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11月14日のAPECにおける野田首相の発言について、米国のアーネスト大統領副報道官は「TPPについて、野田首相はすべての物品とサービスを貿易自由化交渉のテーブル に載せると発言した」と発表した。日本外務省は「事実と異なる。そういう発言はしていない」と訂正を申し入れたが、 アーネスト氏はあらためて「米政府の発表内容は正確であり訂正することは考えていない。」と言明した。翌15日、国会で野田首相は「そんなことは一言もいっていない」と否定。外務省によると、野田首相がオバマ大統領に対して述べた言葉は、 重要品目に配慮しつつ、全品目を自由化交渉の対象にする、とした昨年の政府方針に言及し、「この基本方針に基づき、ハイレベルな経済連携を目指す」だったとのことである。この言い方では米側の発表も完全な誤りとは必ずしも言えないのではないか。この発言を聞けば、言われたほうは「サンキュー」と返事をしたくなったかも知れないし、それが自然な対応のようにも思える。

野田首相は同日「国益を損ねてまで参加することはない」とも答弁している。これまでは 「TPP参加はメリットがある」、つまり「国益になる」と述べていたと思うのだが、 国益にかなう条件、逆に国益を損ねる条件について、野田氏がどんな内容を想定しているのか、それがさっぱり分からない。TPPに関する野田首相の発言はこのように常に抽象的・断片的であり、聞いているほうは賛成、反対の判断・選択以前に、「そうか、そういう理由で政府はTPPに参加しようとしているのか 」というような納得の感触を得られたことが一度もない。

問題の重大さを考えれば、首相がこれほど曖昧模糊とした態度をとりつづけるのは無責任のきわみだろう。野田氏とともにTPPを推進する側の仙谷由人氏や前原誠司氏は首相とちがって発言はするものの、その内容がひどい。「 僅か1.5%の人を守るために残りの98.5%の人を犠牲にできない」と堂々少数者を切り捨てる発言をしたり、TPP反対派について 「信念か宗教的関心か知らないが、言い募って、党内合意を形成させないことを自己目的化して動いている」と述べてみたりと、想像を絶する悪質な言動をしている。 TPP参加によって日本国内の農業が壊滅状態になるのではないか、放射能汚染に対する食の不安に加えて、遺伝子組み換え食品・農薬まみれの農産物が入ってくるなど食の危険がいっそうふかまるのではないか、国民皆保険が壊滅させられて病気になっても病院に行けない者が続出する悲惨な時代がやってくるのではないか(米国では保険に入れず、そのために死亡する人が1日100人はいると聞く。乳幼児死亡率も自分たちが散々苦しめ抜いてきたキューバより高い)、等々、大多数の国民がTPPを不安視したり、どのような協約なのか実体を調べようと必死になるのは当然であろう。国民の側のそういう諸々の不安・恐怖に対して仙谷氏や前原氏は率先して説明するのが本来の立場のはずである。ところが現実は当然の不安を訴えたり、説明を求める者を恫喝するのだから、これはいったいどういう政府なのだろう。

TPPに慎重・反対派の国会議員はしきりに「TPPは農業の問題だけに限らない。国民生活全般に関係する。」と述べていたが、これはまったく正確な見方・判断だったと思う。11月3日、議員連盟「TPPを慎重に考える会」の会長である民主党の山田正彦前農相はBS朝日の番組で、「TPP交渉参加の是非をめぐり、「我々の中には離党を覚悟 している人もいる。私自身も覚悟している」と述べ、野田首相が交渉参加に踏み切った場合は、TPP慎重派による集団離党も検討する考えを示した。 」(読売新聞11月3日)とのことであった。

なかなか頼もしいな、と思って期待していたのだが、11日、野田首相が記者会見で「 私としては、明日から参加するホノルルAPEC首脳会合において、TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入ることとした。 」と表明すると、即座に反対・抗議の意見を述べるかと思われた山田氏は、何と「本当にありがたい。『交渉参加』でなく『事前協議』にとどまってくれた」と述べた。これは、「首脳会議で各国との交渉入りを表明することに変わりはない。それでも慎重派が首相を評価した背景には、離党だけは避けたいという本音が見え隠れする。」(産経ニュース11月11日)という新聞論評のとおりなのだろう。それにしても、山田氏の発言はないだろう。聞いているほうは唖然とするしかないのだが、他の慎重派・反対派の議員たちも大同小異の振る舞いであった。同じく民主党の川内博史氏は、ツイッターで「 TPP首脳会合に、総理は「参加」できなかった。「宣言」できないからであり、「交渉参加」=「宣言」は、まだまだだ。マスコミが、どう報道しようと、国際交渉は言葉に厳密なのだ。「参加に向けて」と 「参加」は、全然違う。だから会合には、まだ入れない。勝負は、これから」と述べていた。そらぞらしいにも程があるだろう。 彼らは、TPPに反対する農業関係者、医療関係者を初め、無数の国民大衆をこのような芝居がかったわざとらしい台詞で裏切ったことになるのではないか。

米側が発表した「全ての物品、サービスを貿易自由化交渉のテーブルに乗せる」などの発言を野田氏自身は否定していることはこのエントリー冒頭で記したとおりだが、野田氏は一方、米側に今後訂正を求めるつもりはないとの考えも表明した。22日の時事ドットコムによると、山田氏ら「TPPを慎重に考える会」はこの首相発言に反発し、米政府に訂正を要求するよう政府に求める決議をまとめたそうである。 同紙は、「こうした混乱は、首相がTPPへの対処方針を表明した記者会見で、慎重派に配慮して 「交渉参加に向けて関係国との協議に入る」と曖昧な表現を用いたことに端を発している。」と書いている。それもそうだが、そもそも野田首相はTPPに関連してこの間ずいぶん懸念され、議論の的にもなっていたISD条項について国会質問を受けると、「ISDは寡聞にして詳しく知らなかった」と述べた。これでは、もしや協定の中身について厳密な検討もしないで米国追従の一念だけで動いているのではないかという疑いも起きる。もしそうだとすると、本物の自信はないだろうから、日本でも米国でも曖昧な表現をしてしまうのも、また自分が発言していないことを米国によって発言したことにされたというのに「訂正は求めない」というのも合点がいく。

問題は野田氏や政府閣僚だけではない。反対派の中心議員が首相のあの会見に「『交渉参加』でなく『事前協議』にとどまってくれた。ありがたい。」と述べたのではどうしようもない。山田氏らは「離党を覚悟している」のではなかったのだろうか? 私は山田氏が小沢一郎氏のグループ所属だとは今回初めて知ったのだが、kojitaken氏は「 城内は、 「一部の民主党議員」が「次々と執行部の弾圧をおそれて軍門に下った」と書くが、それ以上に彼らは大ボスの小沢一郎の真意を「忖度」したのである。これぞ「ソンタクズ」 の鑑! 」と書かれている。ベテラン議員のはずの山田氏にしてそうなのだろうか。しかしそんなことはもう金輪際止めたほうがいいと言いたい。だれかの気持ちを「忖度」してであろうと、他の理由によるものであろうと、あの行為はあまりにも恥ずかしいことだ。政府が米国に訂正を求めて米国がそれに応じなかったら、 あるいは訂正に応じたとしても、山田氏らはその後TPPに対してどのような動きをするつもりなのだろうか? これ以上「茶番」と疑われる行動は願い下げにしてほしい。


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常に関係者の「忖度」の対象であるらしい小沢一郎氏だが、この人物に関しては、つい最近もいくつかの絶讚ブログ記事を見た。そのうち2例を挙げたい。

(1) 「TPPも普天間も、そして原発も、官僚や米国に牛耳られゴリ押しされて、このままでは日本崩壊だ!
  (略)
もう、こうも負けグセがついてしまうと、なるようにしかならないのではないかと自暴自棄、疑心暗鬼、退廃的、刹那主義に陥ってしまいがちだ。
それでも、まだ一縷の望みを失わないのは、唯一の希望である、小沢一郎という100年に一度の逸材、稀有な政治家が今、この世に生きて存在しているからにほかならない。
そこで、原点に立ち返る意味でも、今週のサンデー毎日がちょうどいい企画をしてくれている。(要、必買) 」

ということで、『サンデー毎日』での鳥越俊太郎氏による小沢氏へのインタビュー記事が掲載されている。一ヶ所だけ引用させていただこう。

鳥越 将来的には原発をなくしていく方向でしょうか。
小沢 最終処理が見いだせない限り(原発は)ダメ。新エネルギーを見いだしていくほうがいい。ドイツには石炭などの資源がありますが、日本はない。ですからドイツのように10年で原発を止めるわけにはいかないかもしれないが、新エネルギー開発に日本人の知恵とカネをつぎ込めば十分可能性はあります。思えば、過渡的エネルギーだと分かっていながら原発に頼りすぎました。「もう少し強く主張しておけば良かった」という反省はあります。」

ブログ主は、 TPPにも普天間からの基地辺野古移設にも、そして原発にも反対らしい。この文脈で「小沢一郎という100年に一度の逸材、稀有な政治家が今、この世に生きて存在している」ことが「唯一の希望」ということは、小沢氏もTPP、普天間基地辺野古移設、原発に反対していると言いたいのだろうか? そもそも小沢氏は何を「もう少し強く主張しておけば良かった」と述べているのだろう。もう一つ、別のブログから次の文面を。こちらは田原総一郎氏によるインタビューだが、雑誌ではなく動画についてのコメントである。

(2) 「 この動画を見て、改めて小沢一郎のすばらしさを再確認した人も多いと思う。米国にも言いたいことが言え、官僚をうまく操り、消費税増税に反対し、原発廃止を堂々と訴えられる小沢一郎しか今の日本には首相に適任な人物はいないだろう。」

小沢氏が動画でどんな話をしているかというと、「TPPに関して野田首相は言葉の使い分けをしている。昔から日本政府の手法は変わらない。アメリカの話のときはアメリカにいいようにしゃべり、国内では言い方を変えて話す」「今の福島原発の状況について強い危機感を持っている。完全に封じ込めることはできないことはない。ただ何十兆円も の莫大な金がかかるらしい。でも金の問題ではないので国民に説明して国家が前に出るべき」「高レベルの放射能廃棄物の最終の処理方法がない。この処理方法が見つからないかぎり、原発にずっと依存していくのは不可能 。だから原発は過渡的なエネルギーで、他のエネルギーに変えていくべき」、等々。小沢氏は確かに消費税増税については「反対」と口にしている。しかし、他の問題については曖昧などうにでも受けとれることしか述べていないように思う。まして「原発廃止を堂々と訴えられる小沢一郎」との評価に至っては、買い被りというよりデマゴギーの流布ではないだろうか。

以前、秋元健治著「原子力事業に正義はあるか―六ヶ所核燃料サイクルの真実」(現代書館2011年)という本のなかの小沢氏が登場する場面をこの記事に引用した。1991年初頭、核燃サイクル基地をめぐって7年にわたり争われてきた闘いのクライマックスというべき青森県知事戦が行なわれた。この時小沢氏が幹事長を務めていた自民党海部内閣は、湾岸戦争の最中であるにもかかわらず、首相以下次々に青森に乗り込み、当時「反核燃」の勢いに押されて落選の危機がささやかれていた「核燃推進」の現職知事の応援に駆けつけたという場面である。再度引用する。


1989年7月の参院選挙での「反核燃」候補の圧勝、その翌年2月の衆議院選挙でも、「核燃白紙撤回」を訴えた社会党の関晴正候補、山内弘候補が自民現職を抑えて当選。六ヶ所村では「核燃凍結」を人びとに信じさせた土田浩村長の誕生があった。このとき「反核燃」の風は、少しも衰えていないようにみえた。

