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文集「真実は壁を透して」は、1951年12月、松川事件の被告人20名が福島地方裁判所により5名の死刑(杉浦三郎・佐藤一(以上、東芝労組)、鈴木信・本田昇・阿部市次(以上、国鉄労組)、5名の無期刑を含む全員有罪判決を受けた後、月曜書房という出版社から刊行されたという。詩や手記や自分たちの無実を訴え救援を呼びかける文など形式はさまざまだが、20名全員の寄稿文によって構成されている。そのなかから今日は4つの文章を掲載する。筆者は二階堂武夫(事件当時24歳)、赤間勝美(同19歳)、菊地武(同18歳)、杉浦三郎(同47歳)という人たちで、赤間被告は国鉄労組側の人、残り3名は東芝労組側の人である。杉浦氏は全被告のなかで最年長、長い裁判を通して終始一貫、被告団長を務められた。赤間被告の場合は、「赤間自白なくして松川事件なし」とまで言われたほど、警察・検察から膨大な分量の自白調書をとられている(死刑を宣告された人たちは全員取調べ段階から一貫して犯行を否認しているので、彼らが言い渡された死刑判決の根拠はほぼすべて矛盾に満ちた赤間被告の調書のみに拠っている。取調べの捜査陣も若い人のほうが与しやすしと見て赤間被告らに徹底攻撃をかけたのは間違いなかったようである)。杉浦被告の文章は面会に訪れた支援者に宛てた手紙の写しだが、二階堂、赤間、菊地被告ら3人の文章は「被告人控訴趣意書」の写しである。

自宅に送られてきたこの文集を偶然読んだ広津和郎が「嘘では書けない文章だと感じた。特に赤間君の文章に対してそう感じた。」と述べたのは有名だが、実は小説家の武田泰淳もこの文集の感想として「被告たちは本当のことを言っていると思う。」(「真実は壁を透して」改訂版) と述べている。特に、二階堂被告の「ビラ書きの夜」のリアリティについて、「もしこれが創作、作り話だとしたら、二階堂被告は異常な才能をもつ小説家ということになる」というおもしろい読後感を寄せている。経験をありのままに平静に正確に叙述した文章の説得力にまさるものはないということなのだろう。

事件の起訴事実だが、「器具窃取罪」が若い被告3名(東芝側の小林・菊地・大内の3被告が線路破壊に使用されたスパナとバールを松川駅倉庫から盗み出したというもの。事件発生の同時刻における自分たちの行動を綴った「ビラ書きの夜」という二階堂被告の手記にこの件が出ている。)に認定されている他、すべての被告に対して付きつけられたのが「共同謀議」、あるいは「共同謀議実行」という罪名であった。

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 ビラ書きの夜  二階堂武夫

 事件のおきる前の晩、八月十六日、私と二階堂ソノさん、小林、大内、浜崎、菊地の六名は宣伝ビラ作製のため、組合事務所(東芝松川)において深夜までの仕事を続け、そしてその夜は事務所に泊ったのであるが、このことが本件と結びつけられ、今日のごとく極刑をうける対象となっている。判決文によれば、この夜十時半頃、小林、大内、菊地の三君が、松川駅線路班よりバールとスパナを盗み出し、この盗み出し成功を祝して六名で労働歌を合唱し、志気を鼓舞し、その後(十七日)午前零時半頃、組合事務所に佐藤一氏が単身やってきて我々と雑談をなし、一時半頃浜崎君をともなってバールとスパナで脱線作業に向かった。その時残余の五名は「しっかりやってこい」「見つからぬようにやってこい」と声援を発して送り出したとされており、私とソノさんは、この人達が当夜どこにも出なかったという擬装アリバイを作るために泊ったとされているのである。
 だが真実はどうか。

