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今年(2010年)の4月27日、もう4ケ月も前のことになるが、最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長)は、2002年(平成14)年に大阪で発生した「母子殺害・放火事件」の第1審判決の無期懲役(求刑は死刑)、第2審の死刑判決を破棄し、大阪地方裁判所に差戻した。この事件は、マンションの自室で28歳になる女性(主婦)が絞殺され、1歳10ヶ月の長男が浴室に沈められて殺害された上、部屋は放火されて全焼という陰惨なもので、逮捕されたのは、被害者女性の夫の養父にあたる人物であった。差戻し判決を伝えるニュースや新聞の論説などはたくさん出ているが、こちらのサイト(最高裁第3小法廷;大阪の母子殺人事件 が死刑を破棄、差し戻し(10年4月27日)=判決全文/関連社説)に判決全文および各新聞社の社説などまとめて載っていて、事件の詳細を知るには参考になると思われるのでリンクしておく。


「     最高裁第3小法廷が言い渡した判決理由の要旨

  刑事裁判での有罪の認定にあたっては、合理的な疑いを差し挟(はさ)む余地のない程度の立証が必要であるところ、状況証拠によって事実認定をすべき場合であっても、直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが、直接証拠がないのだから、状況証拠によって認められる間接事実中に、被告が犯人でなければ合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する。ところが、本件で認定された間接事実はこの点を満たすとは認められず、1、2審で十分な審理が尽くされたとは言い難い。
 1審判決による間接事実からの推認は、被告が事件当日に現場マンションに赴いたという事実を最も大きな根拠とする。その事実が認定できるとする理由の中心は、マンション階段踊り場の灰皿に残されていたたばこの吸い殻に付着した唾液(だえき)中のDNA型が、被告の血液のそれと一致したという事実からの推認である。
 この点について、被告は1審から、息子夫婦に自分が使った携帯灰皿を渡したことがあり、息子の妻が携帯灰皿の吸い殻を踊り場の灰皿に捨てた可能性があると主張していた。
 吸い殻はフィルター全体が茶色く変色しており、水にぬれるなどの状況がなければ短期間でこのような変色は生じないと考えられる。吸い殻が捨てられた時期が、事件当日よりもかなり以前のことであった可能性を示すものとさえいえる。吸い殻の変色を合理的に説明できる根拠は、記録上見当たらない。 」


この判決理由要旨によると…。刑事裁判の鉄則は「合理的な疑いを差し挟(はさ)む余地のない程度の立証が必要である」ことだが、まして直接証拠がなく状況証拠(間接証拠)によって事実認定をするしかない場合には、さらに厳しい条件が付与され、その条件をクリアーしなければ証拠として認定してはならないという判断が示されたことになる。その条件が、間接証拠の中に「被告が犯人でなければ合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていること」である。これは裁判所によって示された新しい基準であると思われる。

この事件と判決の内容について私は詳細をほとんど知らなくて、拙ブログを読んでくださった無空氏とコメントのやりとりをしているなかで教えていただき、そのおかげで判決全文を読むことができたのだった(無空様、改めてありがとうございます)。そしてこの事件を取り扱った最高裁裁判官諸氏の事実認定に対するきわめて慎重で厳正な姿勢に接し、大変に嬉しかった。差戻しに賛成した多数意見の4名の裁判官のうち3名は丁寧な補足意見を書き、もう一人の多数意見の裁判官と少数意見の裁判官の二人はそれぞれに意見、反対意見を書いている。

「疑わしきは被告人の利益に」、「たとえ10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を処罰するなかれ」、あるいは上の判決要旨に見られる「事実認定には合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要とされる」などの刑事裁判における大原則は承知していても、現実の日本の裁判においてはこれらの原則はほとんど無視されてしまっているように感じることが多かった昨今、なんだか久しぶりに判決文らしい判決文を読んだ気がしたのであった。