  県知事選挙
 そして核燃料サイクル基地をめぐる最終決戦は、1991年1月から2月にかけての青森県知事選挙だった。もし青森県の知事が「反核燃」となれば、「核燃白紙撤回」が現実となるかもしれない。核燃料サイクル基地の立地基本協定はすでに締結されていたが、その立地基本協定には事業の進展に合わせて段階的に関係者間で安全協定を結ぶことが明記されていた。施設の建設が完了しても、青森県知事が安全協定の締結を拒めば操業はできない。核燃料サイクル基地の立地基本協定そのものの破棄さえ、政策の選択肢となりうる。もっともそうなれば、事業者は青森県にたいし損害賠償訴訟を提起するかもしれないが、いずれにしろ「反核燃」は大きく前進する。
 社会党や農業団体、市民団体など「反核燃」の人びとが知事選の候補者に選んだのは、「核燃料サイクル阻止一万人訴訟原告団」にも名を連ねる金沢茂弁護士だった。一方、自民党の保守は分裂し、「核燃推進」の現職の北村正哉、そして「核燃凍結」の山崎竜男が立候補した。山崎竜男は参院議員を四期、環境庁長官も務めた有力政治家だったが、 「山崎降ろし」に失敗した自民党の公認を受けられず「核燃凍結」を公約として出馬した。「反核燃」の県民世論は、金沢茂に有利であり、保守分裂と「核燃推進」の北村正哉は逆境のなかにいた。
 このままでは核燃料サイクル基地が頓挫する。電力業界、原子力産業界、そしてそれらを後ろ盾とする自民党は大きな危機感を抱いた。北村正哉候補は、中央の政財界から強力な支援を受けた。電事連の那須翔会長は北村支持を表明し、電力業界は資金のみならず、電力や関連企業の社員を動員して電話などで選挙運動をおこなった。内閣総理大臣でさえ青森県知事選挙で動いた。湾岸戦争のさなかという国際情勢下、海部俊樹首相が青森市に姿をあらわし県民6000人の前で北村支持をうったえた。他にも青森県には、大島理森官房副長官、小沢一郎幹事長、橋本龍太郎大蔵大臣、山東昭子科学技術庁長官、加藤六月、三塚博、アントニオ猪木ら国会議員が北村陣営の応援に駆けつけた。こうした政界大物や著名人の登場、潤沢な選挙資金が、逆風のなか「核燃推進」の北村正哉候補の票を確実に増やした。
 そして1991年2月3日、投票と即日開票。青森県知事選挙の結果は次のとおりだった。「核燃推進」で自民公認の北村正哉が32万5985票、「核燃白紙撤回」で社会党、共産党の推薦を受ける金沢茂は24万7929票、「核燃凍結」の無所属の山崎竜男は16万7558票。投票率は、66.46%という青森県知事選では史上二番目の高さだった。
 四選を果たした北村知事は、感慨深げに言った。
 「こんなきびしい選挙を経験したのは初めてだ」一方、敗れた金沢茂は次のように無念の心情を語った。
 「青森県民は核燃との運命共同体を選んだ。私はこれからも白紙撤回への努力を続ける」
 しかしこの知事選の結果から、県民が「核燃推進」を選択したとはいいきれない。「核燃白紙撤回」金沢候補と、「核燃凍結」の山崎候補の投票数を合わせると、「核燃推進」 の北村候補の投票数を上回っている。自民党公認を争っての保守分裂が、山崎候補の「核燃凍結」という曖昧な公約をうみだし、結果的に「反核燃」票の何割かがそちらに流れ た。また北村陣営は核燃料サイクル基地以外に選挙戦の争点をあてようと必死だった。
 この青森県知事選を境に、県内の「反核燃」の運動はしだいに力を失っていく。これからわずか3カ月後の1991年4月7日の県議選では「反核燃」候補の落選が相次ぎ、自民党が圧勝した。六ヶ所村では核燃料サイクル基地の建設が着々とすすみ、それぞれの原子力施設は操業開始への段階をすすみつつあった。」

上の文章についての意見・感想として私は、下記のように書いた。

「6月2日の不信任案決議の時、菅首相を批判した自民党の大島理森氏の語調はまるで「弾劾演説」とでもいいたくなるほどに異様に厳しかった。上述の本の一節を読むと、この大島氏といい、小沢一郎氏といい、菅直人氏をこれほどまでに厭うのは、あるいは菅氏がエネルギー政策の転換を口にしたことが影響しているのかも知れないという気もしてくるのである。もしかすると、大島氏もそうだが、当時与党幹事長として辣腕をふるっていた小沢氏は、日本の原発推進勢力の重要な一角を占めた一時期があったのかも知れないとも思う。」

この時私は、小沢氏の後援会会長が平岩外四氏であることを知らなかった。そのため、上記のように「 ……一時期があったのかも知れないとも思う 」という曖昧な書き方しかできなかったのだが、もし知っていたら、「六ヶ所村の核燃料サイクル基地建設に小沢氏の辣腕は、大きな役割を果たした。」というように書いたと思う。というのも、「原子力事業に正義はあるか…」によると、84年4月20日、青森県の北村正哉知事に青森市内の「ホテル青森」で、正式に下北半島太平洋側に核燃料サイクル3施設立地の協力を要請したのは、電気事業連合会(電事連)会長の平岩外四氏であった。サイクル3施設とは、今では周知の核燃料再処理工場、ウラン濃縮工場、そして低レベル放射性廃棄物貯蔵施設である。その時から六ヶ所核燃料サイクル基地反対運動の長い闘いが始まるわけだが、上述した91年の青森県知事選における自民党政府および小沢氏の動きについて、鎌田慧氏のルポルタージュ「六ヶ所村の記録 上下」(岩波書店1991年) には下記の叙述がある。

「…「地方自治体の選挙に政府が干渉するのはおかしい。準公共企業体の独占企業の団体である電事連が選挙を請け負って、カネをふんだんにだしている」
 これが「核燃選挙」といわれる知事選の実態である。やってきた自民党の小沢幹事長は遊説にまわらず、青森市内のホテルに陣取って土建業者を呼びつけ、ひとり3分ずつ面会した、とのエピソードは、よく知られている。現職候補と自民党は、県財界、農漁業団体はおろか、保育園のはてまで締めつけていた。」 (六ヶ所村の記録 下)

また、広瀬隆・明石昇二郎著「原発の闇を暴く」(集英社新書2011年)で、80年代から原発の取材を続けてきたという明石氏は渡部恒三氏と小沢氏について次のように述べている。

「 ……今、僕が気になっているのは、被災地である東北選出の政治家たちの動向なのですね。家族を亡くした国会議員が被災地救援で奮闘していることは知っています。でも、 いわゆる「大物政治家」の姿がなかなか見えてこないわけです。民主党で言えば、もともとは自民党で原発政策を推進し、福島や青森に核施設を建ててきた小沢一郎(岩手四区)、渡部恒三(福島四区)といった人たちです。彼らが原発推進に協力してきたことで一銭の利得も得ていないとは言わせません。
 小沢一郎が、自民党幹事長時代に剛腕を振るわなければ、六ヶ所村の核燃サイクル基地は建ちませんでした。核燃基地建設の是非が最大の争点となり、事実上の「天下分け目の戦い」となった1991年の青森県知事選の時、小沢が青森に乗り込み、敗色濃厚だった核燃推進派の現職知事陣営にテコ入れをし、すさまじいまでの締め付けをしたことで形勢を逆転させた。僕はこのことを決して忘れません。
 渡部恒三もまた、自民党時代に原発を福島に担ぎこんだ張本人です。1980年4月8日の衆院商工委員会で質問に立った渡部は、「政府は、原子力は安全であるということを国民にもっと知っていただかなくちゃならない」と冒頭で語った後、こう発言している。
「原子力発電所の事故で死んだ人は地球にいないのです。ところが自動車事故でどのくらい死んでいますか。人の命に危険なものは絶対やっちゃいかんという原則になれば自動車も飛行機も直ちに生産を中止しろということになる」 」

渡部恒三氏の自動車事故云々発言は80年ということだが、原発と自動車・飛行機の危険性を比較して原発を擁護しようとする言説は今でも横行しているから、この理屈は延々30年以上繰り返されていることになる。渡部氏にはこの時の発言を今はどう考えているのか、思いは今でも変わっていないかどうかを聞いてみたい。

さて、小沢一郎氏だが、「六ヶ所村の記録」における鎌田慧氏の記述、「原発の闇を暴く」における明石氏の証言を見れば、六ヶ所村の核燃サイクル施設立地に小沢氏が大きな力を発揮したことは明白だと思われる。では、福島第一原発事故発生以後はどうかというと、事故以来原発に対して慎重になった菅前首相に対し不信任決議を行使してまで引きずり降ろそうとしたり、 菅氏の後釜に原発再稼働にきわめて積極的だった海江田万里氏を推したりなど、その現実的行動は事故以前と何も変わっていない。 最近「原発は過渡的なエネルギー」という発言を小沢氏は頻りに繰り返し、支持者はその発言を反・脱原発の証拠のように触れ回ったりしているが、上脇博之氏のブログが書いているとおり、「「私は最初から「原発は過渡的なエネルギーだ」と言ってきたんです」というのは、「過渡的」期間を何年であると説明しなければ、全く意味のない発言」である。 TPPについても同様だと思う。最近、政策に対して小沢氏が明確に「反対」と言明したのは消費税増税のみである。こういう小沢氏に上述した (1) (2) のブログ主たちは何を期待するのだろう。自分たちの発言がデマゴギーと化していないかそろそろ省みてもいい頃ではないだろうか。

「原子力事業に正義はあるか―六ヶ所核燃料サイクルの真実」はこの施設の怖さをひしひしと実感させる書物だが、広瀬隆氏もその危険性について警鐘を鳴らしている。「原発の闇を暴く」から該当箇所を引用しておきたい。


  「原発震災」は今後も必ず起こる
広瀬 実を言うと私は、東日本大震災が起こった時、最初は福島より青森県六ヶ所村の再処理工場を心配していたのですよ。あそこは日本中の原発からすべての放射性廃棄物を集めてきた最大の危険プラントで、福島原発事故で分った最大の教訓は、絶対にこのように一ケ所に危険物を集めてはいけない、ということです。六ヶ所村は今とても危険な状態にあるし、何より日本国内の原子力プラントで最低の耐震設計ですからね。六ヶ所村がやられたら放射能災害は福島どころの話じゃなくなる。ニュースに出てこないからますます心配になって、調べてもらったら、作業員全員が一時退避したらしいが、たぶん大丈夫だろうということしか分らない。
明石 六ヶ所再処理工場の耐震性は、あの「活断層過小評価」で名高い衣笠善博(東京工業大学名誉教授)のお墨付きですから、全然信用ならないです。衣笠の甘い活断層評価のおかげで、これまで日本にどれだけの原発が立地できたことか。原子力産業のヒーローとも呼べる人物です。
広瀬 いやまったくその通りで、衣笠の、権力を背景にした「犯罪」は重大です。彼のことは後の章でじっくり話しましょう。
 衣笠が断層を短く評価してきたおかげで、六ヶ所再処理工場も大間原発(青森県大間町。建設中)も東通原発(青森県東通村)も、全国最低の耐震性になってしまった。国は今、原発設の耐震性についてバックチェックという見直し作業をやっているけれど、青森の下北半島にあるその3施設の耐震基準は450ガルで、今もって日本で最低です。なぜなら、六ヶ所村の基準に合わせざるをえないからです。六ヶ所村の耐震性では危ないということで、その基準を上げたらみんな上がるのだけれど、基準を上げられない事情がある。六ヶ所村で耐震強化工事ができないから、大間も東通も上げられない。
明石 なぜ六ヶ所再処理工場の耐震工事ができないのですか。
広瀬  放射能で汚染されているから近づけないのです。特にこわいのは配管ですよ。六ヶ所再処理工場には、青森から下関ぐらいまでの距離に匹敵する長さの配管が走っていて、 その複雑な配管の中で世界最大級の汚染をやってしまった。プルトニウムを扱っていて超危険な状態だから、人間が近づけないのですよ。
 六ヶ所再処理工場がまともに運転できないことは最初から分っていたのです。前身の東海再処理工場の時代からトラブルの連続でね。技術が未熟なのに六ヶ所村に持ってきて大型化したものだから、運転するとストップ、運転するとストップを繰り返してきた。それがついに、2008年10月24日に、高レベルの廃液をガラス固化する溶融炉のノズルに白金族が詰まって流れないという末期的状態に陥った。その時、この運転会社の日本原燃がどうしたと思いますか。なんと、棒を突っ込んでノズルの穴を突っつくという狂気のような作業をしたのですよ。その結果、今度は突っ込んだ撹拌棒が抜けなくなってしまった。危険で近寄ることもできないので、しかたなくカメラで覗いてみると、棒がひん曲がって、さらには炉の耐熱材として使われているレンガがノズル部分に落ち込んでいることも判明した。こんなマンガのような能力で、デッドエンド。
 その結果、固化することもできないまま、高レベルの放射性廃液が240立方メートルもたまってしまった。この廃液は強い放射線を出して水を分解し、水素を発生させます。絶えず冷却して、完壁に管理をおこなわないと爆発する、きわめて危険な液体なのです。この廃液が1立方メートル漏れただけで、東北地方、北海道地方南部の住民が避難しなければならないほどの大惨事になる。私が原発の反対運動を始めた最大の動機は、1977年に、再処理工場の大事故について西ドイツの原子力産業が出した秘密報告書の内容に震え上がったからです。廃液のすべてが大気中に放出されれば、まず日本全土は終ると見ていいでしょう。こんな危険な場所で耐震工事をできるわけがない。
 おまけに、六ヶ所再処理工場は今回のような津波の想定すらしていません。高台にあるから大丈夫だというが、海岸からたかだか5キロくらいのところにあるのですよ。あそこはなだらかな坂でしょう?
明石 ええ、再処理工場はそれなりの高台にありますが、ただ、海岸からなだらかな丘陵になっています。僕も六ヶ所村には取材で何度も行っていますから。
広瀬 東日本大震災の津波の高さは最大17メートルと言われるけれど、津波は陸上をさかのぼる遡上の力がすごいからね。今回も遡上の高さの最高が40.5メートルに達したことが分っています。再処理工場に津波が来て電源が喪失したら、世界が終りですよ。
 東日本大震災の本震から約1ケ月後の4月7日に最大の余震が起こり、岩手、青森、山形、秋田の4県が全域停電になった時、六ヶ所再処理工場では外部電源が遮断され、非常用電源でかろうじて核燃料貯蔵プールや高レベル放射性廃液の冷却を続けることができたというのです。日本消滅の一歩手前まで行ったというのに、その後も、日本国民とマスメディアは平気で生活している。あそこには3000トンの容量の巨大プールがあって、そこに使用済みの核燃料を受け入れているのですが、もうこのプールはアップアップで満杯なのです。地震で、もしこのプールに亀裂が入って地下に汚染水が漏れ出し、メルトダウンしたらどうするのか。今度は原発100基分だよ。それを考えるとぞっとします。
明石 福島の汚染水を、六ヶ所再処理工場に持っていくという話も出ていたらしいですね。
広瀬 あれはとんでもない話だ。青森県の住民にとっては言語道断ですよ。さらに、六ヶ所再処理工場と同じ最低の耐震性の大間原発で、プルトニウムとウランを混合したMOX燃料を全炉心で使う「フルMOX」をやろうというのだから、下北半島に対する住民の不安は、ますます大きくなっていると思います。MOX燃料を使う場合、中性子を吸収して核分裂を止める制御棒の機能が低下することはもう分っているのです。今の青森は非常にこわい。 」
2011.11.25 Fri l 社会・政治一般 l コメント (1) トラックバック (1) l top
発足3ヶ月足らずの野田政権だが、この間の動きを見ていると、日に日につよい危うさをおぼえるようになってきている。この政権は文字どおり戦後史上最悪、取り返しのつかない悪政を敷いて終わることになるのではないだろうか。APECで、野田首相は、TPP交渉参加を表明しただけでなく、沖縄普天間基地問題でも辺野古への移設に必要な環境影響評価書の年内提出をオバマ大統領に約束したそうである。沖縄県民の意思と希望を完全黙殺して。現政権に限らないが、近年の政治家には「沖縄県民の理解が得られるように努力する」という発言が多い。これは、「沖縄県民が自ら犠牲になることを承知するように努力する」という意味に他ならないだろう。さらにその先を読むと、「そうしてくれなければ、われわれ政権首脳の米国に対する立場が悪くなるんだから。」ということだろう。自国民を守ろうという気概もなければ、独立精神もまったく感じられない。