 十六日夜八時半頃組合大会が終って、組合事務所にのこっていたのは、私と二階堂ソノ、小林源三郎の三人だった。
 事務所内は静かで、電燈を真上にしながら、机にかぶさるようにして、ソノさんは事務をとっており、紙上を走るペンの音と、振子時計の音が入りまじってきこえる。小林君はよほど疲れたらしく、会議用の長椅子に体を投げ出して長くのびている。
 そこへ、外の方で人の話し声がし、足音と共に近くなり、プラカードの打ちつけてある入口の戸をガタガタさせてあけ、浜崎、大内、菊地の三君が入って来た。「なんだコサビシ(小林君のこの名を拝名するに及んだのは、いつだったか組合事務所に来た大内君が、小林君にこれを渡してくれと手紙をおいて行ったが、その表面に小淋原三郎と書いてあった。源の三ズイが一段上に籍をうつし、コサビシ・ハラサブロウなる奇怪な名が現出して、通用されるに至ったのである)、まだ居たのか。こんなところにのびてやがる」「イスをもちあげて落してしまえ」と、大内、菊地の両君がふざけはじめた。
「しでー奴らだ、おめいらは、やめろよ」と兄さん株の浜崎君がとめる。もちろん、二人は本気でないが、小林君の腹を小づいて起してしまう。「チェッ、うるせいな。俺は頭が痛いんだぞ、馬鹿野郎」と小林君は少しきげんがわるいが、二人はさんざんふざけて仲なおりをしてしまう。「懇談会終ったの?」と私がきくと、浜崎君が「うん終ったよ。外部の人が帰ったので止めたんだ。」「そうか。ところで大内君、君の宿泊の件は、木村のバアさん(八坂寮の管理人)にたのんでおいたから、菊地君の部屋にでも泊れや」と話すと、大内君は「んじゃ武夫さん、どうするんだい。汽車行っちまったぞ、泊るとこあんのかい」ときく。「いやない、それで今考えていたんだ。明日の宣伝用のビラが足りないんでね、今晩ここに泊って、仕事をしようかとも考えてるんだ」「そうか、こまったなや」「なんで寮に泊めねんだっぺ」「馘首者の入門拒否というわけだろうよ」「おもしゃくねえな、畜生ヤロ」
 私が泊れぬということに皆不満の様子でどの顔も渋い顔だ。そのうちソノさんが、「事務所に泊まるのはいいけど、武夫さん、体は大丈夫なのですか。又無理をして、この前のようなことがあると困りますからね」と心配気に話しかける。
 私は夏になると極端に体力が落ち、衰弱するのであり、その上半月ほど前、過労のため組合運動中倒れ、二、三日注射を打ちながら床についたこともある。
 みんなは、がやがやと言いはじめたが、けっきょく、
「んじゃ、ビラ書き、俺たちにやらせてくれ、いいべ。あんた一人にやらせることも出来ね」
「みんながやるなら、私も手伝いますよ」とソノさんまでが言う。
 こうなれば、とめてもきかぬ人たちなので、感謝してやってもらうことにする。
 早速道具が持ち出され、古新聞紙を出して半分に切り、ポスターカラーを皿の上にしぼり出し思い思いに筆をとった。
「なんて書くんだ」「まず首切反対だべ」「吉田内閣打倒もいるな」「もっとあるぞ」「なんだ」「んだな。不当馘首反対だ」「なんだ首切反対と同じだべ」「ちがうべ」「おんなじだ」「ちがう」「おんなじだでば」「チェッ、又はじめやがった、すぐこれだからな。黙って書け」「アハハハ」とにかく、ゆかいな連中なのだ。
 疲れをなおすには、元気で冗談を言い合うにかぎる。そのうち空腹をうったえてきた。夕食を食べてないのだ。
「腹へったな」「んだ、おれもへった」「なにかねいか」「なんにもねえな」「トミニかカンパ芋ねえかな」(トミニとはトウモロコシ、カンパ芋とはジャガイモのこと、組合隠語)「ねえな」「ああ、カンパ芋くいて」「ねえがな」「菊地、寮から持ってこ」「イヤだ」「このやろ、薄情だな、寮にいっぱいあっぺ。それ持ってこ」「ダメだ、ハアねてっぺ」「かまいねいがら、起して借りてこ」「いやだでば」「このやろ、おもしゃくねいやろうだ」
 組合にはなにもない。八坂寮に宿泊している菊地君を、さんざん責めている。実際のところ私も非常に空腹であった。何かないかと思ったが、何もない。
「ソノちゃん、組合にはないかな」「あるけど、カギがないからあかないわ」「ぶっこわせ」さっそく横ヤリが入る。「こわすわけにはゆきませんよ。しかられちゃう」「なおせばいいべ」「ダメよ」
「八坂寮から何か借りるか。ソノちゃん、わるいが借りてきてくれないかな」「ハイいいわ。行って来ます」と立上りかけたところを小林君が「ああ、俺、米もってんだっけ、これ食うべや」「どうしたんだ、その米は」「昨日ない、俺八坂寮に泊まったばい、寮のメシ食ったんで、その分返そうと思ってない、もってきたんだ」「そうかい、それ借りよう、どの位あるの」「あんまりねえな、四合か五合だべな」「一人一合ないわけだな」「ぜいたくゆわねで、がまんすっぺ」「それじゃあ、小林君に炊事の方はまかせるか」「ヨシ、やっぺ、ナベはどうすっぺな」「寮から借りてくんだな」
 小林君はナベを借りに出てゆき、やがてかえってくる。
「ナンダ、そのナベは、イカレテやがらあ」「しょうがあんめ、これしかねいってゆんだからな。これでもたけっぺ」「まかせるわ」
 借りてきたのはよいが、大分くたびれている品物である。原形をようやく保っているニュームの鍋であった。そのナベで米をとぎ、電気コンロにかけたが、今度は適当なフタがない。
「ええ、面倒くさいや、これにしちまえ」と小林君、事務所のバケツをスッポリかぶせてしまう「きたねえやつだ、めし食えねえや」「食えねえやつは食わねんだな、アハハハ」
 その間に我々はビラを書きつづけた、大分書けた。手は色で変色し、顔も各自数カ所のハン点がついている。筆を洗う洗面器の水は底が見えず、雑多な色でそまっている。丁度電気の下にあるので、小さな虫が数匹水面に浮んでいる。御飯の方もフタがフタなので、なかなか出来ぬらしく、つきそいの小林君がときおりバケツをとっては、中をのぞいている。
 そのうち御飯もできたので、食事をとおもったが副食がない。それでソノさんと菊地君に寮に行ってもらい、味噌、茶わん、皿、ハシ等を借りて、御飯を一人一杯ずつ盛り、カビの生えた味噌をなめながら食事をすませた。
 食事がすむと各自やはり疲れが出て、今までの張り合いもぬけた。
 そのうちに、各人が歌をうたいはじめた。「若者よ体を鍛えておけ」「黒きひとみいずこ」
「晴れた青空」「起て飢えたる者よ」
「畜生、じゃましやがる。一しょにうたえ」「ヘーイ、この若者よ」「うるせいったら」
「さあ、みんな前へ進め!」「この野郎、ぶんなぐっぞ」菊地君のいたずらはますますつのり、相手の歌を妨害しようとして、いろいろな歌がとび出してくる。歌合戦だ。
 疲れた小林君がまずビラ書きをやめ、会議室のコの字形の机の上にねてしまう。」「俺もねっぺ」と浜崎君が小林君とは反対の机の上に、新聞紙を敷いて横になり、福島県下最大の東芝連合会マーク入りの組合旗をかぶり横になる。「畜生、蚊がいんな」「よし俺が蚊いぶしをしてやる。葉っぱ取ってくんかな」と言って菊地君が出てゆく。菊の葉をとってきた。ヨモギの葉とまちがえたらしい。
 アレスター(避雷器)のフタの中に使い古しの原紙と新聞を入れ、その上に菊の葉をのせて、電熱器から火をつけてあおぐ。煙がでて、室内に充満する。茶目気の多い菊地君なので、これが又おもしろいらしく、むやみにあおり立てるので、我々はむせかえるようになる。
「おい、いいかげんにしてくれよ」「もうたくさんだ、蚊はいねえよ」
 やがて大内君は浜崎君のとなりに、菊地君は小林君のとなりに横になる。
 しばらくして私は、物置の中から幻燈用の幕を取り、小林・菊地君の上にかけてやった。すでにかるい寝息がもれている。
 ソノさんも、机に両手をあげ、手を重ね、その上に頭をのせてねむりについた。
 時間は二時を過ぎている。私はまだ起きたまま、連合会の指令・通報・速報・経過報告などのプリントに目を通す。
 そのうち、遠く松川町の方向で、半鐘の音が夜の静けさをやぶってきこえて来た。瞬間自分の耳をうたがったが、やがてハッキリしてきた。火事だなと思って、うしろで寝ている二人をよび起した。
「おい小林君、菊地君、起きろ、火事だぞ」
 二人は目をこすりながら、
「本当かい何も聞えねや、うそだっぺ」「うそじゃない、よく聞いてみな」「なるほどきこえる。町のカネだな。どこもえてんだべな、コサビシの家でねえか」「冗談いうな」
 それからみんな起して、浜崎君と大内君が外へ見に行った。五分ほどで帰ってきた
「どこだかわかんね」「どこも明るくなってねえから、火事でねえんでねえかな」「それ見ろ何でもねえべ、すぐさわぐんだから困ったもんだ」「何言ってんだ。馬鹿野郎」「こいつすぐ人を馬鹿ていう、馬鹿々々ていうな、馬鹿」「ねっぺ、ねっぺ」「んだ、んだ、又ねっぺ」みんなふたたび眠りについた。
 しかし、もう朝だ。六時にはみんな起きた。
「ねだ、ねだ、体がいでえな」「わいの顔黒いぞ」「わがの顔も黒いべ」「きたねえ顔だ」「もどもどだべ」「このヤロウ!」
 汗ばんだ顔にほこりがついてたのだろう、どの顔も黒くよごれている。
 寝場所を片づけて掃除をはじめる。
「ソノちゃんはよくねたな。半鐘鳴ったの、わかんねべ」「なに半鐘て?」「やっぱりわかん
ね。今朝半鐘なったんだ」「何時頃」「五時頃」「何の半鐘なの、火事?」「それがわかんねん
だ」「変ね」「何かあったんだと思うね。その内にわかるだろう」
 八時からビラ貼りに出ることになっているので、ノリにするうどん粉を買いに大内君が出て行った。
 各班別にビラをそろえて分けたのち、どうも外の様子が少し変なので、私はソノさんを残して組合事務所を出て、会社の警備所の前まで来ると前方からウドン粉をもった大内君と逢った。
「武夫さん、汽車が脱線してない、人が死んだというぞ」「どこで!」「よくわかんねが、すぐそこだというよ」「何人位死んだの」「三百人位と聞いたな」「そいつはしでえな」「俺見てくるわ」と大内君は又出かけて行った。
 私は八坂寮の二階にいる佐藤一さんの部屋にとんで行った。ちょうど彼は起きたところらしく廊下に出ていた。
「一さん、汽車の脱線で三百人死んだというよ」「三百人?」彼も私の話におどろきの目を向けた。「君はどこに居たんだ」「ぼくですか、夕べはビラが足りないんで、組合事務所で小林君らと徹夜で書きましたよ」「そうか、そんなら俺に知らせてくれればよかったのにな、手伝うんだった」「いやあ、あんたも疲れていると思いましてね、我々でやりました」「御苦労様だったね」「それにしても一さん、これは何かあるぞ、三鷹の例もありますからね」「うんそうだね、気をつけなければなるまい」
 そのまま、私は二階から下り、ビラ貼りの準備のため組合事務所に向った。
 以上が問題の十六日夜から朝にかけての我々の行動であった。


