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二、三日ぶりに出かけたウォーキングの帰り、一時間半ほど歩いてもうすぐ家に帰りつくという時に、道端でふと武田百合子の随筆のどこかに載っていた話が頭に浮かんできた。夫である武田泰淳が死んだ時、葬儀の場で読経を唱えているお坊さんたちの目からとめどなく涙が溢れ出ていたという話である。百合子さんは、そういう場面を初めて見たと書いていた。武田泰淳は浄土宗のお寺の生まれ。お坊さんの中には武田泰淳を子どもの時から知っていた人もいたのだろう。当時(1976年)、自分が若かったせいか、私は武田泰淳の死をさほど若死にとも感じていなかったが、実はまだ65歳だったのだ。

急にこんなことが思い浮かんだのは、先日、武田泰淳の小説や評伝を二、三、読んだからだと思う。家に帰ってから、たしかあの話が載っていたのは「日日雑記」ではなかったかと本を探し出して見てみたのだが、肝心のその場面は見当たらず、富士山麓の山荘の隣組である大岡昇平や、山荘を建てた時からのお馴染みの登場人物である石屋のトガワさんが出てきて、思わず読みふけってしまった。武田百合子の随筆は最初の「富士日記」から始まって、どの本、どの場面をとっても生き生きとしていてまさしく傑作揃いと思うのだが、せっかくなので(何がせっかくだか自分でもよく分からないが(笑))、今日は、トガワさんが百合子さんの山荘を訪ねてきて話をしていく場面を引用しておきたい。1983~84年頃の文章だと思うのだが、かねてから読むたびにおもしろいと思っていたところなのだ。

「 快晴。タケヤア、サオダケエ、と昼ごろ竿竹売りの車が、めずらしく山まで上ってきた。一本も売れなかったらしい。暫らくするとタケヤア、サオダケエの声を流しながら下りていった。
 何だか今日もトガワさんが来るような気がした。三時ごろトガワさん来る。右脇に紙包、左脇にカボチャを抱えて庭を下りてきた。私はこの間貰ってまだ食べずに棚に置いてあるカボチャをいそいで隠した。紙包はきゅうりと茄子ととうもろこしとじゃがいもとにんじん。
 トガワさんが今日してくれた話。
 トガワさんの家の敷地は九百坪ぐらいある。坪十五万円ぐらいはするから、いまは大へんなものだ。昭和三十年ごろは全体で三千万円だった。でも、その前までは三十万円ぐらいだったそうだ。土地が高度成長の一時期に値上りしたから、土地成金がこの辺でもうんといて、土地の争いも絶えないそうである。(この山小屋を建てるとき、石工事一切をトガワさんに頼んだ。そのころトガワさんは、自分の石山から発破で切り出した石を運んできて石垣や土留めの石段をこしらえる石屋さんだった。いまは公共事業も請負う土建会社の社長さんである。胸に金色のポールベンをさしてる。)
 トガワさんの弟さんも石屋さんをやっていた。弟さんは旧登山道の上り口に七百坪ばかりの土地を持っていたが、敗戦後、ホンダのバイクがどうしても欲しくて(なぜ欲しいかというと、それにまたがって石山へつっ走って行きてえという気持だとトガワさんは説明を加えた)、坪百五十円だかで手放して、ホンダのバイクを当時六万円か七万円で買ったのだそうだ。
「いまになって考えてみりゃ、損をしたです。いま持ってりゃあ、あの辺は坪七万か八万、九万、いやまっとするら。七万としても四千万か五千万のものになってる。ホンダのバイクはいまでも六万か七万で買えるら」
「あたしの兄さんという人もね」似たようなことを思い出したので私も話した。「丁度そのころだと思う。ラッキーストライクが喫いたいばっかりに山林を売り払いましたよ。あのころのアメリカ煙草は禁制品で進駐軍PX横流しの闇値段だったから、えらく高かったでしょう。もっともまだ煙草の喫えない弟妹(あたしら)にも、ふんだんにPX横流しのドーナツとか金紙に包んだ胡桃入りの玉チョコなんか買ってきてくれたから、みんなして寄ってたかって肺や胃袋に入れたわけ。アメリカ人になったみたいだなんてね、うっとりして……。あっという間に山林は煙になって、たちまち日本人に戻っちゃった」
 トガワさんは、いままで遠慮して食べないでいた焼きいかへ矢庭に手をのばすと立て続けにくしゃくしゃと食べはじめた。そうして、かねがね猿蟹合戦に登場する粟の髭武者のようと私が感服している古風な顔を、お酒を飲んだように真赤にして、そうかねそうかね、と肯きながら低く笑いだした。笑いがとぎれると、涙の出てきた眼をこすり、そうかねそうかね、山林が……そうかねそうかね、とまたくり返して、ずい分と長い間笑っていた。
 毎年そうだ。いまごろは虫にくわれる。二人ともシャツの上から、鳩尾やお腹のあたりを無茶苦茶にひっかきながら話をした。
 夜、机の上でキンバエが、金色の卵みたいなものを(宇津救命丸ぐらいの大きさ)ころがして、いつまでも遊んでいた。虫か何かの眼玉か。
 追記。トガワさんは、山林が煙になった話が何故か気に入ったらしく、このあともくる度に私にその話をさせようとして、それとなく水を向けるので、私は何回か同じ話をした。トガワさんは待ちかまえていて、ひとしきり笑った。」(「日日雑記」中央公論社1997年)

トガワさんの入ってくる様子を見て、「この間貰ってまだ食べずに棚に置いてあるカボチャをいそいで隠した」というところがおかしい。ラッキーストライクのような話を聞くと、一度だけではなく何度でも聞きたくなるのは人情であり、話をしてくれるようにそれとなく水を向けるのは、きっとトガワさんだけではないのではなかろうか。
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2010.08.25 Wed l 文芸・読書 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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