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金光翔さんの「対『週刊新潮』・佐藤優裁判まとめ」がこちらのサイトに出ている。原告と被告がこれまで法廷で争い、陳述してきた書面がすべて揃っているので、読者は双方の主張を公平に知ることができる。論点も多く、理解しづらい箇所もあるが(被告側が、「人民戦線」と「反ファッショ統一戦線」の意味の違いや、編集長による「原告のもて余し」にわき目もふらず(?)ひたすら執着している様子は可笑しい。つい笑ってしまう。自分のほうから「曲解していること」という争点をもちだしておきながら、原告に反論されると、「新たな反論を繰り返すことにより、争点から次第に離れて行く危険性がある」のでさらなる反論は控えるという趣旨のことを述べていることも。原告側一人に対して被告側は専門家が三人も四人も揃っているというのに。)、ゆっくり読めば出来事の全体が十分把握できるのではないかと思う。

原告の金光翔さんを支持し、被告に対して批判的立場に立つ者としては、金さん自身によってすでに周到な主張がなされ、また被告の主張に対してもほぼ完璧とも思える鋭い批判・反論がなされているように感じるので、これ以上私などが付け加えるべきことはほとんどないような気がするのだが、それでもいろいろ感じたこともあるので書いてみたい。今日は、「岩波関係者」の不思議な行動についての感想である。

『週刊新潮』の記事が数多くの名誉毀損裁判を引き起こしていることは今ではもう世間一般周知のことだし、またそれは傍目にももっとものことだと思われるのだが(ちなみに、『週刊新潮』は2006年か2007年だったと思うが、光市事件弁護団に対し、見出しに「人間失格」という表現を用いて一方的な非難記事を載せていた。私の記憶では、『週刊新潮』にはこの表現を使って弁護団を非難する特集記事が一度ではなく二度載ったように思う)、それにしてもこの裁判には特異な点がいろいろある。特に異様なのは、原告・金さんの勤務先である岩波書店の「関係者」という人物が『週刊新潮』の当該記事の成り立ちにふかく関与していた――それどころかそもそもこの記事作成の発端になったのはこの「関係者」からの第一報だったことを、他ならぬ被告側が主張していることである。

2010年3月10日付の「被告準備書面(4)」の「第1 取材の経過について」によると、『週刊新潮』が件の記事を作る発端になったのは、

「週刊新潮編集部の記者が平成19年11月に、岩波書店の関係者から、電話で雑誌「IMPACTION」に掲載された、被告佐藤優を批判する論文の著者が岩波書店の社員であり、それを知った被告佐藤が立腹している旨聞いた」

ことだったというのである。そして、被告側は、

「荻原記者は、当初週刊新潮編集部に電話で連絡をしてきた岩波書店関係者に面談した上で2時間前後取材を行った。」

とも述べている。「当初週刊新潮編集部に電話で連絡をしてきた岩波書店関係者」という表現がなされているところを見ると、これは紛れもなく「岩波関係者」が自分のほうから『週刊新潮』編集部に電話をかけて、金光翔さんに関する情報をもたらしたということである。まさに「密告」であり、この「岩波関係者」は、『週刊新潮』誌上で金光翔さんを非難する記事を書くように『週刊新潮』を唆したことになる。

まるで悪夢のような出来事だが、これをそのまま事実として受けとっていいかというとそうもいかない。金さん自身もこちらで、被告側のこの主張により、「岩波書店社員がこの記事に積極的に関与していることは証明された」と言いつつも、「この記事の「きっかけ」に関する被告の主張は極めて疑わしい」と述べているように、「岩波関係者」がわざわざ『週刊新潮』に電話をかけ、編集部記者に上述のような内容の情報を伝えるなんぞ、にわかには信じがたいことではある。この「岩波関係者」の話しぶりをみると、金さんとの私的な関わりは特にもっていなかったようだし、このようないかがわしいだけでなく危険でもあることをあえてして一体どんな利益があるのかが疑問なのだ。