 私の調書はどのようにして作られたか  赤間 勝美

 ――原判決で証拠にして居る赤間調書がどう云う取調べの中で出来たかは次の通りです。
 私は九月十日午前六時頃働いていた福島市太田町の村山パン屋から金間刑事に福島地区警察署に任意出頭と云うことで連れて行かれたのです。そしてその日の夜午後十一時頃まで調べられて暴力行為と云う逮捕状が出されました。
 しかしその日から私の調べられたことは暴力行為と云う去年の「ケンカ」のことでなく身におぼえもない列車転覆のことでした。そして一日毎にその取調べは「ヒドク」なって行きました。そして暴力行為が釈放になる九月二十一日の夜まで脅迫と誘導と拷問で身におぼえのない列車転覆という恐ろしいことを無理々々に押しつけられて行く毎日だったのです
 私は九月十日任意出頭で福島地区署に連れて行かれて最初の取調べは金間刑事に伊達駅事件で保釈になった以後の行動や退職金を貰ってどうしたかという事を調べられました。そしてその調べは直ぐ終ったので看守巡査の休んで居る室で休ませられ、休んでいるうち今度は武田部長に呼び出されました。最初は退職金の事や自分の財産の事を調べられたのです。そしてその調べが終ると今度は全然身に憶えのない八月十六日の晩安藤や飯島に今晩列車の転覆があると云ったろうと私に恐ろしい目をして云ってきたのです。私は全然云ったことはないので、有りませんと答えました。すると武田長は「なに云わない……嘘を云うな安藤や飯島がお前が今晩列車転覆があると云ったのを聞いているのだ」と声が大きくなって「誰にその話を聞いた」といじめられるので、私は誰にも聞かないし又その様な事は全く云った憶えがないので本当にその様な事は云いませんと云うと、武田部長は「お前が云わないと云うのは嘘だ。安藤や飯島が云っているから嘘だ」と云って、今度は安藤や飯島を私の前に連れて来て、私が云った事がないのに、八月十六日の晩列車転覆があると云ったと云わせるのです。そして武田部長は「安藤や飯島が、この通り云っているから云わないと云うのは嘘だ」と云っていじめられるので私は困ってしまいました。そして今度は安藤や飯島が、私が虚空蔵様の辺りで黒い服をきた者と一緒に歩いていたなどと云ったので、武田部長はその黒い服をきた者から聞いたのだろう、その者は誰だか云え云えと有りもしない事迄云っていじめるので、本当に困ってしまったのです。それでも私はその様な者と歩いていないからそんな者と歩いた事はないと云うと武田部長は、「お前が歩かないと云うのは嘘だ嘘だ」と云っていじめるので、私は本当に嘘ではありませんと云うと武田部長は、「それじゃ誰に聞いたか早く云え」とせめるのです。それでも私は全然知らないので知りませんと云うと武田部長は、「お前が列車をひっくりかえしたから云われないんだろう」と云うので、私はそんな事はないと云うと、武田部長は「それじゃ誰に聞いたか云え云え」とさんざんいじめるので私はほんとうによわってしまいました。もう私が何を云っても駄目なのです。そして同じ事を何回も何回も云っていじめられるので、警察に対する恐怖心が益々つよまってくるのです。そしてその日の午後十一時半頃暴力行為で逮捕状を出されたのです。
 しかし其の日暴力行為に関する取調べはほんの一時間位だけでした。そして次の日は取調室に出されると直ぐ武田部長に「黒い服をきた者は誰だ、誰にその話を聞いた、それを云え」とさんざんせめられるので、私は益々よわってしまったのです。それでも私は誰にも聞いた事はないと云うと武田部長は「お前がやったから云われないんだ」とか「南や国分達と一緒に列車をひっくり返したんだろう。だいいち赤間らが斎藤魚店の前を通ったのを伏拝の自転車預所に居った青年団の者等が見ていないから、お前等がひっくり返したんだろう」と云ってせめてくるので私はほんとうに困ってしまいました。弁解すると怒鳴るのです。そして誰から聞いたか云え、云えと云っていじめられるので私は益々くるしくなり、このくるしさにたえきれなくなって松川の者に聞いたと嘘を云ってしまいました。すると松川の何と云う者から話を聞いたかとせめるので、私は野地とか丹野とかは松川の方にそう云う名前の者が多いのを知っていたので、私は野地とか丹野とか云う者に聞いたとあやふやな事を云ったので、直ぐバレてしまったので、武田部長に嘘を云った為にさんざんいじめられ、そして武田部長に「お前が話を聞いた黒い服をきた者は、国鉄の組合の者だろう、国鉄の何という者だ」と私の全然知らない事を云ってせめるし、私は又あやふやな事を云うといじめられるので、私は誰にも聞いていないから知りませんと云うと武田部長は「お前が知らないと云うのは嘘だ、お前は知っているから云え」と云ってせめるので、私は益々困ってしまったのです。私が苦しくなってよわねをはいたことが益々自分を苦しめて行ったのです。
 そしてこの日はこう云う取調べを何度もくりかえしくりかえし続けられたのです。そして次の日も取調室に入ると玉川警視と武田部長がいました。「今日は誰に聞いたか云え」と云ってせめはじめたのです。私は全く知らない事をせめられ何を云っても怒鳴られるのでどうしてよいか困ってしまったのです。そして午前十時頃から今度は玉川警視に「お前は女に強姦して居るから強姦罪や其の外の罪名で重い罪にしてやる」と六法全書を見て云われ、それに皆の前で実演させると云われるので、私は強姦なんかしていないけれども実演させると云われたので本当におそろしくなって、それはやめて下さいと云うと玉川警視は「それでは誰に聞いたか早く云え」と云ってせめるのです。それでも本当に誰にも聞いていないから云った事はありませんと云うと玉川警視は「お前が聞かないと云うのは嘘だ、嘘をつくな」と云っていじめられ、そしてお前が云わないならば、実演させてやる。女もお前に強姦されたと云って居ると云ってその女の強姦されたと云う部分の調書を見せられたので、私は益々おそろしくなってどうかやめて下さいと云うと、玉川警視は「それじゃ取消しにしてやるから早く云え」とせめるので、私は本当に聞いていないと云うと、警視は「嘘を云うな。お前が嘘を云ってばかり居ると一生刑務所にぶち込んでやる」とか、「伊達駅事件の保釈も取り消してやる。お前はこう云う事やこう云うことをやって居るから一生刑務所から出られなくしてやる」とか「零下三十度もある網走刑務所にやって一生出られなくしてやる」とか六法全書を見せて云われるので私は云いようのない本当におそろしい気持になってしまいました。そして次から次に誰から聞いたとか、お前がやったから云われないんだろうと云うので益々苦しくなるばかりだったのです。そして玉川警視には「お前がやった事は大した事はないんだ。一番は大物だから早く云え早く云え」とせめるので私は益々くるしむし、私が本当の事を云うと玉川警視等は「チンピラ共産党嘘を云うな」と云っていじめられるし、私は本当に答えようがなくなってしまったのです。それに玉川警視等は「皆んな赤間が転覆させたと云って居るんだぞ、三鷹事件も共産党がしたのだ、松川事件も共産党がさせたのだ。それに関らず赤間が列車をひっくり返したと云っているんだ。本田は赤間がさせたと云って居る。大したこともないお前が自白しないで情にからまれ皆んなと同じ重い罪にされてもよいのか。だから早く云えと云うんだ」とせめるし、玉川警視は「国鉄の労組で聞いたんだろう」と云うので私はくるしまぎれにそれに合せて国鉄労組事務所に水をのみに寄った時、その列車転覆の話を聞いたと云ったのです。すると玉川等に其の様な重大な秘密会議をして居るのに知らない者がいっても出来るはずはない、嘘を云うなといじめられ、お前も転覆の相談をしたんだろうとせめられるので私は相談なんかしませんと云うと玉川警視等は、「それじゃ誰がやったか早く云え」と又目茶ク茶になって無理にせめてくるので私は全く困ってしまいどうしてよいかわからなくなってしまったのです。