被害者の部屋はマンションの三階にあり、被告人の吸殻が見つかった灰皿は、マンションの1階と2階の踊り場に備え付けられていたそうである。事件翌日押収されたこの灰皿には被告人の唾液が付いた吸殻(ラークスーパーライト)が1本あることがDNA鑑定で分かったわけだが、これについて、被告人は一審段階から一貫して、息子夫婦に自分が使っていた携帯用灰皿を譲り渡したことがあり、その中にあった吸殻を被害者がマンションのその灰皿に捨てた可能性があると主張していたことは、上述の判決理由要旨にあるとおりである。写真でみると、この吸殻はフィルターが茶色く変色しており、最高裁はこれについて、「事件当日よりかなり以前に捨てられた可能性がある」と見たわけである。また被害者宅からは、別の金属製の黒色の携帯用灰皿も見つかっており、この灰皿の中の吸殻からは被害者の義母(被害者の夫の母親)のDNAが検出されているが、この灰皿も元は被告人宅にあったものだそうである。その上、また別の箱型の白と青のツートーンの携帯灰皿もマンション自室から発見されているそうだから、被告人宅から被害者宅に持ち込まれた灰皿は都合3個にもなるわけだが、被告人側はこの箱型の携帯灰皿から捨てられた可能性が高いと主張しているそうである。

判決文を読むと分かるのだが、最高裁は、被告人の吸殻のDNA鑑定をした際、なぜ同時に被害者のDNA鑑定をしなかったのかということを問題にしている。というのも、72本の吸殻の中には、被害者が通常吸っていた銘柄(マルボロライト〔金色文字〕)の吸殻が4本あったそうなのである。これには私なども「なぜ?」と不思議に感じる。もしこのマルボロライトの吸殻がDNA鑑定の結果被害者のものと一致したならば、被害者が被告人から譲り受けた携帯灰皿の吸殻をそのまま踊り場の灰皿に捨てたのであろうというつよい推認ができるからである。もっとも検察側は明確に「鑑定をしなかった」と明確に述べているわけではないようである。ただ「鑑定をした」という証拠・記録がないということである。

それから最高裁判所の5人の裁判運のうち4人までもが、写真を見て「事件当日に吸った煙草にしてはあまりにも変色が甚だしすぎる」と感じとるくらいだから、この吸殻がいつ頃吸われたものなのか、捜査陣がその時点でなぜ問題にしなかったのかということも不審である。吸殻の1本に付着していた唾液が被告人のものと一致したことで「事足れり」、これが動かぬ証拠になる、と思ったのだとしたら、あまりにも軽率すぎる、捜査が杜撰にすぎると思う。

というのは、私も喫煙者であり、一時期、ビニール製の携帯灰皿をバッグに入れて持ち歩いていたことがあるが、吸殻がたとえ3、4本の少量であっても、それをバッグ(ハンドバックならなおさら)に入れておくと妙に気になるものなのである。そんなことは現実には滅多にないのだが、バッグの中が灰で汚れるのではないかというような落ち着きなさをおぼえ、どこか気軽に捨てられるところがあれば捨ててしまいたいという気分になるものなのだ(実はそれが原因で私は携帯灰皿をバッグに入れるのをやめてしまった。現在は3㎥位の大きさの携帯灰皿を時々用いることがある)。ここ数年は禁煙場所が多くなってそういう場面はあまり見なくなったが、以前は公園やスーパーの休憩所などに備えつけられた大きな灰皿に携帯灰皿から吸殻を移している、というか、振り捨てている場面を見た記憶もある。最高裁の五人の裁判官の方々は全員男性のようだが、女性の場合は特にこういう心理をおぼえる可能性は高いのではないかと経験上感じる。小さな携帯用灰皿から大きな灰皿に吸殻を捨てるという行為は、案外、そこかしこで日常よくあることではないかと思う。

