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玉井策郎氏は、1949(昭和24)年から1955(昭和30)年までの6年間、大阪拘置所の所長を務めた人だが、在職中の1953年に「死と壁―死刑はかくして執行される」(創元社)という本を刊行している。死刑に関してはおびただしい質量の書籍・史料があるが、「死と壁」には、獄中における死刑囚の生活や精神の状態、特に処刑前後の心情が手に触れるように克明に率直に記されていて、私が読んだ死刑関連の本のなかでは最もふかい感銘を受けた一冊であった。玉井氏は大阪拘置所に赴任する前は、長崎の少年刑務所に勤務していられた。少年たちの更生に携わる仕事に誇りと喜びとを感じていて、大阪拘置所への転任通知を受けたときは、一度は鄭重に断ったそうである。理由は、大阪拘置所には死刑囚がいる、所長として死刑執行に中心的に関与しなければならないが、その重荷に耐えられそうもないと思われたからだそうだが、しかし二度目の異動命令にはもう逆らうことは許されなかったということである。

「死と壁」には次のような文章が見られる。

「よく私が人から聞くことですが、死刑囚の取扱いが余り寛大過ぎる。もっと因果応報ということを知らしめて、自分の犯した罪の報いというものの苦しさを味わわすべきだという意見があります。しかし、これは人間としての彼等に接していない人の、誤った考えだと思っています。人は決して肉体の苦しみによって、自分の行為を反省するものではありません。その証拠に、同じ職員の中でも、規則一点張りの、厳格過ぎる職員に、保安上の事故が度々演じられているのが、その一例です。/厳し過ぎず、甘やかさず、彼等の立場を、自ら認識させるには、どうしても彼等を理解する上に立った愛情が必要なのです。すべての死刑囚に対する処遇の根本は、そこに源を発していなければならないということは決して言い過ぎではないでしょう。」

上記のように玉井氏が「死刑囚の取扱いが余り寛大過ぎる」と人から聞くというのは、一つには、当時の死刑囚の処遇が現在とはまったく異なっていて、各刑事施設に任された自由裁量の余地が大きかったことによる。1963年、一片の「法務省通達」によって突如打って変わって自由が厳しく制限されることになったわけだが、それまでは部屋で小鳥を飼ったり、短歌や俳句の会、お茶の会、生け花の会、野球大会など、死刑囚同士の交流も定期的に行なわれていたし、外部との通信や面会もほとんど制限なく許可されていたそうである。玉井氏の運用による大阪拘置所の処遇は特に寛大だったらしい(作家の加賀乙彦の弁。東京拘置所精神医官であった加賀乙彦は玉井氏が去った後の大阪拘置所を訪れて、職員から玉井氏にまつわる敬意のこもったさまざまな話を聞いたという)。著書からもう少し文章の引用を続けたい。

「死刑囚と呼ばれる見捨てられた人達も、決して生れながらの極悪人ではなかったのです。そのことは、私達が毎日彼等に接していて初めて身に滲みて感じられてまいります。/ 人を殺したような人間が何が可哀相だとおっしゃる方もあると思いますが、それは彼が罪を犯し、犯した直後までの話ではないでしょうか。/ 人知れず被害者の霊を慰めながら、自分の運命を達観して、死を通り越した未来に生きようとする修養に懸命になっている死刑囚は、時には私達以上の清浄な世界に呼吸している人間でもあるのです。/ ですから、私達が彼等を取扱うのにも、これが極悪人だという気持ちでは接しておりません。」

「死刑囚は、死というものに異常な神経を働かしております。これがとても一般の人には想像も出来ないほど敏感なのです。一例を申しますと、刑務所に収容されている受刑者で、5年、10年独居生活を続けている人であっても、遠くで聞こえる鍵の開け方で誰が開けているかを的確に当てる人はおりませんが、死刑確定者は、ものの3ヶ月もすれば、足音を聞いただけでどの職員が歩いているか、(略)誰が開けたかを大体知っております。そんな調子でありますので、今日は誰それが執行される日だと知ると、その時間には同囚のその場の光景を自分の身にあてはめて、恐ろしいほど神経が緊張しているのです。/ 希望のない、死を目前に控えたこの人達の苦痛というものは、一般の方々の想像を絶するものがあるのです。もしこの苦悩のあるがままに、生きたい本能から生まれた狂乱のような心のままで死刑を執行するとしたらどうでしょう。人間が同じ人間を裁くとしましても、それはあまりにも残酷な仕打となるのではないでしょうか。」

「現在、死刑という刑罰があるかぎり、これを否定するわけにはまいりません。(略)少しでも残酷でないようないろいろな配慮があってこそ私達の気持も僅かながらも充たされるのでありまして、刑をあえて残酷に執行するようなことがあっては私達矯正職員の名に恥じるのです。いや人間としてそれは許される行為ではないのです。/ 私達は懸命に、この人達を導くことに努力しております。冷ややかな、そして恐怖におののいている死刑囚を、温かい、生命の本当の姿を見出す人間に立ち返らすために、出来るだけの真実と愛情を捧げて努力しているのです。」