「お前がやったから云われないのだ。お前は、列車転覆の容疑者として一番重くしてやれば死刑か無期だ」と云われるので本当に死刑にされてしまうのかと思うようになってしまいました。それに武田部長から「早く云って玉川警視に寛大な処置を取って貰え」と云われ、私は玉川警視に「御寛大な処置を取って下さい」と頼むと、玉川警視に「嘘ばかり云って御寛大な処置があるか」とさんざんいじめられ、私はどうしたらよいか本当に泣き出したい気持になってしまいました。しかし其の晩私が十二時から一時までに帰っている事を婆ちゃんは知っていましたので、私は婆ちゃんに聞いて下さい、婆ちゃんは私が寝ていることを知っているのですと頼みました。ところが武田部長は「お前のお婆さんは二時頃迄目をさまして居ったがまだお前が帰って来ない。四時頃小便に起きた時もまだ帰って来ない。お前がいつ帰って来たか判らないと云って居る」と云われ、そして私が何時帰ったか判らないと云う調書を読んで聞かされ、婆ちゃんの名前を見せられた時、私は俺の無実を証明してくれる人がいなくなったと思ったので目の前が暗くなってしまうようでした。私はもう一度お願いしました。そして「婆ちゃんはきっと知っているんです。もう一度聞いて下さい」と頼んだのです。すると玉川警視や武田部長に「いつまでもそんなことを云っていると、おまえの親兄弟全部を監房にぶちこむぞ」と怒鳴られてしまいました。私は本当に親兄弟全部が警察にぶちこまれるかも知れないと思って益々おそろしくなって、もうどうにもならないと云う気持ちになってしまったのです。そしてこのように一週間以上の脅迫誘導拷問が朝の九時から夜の十二時一時頃迄もされ、夢中に眠く、すっかり疲れて死の恐怖の取調べはもうたえられなく苦しくなっていました。そして頭が痛いから休ませて下さいと頼みましたが、武田部長からは夜通しで調べると云われるのです。
 私は死ぬよりもつらいことでした。この脅迫や拷問の取調べから救われたい為に明日云うから寝せて下さいと頼んでしまったのです。
 そして翌日取調室に入ると直ぐ玉川警視から「明日云うと云ったから早く云え、早く云え」とせめられてもう弁解することは出来ませんでした。そしてとうとう最後迄真実を守り抜く事が出来ずついにその日の午後虚偽の自供をさせられたのです。そして虚偽の最初に出来た調書では汽車転覆の話は玉川警視等に云われる通り、八月十五日国鉄労組の人達と相談して聞いた事にしてしまったのです。私は玉川警視等に国鉄労組で列車転覆の話を聞いたんだろうなどといじめられ、そして信用させられていたので、私は国鉄の労組の人達が本当にやったものと思い、私はこれらの人達の為にいじめられると考えると憎らしくなっていたのです。又鈴木信さん、二宮豊さん、阿部市次さん、本田昇さん、高橋晴雄さん、蜷川さん達をどうしてこの謀議に出席したとデッチ上げたかと云うと、鈴木さんや二宮さんの場合は、八月十七日から十八日の新聞に二宮さんと武田さんがこの事件のことで出ていたのでこの人がやってると思ってデッチ上げたのです。そして武田さんが新聞に出ていたのを鈴木さんとばかり思って鈴木さんを謀議に出席したとデッチ上げたのです。阿部市次さんの場合は組合の人達がやっているならば阿部さんもやって居ると思い、憎らしくなってデッチ上げたのです。本田昇さんの場合は国鉄の幹部で労働組合の事務所に居る者でつまり党員だと云っておられたし、又本田と云う者は自分がやったのに赤間が転覆させたと云って居ると云われたので本田さんを憎んでいたので謀議にデッチ上げたのです。高橋晴雄さんの場合は警察から高橋と云う者はアリバイがくずれて居ると云われた事があったので高橋さんは関係して居るなと思ってデッチ上げたのです。蜷川さんの場合は警察から相談の席に誰々が居ったろう、誰々が居ったろうと云われたのでそれを利用して蜷川と云う者がいたかも知れないと云ったのです。私は本田さんも高橋さんも蜷川さんも知りませんでしたがもうどうでもよいと云う気持で警察の云う通り合せて行ったのです。そしてこの様にして八月十五日の謀議や人の名前が出来たのです。
 そして玉川警視からいつ相談するから来いといわれたのかと聞かれたので、私は伊達駅事件の打合せに行ったとき聞いたと云って十一日を間違えて十三日と云ったのです。そして阿部市次さんに云われたなどと有りもしない様な事をデッチ上げたのです。それから八月十六日の晩については十二時過ぎに待合せた場所は永井川信号所の踏切詰所の南の道の処でそこから真直ぐ行って信号所の東側を通って南の踏切を出たと最初供述させられたのです。それが後で武田部長が歩いて来て本田清作がお前等三人を見たと云うからお前等三人の通った道は信号所の処でなく本田清作の家の前を通ったんだろうと云われて私は実際歩いていないから武田部長の云う事と合せて返事したのです。それから最初に云わせられた帰りの道順は金谷川のトンネルの処から山の山道を通って線路の東側の田圃に出たと供述したら、後で武田部長が、私の云った通りの処を歩いて来て、山に道がないのでどうしても歩かれないので帰って来てから私に「山に道がないから割山の線路を通って来たんだろう」と云われたので、私は歩いていないから武田部長の云う事に合せて云ったのがそうなったのです。又赤間調書の道順がくわしく書かれている訳は、私が前に線路工手をして居ったので、松川や金谷川方面を何回も歩いた事があるので道順を知っていたのです。それから又最初から道順がくわしく書かれて居るのは、調書を書く前に私から云わせた事を「メモ」を取ってそうして武田部長が歩いて来てから調書が完了したから道順がくわしく書かれて居るのです。
 それから赤間調書の帰り道で浅川踏切附近の神社の前を通った事になったのは玉川警視に「お前等三人が帰り道に浅川踏切付近の神社の処で『ホイド』(乞食)が見ていたと云うから神社の前を通ったろう」と云われたので私はそれに合せて通りましたと云ったのです。それで神社の前を通った事になったのです。それから現在ある赤間調書の列車番号と列車と出合った場所及び手袋等や森永橋の処で肥料汲の車等に会ったと云うのはどうして調書に出来たかは次の通りです。
 最初に列車関係を云うと、一番先に出来た調書一五二列車と一一二列車しか書かれませんでした。
 一五二列車の列車番号は警察の取調べに玉川警視からおしえられ、そしてこの列車と浅川踏切の手前あたりで会ったろうと云われたので私はそれに合せていい位な事を云ったのです。一一二列車は取調べに玉川警視から一一二列車の大西機関士がお前等五人の者をここらで見たと云うから一一二列車と会ったろうと云われるので、私は知らないけれどもここらで会いましたと合せて云ったのです。そして検事調書には「大西機関士に顔を見られたことは検事さんに初めて知らされた」と書いてあるが大西機関士が見ていたと云う事はこの時聞いたのです。それから一一五列車と六八一列車は九月二十九日頃保原で山本検事に私が図面を書き終って山本検事に見せたら山本検事はその図面に一一五列車と六八一列車がないので私に一一五列車と六八一列車番号をおしえて其の列車とどの辺で会ったかと云うので、私は一五二列車の直ぐ後の列車だとおしえられたので、それに合せて自分でいい位な距離を作って云ったのです。