野田氏は消費税の10%増税についてもなぜか外国人に向かって決意表明している。その他に、南スーダンへの自衛隊派遣問題もある。 野田氏を初め、現政権閣僚の多くは3.11の大震災と原発事故を菅政権の元で同じく閣僚としてして身をもって体験したはずだ。だが、この人たちにとってそんなことは今となってはもう他人事、過去の話なのだろうか。前首相が何とか脱原発依存という方向性を公的に宣言したにもかかわらず、後を引き継いだ政権は、そんなことはなかったかのように、早々と原発再稼働を決定・推進し、原発輸出も進めている。閣僚一人一人は、あれだけの地震、津波、原発事故から骨身に徹して感じとったもの、学んだものはないのだろうか。

野田政権が強引に押し進めているTPPについていうと、農業は一旦耕作を止めてしまうといざ農作物自給が絶対に必要という事態になったとしても、人も直ちに対応はできないだろうが、農地は不毛の地になってしまっている恐れがつよいのだ。昔、三里塚闘争が盛り上がっていた頃、テレビで見たのだが、なぜここまで強硬に反対するのかと聞かれた空港建設反対派農民の一人である壮年男性が、手で土をひと掴み掬ってそれを上からパラ、パラと落としてみせたことがあった。今もよく覚えているのだが、ツヤツヤと光った粘りけのある焦茶色のその土の見事だったこと。皮膚に吸いつきそうなその土を掌にその人は「これは何十年も丹精込めて耕して初めてこういう土になるんですよ。一朝一夕には決してこうはならんのです。」というようなことを力を込めて語っていたのだったが、白黒のテレビでその土を見た瞬間、どんなことがあってもこの土地を手離すことはできないという心情はいっぺんに分かったような気がしたものだ。TPPは「例外なき関税撤廃」が原則。農林水産省の試算によると、TPPに参加した場合、 日本国内の食料自給率は2010年度の 39%から13%程度に急落するという。これでは、農業従事者の大多数は、 三里塚の農民のように強引に立ち退きを迫られるわけでなくても、実質的には同じ境遇に陥れられることになるのではないか。実際、農産物生産者のなかには、かつての三里塚の農民と同様の心境の人は少なくないだろうと思われる。これは当事者にとってのみならず、消費者にとってもこの上なく不幸なことだ。

野田首相はTPP参加に関連して「私は日本という国を心から愛しています」 、「母の実家は農家で、母の背中の籠にゆられながらのどかな農村で幼い日々を過ごした光景と土の匂いが物心がつくかつかないかという頃の私の記憶の原点にあります」などと発言しているが、前者は場違いな発言としか言いようがない。後者は、昔の女学生の発言かとみまがうほど感傷的であり、珍妙にしか聞こえない。問題は、TPP参加が日本と日本国民・市民にどのような影響を与えることになるかということなのだから、これに即して首相は具体的に応答すべきなのだ。農業の問題でいえば、農林水産省は食料自給率が現在の39%から13%に急落すると述べているわけで、首相である野田氏がこれについて具体的にどのように考えているかということが肝心なのだ。国民皆保険の問題に関しても同様で、大事なのは具体性なのだ。

上の野田氏の発言内容は意図的な話のすり替え、ごまかしなのか、そうでないとすると単に無意味な発言でしかない。野田氏が昔から朝しょっ中駅頭に立っていたことは有名だが、その姿をよく見かけたという人が自身のブログに「 野田佳彦という人 」という記事を書いている。それによると街頭に立った野田氏は政策についてはまったく語らなかったそうである。この人はたまたま高校が野田氏と同窓で、それもあってか選挙はいつも野田氏に投票してきたそうだが、首相就任に際して下記の記述をされている。

「 ずっと野田に投票してきた私だが、実は野田の政策はほとんど知らない。 野田は政策は全く語らないからである。/野田の駅頭挨拶の特徴はまったく演説をしないことにある。/「いってらっしゃいませ。野田佳彦です。よろしくお願いします」/支持者が言うのはそれだけであり、 野田はそれすらも言わない。微笑みながら何度も何度もお辞儀をするだけである。(略)/早大の政経を出て、松下政経塾を出た彼に政策や見解がないわけではないと思う。ただ、主張は必ず敵を作る。選挙活動家としての野田は、「とにかく船橋市は野田」というイメージを市民に与えることのみを留意して、政策はまったく語らなかった。船橋市民で野田に心酔する人はほとんどいないだろうが、彼を批判する人はまったくいない。熱狂はないが好感がある人を野田が目指したのならば、それは成功した。」


政策を語らない政治家とは、歌を歌わない歌手、記事を書かない新聞記者のようなもの、というのは言い過ぎだろうか? しかしどうやら野田氏は首相になってもその手法で押し通すつもりのようだ。国民生活に多大な影響を及ぼすこと必須の政策を国民にはろくろく説明もしないまま自分たちだけで勝手放題に事を進めている。有権者は完全に蚊帳の外に置き去りにされている。日本国憲法前文は、

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」

と唱っているが、現政権は自民党同様、あるいはそれ以上に憲法を、そして国民・市民を足蹴にしている。

ところで、キューバのフィデル・カストロは、『カストロは語る』(青土社2010年)という本のなかで、2009年にホンジュラスで起きてたちまち失敗したという軍事クーデターについて、それは「中米においてブッシュが作り上げた構造を維持していたアメリカの極右勢力に後押しされ、米国務省によって支持されたものであった。」と述べているが、それとともに、何とそのクーデターの発生は、アメリカがラテンアメリカの各国に押しつけようとしたFTA(自由貿易協定)がうまく行かなかったことが原因だったとも述べている。以下に該当箇所を引用する。

「 帝国[アメリカ合衆国]はクリントン政権以降、FTA(自由貿易協定)を、いわゆる米州サミットを通じてラテンアメリカのすべての国に押しつける計画に邁進してきた。
 しかし、西半球に自由貿易を押しつける思惑は外れた。世界の他の地域の経済は順調に成長を続け、ドルは特権的な通貨としての独占的な覇権を失った。そして容赦ない世界金融危機が状況を悪化させた。こうした状況で、西半球で最も貧しい国の一つであるホンジュラスで、軍事クーデターが起こったのだ。」

このカストロ発言で思い浮かぶのは、韓国と米国の間で締結寸前まで行きながら、現在韓国内ではげしい反対運動がまき起こっている FTA協定のことである。ラテンアメリカ諸国が相手にしなかった米国の貿易協定の話に、 FTAとTPPの違いはあるが、韓国政府も日本政府も、熟慮も議論もなく安易に乗ってしまっているように思えてならない。
2011.11.16 Wed l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top
TPPに関して、ここにきてバタバタと医療分野についての新情報が政府から出てきている。一昨日の7日は、実は混合診療の全面解禁問題がTPPで俎上に乗っているというニュースを聞いて「やっぱり!」と思っていたら、昨日は「 TPP交渉で、米国が医薬品分野の規制改革を重点要求していることが、8日までに外務省が民主党に提示した文書で分かった。」(47news) という。国民・市民生活に重大な影響を及ぼすことが確実な政策の実体をこの政権は肝心の相手に隠して推進しているのだ。

「 民主党の経済連携プロジェクトチーム(PT)は7日の役員会で、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加問題に関し、8日の役員会で政府への提言案を作成し、9日の総会に示す方針を決めた。ただ、役員会おに先立って開かれた7日のPTの総会では、保険診療と保険外診療を併用する「混合診療」の全面解禁がTPPで取り上げられる可能性を政府側が初めて認め、「国民皆保険制度の崩壊」を懸念する慎重派の抵抗が一層強まりそうだ。

 PT総会では、これまでの疑問に回答する文書を政府側が配布。混合診療に関し「議論される可能性は排除されない」と説明したが、「議論されても、国民皆保険制度を維持し、必要な医療を確保する姿勢に変わりない」と慎重派に配慮した。」(毎日新聞11月8日)

政府の「議論されても、国民皆保険制度を維持し、必要な医療を確保する姿勢に変わりない」との言い方は何とも弱々しく頼りなく聞こえる。農業問題と並んで、いやそれ以上に気になってならなかったのがこの「混合診療」の全面解禁問題であった。もしそんなことになれば、いずれ乳幼児の死亡率も、医療を受けられないがための死亡者数も格段に増えることになるだろう。また誰でも知っているとおり病弱のため日常的に通院が欠かせない人も世の中には大勢いる。医療現場では不平等と差別的言動や現象が横行することになるのではないか。これは想像するだに悲惨である。このような話まで出てくるとはちょっと前まで思ってもいなかった。ロシアのボリス・カガリツキーという経済学者は「グローバル化は国家の無力化を意味するのではなく、抑圧的な機能を果たすために国家の社会的機能を拒否すること、国家の側の無責任、民主的自由の終焉を意味する」と書いているそうだが、国家による社会的機能の拒否、国家の無責任、という意味では、野田首相や仙石氏・前原氏ら閣僚のこの問題への対応とピタリ重なるように思えてならない。藤永茂氏のブログによると、

「アメリカでは、保険会社から医療費支払いを断られて死ぬ人が一日平均約百人は居ると考えられています。また、個人の破産の人数では医療保険に加入していないために高額の医療費を支払うことを強いられての破産が最高です。」

アメリカの低所得者層が何よりも切実にオバマ政権に期待していたのは、「「単一支払い者制度(single-payer system)」、つまり日本やカナダや英国の制度に似た医療保険制度の政府一元化」(藤永氏)であった。2006年の一時点でオバマもこの制度新設を支持すると明言していたのに、結局オバマは医薬業界との繋がりの故であろう、実行しなかった。自分を心底から応援、支持してくれる層を裏切ったわけだが、そういう誰の目にも明白な欠陥制度の導入を受け入れなければならない恐れのつよいTPPなどにいったいなぜ日本が加わろうとするのだろう。むしろ日本は医療保険制度に関して米国に制度の欠陥、誤りを指摘してやるべき立場だろうに。これまで政府がこの問題を国民にひた隠しにしてきたのはそれを衝かれるのを恐れてのことではなかったかと思う。あらためて反対派・慎重派の懸念は正しかったということになるだろう。TPP参加を強力に推進する仙石氏の「反対派は反対することを自己目的化している」とか、前原氏の「おばけ」発言などのほうこそ、無責任で不真面目な放言ないしは恫喝だったのだ。これでは反対派から解任を求められるのも当然であろう。

「 日本医師会は、混合診療の容認に反対します!
社会保障を充実させることは、国の社会的使命であることが日本国憲法にも規定されています。国が果たすべき責任を放棄し、お金の有無で健康や生命が左右されるようなことがあっては なりません。
医療は、教育などと同様に「社会的共通資本」であるという考え方を私たちは持っています。
医療が、国民の生命や健康をより高いレベルで守るという公共的使命を強く持つものだからこそ、すべての国民が公平・平等により良い医療を受けられる環境でなければなりません。
健康保険の範囲内の医療では満足できず、さらにお金を払って、もっと違う医療を受けたいというひとは確かにいるかもしれません。しかし、「より良い医療を受けたい」という願いは、「同じ思いを持つほかのひとにも、同様により良い医療が提供されるべきだ」という考えを持つべきです。
混合診療の問題を語るときには、「自分だけが満足したい」という発想ではなく、常に「社会としてどうあるべきか」という視点を持たなければならないと考えます。
混合診療は、このような考え方に真っ向から対立するものだからこそ、私たちは強く反対するのです。」(日本医師会ホームページ)