「ある死刑囚にこんなのがありました。彼は一切の宗教を否定し、彼に注がれる一切の愛情を彼自ら振り切って、何事によらず曲解し、どうせ死ぬ身だという捨鉢の気分で、死ぬ日まで所内でも凶暴性を発揮していたのです。(略)職員も彼には全く手の施しようがなく本当に困った存在でありました。死刑執行の当日でした。いよいよこれでお別れという最後の時です。私はその男の手を握って、「あなたは決して悪い人ではありません。こうしてお別れしなければならないことを、ここの職員一同どんなに悲しんでいるかわかりません」と、こう申しますと、彼はその場で大声をあげて泣き出し、「これ程の悪人をまだそんなにまで言って下さいますか。ああ、このまま死ぬのが口惜しい。せめて一日でも人間らしい私を見て頂きたかった」そして「自分は執行場でウンと暴れて暴れて暴れ廻して、一人ぐらい傷つけて死ぬ気でおった。それがもう今の一言で出来ません」そういって、実に静かな微笑を浮かべ有難うございましたの声涙を残して去って行きました。/ 最もたちの悪い死刑囚の一例がこれであります。(略)無闇な圧力では駄目なのです。 」(「死と壁」より)

当時、玉井策郎氏は、執行の2日前に当人を部屋に呼んで「残念ですが、お別れしなければならなくなりました…」と自らの口で執行を告げていたそうである。家族、親族、友人と最後の面会をしたり、遺書を書いたり、心の準備をするための時間を与えていたわけである。その2日間の時間について想像をめぐらせると、これもまた残酷なことに違いないと思えるのだが、しかし現在のように、朝食後、いきなり執行のために刑務官に独房を急襲されて連行されるよりはやはり人間的であるとは言えるのだろう。ある時、玉井氏は、執行を明日に控えた死刑囚から面と向かって「死刑執行官は、ある意味から言えば体裁のいい殺人犯だ」ととつとつと言われたことがあるそうである。「死と壁」には、その時「その言葉を打消す勇気が出なかった。」と記述されていた。

   
1956(昭和31)年に高田なほ子、市川房枝、羽仁五郎などの議員によって国会に死刑廃止法案が提出されたことがあるが、この法案提出に弾みをつけ、後押しをしたのは、玉井氏の「死と壁」だったと聞いたことがある。周知のようにこの法案は審議未了で廃案になったのだが、この時「法務委員会公聴会」に玉井氏は論者の一人として出席して死刑廃止の弁を述べている。これは「法務委員会公聴会」記録として今も残っているので、ここから玉井氏の弁論部分を抜粋して以下に掲載する。この時の出席者は、議員として、高田なほ子、一松定吉、宮城タマヨ、赤松常子、羽仁五郎、市川房枝など。また公述人としては、木村亀二(東北大学教授)、正木亮(弁護士)、渡辺道子(Y・W・C・A常任委員)、河野勝斎(日本医科大学事務総長)、古畑種基(東京医科歯科大学教授)、吉益脩夫(東京大学教授)、島田武夫(弁護士)、森戸じん作(弁護士)、等々。(なお、強調のための下線・太文字は引用者による)


第024回国会 法務委員会公聴会 第3号

昭和31年5月11日(金曜日)
   午前10時44分開会
  ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
刑法等の一部を改正する法律案(高田なほ子君外6名発議)
  ―――――――――――――
委員長(高田なほ子君) これより法務委員会公聴会を開会いたします。/ 刑法等の一部を改正する法律案を議題に供します。公聴会の問題は、死刑廃止の是非についてであります。

  ―――――――――――――

委員長(高田なほ子君) 次に、奈良少年刑務所長の玉井策郎さんにお願いをいたします。

一松定吉君 ちょっと私、御講演をなさる方にお願いがあります。まず結論を出していただきたい。死刑廃止には賛成、反対と、それから何ゆえに賛成であるか、何ゆえに反対であるかというように、それを説明していただくと、おれわれ非常によくわかりますから、どうかそういうように御講演を願いたい。