 おとし穴  菊地 武
   
 私は昭和六年に福島県安達郡大山村に生れ、終戦の次の年である昭和二十一年六月に東京芝浦電気松川工場に入社し、わずか三年数カ月憲法により保障された権利に基づき、労働組合員と共に、ひたすら歩んで来た。そして昭和二十四年八月十五日終戦記念日と同時に、同工場を首切られた。組合大会の決定により執行部の指導のもとにニカ月首切反対闘争を続けて来たが故に。
 十月八日未明、突然私の家の前に自動車が止ったと思うと同時に、どやどやと警官が私服、或は制服で私の家に入り込み、寝て居た私の枕もとに来て任意出頭を求めるので、私は盲腸を切ってまだ十四日しかたってないのであまり歩けないから行けないが、どんな理由で出頭を求めるのか聞いて見ました。すると、刑事が、いや休が悪いなら行かなくとも良いが、君が行って話をすれば前に逮捕になった杉浦や浜崎や大内、小林その他東芝の者が全部帰れるのだ。お前が行って話をして呉れないか。警察では可哀そうで一日も多く泊めて置きたくないのだが、どうだ行って十六日泊ったという証明をして呉れないかと言うので、私は、私が十六日夜泊った事を証明して呉れるとみんなが帰れると言うなら、私は休の悪い身でありながら行く事に決め、そして一日も一分も早く組合の人々に帰って貰うようにと考え、朝飯を食べて着物を着て(盲腸を切ったばかりで、ズボンのバンドが出来なかった為)居りますと、お母ちゃんが休が悪いのだから後にしたらどうだ、歩いては駄目だ。と何回も何回も言われましたが、私としては前に逮捕になって居った東芝の人連を早く釈放させたいが為に、刑事と共に自動車に乗り福島に向いました。この時自動車の窓から見た両親の姿は今でも忘れる事は出来ませんでした。
朝やけの空をながめながら、右に左にゆれ、福島地区警察本部についたのは、もうすでに十一時は廻って居りました。それからすぐに三階の取調室に上げられましたが、私は何にもやって居らないから、自分の木当の行動をそのまま話をすれば、みんなと一緒に帰れるものと落着いた気持で取調官の来るのを待って居りました。だが前に逮捕になっていた大内さんや小林、浜崎さんと一緒に組介事務所に泊ったから疑いを受けてでもいるのか、それでも木当の事を言えば、みんなと帰れるものと思い取調官の来るのを待って居りました。すると間もなく、武田刑事部長と玉川警視(氏名は後で判った)が人って来たのです。そして二人は、私に組合経歴や共産党に入党云々――と聞かれるので、私はこばむ事なく全部答えて居り、これを終ると、今度は、八月十六日の行動を聞くので、私はビラ書きをして居った事やら、その晩一緒に寝た様子など、記憶のまま述べて居りますと、玉川と武田は笑いながら、菊地よ、ここに来てもそのようなことを言って居るのでは助からないぞ、それは君遠の作ったアリバイだと小林や大内はちゃんと言って居るのだ、お前達の犯した罪は死刑か無期なのだと、言うので、私は驚いてしまいました。亦犯人として取扱われて居ろとは夢にも思わなかったのです。一体私が何をしたと言うのだろうか、どうして組合事務所に泊った私達が死刑や無期になるのでしょうか。
私は今迄話をした以外の事は知らないから早く帰して下さいとお願いすると、武田は、そういそがなくとも良いだろう。これからここに毎日泊めてやるから心配するなと言うのです。しかし今日どうしても帰りたい、家の人達が心配して居るから帰りたいと思い、そのためには何を言うと帰れるのかも考えました。これから組合運動は絶対にやりませんと言うと良いのか、それとも大内君、小林君、浜崎君と一緒に泊らなかったと言えば良いのか、何んでも良いから取調官の言う通り答えて早く帰ろうかという考えにもなりました。そして私は取調官の武田刑事部長に、私は一体何をしたというのですかと聞いてみました。すると武田刑事は脇の数百枚の罫紙に何か書いてあるのを見ながら、何時、何処で誰々が集まって列車を転覆させる話をして……その次の日は、大会が終って、誰と誰とが集まって……話し、それにもとづいて、小林と大内、お前が夜中に組合事務所を出て、八坂神社の方に行き、松川保線区に行ったろう。この時にお前達三人が歩いてゆくのを見たという証人も居るのだし大内や小林も菊地と一緒にバールとスパナを取りに行ったと言っているのだから、お前がなんと頑張っても駄目だ。当ったろう。この通りだろう。お前が行かないなどといって自白をしないで居れば、今のうちは保線区倉庫まで行っただけであるが、後になれば、現場に行ったようにされるかもしれない。そうなれば一生監獄で暮すか、或は悪くすれば絞首台に立たされるかも知れない。お前は自分の罪の大きさに驚いたのだろう。小川に流れる木の葉も、やはり流れて行くところは大きな海に行くのだ。君も木の葉と同じ、行く道は只一つしかないのだから早く自白したらどうかというので、私はなんとなく夢のような気がするのです。
 当時は列車転覆の話を聞いたこともなし、叉、あの夜は松川保線区迄行ったと言われるので、頭はもうもうとなり、腹は痛み出すので、横にさせて下さいとお願いすると、自白をしないものを横にすることが出来るものか、ガマンしろと怒鳴るのです。
 こうした取調べが夜九時半迄続けられ、苦しみと痛みをこらえながら来たが、つい倒れそうに机にうつ伏せになってしまいました。すると玉川警視は、野郎まいりそうだから令状でも示して休ましてやれといって、夜の十時に恐るべき列車転覆罪の逮捕状が示され、監房に入れられてしまったのであります。そして、あの薄い白壁に囲まれて一人淋しく泣きながら、どうすれば調べをせずにすむのか、あの調べの苦痛をどうしたら逃れられるのか、早く家へ帰りたいと、起き伏せしながら考え通しました。そうして初めて監房の一夜を明かしたのであります。
 翌九日、朝七時頃、再びドアーの錠が開かれ私を二階の取調べに上げようとするので、私は断りました。今日は休が悪く動けないから、もう少し取調べを休まして下さいとお願いすると、私を連れに来た刑事は、私を監房から引き出すようにして引張り、休が悪いなど、ぜいたくな事を言って居るのではない。ここは何処だと思って居るのだと言って私を二階へ上げ、昨日と同じ部屋に入れますと、やはり取調官は武田刑事部長に玉川警視でありました。
 室に入るより早いか、高圧的に、貴様は自白をしないで死にたいのか、それとも生きたいのかどちらだと、大声をあげて怒鳴るのです。私は死にたくはありません。生きたいのです。と言うと、生きたいなら自白をしろと怒るので、私は死にたくないし、生きたいし、自白をしろと言われても、何にもやらない者が、何の自白をしたら艮いのか判らず、黙ってしまいました。
 すると、黙って居れば武田刑事部長は、私の耳に口を寄せ、大声をあげ、ツンボになったのか、返事が出来ないのか、警察では黙って居ればその者は事件を認めた事にして厳重処分とし、検察庁に送れば死刑か無期はまぬがれないぞ、それでも良いのか、と言うので私は黙って居れば事件を認めた事になるのでは大変だと思い、又自分の行動を述べ始めました。すると、そんな事は聞いて居らない、それは君達の作ったアリバイだと小林や大内も口をそろえて言って居るのだから本当だろう。そして又、大内、小林はちゃんと菊地と一緒に、松川保線区倉庫に行って来たと言って居るのだから、組合事務所から出たと言え言えと、机を叩き、本を叩き、口からアワを出してどなるのです。そして、事務所からも出たのを答えられないならば、貴様はあの列車の下になって死んだ三人に何と言ってお詫びするのだ。貴様のような悪人はこの世に生かして置けば人民の害毒だから、一生監獄にぶち込むか、それとも親にも会わせず検事さんにお願いして、殺してやると何回も何回も言われるので、私は本当に殺されてしまうのか、殺される前に、一遍でも良いから親に会いたいという事を考えるようになり、私は二人の取調官の居る前で、おそれと苦しみに大声をあげて泣き出してしまいました。