したがって、5人の裁判官のうちの少数意見である堀籠幸男裁判官が述べているような「被告が犯行に関与したことは合理的疑いを差し挟まない程度に立証されている」との反対意見にはとても賛同できないし、これでは誤審が発生する危惧、危険性をつよく感じる。生活していれば、まして人を訪ねたりする場合には、思いもかけないことは往々にして起きるものなのだ。気軽に立ち寄ったつもりでいたのが先方で何か大事が起きていてびっくりしたり、思いもかけず数十年ぶりに珍しい人に会ったり、何かしらの驚くべき経験のない人は滅多にいないはずである。ただそれ以上の大事に至らないから、自然に忘れてしまうだけなのだ。人生何が起きるか分からないというのは紛れもない事実だと思う。だからこそ、捜査や裁判のような重大事にあたっては、取り返しのつかないことにならないように決してあらかじめ何かを決めてかかってはいけない、必ず失敗が発生すると思う。

差戻しに賛成した4人の裁判官の中でも、次の問題については意見が分かれているようである。それは、差戻しの審理の結果、被害者が好んで吸っていた灰皿の中の4本の銘柄(マルボロライト)の吸殻が被害者のDNAと一致しなかった場合、また被告人の吸殻が確実に事件当日にその場で吸ったという新たな事実が判明した場合、被告人の犯人性をどう見るかという問題である。

多数意見に加わり、差戻しに賛成した那須弘平裁判官の意見は,次のとおりである。

「……多数意見が「仮に,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いた事実が認められたとしても,認定されている他の間接事実(注1)を加えることによって,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在するとまでいえるかどうかにも疑問がある」とする点については,私は見解を異にする。
そもそも,被告人には犯行に至ってもおかしくない人間関係が存在することは否定しがたく,これに妻Eとの間での携帯電話のやりとりをめぐる被告人の不自然な行動,及び事件当日の被告人の行動につき被告人自らによる合理的説明がなされていないこと,犯行現場の状況や犯行の手口等からみて犯行が被害者と近しい関係にある者によって敢行された可能性を否定できないこと等の間接事実が存在することを踏まえると,被告人が犯人ではないかとの疑いは拭いがたいものがある。
そのような証拠状況に加えて,さらに,本件吸い殻に関する差戻し後の審理の結果として,被告人が当日本件マンションに赴いた事実が証拠から認定できる状況が生じた場合を想定すれば,被告人が犯人ではないかとの疑惑は極めて強いものになるはずである。そして,この場合には,被告人が第1審及び原審を通じ,本件マンションへの立入りを強く否定し続けてきたことと両立しがたい客観的事実(立入りの事実)の存在が明らかになったことになるのであるから,そこに「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない事実関係」が存在すると認めざるを得なくなる。
したがって,なぜ被告人が事実に反して立入りを否定し続けたのかについての説得力を持った特別な理由が被告人から示されない限り,被告人が犯人であることにつき「合理的疑いを差し挟む余地のない程度の証明」がなされたものと認めて差し支えないと考える。」


那須裁判官が上で述べているように、被告人は一貫して自分は被害者の住んでいるマンション内には事件の前にも後にも一度も足を踏み入れたことはないと述べているのだ。しかし、もし差戻しの審理の結果、それが偽りであった場合、つまり被告人が事件当日マンションに足を踏み入れたことが判明し、なおかつその虚偽について当人が説得的な説明ができなかった場合には、被告人の犯人性の証明はなされたとみて差し支えないと那須裁判官は述べている。

それに対して、他の三人の裁判官、藤田宙靖、田原睦夫、近藤崇晴の三氏の見解は異なる。たとえば、原田裁判官の補足意見は次のとおりである。

「本件吸い殻の状況からして,それが本件当日に本件灰皿に投棄されたものと認定するには重大な疑問が残る上,仮に,同吸い殻が本件当日に本件灰皿に投棄されたと推認できるとしても,当該事実は,即,被告人の犯人性に結びつくものではなく,同事実とは別に,被告人と本件犯行を結びつけるに足る他の間接事実が存する場合に,それを補強する有力な証拠となるにすぎない。
(略)
本件吸い殻が本件灰皿から発見された事実は,本件吸い殻が第三者によって本件灰皿に投棄された可能性(その可能性があることについては,弁護人らは第1審以来,亡Cにおいて,被告人が所持していた携帯灰皿を持ち帰り,その中味を本件灰皿に捨てた可能性があると主張している。)が認められない限り,被告人が本件マンションを訪れた事実を証明するものではある。
しかし,(略),その事実は,即,被告人が本件マンションのB方を訪れた事実の推認に結びつくものではなく,いわんや本件の犯人性に結びつくものではない。」