毎日新聞は昨日の8日、「 正念場の首相 もっと国内でも雄弁に」との社説を載せていた。毎日は朝日や読売などの大手紙と同じく TPP参加に賛成する立場で、社説はそれを前提として野田総理にTPP参加に関する説得的な説明を求めていた。

「 交渉参加に十分な国民的合意がなお得られていないことも事実だ。毎日新聞の世論調査ではTPP参加について最多の39%が「わからない」と回答している。政府から十分な情報と判断材料が提供されていない表れだろう。」

「 十分な情報と判断材料」どころの話ではない 。私たちは一昨日の7日に初めて混合診療全面解禁について知らされたのだ。これは意図的なもので、政府は国民に本当のことを知らせたくないのではないだろうか。知らせると反対者が増えるばかりだから。こういう時、本来ならメディアこそが混合診療のことなど率先して調査取材すべきだったと思うが、政府と一緒になってTPP参加に前のめりになっているのだから、救いがたい。

外部に対する発信が極端に少ない野田総理はTPP参加に関して 「国益のために」と一言ポツンと話していたと思うが、その国益論は、アメリカに気に入ってもらう政策を選ぶこと、とでも考えているのではないのだろうか。恐らくは本心から。ある新聞に「国民は眼中になし」という見出しが出ていたが、これこそ野田総理および閣僚の本音ではないのだろうか。TPP問題のみならず、安全保障問題への対応を考えてみても、どうもそのように思える。メディアも政治家が「国益のため」とさえ口にすれば、それでかなりの部分納得するようだ。 心中は国益という言葉に汚染または呪縛されているのではないかという気がする。毎日はまた、

「 日本の自由貿易圏づくりへの参画は経済発展に不可欠で、交渉参加は農業の基盤強化などにも資すると私たちは考えている。党内調整に全力を挙げるよう、改めて求めたい。 」と述べている。

TPP参加が「経済発展に不可欠」だというのなら、参加後どのような経路を辿って日本国内の経済が発展するというのか、判断の道筋を示してもらいたい。さらに、毎日の社説は、TPP参加は「農業の基盤強化にも資する」と述べている。農業従事者の大多数は、TPP参加が日本国内の農業に壊滅的打撃を与えると判断しているからこそTPP参加に反対しているのだ。そしてその判断は私たち消費者にも納得のいくものだ。毎日はTPP参加が農業の基盤強化に役立つというのなら、どのような方策をとることによってTPP参加と農業の基盤強化が結びつくのかを示すべきである。そうでないと、適当にことばを弄んでいるとしか感じられない。それから、ここで取り上げられている経済発展と農業問題以外のこと、たとえば混合診療の全面解禁の問題についてはどう考えるのか、メディアはそれらをも総合的に考察・勘案して初めて結論を出すべきだったと思うのだが。
2011.11.09 Wed l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
米国のクリントン国務長官は10月27日、キューバのフィデル・カストロについて、「去るべきだ」と述べたそうである。

「クリントン米国務長官は27日、下院外交委員会の公聴会で、 キューバのカストロ前国家評議会議長に関し、「去るべきだ」と述べ、カストロ体制の終結を求める立場に変わりはない点を強調した。また、同国の民主化に向けた支援を続ける方針を示した。 カストロ前議長は2008年2月、病気を理由に議長職を弟のラウル・カストロ氏に引き継いで引退。今年4月には 共産党第一書記も降りたが、影響力は保っている。」( 時事通信 10月28日)

「去るべきだ」と言っても、 カストロはすでに政権のすべての要職から去っている。クリントン長官の発言はリビアのカダフィ殺害から一週間後になされたものだ。カストロはリビア問題に関して最初から最後まで一貫してNATOを、なかでも米国をきびしく批判してやまなかった。 24日には、反政府軍が自ら殺害したカダフィの遺体を公開したことについて「トロフィーのようだ。イスラム教、世界中の宗教の最も基本的な原則に背く行為だ」と批判し、NATOについて「人類史上、最も背信的行為を行う残忍な軍事同盟」と非難した。どちらも事の核心のど真ん中を射抜いた言葉だと思う。米国にはカストロのこの率直で確信に充ちた力強い声が響き渡るのが邪魔でならないのだろう。だがその声を胸底深く受けとめた人々は世界のあちこちに確実に存在すると思う。しかし、ベネズエラのチャベス大統領や一部のジャーナリストを除いて、カストロのようにきびしくNATOを糾明する声が聞こえてこない現状の静けさはどういうことなのだろう。

それにしても、米国にとっての「民主化」とは何だろう。利害しだいで好き勝手に他国を支配することを意図し、思いどおりに行かなければ、その国を空爆でめちゃくちゃに破壊することも、そこで生活する人々を殺戮することも辞さない。「民主化に向けた支援」が聞いてあきれる。キューバの人々は口を揃えて「否」と言うだろう。藤永茂氏のブログにジョン・ピルジャーという人の「アメリカのあらゆる侵略戦争の口実は常に“自衛”あるいは“人道主義”、これらの言葉は辞書にあるその意味をすべて空しいものにしてしまった。」という発言が翻訳・引用されているが、その意味を空しいものにされているのは、 “民主 (化)”、そして“自由”という言葉もそうではないかと思える。

カストロについては、藤永氏がすばらしく印象的なエピソードをいくつも語っていられる。たとえば、「 食糧危機と賢者カストロ」では、米国のブッシュ元大統領が、2007年3月26日に行った講演で、食糧用農産物を燃料に変えるという経済外交政策を推進することを宣言した時、これに対して、キューバのフィデル・カストロは、僅か5日後の3月31日、声を大にして抗議警告を行なったとのこと。「まさに荒野に響く賢者の叫び、しかし、その時点で、世界の政治指導者たちのだれ一人として、賢者カストロの声に唱和する人物はありませんでした。 」。カストロは「More than three billion people in the world are being condemned to a premature death from hunger and thirst. It is not an exaggeration; this is rather a conservative figure. (世界の30億以上の人々が飢えと渇きから早すぎる死を宣告されようとしている。これは誇張ではない;むしろ控えめの見積もりだ。)」と述べたそうである。「この見積もり、世界への警告は、このところ熱心に励んだ読書勉強の結果だとカストロはいいます。2006年はじめ、すっかり体調を崩し、病床生活に入ったカストロは弟のラウロに政務を譲って、まるで青年時代に戻ったように、あらゆる書物、 出版物に読み耽ったようです。彼は1926年8月13日の生れ、まもなく82歳。上掲の警告に始まる論考『Foodstuff as Imperial Weapon』はその勉強の成果の一つで、沢山の具体的データが含まれています。」と藤永氏は記述されている。

それから、1963年11月、米国のケネディ大統領が暗殺された時のカストロの言葉。藤永氏の「ものを考える一兵卒(a soldier of ideas) (1)」から文章をそのまま引用させていただく。 「カストロとケネディは、豚湾事件やいわゆるキューバ・ミサイル危機で、世間の眼には犬猿の間柄あるいは不倶戴天の敵と映っていたので、ケネディが暗殺された時、カストロにも嫌疑がかかりました。これに対してカストロは「私はケネディを暗殺しようと思ったことはない。私はアメリカというシステムと闘っているのだ」と答えました。見事です。誰が(CIA?)数えたのか知りませんが、これまでカストロ暗殺の企ては六百回を超えるというのがもっぱらの通説です。ただの「ものを考える一兵卒」になってしまったカストロ老人を殺そうとする刺客が差し向けられることは、もはやありますまい。運の強い男です。」。ちなみに、「 a soldier of ideas 」とは、政界中枢から身を退いた自分の立場を表現したカストロ自身の言葉だとのこと。

今日はカストロについて書かれたこちらもなかなか印象深い文章を紹介したい。『中野重治全集』第24巻に収められている「ハバナとサイゴン」という題の文章で、初出は『展望』1966年2月号。題名が表わすように、内容は、一つはキューバに、もう一つはヴェトナムに関わるもので、両方とも中野重治が感動の印象をもったという出来事の記述である。中野は、「感動の印象は私において道徳につながつていた。人間の道徳がここで一段のぼつた、新しい階へのぼつたというふうに感じたのだつたが中身あいまいではある。」と書いている。「サイゴン」のほうは、1965年11月21日に南ヴェトナム解放民族戦線指導部が、捕虜アメリカ兵二人を釈放したという話で、「これは日本のいくつかの新聞で読んだ」そうである。二人の兵士の釈放の理由は、「ヴェトナム戦争終結の決意と主張とをいちだんと高めつつあるアメリカ国民のなかの進歩的な人びとに対する人間愛と感謝との感情にみちびかれて」、「ヴェトナムに平和を快復しようとして苦労しているアメリカ人への「尊敬の念」」によるものだということを新聞その他で知らされた、とのことである。

一方、キューバのほうの出来事は、堀田善衛が『世界』(1965年4月号)に寄稿した文章を読んで知ったとのこと。堀田善衛はそこに1964年7月26日の、「キューバの東端のオリエンテ州、サンチャゴ・デ・クーパ市の大運動場」でひらかれた7月26日祭のことを書いていた。7月26日祭とそこでのフィデル・カストロの演説の言葉とを。中野はサイゴンとハバナで実現された二つの出来事には共通して「人間道徳の問題の一歩前進ではないだろうか」と思われるものがある。「全く同じ性質のもの、あるいはほとんど全く同じ性質のものがある。」と書いている。キューバの出来事についての叙述は以下のとおりである。

「 キューバでのことはこういうことだつた。
 1964年7月26日に、「フィデルたちの、犠牲の多かつた革命の出発点となつた日を記念して」7月26日祭が行なわれた。53年7月26日の、モンカダ兵営襲撃から11年目である。そこへ、この大運動場に30万人ほどの人間が集まつていた。そこへフィデル・カストロがきて、長い、いわば静かな演説をした。彼は静かに話しはじめた。堀田は、「きわめて静かに、むしろ何か後悔をでもしているかのような声調で」はじめたと書いている。もう一度くどくなるが、堀田は、「何か後悔しているような声調で」と書いているのではない。
 カストロは話しはじめた。彼は30万人ほどに呼びかけた。
「われわれの招きに応じてくれた方々、
 モンカダ要塞襲撃の際に、また革命の勝利のための戦いに倒れた同志たちの御両親の方々……」
堀田はこう書いている――「後になつてそのことを聞いて私はまつたくおどろいたのであるが、彼によつて『御両親』と呼びかけられている、名誉ある遺族席のなかには、フィデルたちの襲撃によつて落命した兵営内のバチスタ軍兵士たちの『御両親』たちもまた、若い革命家たちの遺族と同様に、一緒に招かれていたのであつた。軍隊に殺された若い革命家たちの両親たちと、その革命家たちに殺された兵士たちの遺族とが、同席しているということが、それが何を意味しているか、一考に値することであろう。世界の、いままでの革命の歴史に、そういうことは絶えてなかつたと思われる。」
「話しかけるフィデルのすぐ下の席、つまり招待者の席の中央が遺族たちのために留保されていたのだが、その『両親』たちのなかにはハンカチで眼を覆つている人が何人もいた」ことも堀田は書いて、しかしこの、いわば革命と反革命との両方の側の「御両親たち」招待のことが、カストロにおいて、かねての約束のけれんのない実行だつたことを書いている。あのときカストロは裁判にかけられた。彼は弁護士だつたから、ここで彼は「弁護士フィデル・カストロ白身による被告フィデル・カストロにたいする弁護陳述」をやつた。そこで彼はこう言つていた。
「キューバが自由になつた日に、(襲撃した)われわれに抗して戦つて死んだ勇敢な兵士たちの妻や子供たちも、(襲撃の側で死んだ人々のそれと)平等に尊敬され、保護され、援助をうけなければならない。彼ら(死んだ兵士たち)はキューバの不幸について責めがあるわけではない」からである。
 両方の側の遺族が名誉の席に並びに招かれたこと、招かれた側が並びに出席した事実、これは人間道徳の問題の一歩前進ではないだろうか。 」


ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のなかの有名な大審問官の章を思いきって引っ張りだしてくると…。あの大審問官が象徴するのはスターリンだとか、いやそうではない、レーニンだとかいう議論を聞いたことがある。カストロの場合はどうだろう。独裁的な政治指導者であったカストロは大審問官の一面をもっていたにちがいないにしても、それとともに、大審問官と相対するもう一人の存在の一面をも備えているのではないかと感じるのだが、どんなものだろう。
2011.10.31 Mon l 社会・政治一般 l コメント (8) トラックバック (0) l top
先日、「 Sankei Biz 」というあまり見慣れないウェブニュースで、 3月22日付の下記の記事を見た。

独占の富、再分配進むか リビア
リビアの最高指導者だったカダフィ大佐が殺害され、40年以上に及ぶ独裁体制が幕を閉じた。国際社会による制裁措置などに特徴付けられる独裁体制では、国民の生活水準は中東の大半の産油国よりも劣っていた。大佐の死亡により、富の再分配が進むか注目される。