 すると、玉川は、そうらそうら良心が出て来た。もう少しだ。こしかけて居っては駄目だ。立って、悪かったとあの三人に手を合わせておがめ、といって私を立たせ、手を合わせて三十分も四十分も立たせたままにして、その間に、死体のことやら、蒸気の中で呼ぶ声のまねをしたり、そうら後に亡霊が立って居る、と、全くおそろしい、本当にうしろに誰れかが立って居るような気がする位にまで亡霊の話をするのです。
 或日は叉、夜中に起して、こうした話を聞かせたり、或日は絞首台の図面まで書いて教えるのでありました。こうした取調べの日が一日、二日、三日……行われ、私は一週間、真実と正義を守り通しました。
 十月十五日、この日は、名前の知らない刑事五人が私を取調べに掛ったのであります。そして休が痛く、つかれた私に自白をしろ、自白をしろと言って休をゆすったり、或は「ナズキ」(額)をぐんぐんと後に押して部屋中廻ったりした事もありました。
 こうして、この日午前中は、五人の刑事によって、人間対人間の取調べではなく、暴力的な拷問が開始されたのであります。
 そして午後からは、今迄に見た事もない刑事が一人で来て、私に六法全書を見せながら、列車を転覆させれば死刑か無期よりしかないのだ、もしも自白をしないで罪にされれば、お前の命はわずか十七才にして終るのだ、大切にして使えば後三、四十年は完全に生きられるのだが、人に義理をたてて命をちぢめ死刑か或は一生監獄に人ったりしては、家族に何んとお詫びするのだ。君の継母は、きっと殺人の家には居れないと言って、この寒い冬を前にして君の家を出て行くであろう。そうしたらお前はどうするのだ……それよりお前が早く警察の言う通り答えて、一日も早く帰えり、親に安心させたらどうだ。警察では、お前が自分で何をしたかも言わずして、人の言うことばかりで一番重い罪にされたら、お前が可哀そうだと思うから、こうして情をかけて呉れるのだ。普通の人ならかまわないでそのまま検察庁に送ってやるのだ、と言うので、警察を疑う事のない私はほうほうと泣き出してしまいました。
 そして私が机に、うつ伏せになり、生きる事を考えはじめると、刑事は更に続けて聞かせるのです。お前や小林、大内は、杉浦や共産党の人達にだまされてやったのだ。それは警察では知って居るのだが、お前が話をしないからどうする事も出来ないのだ。大内や小林とお前は面白半分にやったのだから、大した罪にはならない。悪くしても証人位、よくすれば証人にもならなくともすむかもしれない。俺は悪い事は教えない。よく考えて見ろ。大内だって小林だって、お前と一緒に組合事務所を出て、松川保線区に行ったと言って居るし、その間、三人が並んで歩いて行くのを見たと言う証人もちゃんと居るのだ。お前は組合事務所から出ないと言うが、もしも出ないなら出ないという証明をさせる証人を出して見ろと言われたので、私は組合事務所に一緒に泊った小林君、大内君、浜崎君それから二階堂武夫さんと園子さんが証明して呉れると思います、と言うと、この人達がお前と一緒にバールとスパナをとりに行ったと言って居るのだから、証明にはならない。その外に居るかと言うので、私は夜で組合事務所には誰も来なかったから、その外には証明を出来る者はないと言うと、証明が出来ない事はやったのだと言うので、私はこの証明が出来ないと本当に死刑にされて仕舞うのか、そして叉、大内君も小林君も嘘を言って、私と三人で組合事務所を出たなどと言って居るのか、だが私はどうしても生きたい、又もう一遍だけでも外に出たいという心細い気持になって居る処に、名前を知らない署員が来て、刑事さん、今度菊地を検事さんが調べるそうですと言って、その人はドアを閉め、帰ったのです。すると刑事が今度検事さんが調べるそうだから、検事さんというのは裁判する時に立合い、罪を重くするも、軽くするも決めるのだから、助かりたいと思ったら今迄のような事言って頑張っては駄目だぞ、判ったなあ、さアー行こうと言うので、私はその席を立とうとすると、長い間坐らせられて居る為と恐怖の為に歩くことが出来ず、目からはいろいろな色をしたボールのような、美しい玉がすうーすうーと飛び、目まいがするので、私は一人で歩く事が出来ず、刑事の肩を借り、左手を肩に掛け、右手で盲腸の痛みをさすりながら、そろりそろりとあるいて、検事の調べ室に人りました。
そこには叉、誰も居らず、私は椅子に腰をおろして、机にもたれて考えました。
こんなに苦しむなら死んだ方が良い、それともこの苦しみをどうにかして逃れる事が出来ないのか、――すると検事が、一本のタバコをくわえて室に入って来たのです。そして、私にどうして泣いて居るのだ、泣いただけではすまないのだ。もうお前達のやった事は全部知って居るのだから、自白したらどうだと、高圧的に調べを始めたのです。そして小林を今調べて来たが、彼はすっかり話をして、悪かった申訳けなかったと涙を流してお詫びして居るのだ。お前も小林達のような気になれないのか、それとも死にたいのか、一生監獄で暮したいと言うのかと、怒鳴るのです。
 私は生れて始めて警察に来て、刑事や検事は、こんなにまで嘘を言わせる処だとは思いませんでした。そして私が考えた事は、あの晩確かに組合事務所でビラ書きをし、そして小林君と共に赤旗をかぶって寝たのだから、小林君も私も組合事務所から出なかったはずだ、それでも私達の組合事務所に泊ったという証人は、一緒に泊った人以外には居らないのです。それに外の証人を出せと言われても出しようがないのでした。叉検事も私達三人が、松川構内を歩いて居たと言う証人が居るというので、これではとても、無実であることを頑張っても殺されてしまうか、一生監獄で暮す以外に道は無いのかと考え、それよりもみんなと同じく、話をして、この苦しい取調べを止めて貰おうと思いました。
 そして、話をすれば直ぐ帰れると言うし、話をしないと殺される。それよりも、自分だけでも良いから早く帰りたいと言う勝手な気持になり、苦しみと痛みをたえながら、真実を守り技いた一週間目である十月十五日、夜十二時過ぎ頃、とうとう検事の言われるままに返事をさせられてしまったのであります。
 すると検事は、改心の情が現われて来たのだ、それで良いのだ、人問はそれで良いのだ。まして君は若いのだから、全部を話して、早く帰るようにしろ――これから嘘を言わず、ありのまま話をしてくれと言うのでありますが、私は行った事も歩いた事もない道であるから、何と答えて良いのか判らず、歩いた道は、わすれましたと言うと、検事は、大内や小林も、こう言ってるのだから、君もこうだろうと言うので、そうですと返事だけし、謀議もこのようにして作られ、ただ、調べ室で教えられ、行為も、行った事もないまぼろしの行為を作りあげられたのであります。
 その後の調べは楽になり、家へ帰れる日ばかり楽しみに待ちました。だがいくら待っても帰されず、そのデッチ上げ調書にもとづいて私達は、無実の罪で有罪の宣告を受け、そして嘘を言わされたが故に殺されようとしているのです。
 私はこのようになるとは少しも思わなかったし、又このような大きな陰謀事件であることは、考えた事はありませんでした。
 私は悪かった。真実を曲げた事は悪かった。生れて初めての警察や検事の調べだったし、そして私は警察や検事と言うのは、もっとも真実を求める処であると思っていたのが、全く私の間違いであったのです。これが、私の嘘を言わされた一番大きな原因になったのです。(略)