被告側の「取材の経過について」のなかに「岩波関係者」からの電話を受けた「週刊新潮編集部の記者」の名前が記されていないのはなぜだろう。金光翔さんは『週刊新潮』の法務担当の佐貫という記者から、『週刊新潮』の編輯部には佐藤優氏と大変親しく「毎日のようにやりとりしている」人物がいると聞かされたとのことである。この人物は実は当該記事を書いた塩見洋記者だそうだが、「岩波関係者」と電話で話したのはこの塩見記者ではないのだろうか。それとも別の記者なのだろうか。被告側はこの点はっきりすべきであろう。もし塩見記者だったとしたら、それでなくても信じがたい「岩波関係者」から先に情報をもたらす電話がかかってきたという被告側の主張は、二重、三重に疑わしくなる。佐藤氏と「毎日のようにやりとり」するほど親しい塩見氏なら、金さんが岩波書店の社員であることや佐藤氏の怒りの程度は十分に知っていたに違いないと思えるからである。「岩波関係者」に電話で教えてもらう必要は全然ない。

「岩波関係者」が『週刊新潮』に電話をかけたということを事実だと仮定して考えてみると、おそらく「岩波関係者」の電話を受けたのは塩見記者だったのだろう。これがもし別の人物だったのなら、被告側は、準備書面にその旨をちゃんと記しただろうと想像される。塩見記者だったからこそ、明記を避けたのではないだろうか。そもそも、「岩波関係者」のほうから『週刊新潮』に電話をかけたというのなら、その際、この「岩波関係者」は特定の人物を名指しして、その相手を電話口に呼び出さなかったのだろうか。それとも、編輯部に電話をかけるや自分が話している相手を確認もせず、いきなり、インパクションの論文の著者が岩波書店の社員であるだの、それを知った佐藤氏が立腹しているだの、という情報をしゃべり立てたのだろうか。この「岩波関係者」がどんなに非常識な人間だとしてもそんなことをするはずはないだろうし、電話を受けた相手も知らされた情報をそのまま信じ、これによって企画を立てる(被告側の準備書面を見ると、この記者は実際そのように動いたようである)ようなことはしないだろう。「岩波関係者」は『週刊新潮』編集部に佐藤優氏やインパクションの論文やその著者に対する関心なり知識なりを有している人物が存在することを承知していたからこそ、電話をかけたに違いないと思われる。それは『週刊新潮』編集部の同僚が、「毎日のようにやりとりしている」と証言するほどに佐藤氏と親しいらしい塩見記者以外には考えられない。

『週刊新潮』に電話がかかった日付も「11月」というだけで、明瞭でない。これらは文書作成上の基本に関することであり、正確に記すべきことのはずである。この問題が発生したそもそもの初めから、つまり裁判になる前から、被告側につきまとう「事実を隠そう」「曖昧にして逃げよう」という不正直な印象がここでも如実に感じられ、読んでいて大変歯がゆく、不快である。ここには個人のプライバシーに関係するものなどは何もなく、どれも事件を構成する純然たる要件の問題なのだから、被告側は正直であるべきだ。

被告側の「取材の経緯について」によると、「岩波関係者」から電話で話を聞いた『週刊新潮』の記者は、11月22日(木)にこの内容を『週刊新潮』の記事にする企画を会社に提出し、翌23日の会議で、特集記事の一本として取材を行なうことが決まったとのことである。上述したように電話がかかってきた日付が明らかにされていないので、情報を得てから22日に企画を提出するまでの間に、どのくらいの日数があったのか、その間、幾らかでも関係者への取材を行なったのかどうかも分からないが、この書面全体の様子から推察すると、電話を受けてから企画提出までの間は非常に短く、その間『週刊新潮』は特に何もしていないようである。企画の取材が決まった23日以降に、取材担当の荻原信也記者があわただしく取材活動に勤しんだようである。そして25日に記事掲載が最終的に決定されている。

「午後1時からの全体会議で、上記取材に基づく内容が、ワイド特集記事の1本として掲載の方向性で取材を進めることが確認された。」

この25日までに荻原記者が取材しているのは、24日(土)に直接面談して話を聞いた「岩波関係者」と佐藤優氏の二人だけである。確かに、金さんには「取材のお願い」というメールを送っており、また岩波書店「学術編集部」の馬場公彦氏にも取材依頼の電話をかけたとのことだが、そのどちらとも連絡はとれていない。岩波書店の「組合関係者」や世界編集長の岡本氏や総務部などへの取材がなされるのは、25日の記事掲載決定後のことである。すると、「上記取材に基づく内容が……」における「上記取材」とは、「岩波関係者」と佐藤優氏という、この二人への取材のことであり、記事内容の方向性はこれによって決定されたということになる。これらの事実を見ると、自分への『週刊新潮』からの取材依頼のメール内容を分析して、これは「単にアリバイ的に「取材のお願い」を送ったに過ぎないことを示している。」(原告準備書面(3))とする金さんの見解は正しいように思われる。金さんはまた、