公述人(玉井策郎君) 私は、28年間の刑務官生活と、その間に6カ年間の間の死刑確定者のめんどうを見さしていただいた経験から、死刑の廃止に賛成するものであります。
 この理由について、一応しばらく話してみたいと思いますが、これは、あくまでも私個人の考えであるということを御了承願いたいと思います。
 刑務官すなわち矯正職員の任務は、受刑者を矯正して、善良なる国民の一人として、この社会に復帰させることであります。従って私たちは、私たちの職責を遂行するに当ては、常に私たちは教育者であると自負し、誇りを持って私たちの仕事に精励しているのであります。と同時に、受刑者に対しても、その心構えをもって常に接しておるものであります。ところが、この死刑確定者、いわゆる極刑者に対しては、この尊い教育者としての使命は通用いたしません。人の生命を奪って何の教育でありましょう。教育と死刑、この二つの相反する現実に直面する私は、その大きな矛盾に悩んできたものであります。死刑という刑罰が存在する限り、そしてその執行を私たち矯正職員が行わなければならない限り、私は方便的に任務を遂行するのであって、そこに教育としての良心は片鱗をも示すことはできない。人殺しとみずからあざけっておるものであります。この点から考えても、私は当然死刑は廃止してほしい。そして、もし直ちに廃止することができないとするならば、さしずめ死刑の執行は矯正職員にやらせることだけは、せめて直ちにやめさしてもらいたいということを懇望するものであります。(拍手)これは、私が過去6カ年間大阪拘置所長として、数多くの死刑確定者と接し、彼らの死刑執行に立ち会ってきた経験から結論づけられたものであります。
 前にも話したように、私は昭和4年にこの刑務官を拝命しました。昭和24年から昨年まで、まあ6カ年大阪拘置所長として勤務しました。その間に、46人の人の死刑の執行をして参りました。言葉をかえて申しますというと、いかに法律という定めによって、この手続によって執行するとはいえ、46人の人々を私は殺してきたものであります。死刑は人間が人間の生命を剥奪することであって、これほど血なまぐさい残虐な刑罰はありません。憲法にも規定してあるように、公務員によるところの拷問及び残虐な刑罰は絶対に禁じている。でもあるのに、私はこの残虐な刑罰を執行し、目撃せねばならないのであります。個人的には何の恨みもないその人間を人間が殺す、その不法の瞬間を私思い知らされてきたのであります。凶悪な犯罪は、もちろん天人ともに許されるところではありません。ただ、目の前に起った犯罪の事実だけでそれを見て、その人間が生れつき野獣性のある人間だと断定して、絶対に真人間にはなれない極悪非道な悪人だときめてしまっていいのでしょうか。私が6カ年間に接してきた、そうして送った46人の人々は、やはりその性は善でありました。人間としての美点も持っておりました。いな、かえって自分の犯した大きな罪に対して反省ができてからの彼らは、むしろ私たちよりも、その心の持ち方ははるかにすぐれておったのであります。そんな気持になった彼らをも殺さなければならない。何が何でも、人を殺した以上、その人を殺してやるぞというような応報的な考え方、目には目、歯には歯をというようなかたき討ち的な考え方の中に、どこに教育的な要素が見出せましょう。私たちが刑罰執行の場としての刑務所での受刑者に対する考え方、すなわち教育的な行刑理念とは、これは根本的に合致しておりません。最初に申しましたように、私たち矯正職員は、刑の執行と同時に、受刑者を更生させて、社会に復帰させるという大使命、これをもって彼らに彼らの間違った考え方、行為を反省させて、これを善導し、教育して、再び社会のりっぱな一員として世の中に送り出すことに懸命の努力をしているのであります。彼らを矯正して、一日も早く刑務所の門から社会に送り出すことに、ほんとうの生きがいを感じているものであります。この喜び、この感激を踏みにじるものが死刑の存在であります。何としても死刑を廃止しなければなりません。このように苦しみ悩みながら、私は法と義務、人情と道徳のジレンマに陥り、その苦しみ悩みをごまかすために、法律の定める手続によっているのであるからとか、公共の福祉に反する場合はとか、火あぶりやはりつけと異なって、現在の執行方法は普通各国で行われている方法であって、さほど残虐ではないんだなどと自己弁護をして、彼らに接する場合には親切に、そうしてその執行後の死体は丁重に埋葬してやるというようなことによって、みずからを慰める方法を見出し、辛うじて自己満足的な理論の裏付けをしようとして苦しんできたのであります。どんなにしかしごまかしてみても、人間が人間を殺すということは残虐であります。これ以上の残虐はないと思います。もちろん自分は現在死にたくない、死の恐怖におびえている彼らは喜んで死ねる境地、この境地は実際に本物かどうか、あるいは私だけの自慰かもしれません。この境地にまで持っていき、絞首台に立ったとき、安心立命して往生させようと、文字通り懸命の努力はして参りました。しかし、それでもなおかつ死刑の執行が残虐であるという事実は否定できません。私は、死刑執行のつど、このように考えました。日夜多くの職員あるいは教誨師その他の関係の方々の努力によって、こんなにまでりっぱな人間にしてやったのに、もし社会がこの人に何かを求めようとするならば、普通の人以上にその期待に沿える人間にまでなった。この成長した人を、それなのに、何ゆえに今になって彼らを殺さなければならないかという疑問、死刑を存続させるという考え方は応報刑罰にほかなりません。従って、教育刑を信奉する刑務官としての私は、死刑は廃止すべきであると結論し、現在の死刑に該当する犯罪者に対して、もっと合理的な、かつ、もっと効果的な制度があるのではなかろうかと思うのであります。不定期刑制度等もその一つではなかろうかと思います。
 死刑廃止の根拠は種々ありますが、矯正職員である私の立場から以上を論じ、死刑廃止に賛成するものであります。(拍手) 」(「法務委員会公聴会」より)



「第024回国会 法務委員会公聴会 第3号」の全記録は前記のサイトで読むことができる。玉井氏の著書「死と壁」は現在は絶版になっているのではないかと思われるが、92年に「弥生書房」から新たに刊行されているので、公立図書館にはだいたい備わっているのではないかと思う。一読をお奨めしたい。
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