 折れた線香  杉浦 三郎   

寒むい寒むい朝だった
木戸を開けると     ・
見覚えある
土屋刑事外十数名
今日は嫌でも一緒に行ってもらわねばと出されたものは逮捕状
チェツとうとう来やがった
これで首切り反対闘争おしまいだ
十日か二十日は
この室ともお別れだ
早く早くとホエル犬
とうとう来たか
首切り反対闘争おしまいだ
首切り反対闘争おわったら
サーお帰りと言うだろう

何組合長だ
可哀相に知らないな
組合なんか
お前が来るとすぐ変ったぞ
共産党もつぶれるぞ
それでは帰ってよいでしょう
駄目だ駄目だ話はまだまだこれからだ

何……腹が痛い……そうだろう そうだろう
腹も胸も頭も痛くなるだろう
若い奴等はみなシャベッたぞ
シャベレば病気は直ぐ治る
強盗、強姦、殺人事件
お前首つり見たことあるか
鼻をだらりとブーラブラ
死ぬ程恐い事はないぞ
話はそれで終わりかね
いやいやまだまだウンとある

ネズミヲネズミ捕に捕えたなら
水に入れよと火で焼こうと
人間様の御自由だ
頭に△紙はりつけて
紙の着物で六文銭
三途の川まで送ってやろう
ナムアミダブ ナムアミダブ

折れた線香の一本(歌入り観音経を唄う繰り返し)
それはそれは御苦労様
でも今頃六文銭はないでしょう。
ウウンおれは探すのが商売だ
女房はきっと泣くだろう
娘はパンパン娘になるだろう
バイ毒ショッて泣くだろう
話はそれで終りかね
まだまだまだまだうんとある

平の奴らはおこってた
共産党の幹部の野郎
俺達だまして逃げちゃった
今度来たらば殺してやる
そこで幹部は警察へ
お助け下さいと逃げて来た
どうだ最後は警察さまだ
おれがお前を助けてやろう
それはそれはありがとう
話はそれで終りかね
明日は十五日 明日は帰して貰いましょう
こんな野郎身体に物を言わせたら
三日もあれば音をあげさせる
何……身体に物を言わせると
今一度言ってみろ
いやいや今のは独言
まだまだ話がうんとある
東芝係の青年は毎日々々位いている
お前が言わないばっかりに
重い刑になるのだと
園子もスイ子も女だなあ――
来ると直ぐ綿の差入れ頼んでた
お前が話せば園子もスイ子も帰れるんだ
不人情義理知らず
西山老人占領政策違反でたたき込むぞ
こんな悪党容赦はいらぬ
死刑だ……医学校で解剖だ
サー何とか言え言え言え言え
ツンボかオシかこの野郎
何……便所へ行きたいと
この野郎オシかと思うたら口きいた
口がきけるならサーシャベレ
こっちの返事をするまでは
便所へなんかやらないぞ

外の者はみんなやったと言ってるぞ
やらぬと言うのはお前が唯一人
九人の言うこと本当か
お前一人の言うこと本当か
お前は民主主義者で……多数決
サーどっちが本当か考えろ
何……何……何だと
一人でも本当は本当だと
この馬鹿野郎
日本の算術忘れたな
民主主義を忘れたか
どうだどうださあーどうだ
何だ何だこの野郎 その笑は何だ
貴様の笑は鬼笑だ 悪魔の笑だ
薄気味悪いやめろやめろ
何……何だと
自白した奴は気が狂うたと
エエイこの馬鹿野郎
とうとう気が狂うたな
何……何……誰が狂人か
公判廷精神カン定を要求すると
エエイ
コノ狂人野郎タタキ込んでおけ 
(1951年9月21日)  