国際通貨基金(IMF)によれば、原油生産がピークの時でも、リビアの1人当たり国内総生産(GDP)は購買力平均ベースでアルジェリアを除き中東のすべての主要産油国を下回った。原油はリビアの輸出全体の95%を占める。

カダフィ大佐はリビアの歳入の一部を、自身のセキュリティーやカダフィ一家に忠誠を誓う兵力の増強に流用した。大佐の家族は残忍な人権侵害に加担することもあった。1996年にはトリポリにあるアブサリム刑務所で1200人が殺害され、人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは「大量虐殺」だと非難した。(ブルームバーグ Gregory Viscusi、Alaa Shahine) 」


見出しの「独占の富」に対してもそうだが、「 国民の生活水準は中東の大半の産油国よりも劣っていた。」「 リビアの1人当たり国内総生産(GDP)は購買力平均ベースでアルジェリアを除き中東のすべての主要産油国を下回った。」 という記事内容に目を疑い、しばし呆然とした。リビアの生活水準は近隣諸国に比べて明らかに高いという声をこれまでにずいぶん数多く聞いていたからだ。医療や教育制度が整い、日常の生活必需品がきわめて廉価であること、などを。この記事のように「劣っていた」という説を聞くのはまったく初めてのことだった。ちょうどそのころ、 前回のエントリーを読んでくださった方からコメントをいただいたのだが、そのなかに 「私は、 医療費や学費を無料にして、国民に手当を支給してくれた指導者を永 久に忘れない。」という言葉があった。この方もリビア国内の生活水準が高いこと、それはカダフィの政策によるものであるとの認識を持っておられることはたしかだろう。どうしてもこの記事はヘンである。この問題に関連してこれまで目にした関連情報をいくつか引用し、紹介しておきたい。まずウキペディアの「リビア」サイトの検索から。

1、
「油田の多くはキレナイカに集中しており、石油の埋蔵量はアフリカ最大といわれている。輸出の大部分が石油で、貿易黒字を維持するために輸出量は調節している。リビアは石油が豊富でありながらも人口が少ないために、一人当たりのGDPはアフリカでは最上位クラスである1万ドルを超える比較的裕福な国であり、先進国に並ぼうとしている。2010年のリビアの一人当たりGDPは12,062ドルであり、 隣国と比べると、エジプトが2,771ドル、スーダンが1,642ドル、チャドが742ドル、ニジェールが383ドル、チュニジアが4,160ドル、アルジェリアが4,477ド ルなのでその格差は歴然である。

独立以前から皮革や繊維、じゅうたん、金属細工などの軽工業が行われていた。独立後、石油収入を基盤に重工業化が進められ、石油精製、製鉄、セメント、アルミ精錬などを行う国営工場が建設されている。

国土の1.2%が耕地となっており、現在でも農業や牧畜に従事する国民も多い。地中海農業やオアシス農業が主な農法であり、1969年革命後の社会主義政権は農業の産業化に力を入れ、深層 地下水をパイプラインで輸送して灌漑を進めている(リビア大人工河川)。」( 「リビア」 )

2、
《アンジェロ・デル=ボカに聞く 「リビアの反乱は古き遺恨の娘である」》 2月25日(金) ルイージ・ネルヴォ記者

リビアの反乱は決定的段階に到達したように思われる。カダフィは軍隊と傭兵に守られた地下壕に閉じこもっている一方、首都周辺においては反乱勢力が都市を制圧し、最後の攻撃を進め る準備に取り掛かっている。リビアの状況について、 この国に関する最高の専門家の一人である、アンジェロ・デル=ボカ教授に話をうかがった。彼は元ジャーナリスト兼大学教師であり、アフリカの国家について、またそれらの地と関わったイタリア人について、多数の著作を刊行してい る。

チュニジアとエジプトの後、アラブの反乱は他国に波及しています。現在ではリビアにもです。こういったことが起こると予測されていましたか?

いいえと言えるでしょう、とりわけリビアについては。かの国をよく知る私にとっても、少々驚きだったのは、一人あたりの年間所得が1万5千から1万8千ユー ロ、近隣諸国の実に三倍という国で反乱が起こったことです。それにリビアにおいては、生活必需品が全面的に統制され、公定価格が決められており、万人に必要なものの価格は非常に安くなっています。所得は中の上であり、実際我々はヨーロッパでリビア人が物乞いをしている姿をまったく見かけません。そうした チュニジア人、アルジェリア人、モロッコ人は見かけられますが、リビア人をまったく見かけないのは、彼らの生活状況がよいからです。〔こうした国に反乱が〕二つの隣国から伝播したらしいことに、非常に驚かされました。」
http://hakuainotebook.blog38.fc2.com/blog-date-201103.html

3、
「寿命・教育・生活水準などに基づいて国ごとの発展の度合いを示すHDI(Human Development Index,人間開発指数)という指数がありますが、2011年度試算では、リビアはアフリカ大陸で第一位を占めています。また、幼児死亡率は最低、平均寿命は最高、食品の値段はおそらく最低です。若者たちの服装もよく、教育費や医療費はほぼキューバ並みの低さに保たれているようです。いわゆるグローバリゼーションを推し進めて利潤の最大化を目指す国際企業群の常套手段は、まず給水機構を私有化し、安価な食糧を運び込んでローカルな食糧生産を破壊し、土地を買収し、現地で奴隷的低賃金労働者を調達し、そこで輸出向きの食糧生産を始めることです。アフリカ大陸の随所に見られるトレンドです。ところが、リビアでは、石油で儲けた金を治水事業に注ぎ、砂漠を緑化し、自国内で安価な食糧を生産しつつあります。これは国際企業群のもくろみに真っ向から逆らう動きであり、放っておくわけには行かないのです。」
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/03/

「いま、「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」(日本外務省による呼称)、英語では The Great Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya という一つの国が、私たちの目の前から、姿を消そうと、いや、抹殺されようとしています。「ジャマーヒリーヤ」はカダフィが作った合成語で「大衆による国」といった意味だそうです。私たちがこの国について殆ど何も知らないままに、歴史の一頁がめくられようとしています。しかし、この地域の人たちが、今からアメリカと西欧の傀儡政権の下で味わう事になるに違いないと思われる悪性の変化を予測するに充分な基本的事実の幾つかが明らかになっています。石油産業、治水事業、通信事業などが国営で、原則として私企業にコントロールを許さなかったことが最も重要な事実でしょ う。つまり、WB(世界銀行)もIMF (国際通貨基金)も好き勝手に切り込めなかった国であったことが、米欧の軍事介入による政権打倒が強行された理由です。社会的インフラ整備、教育、医療,生活保障などに注がれていた国家収入は、外国企業と米欧の操り人形であるリビア支配階級の懐に流れて、一般市民のための福祉的出費は大幅に削減されるのは、避けられますまい。カダフィの息子たちに限らず、これまでのジャマーヒリーヤ風の政策を続行しようとする政治家は、オバマ大統領が早くも約束している“民主的選挙”の立候補者リストから、あらゆる手段で排除しなければなりません。前回のブログで指摘したように、ハイチやルワンダがその典型的な例を提供しています。暗殺も極めて有力な手段の一つです。」
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/08/post_8b65.html


リビア問題を報ずる主要メディアのほぼすべては、リビア国民の日常生活の実態、生活レベルについてはこれまでほとんど触れてこなかったのではないだろうか。リビア女性は外出が一人で可能であり、その日常生活は他の中東地域に比べてはるかに自由であるという説を聞くこともあるが、これなどもメディアの報道にはまったく表れないようだ。何事であれ、カダフィの功績や美点を数えることにつながるような事実は表に出さない、話題にもしない。世界中のほとんどのメディアはそのような暗黙の了解を共有していたのではないか。報道すれば、NATOの空爆 の理由と是非、大義の有無が露わになってしまうから、この話題を避けたのではないのだろうか。私たち一般市民が事の善悪、是非を正確に判断するに欠かせないこのような事実を報道しないことも卑怯であり、腹立たしいかぎりだが、上の記事はためにする完全な嘘、捏造された話ではないのかと疑われる。

それから、今回の件で新たに気がかりになることがいくつもあった。日本政府が今にも自衛隊を派遣しようとしている南スーダンの問題がそうである。それからアムネスティ・インターナショナルのこと。アムネスティが、10月21日に発表した「 リビア : カダフィ大佐の死は、終わりではない 」と題された文章を、次に引用する。

「カダフィ大佐の死は、抑圧と虐待が蔓延したリビアの歴史の一時代に終わりをもたらすことになるだろう。しかし、歴史はまだ終わったわけではない、と アムネスティ・インターナショ ナルは述べた。

「カダフィ大佐の死が、彼の政権下で犠牲となった人びとの正義の実現を妨げることになってはなりません。今年起きた暴動における弾圧や、1996年に起こったアブ・サリム刑務所におけ る虐殺など、これまでに深刻な人権侵害を犯した疑いのある多くのリビアの高官たちは、彼らが犯した罪について、責任をとらなくてはならないのです」とアムネスティの中東・北アフリ カ部副部長ハッシバ・ハジ・サラウィは述べた。

「新たな政府は、カダフィ政権が受け継いできた虐待の因習を完全に脱し、リビアで早急に必要とされている、人権の改革に着手しなければなりません」

アムネスティは、同国を暫定的に統治しているリビア国民評議会(NTC)に対し、カダフィ大佐がどのようにして死亡したのか、リビアの人びとに対して事実を完全に明らかにしなければならない、と述べた。

また、カダフィ大佐の死の詳細を明らかにするためには、独立した、公平かつ完全な調査が欠かせないとアムネスティは述べた。

アムネスティはリビア国民評議会に対し、カダフィ大佐の側近や親族を含む、人権侵害や戦争犯罪を犯したと疑われるすべての人びとを人道的に扱い、公平な裁判にかけることを保証する よう求めている。」


アムネスティ・インターナショナルは、リビア問題を惹き起こした張本人はカダフィ政権であり、これはリビア問題の動かせない柱である。政権を担った者たちは今後その責任を負わなければならない。国民評議会の正しさは言うまでもないが、ただしカダフィの死に至る過程には「行き過ぎ」があったかも知れないので裁判で真相を明らかにする必要がある、と主張しているようである。NATOの軍事介入は、是非も責任の有無も一切問われていない。最初から特権的存在扱いされている。けれどもこの8ケ月間、私たちが見せられてきたのはNATOの軍事攻撃に他ならなかった。リビア問題を語るのなら、NATOに触れることなくどんなメッセージを出すことも本来不可能のはずなのだ。それをあえて行なっているので、上記のアムネスティの文面からは、偽善と欺瞞と傲慢のにおいが隠しようもなく立ち上っている。最初に引用した、「 Sankei Biz 」に名前が出ている人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチについては、いかにも胡散くさい団体だと聞くことがあるが(たとえば、こちら)、はたしてアムネスティもそういう組織に変貌しつつあるのだろうか。
2011.10.28 Fri l 社会・政治一般 l コメント (3) トラックバック (0) l top
リビアの独裁的指導者であったカダフィ大佐が、10月20日とうとう殺害された。8ケ月間におよぶ(反乱軍に対してもそうであったにちがいないが)NATO軍への抵抗であった。殺害以後もそれまでと同様、リビアおよびカダフィに関連するニュース報道は、見るもの、聞くもの、あらゆる情報が曲解・誇張・嘘に塗り込められているように感じられて、苦々しさ、割りきれなさばかりがフツフツ湧いてくる。国際情勢全般に無知なほうゆえ、疑問点や不審点を記すだけのことにしかならないだろうが、思うところを書いておきたい。

報道によると、 反乱軍=国民評議会は拘束したカダフィを、逃亡生活に疲れもはや無抵抗の一人の人間を無法に殺害した。その上その遺体を丁重に取り扱うことも、謹んで遺族に返すこともせず、24日の今日まで見世物に供している。これ以上の人権蹂躙、人間の尊厳への侵害はちょっと考えられないほどである。現状のこのような頽廃のなかから、今後、リビアという国が、そして人口650万というリビアの人々の生活が、これまでよりいくらかでも良い方向にむかうとは想像のつかないことである。この事態を招いたのは英仏米を中心とするNATO軍であった。彼らは今どうしているのだろう。そもそも彼らはいったい誰の許しを得て、また何を目的としてリビア国内にあれだけの凄まじい空爆を繰り返したのだ? ロシアの外相がカダフィ殺害の翌21日に述べたという発言を次に引用するが、これがある種の政治的見解であるにしろ、ごく常識的な、普遍性をもった見方にはちがいないと思う。

「 ロシアのラブロフ外相は21日、ラジオ3局の合同インタビュー番組に出演し、リビアで北大西洋条約機構(NATO)が行った軍事行動について、「国際法の観点から厳密に調査せねばならない」と述べた。外相はこの中で、ロシアが棄権した対リビアの国連安保理決議1973はカダフィ大佐の殺害を目的としたものではなかったとし、カダフィ大佐の車列を空爆したとされるNATOを批判。また、カダフィ氏は「捕われの身になってから殺害された」と語り、カダフィ氏の死をめぐっても国際的な解明が必要だとの見方を示した。」(産経新聞 モスクワ)

