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「首都圏労働組合特設ブログ」における前回の「岩波書店労働組合員、会社に対して私への弾圧を扇動 (09/02)」 と、今回の「岩波労組、会社に対する金への弾圧扇動をエスカレートさせる (09/27)」を読んだ感想を書いてみる。とはいえ、一体何から、誰に向かってどう書いていいのやら、途方にくれる心持ちがするのだが、そして外部の者が余計なことを書いて金光翔さんが社内でさらに困った事態になるかもしれないと危惧する面もあるのだが、そうそう黙ってもいられない。「岩波労組」はあまりにも酷すぎる。その行為の程度はもはや「残忍」という言葉を使ってもいいレベルにあるようにも思える。

まず頭に入れておくべきは、岩波労組員は全部で200人前後、対する金光翔さんはただ1人だということである(松岡氏は会社を批判する文中で、「強気に易し、云々」と、まるで金さんが強者であるかのように書いていたが、実はあれは自分たちが大勢でたった一人の人物をいじめていることを内心ちゃんと知っていて、そのことを自分自身にもまた外部に対しても打ち消し、否定するためにあのようなことを書いたのではないだろうか? そうでないとしたらあまりにも怖いことだ)。前回のエントリーの「岩波書店労働組合員、会社に対して私への弾圧を扇動」のことで、金さんは岩波労組委員長と執行委員の二人に呼び出されて組合文書の「無断引用」をしているということで注意を受けたそうである。そこで金さんは当然、松岡という人物が書いた文章のなかの

「全社員に関わる社員の安全や信義に基づく情報の安全の不安には、穏便路線で対応し、非正規雇用の組合員には、「期間雇用のカベ」を行使する。こんな強気(金注・ママ)に易し、弱い者に不利益を与えるという岩波書店の理念を踏みにじる、あるいは労使慣行的にも変則的な仕打ちをすることを、絶対に許すことはできない。」

という言葉や、新たに催した組合アンケート(このアンケートも金さんを中傷し、いやがらせをするためにわざわざ企画したのではないかと疑いたくなる面もあるのだが…)の中に出てくる金さんへの中傷と思われる「ヤクザみたいな男」などの発言について、執行委員としてこれらのことをどう考えているのかと訊ねたところ、委員長と執行委員は

「金が「弾圧を扇動している」などと言っている松岡氏の文章の該当箇所は、そもそも何を言っているのか自分たちは分からない。松岡氏は特定の個人や団体を挙げているわけではないし、これを読んだ岩波労組員が、松岡氏が金や首都圏労働組合について語っていると受け取るとは思えない。>」「「ヤクザみたいな男」という表現も、金を指しているとは自分たちは思わなかったし、これを読む岩波労組員もそうは思わないだろう。誰を指して言っているかは全く分からない。」(強調の下線は引用者による)

などと答えたそうだが、不思議な応答である。松岡氏が会社に対して「情報の安全の不安には穏便路線で対応し」とか「こんな強気(金注・ママ)に易し、弱い者に不利益を与える……仕打ち」などと述べている発言内容は誰の目にもまったく尋常ならざるものだが、労組委員長と執行委員のお二人がこの発言について金さんを指していると思わなかったのだとしたら、あるいは松岡氏が錯乱や狂気に陥っているとでも考えたのだろうか? アンケート調査の結果についても同じことが言えると思う。これらの発言が「誰を指して言っているかは全く分からない」という二人の発言が事実なら、こういう調子ではお二人は物事に対して小学生以下の判断能力しか有していないと考えられるので、出版社の仕事は勤まらないのではなかろうか。否、仕事以前に社会生活を営むのも困難なのではないかと思えるのだが、どうだろう。そもそも、松岡氏は金さんが自分を名指しで批判した前回の記事を読んで何と言っているのだろうか。「自分は金さんを指してあんなことを言ったわけではない」、「これは完全な濡れ衣だ。事実はこうだったんだ」とつよく抗議・反論しているのだろうか? もし前回の金さんの記事が的外れなものだったとしたら、松岡氏は当然そうしているはずだろう。