 わざわざ御見舞有難う御座いました。本日突然御目にかかり東京からわざわざおいで下されるとは思って居りませんでした。その上松田様は二十才代の若い方とばかり思って居りましたので外の方かと思ってしまいました。
 御手紙は何回もいただきまして、是非一度はと思いながら今まで一度も御便り致しませんでした。松川の外の者がよく出すようですから、私の下手な手紙はいらないというような気分もありまして、叉よく御通信下される方より通信のない方へと思って書きませんでした。
 これは、詩の形になっているかいないか私は詩というものは書いたことがありませんのでわかりません。
 八月十二日以後、団体交渉その他の会合は、工場周囲を警察の包囲の中で行われ、私の身辺も常に警戒されており、十三日にはアカハタデモ事件の容疑者として執行委員が逮捕されたのを手初めにその後毎日五、六名から十五名位の組合員が参考人という名目で朝早くトラックで大勢の警察官が乗りこむというような形で連行されました。十六日は組合大会。警官は傍聴を申込んで来ましたが断りました為、工場附近及び工場警備所で警備されその上、十六日夜、松川町に土蔵破りの強盗が入ったといって非常線が張られました。この中でこの事件は起されました。この事件が起るとすぐ私がこの事件に関係あるように新聞で報道されますので、私も首切り闘争弾圧の為にこの事件に名をかりて逮捕されるなと思いました。しかしあまりにも私の行動が明らかで、警察でも手が出ないで困っているだろうと思っていました。
 従って逮捕された時も別に驚きもしません。十日か二十日位拘留されて組合の闘争がつぶれたら帰されるだろう。これも運命だとあっさり考えて出かけました。逮捕三日目唐松判事の拘留尋問の終った時、唐松判事がこう言って来ました。「杉浦様、あなた紳士ですね。外の者は何で俺を引張って来た、すぐ帰せのなんのと大きな声を出したり、いろいろしますがね、あなたはおちついておこりも何もしない、偉いですね」と私はほめられたのやら、いや味を言われたのやら変な気分になりましたが、まあ落ちついて唐松判事の煙草が机の上にあったので、それをもらってゆうゆうと吸って居りました。
 そうして、次の日から取調べに唐松判事が十四日といっていたからね 十四日迄ゆっくり話をしましょうという調子で、毎日々々強盗、強姦、人殺し、死刑、首つり、そんな話をして、詩に書きましたように三途の川まで送ってやるといって、歌人観音経の「折れた線香の一本も」という処をよく歌いますので私は、君々、折れた線香のところだけでなく後を歌うようにとさいそくしましたら忘れたから帰ってレゴードでおぼえて来て歌ってやると言って次の日、又折れた線香をやる、レコードで習って来るのを忘れたという。最後にはレコードを探したけれどなかったなどと言ってました。ちょっと他人とは風変りな取調べでした。私も三、四日後には始めに考えたようなものでなく重大な事になりそうだと気がつきました。
 初めは、彼らが日本中の弁護士が全部かかったって、この事件だけは駄目だ、証拠がギッシリあるのだからというような事を言われましてもピンと来ませんでしたが、差入れをしてくれた人の氏名さえ文書であると言って知らせない、ものすごく厳重な取扱いで、これはと感じた時には早く帰ろうと思って行動の一通りを述べた後でした。後で後悔しました、本当の行動というものは取調官には絶対話すべきでないこと、しかし相当の部分を話していない事をとてもよかったと思いました。彼らは本当のことを言うと、それをシラミつぶしにつぶしてゆく、もしも私の事を白であると証明する人があればその入も逮捕し、共犯とする。その人が脅迫されて私の事を黒のような証明をすれば逮捕せずに証人として、私を犯人にしようとしていることが、取調を十日程受けてる中によくわかりました。それで恐ろしい事だ、ことによるとこのまま殺される……人生五十年という、よしきた、あきらめて最後まで闘うと覚悟し、取調の初めに取調官に対し黙秘権など使わない、大いに話し、また議論もしましょうと言ってあるので、中途から黙秘権を使うなどという事もいやだと思いまして、私は最後まで黙秘権は使わない、何度話しても初めと同じだという態度で通しました。
 十月二十日前後には、朝から夜まで自白をしないで公判に出ると損なことになる、特に国鉄関係の者は、このような取調には前にも経験があってよく知っているので、皆自白して自分の方に都合のよい事を言ってる。お前がそうやって頑張っていると一番重くなる、お前だけならお前の勝手だが、東芝の親方のお前が重くなることは東芝の若者全部が重くなる事だ、又お前が西山の家に十一時頃行ったというので西山の老人は、あの野郎ウソを言いやがって人の家に迷惑をかけると言って、狂人のようになってさわいでいる。娘のスイ子は逮捕した。園子も逮捕だ。お前が話せば直ぐこのような者は帰してやる。お前が話さなければ、西山の老人も占領政策違反でタタキ込む。お前が話をすれば、自分の取扱ってる被疑者は可愛いいものなのだ、きっと軽くなるようにしてやる、どうだという、これにはまったく心の中で泣かされました。俺は死ぬ覚悟をしたが、西山の老人までタタキ込むとは何という悪党共だろうと思い、心の中で西山様その他の方々許して下さいと心に祈りながら答えたものです。「お話はようくわかりました………だが、私は前にお話しした涌りです」すると「この野郎少しもわかっていないじゃないか」と言って又々繰返します。そうして何回も繰返して、先方からして、「お話はようくわかりました……だが」ではいかんぞと断って来ました。そこで私は言う事がなくなり黙っていることになりました。
 このようにして鈴木信や佐藤一も初めは頑張っていたが、とうとう終りには悪るうございました、と涙を流してあやまったと聞かされ、私はおどろきました。彼等がまいってしまうようではもう駄目だ。
 弁護士に逢いたい、弁護士に、そうして党の本部へ連絡してもらいたい。「この事件は福島でやっていたら殺される。本部で全国的の問題として闘ってくれなければ殺される。弱っている者に弁護士から又は差入の形式でも何でもよい応援してやってくれ」とこう思いながらここで負けては一大事、何のこの悪党共と、最後の反ゲキとして、詩にある、誰が狂人か公判廷でカン定を受けるというので終り、取調官はあきらめてその後取調なし。
 次の日三笠検事は、昨日は悪かった今日は検事としてでなく人間としてお話をしましょう、さあどうぞ煙草を吸って下さいと言ってオセジを言った後、前と同じ事でもよいですから調書を取らせて下さいといって、前と同じ調書を取って行きました。
 この三笠検事には全くあきれてます。初めに見た時、これはこれは一流の役者だわい、肩をそらして「ウウン、どうだ、汐時だぞ、汐時だぞ、人間は汐時がカンジンだ」などという時の声に力が入り、室中ヒビキ渡り、実にたいしたものだ、検事という者を初めて見たが判事とは違う。判事連中もなかなかよい声を出すが、さすがは検事だ、判事達からくらべると、一段と役者が上だと思い、口の中でこの態度とセリフを聞きながら「ハリマヤ、ナリタヤ」と手をたたきたい気分で眺めてました。初めのうちは「ハリマヤ、ナリタヤ」と芝居でも見るように感心して見て居りましたが、刑事が六、七名周囲に居って交代でどなられ、その上ノドがかわいた時、お茶を要求したら、駄目だという。「君も呑んでるでないか、俺は罪人でないのだ、同等だ呑ませろ」といったら「同等に俺も呑まない」といって彼はやめてしまった。そしてしまいには便所へもやらないといい出す。私はいまいましいから、室の中で腰かけたままジャージャーやってやろうかと思ったけれど、まあ三度いってみようと思い、三度目をいったら室から出て行ってしまうという実にあきれた男で、私はお茶を断られてからは、その儀ならこちらも考えがあると、その次からは薬ビンに水を入れてそれをポケットに入れて行き、お茶の要求をしないで、彼等が何も呑まずオシャベリしてる時に、その水を呑んで済ましました。何かもんくをいうかと見てましたら、嫌な顔だけしていました。
 このように書きますと、あまり苦しめられないように思われるかも知れませんが、決して、決してお話出来ない苦しい闘争でした。
 唯いつも先手を取るようにと心掛けました。そして、いつも負けずにいられたのは、俺は罪人でないのだという事です。彼らが私が犯人であるような事を一言でもいったら、私は「俺が犯人であるというのか」と強く反駁しますと、必ずいいます。「犯人とはいわない、被疑者だというのだ」と。それから又私が何かやったような話をしますと、私は「俺がやったというのか」と強く反駁します。すると「いや君がやったというのではないよ、これは話だよ、話をしていると身におぼえのあるものは気になるのでね、杉浦様どうだね」とこうくるのです。そうして私がやったといってさんざんどなっておきながら、こちらが強く出ると、話だよという、まったくしまつの悪い悪党でした。
 こちらが少し弱味を見せたら最後です。立派な犯人に仕上げられます。
 簡単に詩に対する説明を書こうと思いまして長くなりました。どうかよろしく。(1951年10月)  

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2010.05.21 Fri l 裁判 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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