NATOの攻撃は、「 10月20日までに航空機の出撃回数は2万6156回、うち、爆撃9634回だった。」(毎日新聞 10月22日)そうである。これが他国への侵略でなければ、他の何が侵略といえるのだろう 。 NATOのラスムセン事務総長は4月11日、ブリュッセルで「作戦のテンポは、 市民が攻撃の脅威にさらされているかどうかに左右される」と述べ、アフリカ連合(AU)代表団がNATOに求めている空爆の即時停止を拒否した(読売新聞 4月1日)。 だが、リビア市民を「攻撃の脅威」にさらしていたのは、はたしてカダフィ側だったのか。4月の時点では、カダフィ側は反乱軍を攻撃はしただろうが、 一般市民を攻撃する理由は何にもなかったはずだ。一般市民の脅威は、カダフィではなくて、NATO 軍の空爆ではなかったのか。藤永茂氏のブログによると、「8月上旬に、NATO空爆による死者2万という報道がちらりと流れたことがありましたが、あり得ない数字ではありません。」とのことである。

カダフィの死を受けて、 米国のオバマ大統領は「カダフィ体制は完全に幕を下ろした」、「リビア国民にとって長くつらい時代の終焉を示すもので、新たに民主リビアで自らの運命を決める機会を手にした」と祝意を表したとのこと。また、「トリポリでは、国民評議会によるカダフィ氏死亡の正式発表前に、街に人々が繰り出し喜びを表し、イスラム寺院で祝賀の祈りが始まった。 」( ウォール・ ストリート・ジャーナル 日本版) という。

米国の大統領が自ら殺害におよんだに等しいカダフィの死について、「リビア国民にとって長くつらい時代の終焉を示すもの」と評する言葉は何ともおぞましく聞こえてくるが、このように、カダフィは長きにわたりリビア国民に横暴のかぎりをつくした悪虐非道の独裁者だという評については、目に入るかぎりのメディアの論調は、世界も日本も見事に共通している。たしかに、権力者は必然的に堕落する、という定義は一般的に真実だと私も思う。古今東西の歴史はその実例で埋めつくされているのだし、そもそも個人としての人間は誰も絶対的権力者としての役割が務まるようには造られていないのではないだろうか。ましてカダフィの場合42年の独裁的統治である。反抗者や一般民衆への弾圧・人権侵害などの腐敗がなかったとは言えないのではないかとも想像する。

とはいっても、実際には現在世界を覆っているあらゆるメディア報道とちがい、カダフィを誇り高い目的と情熱を備えた、なかなかの人物であり政治指導者であると評する意見はあちこちに根強く存在するようである。上述の藤永茂氏は、「カダフィが貧しい黒人国家から運び込んだ傭兵たちがベンガジ周辺でアラブ系反政府勢力を攻撃しているというニュースが頻りと流布されましたが、それは嘘だと思います。カダフィに金で買収されたり、操られてではなく、カダフィを支持して自ら進んで銃を取る黒人兵士がいくらでもいるのです。」と述べている。カダフィが、国内反乱軍とNATO軍の猛攻撃のなか8ケ月もの間粘ることができたのはそのせいだったというのが真相ではないだろうか。

だが、かりにカダフィの統治がメディア報道に近いものだったとしても、NATOがリビアを攻撃する理由にそれがならないことは自明である。東日本大震災の少し前から日本でもエジプトやチュニジアでの民主化を要求する大規模な民衆デモの動向が伝えられていた。その動きはその後リビアにも波及しているとの報道がなされたが、リビアという国の事情について、他の中東・アフリカ諸国同様私にはほとんど知識がないので、最初は、チュニジアやエジプトに次ぐ一般民衆による民主化要求運動の一つとしか認識していなかった。ところが、リビア政府側の民衆弾圧がひどく残酷だという報道がつづいた後、国連安保理がリビアに飛行禁止空域の設定決議をするなど介入の動きを見せはじめた。これはおかしい、と疑問を感じ出したのはそのころからだった。当時流血沙汰の騒乱や警察による市民デモへの弾圧が伝えられていたのはリビアだけではなかったからだ。たとえば、バーレーンがそうであった。2011年3月14日の次の記事を見てみたい。

バーレーンの平和的デモが流血の惨事に
 バーレーンの平和的なデモが、同国の政府の治安部隊や外国の傭兵によって、流血の惨事に発展しました。アルアーラムチャンネルによりますと、バーレーンの治安部隊と傭兵は、デモを弾圧するため、13日日曜、首都マナーマで、デモ隊に催涙弾を発射しました。 アルアーラムチャンネルが13日夕方、放映した映像から、バーレーン 政権の傭兵らは、若者たちをはじめと するデモ隊を近距離から攻撃していたことがわかっています。 バーレーンの大学生数百人が、13日、マナーマの大学に集まり、同国の治安・警察部隊の攻撃を受けました。 バーレーンの治 安・警察部隊は、学生を弾圧するため、催涙ガスやプ ラスチック弾を使用しました。(略) こうした中、サウジアラビアの武装した部隊数千人が、バーレーンの革命家を弾圧するために、こ の国に入っています。 バーレーンの革命家たちは、同国の街頭に繰り出し、治安部隊や傭兵らに対して、断固として立ち向かっています。 バーレーンでは2月14日から、同国の政府の転覆と憲法改正を目的に、大規模な抗議が開始されています。 バーレーンの独裁政権に対する国民の蜂起が始まってから、少なくとも7名が死亡しています。 なお、バーレーンには、アメリカ海軍第5艦隊が駐留しています。」

結果的にバーレーンの死者総数は数百人に達したと言われているが、西側諸国は傍観していた。これを見れば、仏英などの欧米諸国がなぜリビアに対してのみあのような破壊的強攻策をとったのか、疑問を持たずにいるのは無理だろう。リビアのこの事態に対して、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は2月21日、「同国の豊富な石油や天然ガスの埋蔵量に触れ、「米国は北大西洋条約機構 (NATO)に命じ、数日中にリビアを占領することをためらわないだろう」とする論文を政府系サイトに寄稿した。同サイトが22日伝えた。リビアでは政府・治安部隊による反体制デモ隊に対する「虐殺」が伝えられているが、 カストロ氏は「世界中にありとあらゆるニュースがあふれ、真実とうそを見極めるには時間が必要だ」と指摘。かつて反米で共闘し た最高指導者カダフィ大佐が「責任を放棄して逃亡するとは思えない」と述べた」。

国連安保理がリビアに対する制裁決議を採択したのは2月26日だが、上のカストロの論文を見ると、彼は国連安保理の決議採択以前にこれから何が起きるかを正確に見透していたことになる。カストロはその翌々日の2月23日には、ハバナでの討論会で、「オバマがNATOといっしょにリビア侵攻もふくめた措置をとる意向をもっているだろう」と述べたとのこと。

カストロはまた、翌月(3月)13日にも自身のサイトで前々日に日本の東北地方で発生した大震災に触れるとともに、混迷するリビア情勢にいっそう深刻な懸念を表明したそうである。

「日本の地震による被害者数は尋常な数字ではないが、リビアの問題がより重大だ」、「日本の悲劇は心配なこと、地震のために様々な建設行為をしている先進国として、千人単位の死者・行方不明者数は異常な数字だ」、「各国が可能な範囲で日本への援助をするだろうが、リビアで起きているもう一つの政治的な「地震」がより重要だ。」、「リビアで起きている悲劇はいま頂点にあり、アラブ世界に生じている革命の波をアメリカとNATOが断ち切ろうとしている。」(110313La Jornada: Libia: mas grave que Japon: Castro)

この (3月13日) 時点では、日本を襲った大地震の被害の甚大さや、その直後に発生した福島第一原発の炉心溶融事故の深刻さは、キューバにはまだ正確には伝わっていなかったと思われるが、今になるとなおさら胸に残るのは、リビアに関するカストロの上記発言の数々である。リビアの豊富な石油や天然ガスの埋蔵量に触れていることや、「米国は北大西洋条約機構(NATO)に命じ、数日中にリビアを占領することをためらわないだろう」 「 オバマがNATOといっしょにリビア侵攻もふくめた措置をとる意向をもっているだろう」「 アラブ世界に生じている革命の波をアメリカとNATOが断ち切ろうとしている」などの発言には、現実に遂行されたNATOの軍事行動を見ると、ただならぬ洞察力を感じる。

CNNのニュース「 カダフィ氏、最後の8カ月間 ( 2011.10.21 Fri posted at: 15:44 JST)」には、2月14日以降、ベンガジでデモ発生、流血沙汰が発生し数名の逮捕者が出た、とか、ベンガジでは兵士の催涙弾や銃弾により死傷者が出た模様だが、その数は不明、などとある。これは、上で引用したバーレーン情報と比較しても、なぜこの時期、国連でリビアに対する決議が採択されるのか、必然性が理解できない。いとも簡単に国連安保理決議を採択し、いとも簡単に空爆に踏み込んだというつよい印象が残る。カストロ談話に真実性を感じるゆえんだが、今後の国際社会において軍事力行使がどのようになされることになるのか、今回のリビアの事態が他地域に悪影響をおよぼすことになるのではないかと不安をおぼえる。

他の参考記事
http://hakuainotebook.blog38.fc2.com/blog-date-201103.html
2011.10.25 Tue l 社会・政治一般 l コメント (3) トラックバック (0) l top
民主党の前原政調会長は10月23日、NHKテレビ番組で、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加問題について、「交渉に参加して、国益にそぐわなければ撤退はあり得る」と述べたそうである。

「 野田首相は11月12~13日に米国で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議でTPP交渉参加を表明する意向だが、民主党内には反発がある。前原氏の発言は、各国との交渉には参加した上で、協定を締結するかどうかは改めて判断すればいいとの選択肢を示したもので、TPP慎重派に理解を求める狙いがあるとみられる。」(2011年10月23日 読売新聞

これを知って、先日の亀井静香氏の前原氏批判を思い出した。「政府の責任は国民に正確な知識を届けることだが、それをしない。(前原氏らが)自分たちのしていることも分からないのは、それこそ『TPPおばけ』だ」と述べたことで、そのときもこの批判はもっともだと思ったが、今回の前原発言を聞いて改めてそう感じた。

TPPのデメリットは農業部門への打撃が第一だと言われているが、どうもそれだけでは済まなさそうである。たとえば、医療の分野への悪影響が心配だ。国民皆保険が機能しなくなるという指摘が医療関係者からもしきりになされている。もしそういうことになれば、私もふくめた貧乏人はやがて病院にも行けなくなる事態が頻出するのではないだろうか。これは市民一人ひとりの生活・人生の死活問題に直結する問題であり、ぜひ早急に推進派、特に政府の懇切丁寧な応答を聞きたいと思うのだうが、いまだに納得できる見解は聞けていない。答えられないのだろうか?

さて、前原氏の「交渉に参加して、国益にそぐわなければ撤退はあり得る」という発言だが、何とまぁ甘い考えを持った政治家なのかとあきれてしまう。怖いのは、もしかすると半ば本気でそういうことが可能と考えているのではないかということである。それも漠然と、妄想のごとくに。前原氏は外相時代にも、「TPP参加、米国からの要請一回もない」(朝日新聞2011年2月4日)として、次のように述べていた。

「 前原氏は「予算委では『TPPは米国に言われてやらざるをえない』という米国脅威論が強いが、認識不足だ」と指摘。「私の知る限り、米国から(参加要請を)言ってきたことは一回もない。それどころか、日本が色々な条件をつけるのなら、勘弁してほしいという慎重論が多い」と説明した。服部良一氏(社民)、石田祝稔氏(公明)の質問に答えた。 」

前原氏は相手(米国)が言葉や態度に強制的なものをちらつかせることさえしなければ、「要請はない」と受けとめる簡単な人物なのだろうか。もし本当に米国からの要請はない、けれどもそれが国民のためになると思うのなら、国内でもっと丁寧に、積極的にTPPのメリットについても、デメリットについても聞く者が得心するよう説得的に説明できるだろう。

今回のTPPに関する、途中からの「撤退はあり得る」という発言だが、前原氏がもしそのような行動が可能だと本気で考えているのならば、沖縄の普天間基地の移転問題に関してももう少し違った態度がとれるのではないだろうか。現在の前原氏の米国追従、沖縄に対してのみ強硬な姿勢はどう説明されるのだろうか? 日本がTPPに関して一旦参加を表明した後に撤退可能と考えているのなら、沖縄の基地の危険性、沖縄県民がもつ基地拒否の強固な意思に反して前原氏が率先して辺野古移転に拘泥するのはおかしいのではないか。基地問題に関しても、米国の意思を米国の代理人のごとき態度で沖縄に押しつけるのではなく、沖縄住民の立場に立って米国にモノをいうことができるのではないか。

「撤退」発言を聞いてとっさに思い出したことが亀井氏の言葉の他にもう一つあって、それは安倍元首相がかつて集団的自衛権行使の問題に関して述べた「日本の主体性」「日本の自由意思」についての発言である。今回の前原発言を聞くと、課題の相違はあるにしろ、問題に対する政治家としての発想というか、姿勢というか、安倍氏とよく似ている点があるのだ。豊下楢彦氏の『集団的自衛権とは何か』に詳細が描かれているので、該当部分を以下に引用する。