それよりも私はここで委員長と執行委員のお二人に聞きたいことがある。訴訟の問題に関連するので微妙な問題かも知れないが…。「岩波関係者」とともに『週刊新潮』の取材に応じた「岩波組合関係者」とは一体誰なのか? 食堂に張り出しているくらいなのだから「公開の文書」と思われる組合文書をブログに引用したとして金さんに抗議をするより、組合執行委員がまずやるべきことは、一社員をスキャンダル週刊誌に売るという破廉恥な行為をしている組合員が誰なのか、執行部一丸となって真摯に話し合い、調査し、その結果を金さんに報告し、陳謝することであろう。それが普通一般の人間のとるべき態度である。

もう一つ。岩波労組は、昨年の10月1日に、「組合費を払わず、組合に敵対する行動をしている人は、除名すべきです。そのような人に、春闘・秋年闘の果実である一時金を与えるのは、公平を欠きます。」などというコメントを載せた文書を全組合員に配布したそうだが、金さんによると、自身が加盟している「首都圏労働組合は、岩波書店労働組合とは別途、春闘・秋年闘の一時金を要求している」とのことである。この時点でこの人物は金さんに謝罪するのが当然であろう。その上、一時金は、「組合員ではない部課長にも全く同様に(組合員と同基準で)支払われるのである」そうだから、組合としての一時金の位置づけは「給料の後払い」ということではないのだろうか。だとしたら、二重にも三重にも人を侮辱した、どうにも始末に終えない発言の主だと思う。

このような体制では、岩波労組は一風変わった「チンピラ集団」にしか見えない。そもそも私はこれほど酷い組合の話をほとんど聞いた記憶がない。

これは岩波労組だけのことではないが、前々から私はそう感じていたのだが、佐藤優氏を中核にした周辺一帯はまるでジョージ・オーウェルの「1984年」の世界のようである。実によく似ている。話していること、書いていることが、即そのまま信じられることはほとんどなく、これは本当のことか、とか、あるいは何らかの裏の思惑があるのではないかと常に疑心暗鬼を感じさせるところが。

もし2007年暮れに金さんの「<佐藤優現象>批判」が出ていなかったとしたら、どうだっただろう。これでも佐藤氏周辺は多少は自分たちへの批判の目を意識してはいるだろうから、もしあの論文の発表がなかったならば、状況はますます酷くなっていただろうと私は感じる。当時、私はかりに金さんが今批判文を書かなかったとしても、そのうち他の人がどのような形式にしろ厳しい批判文を書くことになっただろうと思っていたが、その後の事態を見ると、あのように体系だった洞察の行き届いた批判は出なかったおそれがある。不信の内容は金さんと少し異なっていたかも知れないが、同じように佐藤氏の書くもの(二枚舌そのものの文筆活動。一体、このように公然と媒体によって主張を使い分け、読者をごまかしつつ文章を書きつづけた人物が戦前・戦後を通して一人でも存在したのだろうか? これは本来スパイだけがやることである。しかしスパイならば両極端の考え・思想を双方ともに堂々と公衆の目に曝すことはできない。常に緊張の中にいるはずである。佐藤氏はあちこちの出版社やライター仲間などの協力・支援によってちょこまかと筆先を操作し、ごまかし、騙すことで文筆活動をしているのである。本心を言えば、私は国家権力の強制もなしに、まともな出版社がこのような行為に手を染めたり、手を貸したりしたことは国際的にもないのではないかと思っている。ここ数年もしやそういう話がどこかに出てないか本を読む時など気をつけているが、少なくとも公的には見当たらないようである。このような問題について岩波書店上層部、および岩波書店労働組合の見解を聞きたいものである。)に不信感をもっていた私は金さんがあの論文を書いてくれたことに読者の一人として感謝している。

そのような事情も作用しているのかも知れないが、私は金さんが『世界』編集部に佐藤優氏の起用に異議を唱えたこと、それが受け入れられなかったことで『世界』編集部を離れたこと、組合を見切って離れたこと、自らの観察したことを論文として雑誌に発表したこと、またその後も労使一体となったいじめ・いやがらせにもかかわらず職場としての岩波書店からは離れなかったこと。それらの一連の言動に、2つの文章を重ねることがある。一つはある小説の一場面なので引用するのはやめておくが、もう一つは藤田省三の次の文章である。この際だから、引用しておきたい。題名は「離脱の精神」、初出は1978年の(『アサヒグラフ』11月3日号である。(わりと難解な文章かも知れないので改行の部分は引用者の判断で行を空けることにした。)



