「あの赤シャツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。それから?」
「人を頼んで懸合うておみると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事は出来かねて――まあよう考えてみようぐらいの挨拶をおしたのじゃがなもし。すると赤シャツさんが、手蔓を求めて遠山さんの方へ出入をおしるようになって、とうとうあなた、お嬢さんを手馴付けておしまいたのじゃがなもし。赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてて、みんなが悪るく云いますのよ。いったん古賀さんへ嫁に行くてて承知をしときながら、今さら学士さんがお出たけれ、その方に替えよてて、それじゃ今日様へ済むまいがなもし、あなた」
全く済まないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行ったって済みっこありませんね」」

おばあさんの話を聞き、「それじゃ今日様へ済むまいがなもし、あなた」と言われた坊ちゃんは「全く済まないね」と即答し、つづいて「今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行ったって済みっこありませんね」と言葉を重ねるが、こういう感じ方、考え方が坊ちゃんの真骨頂であろう。私の知るかぎり、『坊ちゃん』を最も数多く読んでいる人は、作家の大岡昇平である。中学1年で初めてこの小説を読んだという(偶然にも私が初めて読んだのも中学1年の時であった。)大岡昇平だが、1966年、朝日新聞に「私は若いころからスタンダールをやっていて、『パルムの僧院』を二十遍以上読んでいる。ところで漱石の「坊っちゃん」の方は、多分その倍ぐらい読み返しているのである。」と書いている。二十遍の倍となれば四十遍。大岡昇平が死去したのは1966年から22年後の1988年だから、その後再読はさらに重ねられたことだろう。大岡昇平のこの文章には「主人公は、あまり知恵はないが、正義感に満溢した快男子である。人生の不正と欺瞞は、その美しい心情の反応から、立ちどころに裁かれる。」と書かれている。「全く済まないね」というおばあさんへの即座の返答も「美しい心情の反応」の一つであることは間違いないだろう。

さて、バッタ事件である。

「 おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま腕まくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎掃き出してしまって一匹も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜へ棄ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた。「篦棒め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まえてなもした何だ。菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼んだ」
「誰も入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
イナゴは温い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ
「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」
「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」

漱石が少年のころから落語好き、講談好きだったことは有名だが、「あしたになりましたらもっと拾って参ります」にはじかに落語の一節を聴いているような愉快さがある。「菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」という坊ちゃんの駄洒落はあまり冴えていないように感じるので、ここでは「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」という生徒のツッコミの方が鋭くはある。(笑)。 

生徒のこのへらず口の叩き方を見ていると、『我輩は猫である』において艶書事件の相談をもって苦沙弥先生を訪ねてきて「下を向いたぎり何にも言わない」中学生の古井武右衛門が彷彿としてくる。あそこには「元来武右衛門君は中学の二年生にしてはよく弁ずる方で、頭の大きい割に脳力は発達しておらんが、喋舌る事においては乙組中鏘々たるものである。現にせんだってコロンバスの日本訳を教えろと云って大に主人を困らしたはまさにこの武右衛門君である。」という叙述があったが、この中学生たちも何かやむをえない相談事が生じたために一人で坊ちゃんの下宿を訪ねなければならない事態におちいったとなると、きっと武右衛門君と同じような悄然とした態度をとるに違いない。しかし今は集団だから、「イナゴは温い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」などとどこまでも「やに落ち着いた」態度を押し通そうとするので、坊ちゃんの怒りはさらにカッカと燃え上がることになる。

と、こんなふうにだらだら書いていくときりがないのでこのくらいにしておくが、今回『坊ちゃん』を読み返して、私はこれまで以上に作品に魅力を感じた。坊ちゃんの率直なものの感じ方、行動に尊いものを感じるのだ。これは時代のせいだと思うが、また作者の漱石をこれまで以上に好きだと感じた。他の作品もぼちぼち読み返してみたい。
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2010.05.13 Thu l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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