「 日本の主体的判断?
 ところで安倍は、集団的自衛権を行使することによって、日本が米国の戦争に巻き込まれるのではないか、という世論の危倶を念頭におきつつ、次のような立場を強調する。「日本人はよく早とちりをするのですが、「できるようにする」ことと「やる」ことの間には大きな差があるんです。集団的自衛権を行使するかしないかは、政策的判断です」と(『論座』2004年2月号)。つまり、政府の解釈変更や改憲によって日本が集団的自衛権を行使できるようになったとしても、それを行使するか否かは米国の思惑ではなく、あくまで日本の主体的判断に基づいたものである、ということなのである。
 しかし現実の日米関係は、日本に「主体的判断」を許すような状況にあるのであろうか。安倍の主張は、日本が集団的自衛権の行使に踏み切ることへの米国側の“期待”の大きさを過小評価しているのではなかろうか。一例として、米国を代表する保守系誌の一つである『ナショナル・レビュー』誌の編集長リチャード・ロウリーの主張を見てみよう。

 「米国にイエスと言う日本」
 彼は2005年7月、「太陽が昇るとき」と題する論文においてまず、「日本を、ヨーロッパにおける英国のように、アジアにおいて米国が信頼できるパートナーにする」ことが米国の「目標」であるが、そこに立ちはだかる「主要な障害」が憲法9条であると、安倍とほぼ同様の主張を展開する。とはいえ彼は、かつて「ノーと言える日本」が議論されたが、今や「小泉が米国に対してイエスと言う日本をつくりあげてきた」と当時の小泉首相を絶賛し、「数年以内」に憲法が改正されるであろうと楽観的である。憲法9条は、日本が正式の軍隊をもち、武器輸出を行ない、なによりも集団的自衛権を行使することを禁止してきたが、憲法が改正されるならば、インド洋であれイラクであれアフガニスタンであれ軍隊を展開でき、あるいは北朝鮮に爆撃を加えて中国を牽制することもできると、ロウリーは大いなる�期待″を膨らませるのである。
 ロウリーの議論できわめて興味深いのは、日本が軍事的な活動領域を飛躍的に高めると、周辺諸国において、「日本軍国主義の亡霊」の復活に対する危倶が増大するであろうことを読み込んでいる点である。そのために彼は、日本が核兵器や弾道ミサイルなど「攻撃的兵器」にアクセスすることを許さず、さらに「同盟における目上のパートナーとして米国は、日本の意図について周辺地域を安心させる役割を果たすべきである」と述べている。(略)

 改めて今日の状況を見るならば、今や米軍再編において、「国家戦略」のレベルまで「日米一体化」が進められようとしている。さらに、国際的にはもちろん米国内においても「愚かな誤った戦争」との評価が定まりつつあるイラク戦争について、日本は開戦時の「支持」の立場を、日米関係に配慮していささかも修正することができない。こうした「現実」において、安倍が主張するように、仮に日本が、米国から集団的自衛権の行使を求められる際に「主体的判断」をくだして「ノー」と言えば、いかなる事態が生ずるであろうか。それは言うまでもなく、米国側からすれば、日本の�裏切り行為�そのものであろう。そもそも集団的自衛権の行使にあたって「主体的判断」を主張するというのであれば、こうした事態を覚悟しておかねばならないはずなのである。」(豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』岩波新書2007年)


以上のとおりである。今回のTPP問題に関して、「撤退もあり得る」という前原氏は、「「撤退」と言えば、いかなる事態が生ずるであろうか。」という側面をどれだけ真剣に考えて口にしているのだろうと、大変疑問である。安倍氏、前原氏のように問題に対する徹底した思考の形跡が微塵も感じられない、その場かぎりの甘いぼんやりとした考えで物事を過激に急激に動かそうとしているのをみると、あまりのことに気持ちが暗澹となる。野田政権が発足してまだ2カ月足らずだが、政府は原発再稼働への動き、武器輸出禁止三原則の緩和を示唆するなど、何かあらゆる面で事態はますます悪い方向に向かって走っている気がしてならない。
2011.10.23 Sun l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (1) l top
前回のエントリーの最後に (つづく) と記したのだが、そのつもりで書き始めてみたものの、内容がまったくタイトルにそぐわないものになってしまった。仕方なくタイトル名を変えることにしたしだいです。

   1
小沢一郎氏は91年1月の湾岸戦争のとき与党自民党 (海部内閣) の幹事長であった。戦争協力のために日本は135億ドルの資金援助をしたが、それにもかかわらず、本当か嘘かは定かではないが、 クウェートからてんで感謝されなかったという説がある。小沢氏の話によると、米国は日本に対し金銭より軍事物資の輸送などの具体的、実質的支援を望んでいたそうである。戦争終結後、 小沢氏が「これからはもう金さえ出せばいいという時代ではない。」と発言したというのを当時テレビか新聞で聞いた記憶がある。瞬間、「怖い」という気がしたのでよく覚えている。これは、今後は自衛隊を戦場に派遣もし、場合によっては軍事行動にも参加すべし、ということではないかと当時思ったし、実際そうだっただろうと思う。

その時以来、今日まで小沢氏のこの考え方には何の変化もないのではないだろうか。2007年には、「政権をとれば、ISAFへの参加を実現させたい」「ダルフール紛争への国連のPKO部隊派遣にも参加すべき」(『世界』2007年11月号)と述べていた。最近の出来事で印象深いのは、2009年、与党民主党の幹事長として官僚の国会答弁を禁止するための 「国会法改正案」成立に対して小沢氏が見せた異常なばかりの執着ぶりである。あれは、内閣法制局が長年にわたり堅持してきた集団的自衛権に対する「憲法上行使不可」という法解釈を葬り去りたいという一念に衝き動かされてのことではなかったか。小沢氏のこの動きに対し、当時民主党と連立を組んでいた社民党党首の福島瑞穂氏は記者会見で、「与野党の国会議員が答弁を求めたときは、 必要があれば役所が答弁するのは当然だ。運用面で工夫すればいいことで、法律まで作って答弁を禁止するのはおかしい」と述べ、反対の意向を表明している。

この発言は、当然のことではあるが、福島氏および社民党が小沢氏の意図、思惑を正確に把握していたことを示していると思う。ところがその後、小沢氏が記者会見でぶ然とした口調で福島発言を非難すると、それに気圧されたのか、福島氏は批判を引っ込めてしまった。小沢氏の「脱官僚」「政治主導」の実体がどのような性質のものかはこの動向に如実に顕われていると思う。幸い「国会法改正」は今のところ成立していないが、今後どうなるか分からない。日本で集団的自衛権が行使できる法体制が整備されることは、アジア近隣諸国はもちろん、世界に新たな災厄をもたらすことになるのは確実だ。英仏米中心のNATO 軍が長期にわたってリビアを空爆し、破壊攻撃を繰り返しているのを見て今さらながらそう感じた。

小沢氏が『日本改造計画』を著したのは、湾岸戦争の2年後の93年であった。執筆したのは財務官僚 (当時の大蔵官僚) だという説を耳にすることもあるが、とにかくこの本に小沢氏の考えが正確に記述されていることに違いはないだろう。日米安保条約は全身に国連を纏って作られた、とはよく言われることだが、小沢氏の『 日本改造計画 』にも同じことが言えるのではないだろうか。国連安保理の承認ということを前提条件として常に前面に押し出し、その実は、軍事行動も躊躇してはならないというのが小沢氏の主張の核心ではないかと思う。93年当時の日本社会はバブル景気とその崩壊を経験した直後で、そのせいかそれまでは見られなかった奇妙な空虚さが社会全体を覆っていたように思う。そのような環境の影響もあったのか、この本を読んだ人のなかには、吉本隆明のように、国連、国連、という言葉の頻出に惑わされ(?)、小沢氏を何の危険もない平和主義的な考えの持ち主のごとく言う人もいた。吉本隆明は『 日本改造計画 』を称賛した『わが転向』(文春文庫1997年。初出1995年) の別の箇所では、憲法第9条の正しさについては、絶対に人に譲れない、と大見得を切っているのだから、矛盾もはなはだしい。

ちなみに、当時『噂の真相』という雑誌は、吉本隆明はとうとう小沢一郎を称賛するまでに堕落した、耄碌した、と嘲笑する記事を掲載していたと記憶するのだが、何と今では、当該雑誌の編集長だった岡留安則氏が「検察は霞が関改革を進めようとする民主党の要・小沢を政権交代前から狙っていて、「捜査すれば何か出てくるだろう」というお決まりのパターンでやったけど、結局、起訴まで持っていけなかった。完全に検察の敗北だよ。」と、小沢応援団の典型的常套句を述べるようになっている。岡留氏の「霞が関改革を進めようとする民主党の要・小沢」という言葉は、その小沢氏がしゃかりきになって進めようとしていた「国会法改正」による「内閣法制局の答弁禁止」問題と考え合わせると何とも興味深い。

   2
小沢氏は『日本改造計画』出版の翌94年3月には、『世界に生きる安全保障 -21世紀への指針-』(原書房)という安全保障について論じた書籍のなかで「巻頭言」を書いている。この本は「日本戦略研究センター編」ということだが、当時の小沢氏はこの団体の会長を務めていたことが本人によって文中に明記されている。この本のほうが『日本改造計画』よりも、安全保障、防衛問題についての小沢氏の考えが鮮明に出ているように思う。小沢氏はここで安全保障問題に関して今後の日本はどのような途を選択すべきと述べているのか、その主張を以下にいくつか抜粋して掲載する 。

「 私はかねがね、平和維持部隊の派遣や国連軍の参加を含め、わが国が国際連合の平和維持活動に積極的に協力して世界平和に寄与することは、日本国憲法が許容するところで あり、冷戦後の世界秩序構築のために、わが国が果たすべき新たな国際的責務であると主張してきた。その責務を果たしてこそ、わが国は激動する転換期の世界情勢の中で、孤立化をまぬがれ、将来の繁栄と生存の道を約束されよう。国民世論はまだその域にまで達していないかも知れないが、私はこの主張を必ずや国民が受け入れてくれるものと確信していると同時に、自分のこの主張に責任を持ちたいと思っている。

…ここに日本戦略研究センターが政治への提言を披瀝する所以は、激動する国際情勢の中で、国際的安全保障活動(注1)への自衛隊の参加が、今や日本の生存と繁栄のために欠くべからざる選択であることを、広く国民全般が認識するよう希求し、その認識に基づいて、それの実現へ向かう政策を国民が支持することを念願するからに外ならない。

注1)国際的安全保障活動ー国連憲章第51条では、個別的自衛権と並んで集団的自衛権の行使を容認している。集団的自衛権については、国際法上は、上記の「集団防衛体制」の存在の有無に拘わらず行使できるものとされている。したがって、集団的自衛権を行使することは、同盟国の危急を防衛する場合と、同盟関係にない他国の危急を防衛する場合との双方が含まれる。

本書における「国際的安全保障活動」とは、「集団安全保障体制に基づく活動」と、「集団的自衛権の行使」との双方を総称して用いるものである。

(一)憲法解釈の是正
 日本国憲法は、国際紛争を解決する手段としての、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄している。
 また、国際連合憲章第1条は、国際連合の目的の一つとして、「国際的な紛争事態の調整・解決を平和的手段によって実現」すべき趣旨を規定し、第2条4号に、目的達成の行動原則として、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇、武力の行使、国際連合の目的と両立しない方法を慎まなければならない」という趣旨を述べてい る。つまり、国連憲章も武力による威嚇とその行使を禁止しており、日本国憲法はそれと軌を一にするもので、近代国家の憲法として当然の規定であろう。

 ただし、国連憲章は加盟国の平和と安全を守る方策として、「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」に対し、第42条で安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な陸海空軍の行動をとることができるとし、さらに第51条で「武力攻撃が発生した場合」には、加盟国が個別的および集団的自衛権を国家固有の権利として行使できることを容認している。

 日本国憲法も当然この国連憲章の趣旨に従って理解されるべきであろう。国連に加盟した時点で、わが国は国連憲章第43条にいう「すべての国際連合加盟国は、……国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する」との約束を行ったのであり、国連軍に参加することは、加盟国として回避できない 義務を果たすことを意味する。

 集団的自衛権について、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(昭和35年6月23日発効)では、その前文に「日本国及びアメリカ合衆国は、…両国が 国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、」と記述されており、わが国はすでにその時点で集団的自衛権の保有を確認している。

 従来の政府答弁書では、「(自衛権の行使は、)……わが国を防衛するための必要最小限度の範囲にとどまるべきであり、……集団的自衛権を行使することはその範囲を越える…」という解釈を示しているが、わが国の存立に死活的影響を与える武力攻撃が特定国に加えられた場合に、それを排除することが常に必要最小限の範囲を越えるというのは、誤った集団的自衛権の解釈である。

 国連憲章の約束に従い、従来の政府解釈を速やかに是正し、わが国は他の国連加盟国と同様に安保理の要請に基づいて国連軍に参加し、必要な場合には集団的自衛権を行使できるように体制を整えなければならない。