  離脱の精神 ――戦後経験の一断章―― 

 「俺たちは公務員であって軍人ではない。だから戦争には参加すべきではない」という決議を、海上保安庁の掃海艇の乗組員が、連れて行かれた戦争の現場で行なって、断然たる戦線離脱の挙に出たことがあったようである。一と月ぐらい前になろうか、テレビの第一チャンネルで映された「朝鮮戦争秘史」という記録がその事実を伝えてくれた。

1950年(昭和25年)10月のことであった。米軍は三八度線の遥か北に位置する元山に上陸作戦をやろうとして、その辺りの海域の機雷を一掃するために日本の掃海艇を動員したのであった。たくらんだ者はもちろんマッカーサーたちであったが、そのたくらみに応じたのは吉田茂と初代海上保安庁長官大久保武雄であった。そこで、太平洋戦争中に日本の海一円にバラ撒かれていた機雷を取り除く作業に従事していた掃海艇が、行先も漠然としか知らされないで下関の唐戸桟橋に呼び集められた。そして、怪し気な雲行きを察知して船出を嫌がった乗組貞を、無理やりに急き立てて元山沖まで直行させ、米海軍と一緒に掃海作戦に参加させた。一隻の日本の掃海艇が機雷に触れて爆沈し一人が死んだ。それを機会に「能勢隊」という一隊の人達は現場で会議を開いた。冒頭の一句はその時に発せられた。それは事実上、戦線離脱の宣言であった。現地の米軍司令官は激怒して荒れ狂ったが、能勢隊は平静にそれに抗って一隊だけさっさと帰国し、能勢隊長は帰国後、職を奪われた、という。

 これを伝えたテレビの記録は、当事者の各種の人々のナマの声を集めているために、一層の迫真力を持っていた。例えば、マッカーサーや吉田茂とともに事の決定に参画した大久保長官は、さも誇らしげにその動員経過を喋っていた。(何と阿呆らしい誇りであろうか。)能勢隊長は、隊員一同の意向を尊重した、あの決断について、いくらか沈痛な面持ちで語っていた。(真面目な人柄がうかがわれるようであった。)一般の乗組員は当時の不安や当惑を正直に話していた。(国際的権力関係のコストや国家の重荷などを無理やりに背負わされる者の感慨がそこに現われていた。)その光景だけで、もう、大久保長官などの司令部連中と、戦争の現場を突然押し付けられた人達との間のコントラストは歴然としていた。その脈絡の中で発せられた「我々は公務員であって軍人ではないから戦争には参加すべきではない」という言葉は鮮かに生きていた。

 恐らく能勢隊の人達の中には旧海軍軍人がかなりいたことであろう。そして戦後も生活手段を求めて保安庁に属し危険を伴う掃海艇に乗っていたところから推測すると、この人達の生活問題の逼迫もさることながら、考え方の点では、旧海軍的な物の見方に対して甚しく批判的な地点に立っていた人達とは思えない。占領軍や日本の当局も多少はそこの点を見込んで命令したのでもあろう。そういう人達から断乎たる文民宣言が出たのである。戦後五年間の激動の中で獲得された歴史的経験がその宣言を無意識の裡に彼らの精神的身体の中に用意していたのに間違いない。現に「公務員」という単語からして戦前の日本にはなかった。いわんや、上からの命令を拒否して戦線離脱を積極的に主張させるような「公務員」概念は五年前までは想像することさえ出来なかった筈である。この事件の起こつた時点においても、そして民主主義が「定着」したなどと言われる今日においても、日本の役人の世界でこういう「公務員」概念は一般的には無かったし今もない筈である。戦後日本の精神革命は、この比較的に「保守的」な人々が否応なしに決断を迫られた此の時におのずと口にした一句の中に、その小さなしかし奥深い結晶物を人知れず表出していたのである。