「佐貫によれば、塩見は、私が本件記事の虚偽の記述に対して、ブログを開設して反論を行ったことを理由として、私のことを「異常」な人間であり、相手にする必要はない、などと言っているとのことです。しかも、その見解を『週刊新潮』編集部としても是認しているとのことです。一体、この塩見をはじめとした『週刊新潮』編集部というものは、どれほど破廉恥なのでしょうか。杜撰極まりない取材による虚偽の記事で、私の名誉を大きく傷つけておき、それに微力ながらも抵抗しようという行為を「異常」などと嘲笑しているのです。」(金光翔陳述書)

と述べている。『週刊新潮』によると、自分たちに記事を書かれた側はそれがどんな内容のものであれ黙って受け入れないといけない。反論したり抵抗するものは「異常者」なのだそうである。実際、この発言に顕われている『週刊新潮』という雑誌は、普通の常識ももたなければ、善悪に関する倫理観も一般とは遠くかけ離れた、いわば暴力を旨とする「ならず者」のごとき心性や信条をもった集団ではないかと疑いたくなる。

『週刊新潮』はもともとそういう週刊誌なのだと思えば、そのように考えることもできなくはない。しかしそれで済ますことができないのは、「岩波関係者」の行動・言動である。

「岩波関係者」が『週刊新潮』編輯部にどこから電話をかけたのかということも気になる。自宅、会社、あるいはそのいずれでもない第三の場所。どうも私は会社からかけたのではないかという気がするのだが、どうだろうか。というのも、反人権雑誌、スキャンダル雑誌として名高い『週刊新潮』に、岩波書店の社員が、たとえその人物がどんな性格、どんな考え方の持ち主であるにせよ、自分の意志で「岩波関係者」と名乗って他の社員の個人情報を流すというようなことはさすがにしえないのではないかと思うからだ。24日に『週刊新潮』がこの「岩波関係者」から取材できたという内容は以下のようなものである。

①原告が、入社した際には通名であったが、いつの間にか本名の「金光翔」を名乗るようになっていたこと、②原告は、(略)他の部員の些細な発言を取り上げて、「差別だ!」と大袈裟に批判したことがあったこと、③原告が、編集会議で、佐藤優氏の文章を掲載することに激しく反対し、「佐藤は○○主義者」とレッテルを貼った上で、「反総連の記事はけしからん!」「何故、佐藤を連載に使うのか!」などと言って編集長が一度決めた方針にまで激しく抗議をしていたこと、④岡本厚編集長も原告を持て余し、会社もそのような状況を把握して、平成19年に校正部に異動になったこと、

上記の発言内容は、どれをとっても、これが事実であるか、歪曲や虚偽であるかを判断する以前の問題として、「岩波関係者」が、個人の判断で他雑誌に話せる性質の情報であるとは私にはどうしても思えない。特に、④の「岡本厚編集長も原告を持て余し、会社もそのような状況を把握して、平成19年に校正部に異動になったこと」という人事に関する情報は、一つ間違えれば社内外に大波紋を惹起しかねない内容である。この発言主が誰の目にも岩波書店の社員であることはミエミエであると考えれば、解せないのは岩波書店上層部の反応である。社員が『週刊新潮』に対しこれほど踏み込んだ内容の発言をしているというのに、この点に関する金光翔さんの問いに対する岩波書店の上層部の応答を見ると、役員の誰一人としてこれにまともな関心や注意を払おうとしていない。心配もしなければ苦にもしていないように見えるのだが、これは不思議なことである。そして、この「岩波関係者」の発言が『週刊新潮』に載ったことの責任をも金さんに負わせようとしている。「首都圏労働組合特設ブログ」の「岩波書店による私への「厳重注意」について① 」には、

「会社によれば、『週刊新潮』の記事によって生じた会社への不利益も、私が論文を発表したことに責任があるとのことである」

と書かれている。また、

「社員が社員を外で公然と批判するのは会社が困るということです」

という金さんの論文に対する編集部長の発言も掲載されている。けれども、この「岩波関係者」が『週刊新潮』で行なっていることは、「社員が社員を外で公然と批判」どころか、「社員が社員を他雑誌で大々的に誹謗・中傷」、その上、人事情報の漏洩さえ疑われるのだが、岩波書店上層部の言動にはそういうことに注意を払う気配が露ほどもないように感じられる。これはなんともおかしなことである。
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2010.05.30 Sun l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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