事件名が2名の殺人と現住建造物等放火による犯罪である以上、被告人がマンション内に入ったことのみで即犯人ということになるわけでないことは自明のことなのだが、現在ではこのような厳密な事実認定のあり方を私たちは次第に忘れてきているようで、このような判決文に接すると何か大変新鮮な、また厳粛な心持ちをおぼえる。

前述したように、また多くの人がすでに数多く述べていることでもあるが、この判決文で最も重大なことは、間接事実を総合して被告人を有罪と認定する場合には、「認定された間接事実に被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることが必要」との判断を示したことであることは間違いないだろう。この概念については他ならぬ少数意見の那須裁判官から、判決文の補足意見において「「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない事実関係」という概念は必ずしも明確ではない。」という意見が述べられている。私なども具体的な事例を取り上げ、それに当てはめて検証してみるなど、じっくり考えてみる必要があると感じている(注2)。捜査においても、裁判においても、先入観と偏見を排し、四方八方から真相を追求する心構えと手法、いわば弁証法のような取り組み、姿勢が求められているということではないだろうか。この問題に関する議論が広まり、深まってゆくことを期待する。


    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 


(注1) 事件当日本件マンション付近で被告人が使用していた自動車と同種・同色の自動車が付近に駐車していたという目撃情報があること。被告人が被害者の夫の養父ないし保証人として借金の対応に終われていたが、息子が無責任かつ不誠実な態度をとることに対して息子夫婦に怒りをだいていたこと。事件当日、妻を職場に迎えに行く約束をしていたが、メールで「行けない」旨を伝えただけで、夕方のある時間(殺人事件が起きた可能性が高いと思われる時刻)に携帯電話のスイッチを切り、出火時刻の20分後くらいまでそのまま切られていたこと、などを指すのではないかと思われる。


(注2) 「埼玉愛犬家殺人事件」における風間博子さんに対する判決文を読むと、これは被告人を犯人とするためには「合理的な疑いを挟む余地のない立証が必要である」という本件裁判所も明示する刑事裁判における原則的定義にまったく該当していないと思われる。むしろそこから大きく逸脱していると感じずにいられない。判決文は一審、二審ともに、別の人の表現を借りて言うと、「ほとんど逐語的に「合理的な疑い」を感じさせられ、直ちに反論が浮かぶほどのものである。

風間さんの場合も本件と同じように間接証拠しかない。それも共犯といわれる二人(主犯の元夫とその仲間であったS氏)の供述・証言しかない。そしてそれは裁判の経過につれ完全に破綻していることが明白であると思われる。実刑3年で出所した共犯のS氏はその後証人として法廷に現れ、殺害に関する風間さんの無実を明確に証言した。一方、元夫の証言に対して裁判所はまったく信を置いていない。ところが風間さんの有罪に関する元夫の証言に対しては、それがどんなに不合理なものであろうと、「…この限りにおいて信用できる」として証拠採用した。それで死刑確定である。一・二審とも裁判所は主犯の元夫を上述のようにまるで信用できない人物、大法螺吹きと見なしていながら、こと風間さんに関してだけは、彼女に有利な他の多くの証拠を全て退け、この人物の特に根拠ももたない証言のみを「証拠の王」としている。

「直接証拠がないのだから、状況証拠によって認められる間接事実中に、被告が犯人でなければ合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する」という本件における裁判所の定義を「埼玉愛犬家殺人事件」における風間さんの場合に当てはめて考えてみても、そのような事実関係は今のところ見当たらない。「埼玉愛犬家殺人事件」は本件と異なり複数犯によるものだから、一概に同一視できない点があるかと思われるが、まず「被告が犯人でなければ合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていること」は、私には皆無のように思われるのである。
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2010.09.30 Thu l 裁判 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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