 戦後の占領の制度的帰結の一つである「法律革命」が、「ザ・パブリック・サービス」という英語の直訳としての「公務員」を、戦前の「官」(それも元々は矢張り古代律令国家の行なった法律革命に際して中国帝国から直輸入したものであったのだが)に換えて使用するよう命じて以来、今日まで続いている単なる名称革命がこの時にだけ(と言っても過言ではないであろう)その名にふさわしい精神史的結実を自発的に産み出していた。しかもその精神の表現が、その「名称革命」を強制的に推進して来た当の権力である米軍に向かって対抗的に提出されている点に注目するならば、如何にその場合に能勢隊の示した文民としての「公務員」精神が自主的で本物で内面的確信に裏づけられたものであったかが分る筈である。名称としての「公務員」の出自が英語の直訳であることなどは此処ではもうどうでも良いことである。文民であることを普遍的価値に基く義務だと考えている精神と、そういう者に軍事行動を強制している権力との対抗だけが現実の問題状況だったのである。その問題状況において文民精神を貫徹する者こそが平和の戦士なのであり反軍国主義者なのであり、在るべき姿における「公務員」なのである。こうして戦後精神は此処に輝かしい一頂点を産み出していたのであった。

 むろん、この能勢隊の人達の内面には戦前から連続して勇気という徳が生き続けていた。そしてその勇気は戦後5年間の経験によって鍛えられて本来あるべき姿へと形態変化を遂げ、団体と権力とから加えられる「卑怯者」という罵声に耐えながら、決然として離脱を通告できる程にまで精神的に成熟したのであった。その成熟過程には、制度や組織によって強制されるままに唯唯諾諾として虚偽の「己が罪」を「告白」する悲惨な「自己批判」とは全く逆の、社会の精神を自己と共に再生させ復活させる本来の自己批判――歴史によって貫かれながら、そのことを通して、却て歴史そのものを変えていく相互主体的な自己批判――が明かに伏在していた。戦後革命の光栄ある核の一つは其処に在った、と言ってよいであろう。

 そうして、本当の精神的な勇気とは、それが精神である以上、組織的戦闘行為に加わって人一倍の勇敢さを示す場合よりも、むしろ団体権力の圧迫と衆を恃んだ便乗的批難とに抗して敢えてそこから離脱する決心をする場合にこそしばしば現われ出るものである。古代以来の歴史においてすでに、その精神的勇気は或は「ストア的退却」と呼ばれたり或は「エピクロス的撤退」と名づけられたり又或は「世界の断念」と言われたりした。しかしそう呼ばれた人たちこそが、堕落したポリスからの厳しい離脱によって、人間に、考えることの意味――「哲学」――を教えた。私たちは、必要とあらば、いつでも、どんな団体からでも離脱することが出来なければならないであろう。そうする時、その団体は、批難・中傷・罵声などのような言論的表面においてではなく字義通り身を以て行なわれた批判に曝されるのであり、そこに生まれる団体の危機の自覚を通してだけ、団体の構成の在り方は内側から変えられることになるであろう。

 私たちが例えば国家から離脱したからといって、それは私たちが日本人であることを否定することではなく、むしろ逆に、団体意識の過剰な日本を改めて、公平な感覚を備えた日本へと変えることにつながる筈である。その他の政治団体についても文化団体についても、職場であろうと地域体であろうと、事情は同じである。離脱の精神を含まぬ単純な「参加」主義は、「翼賛」という名に代表される左右大小さまざまの追随主義を産む。そのことは既に歴史が痛烈に教えている。

 「離婚」の自由という原則的危機を絶えず包蔵する時にだけ、「結婚」における結合の積極性は存在しうる。分離と結合、離脱と所属、等々の弁証法はかくの如くである。民族問題についてであろうと諸組織についてであろうとこの真理に変わりはない。そうしてその真理の実現態を支える精神的基礎の鍵は離脱の精神の存否に他ならないのである。理想的に言えば、全成員の脱出と亡命の可能性が常に考慮に入れられている時、始めて、国家を含む全ての組織団体は健康でありうる。 」(「精神史的考察」所収・平凡社ライブラリー1993年)


金光翔さんは、今回の記事の最後に、「岩波労組は、私や首都圏労働組合に関する陋劣としか言いようがない弾圧要請を即刻やめ、弾圧要請と誹謗中傷の文書を社内中に配布していることを私に謝罪すべきである。」と当然のことを書いているが、また、「岩波労組が本心から経営状況に危機感を持っているならば、「社内一丸」やら「会社としての真の一体感」といった無内容なスローガンを唱えたり私の弾圧を会社に扇動したりするのではなく、上のようなごく当然の(最低限でしかないが)現実認識のもとで、再出発すべきであろう。」とも述べている。耳を傾けるべき言葉ではないだろうか。
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2010.09.27 Mon l 言論・表現の自由 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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