(二)参加形態の是認
 上記の解釈により、日本国が現憲法のもとに、国際的安全保障活動に参加する形態は次のとおりと、是認する必要がある。
 国連軍(国連憲章第42条以下により編成される場合)
 多国籍軍(国連憲章第42条後半の規定による準国連軍
 平和執行部隊(国連憲章第40条の暫定措置-92年ガリ提案)
 平和維持部隊(国連総会または国連安保理の決議に基づく)
 その他、今後国際連合の決議により定められる組織
 集団的自衛権の行使  」


以上、小沢氏の「巻頭言」から一部引用した。安部晋三元首相が2006年の首相就任前後に著書『美しい国』やマスコミなどで力説していた「集団的自衛権を行使できないというこれまでの政府見解には納得できない。早急に解釈を変更すべきである。」という主張と小沢氏の上の見解は実によく似た論理構成を持っていると思う。それは、 集団的自衛権の行使ができて初めて他国、特に米国と対等の立場に立てるし 、国際的なレベルでの権利の主張も義務の遂行も可能になるという主張である。それから、その主張に当たって二人が「 従来の政府答弁書」として引用する集団的自衛権に関する政府答弁が81年のそれだということも共通している。豊下楢彦氏の『集団的自衛権とは何か』(岩波新書2007年) によると、81年に政府が行なった答弁は内容に不備があり、そのため5年後の86年に国会で物議をかもす事態を招き、そこで内閣法制局は81年答弁の不首尾を詫び、改めて政府解釈の基本である72年資料に基づいて正確な解釈を提示したのであった。つまり86年のこの時点で81年政府答弁は棄てられたのだ。

だから、94年の小沢氏にしろ、06年の安倍氏にしろ、集団的自衛権に関する政府解釈を俎上に上げて議論するのなら、72年資料か、86年答弁のいずれかを用いるべきなのに、二人とも内閣法制局長官が不首尾、誤りを認めて否定し、破棄したところの81年答弁をあえて用いているのである。これでは議論のそもそもの前提が誤っているので、いくらやっても中身のある議論にはなりようがないわけだが、なぜそういうことをするのかというと、81年答弁には、「必要最小限度の範囲」とか「その範囲を越える」という文言が存在し、量の大小を示すこの表現につけこむ隙があると思えたからであろう。以下に豊下氏の『集団的自衛権とは何か』から安倍元首相の集団的自衛権に関する主張を引用し、安倍氏と集団的自衛権の関係を見てみたい。やや長くなるが、小沢氏の主張と考え合わせると、なかなか興味深い文章だと思う。

   3
「 新憲法草案の策定から1年を経ることなく、安倍は小泉純一郎の後を襲い戦後世代として初めて政権の座を担うこととなった。同時に、実現すべき最重要の政策課題として憲法改正を明確に掲げるばかりではなく、集団的自衛権の行使にむけて「有識者懇談会」を設けるなど具体的な取り組みに乗り出した戦後初めての首相となった。この意味で、集団的自衛権の問題を検討していくにあたって、安倍政権の帰趨は別として、彼の言説に焦点を当てていくことは、問題のありかを明らかにするうえからも妥当と言えるであろうし、また彼の議論には、集団的自衛権の行使が主張される場合の主要な論点が、ほぼ集約的に表現されているのである。

安倍は、自民党の総裁選拳を控えた2006年7月に、自らの「国家像」をまとめた『美しい国へ』(文春新書)を著し「戦後体制からの脱却」を唱えたが、それを象徴するものが 憲法9条の改正であり、集団的自衛権の行使なのである。なぜなら、集団的自衛権を行使できない日本は「禁治産者」にも比されるべき国家であり、集団的自衛権を行使できる ようになって初めて、日本は日米安保条約において「双務性」を実現し、米国と「対等」の関係に立つことができるからなのである。

政府解釈とは 以上のような戦略的展望をもつ安倍にとって最大の障害は、集団的自衛権に関する従来の政府解釈である。それでは、その政府解釈とはどのようなものであろうか。1972年10月14日、政府(田中角栄内閣)は参議院決算委員会に対し、社会党の水口宏之議員によるかねてからの質問に応える形で、集団的自衛権に関する政府見解として、 以下のような「資料」を提出した。

この「資料」は、次のような論理の展開で構成されている。まず集団的自衛権について、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも かかわらず、実力をもって阻止すること」と定義づける。次いで、国際連合憲章第51条などをあげて、「わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家で ある以上、当然といわなければならない」と、国際法のうえで日本も集団的自衛権の権利を有しているとの立場を明らかにする。

しかし問題は憲法との関係である。第9条について「資料」は、「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、(中略)自国の平和と安全を維持しその存立 を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」と、個別的自衛権の行使を認めている。ただその場含も、「だからといって、平和主義を その基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものである」と、個別的自衛権であっても、その行使に厳格な�制約″がはめられていることを強調するのである。

以上の論理の展開を踏まえたうえで「資料」は、集団的自衛権について次のような結論を導きだすのである。つまり、個別的自衛権であっても右のような�制約″が課せられる のである以上、「そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがっ て、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と。

これが集団的自衛権について、いわゆる「国際法上保有、憲法上行使不可」という、今日にまで至る政府解釈の「原点」なのである。当時、水口が集団的自衛権に関する政府解釈を執拗に追及した背景には、1969年11月の佐藤・ニクソン共同声明において「韓国・台湾条項」が導入されたことが挙げられる。1964年以来、米国は当時の南ベトナム政府 の「要請」により集団的自衛権を行使するとの口実でベトナム戦争に突入していったが、事態が泥沼化するなかで、韓国やオーストラリアなどに派兵を求めていたので ある。

右の共同声明は、韓国・台湾有事に際して米国が自衛隊に軍事的協力を求めてくるのではないか、という危倶を高めるものであった。ベトナム戦争の泥沼化に加えて、集団的自衛権がきわめてダーティなイメージを国民世論に与えている状況において、政府としても第9条を前面に掲げて集団的自衛権の行使を明確に否定する必要があったのである。ちなみに、韓国は集団的自衛権を行使して南ベトナムに32万人をこえる兵力を派遣し、5000人以上の戦死者を出した。

その後、1970年代末から米ソ間で「新冷戦」が始まり、米国が防衛協力の強化を求めてくる情勢を背景に、社会党の稲葉誠一議員が改めて集団的自衛権に関する 「政府見解」 をただしたのに対し、1981年5月29日、政府(鈴木善幸内閣)は次のような「答弁書」を提出した。つまり、集団的自衛権について72年「資料」と同様の定義を行なったうえ で、「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度にとどまるべきものと解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」との論理を 展開したのである。

この「答弁書」の叙述は、72年「資料」と似ているように見えて、その論理構成において問題を抱えていた。72年「資料」の論理を踏まえるならば、本来であれば、憲法9条の下においては自国が武力攻撃を受けた場合であっても自衛権の行使に“制約″が課せられている以上、他国に対する武力攻撃の場合に自衛権の行使が認められるはずがない、 とい う論理を組み立てるべきであったのである。

はたせるかな、5年後の1986年3月5日、衆議院予算委員会において、公明党の二見伸明議員は右の「答弁書」の叙述を引用した上で、次のように問いただした。「ところが、これを裏側から考えるとこういう解釈も成り立つのかな。今後、必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能だというような、そうしたひっくり返した解釈は将来で きるのかどうかですね。必要最小限度であろうとなかろうと集団的自衛権の行使は全くできないんだという明確なものなのか、必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能だという解釈も成り立ってしまうのかどうか、この点はどうでしょうか」と。

ここで言う「ひっくり返した解釈」とは、二見も指摘するように、一定の「範囲を超える」から集団的自衛権の行使は許されないというのであれば、逆に解釈すれば、行使が許される「範囲」というものがあり得るということになるのではないか、という問題提起なのである。これに対し、5年も前に出された「答弁書」にかかわる二見質問の意味を当初は十分に理解できなかった茂串俊内閣法制局長官は、結論として次のように回答した。

「おわかりにくいところがあって大変恐縮でございましたが、もう一遍それでは先ほど申し上げた点を重複はいたしますが申し述べます」と答弁の不首尾を詫びたうえで、個別的自衛権に関する従来の政府解釈を再確認しつつ、「この措置〔個別的自衛権の行使〕は、このような事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきである、そういう筋道を申し述べたわけでございます。したがって、その論理的な帰結といたしまして、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止するということを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないということを従来から明確に述べているわけでございます」。

つまり政府として、集団的自衛権に関する政府解釈は72年「資料」の論理そのものである、との見解を明確にしたのである。かくして今日に至るまで、72年「資料」が展開した 「国際法上保有、憲法上行使不可」という論理が、貯余曲折を経ながらも堅持されてきたのである。

ところが安倍は、「私は、〔集団的自衛権を〕現行憲法でも行使できると思っています」と主張するのであるが、その根拠は次のところに求められる。「内閣法制局は集団的自衛権も「必要最小限を超える」と言っているわけです。それは量的な制限なわけで、絶対的な「不可」ではない。少しの隙間があるという議論もある。であるならば、「必要最 小限の行使があるのか」ということについては、議論の余地を残しているといえる」(『論座』2004年2月号)。

言うまでもなくここでは、二見質問が提起した問題が前提に置かれていることは明らかであろう。つまり安倍は、二見の質問内容は把握しているが、政府側が結論として72年 「資料」の論理を再確認したことについては、そもそも議事録を読んでいないか、あるいは意図的に避けているのか不明であるが、フォローしてないようである。」


著者の豊下氏は安倍氏について、「 議事録を読んでいないか、あるいは意図的に避けているのか不明であるが、」と記述されているが、「政府側が結論として」再確認した72年 「資料」の論理をフォローしてないのは、安倍氏だけではなく、小沢氏も同様であった。時間の経過をみると、安倍氏のほうが小沢氏の手法を真似た可能性もあるかも知れない。違いは、安倍氏の態度は露骨、小沢氏は国連を前面に立てている分、ごまかしが効いているということだろう。集団的自衛権行使に対する二人の姿勢に本質的差異はないように思える。


参考になる記事
http://watashinim.exblog.jp/10535494/
2011.10.19 Wed l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
9月27日の【佐藤優の眼光紙背】には、「石川知裕衆議院議員に対する第一審有罪判決について」という記事が掲載されている。

「今回の判決は、検察の完全な勝利だ。筆者は、この裁判を「誰が日本国家を支配するか 」という問題を巡る政治エリート内部の権力闘争と見ている。もっともこの権力闘争に加 わっている個々のプレイヤーは自らが果たしている社会的、歴史的役割を自覚していない 。検察庁は「国家は資格試験で合格した偏差値エリートが支配するべきである」と考える 官僚階級の集合的無意識を体現している。これに対して、「小沢一郎」という記号が、民意によって代表された政治家を代表している。ここで、実際に小沢一郎氏が民意を体現しているかどうかは重要でない。官僚から見れば、国民は無知蒙昧な有象無象だ。この有象無象から選ばれた国会議員は無知蒙昧のエキスのようなものだ。資本主義社会において、カネと権力は代替可能な関係にある。カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようとする「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという官僚階級の危機意識から、この権力闘争は始まった。

2009年11月、石川氏から筆者に電話がかかってきた。司法記者が石川氏の秘書に「検察が『石川は階段だ』と言っています」と伝えてきたので、その読み解きに関する相談だった。筆者は、「要するに石川さんという階段を通じて、小沢幹事長にからむ事件をつくっていくという思惑なのでしょう。これは僕にとってとても懐かしいメロディです。 2002年6月に鈴木宗男衆議院議員が逮捕される過程において、『外務省のラスプーチ ン』こと私が『階段』として位置づけられていたからです」と答えた。」

この記事中の「 これは僕にとってとても懐かしいメロディです 」という文句を見て、当方も同じことを言いたくなった。「 これは私にとってとても懐かしいメロディです 」と 。何に対してかというと、「 筆者は、この裁判を「誰が日本国家を支配するか 」という問題を巡る政治エリート内部の権力闘争と見ている 」という一節に対して。この文句は、佐藤氏の口からまったく何とかの一つ覚えのように繰り返される(あともう一つ、今の検察官僚を2.26の青年将校に例えるのもお好みらしい。なぜか5.15事件の将校は例えに出さないようだが、その理由は不明)。きっとよほどお気に入りのセリフなのだろうが、その後に「集合的無意識」という言葉がつづくのもお馴染みのパターンで、これまた、「懐かしいメロディ」だ。

何事においても、この人の話をその名調子につられてまともに受け取っては過ちを犯すだろう。そりゃあ官僚のなかには、国民をバカにし切っている人間もいるにちがいない。何ならそういう官僚が大多数だと認めてもいい。だが、国民に対する官僚の胸中を「 官僚から見れば、 国民は無知蒙昧な有象無象だ。」と言い、それのみならず、政治家についても「この有象無象から選ばれた国会議員は無知蒙昧のエキスのようなものだ。」とまで断言するのなら、その根拠となる実例を少なくとも5つ6つは挙げて論じるのが筋であり、礼儀だろう。これではどうも、単なるハッタリか、官僚一般の心象というより、むしろ、元官僚である佐藤氏自身の心象を語っているように聞こえて仕方がないのだが? いや、たしかに「国民は無知蒙昧な有象無象だ」という見解は、何かと二枚舌を駆使し、 時と場所によって発言内容を使い分ける佐藤氏にこそもっとも相応しいといえるように思う。読者、聴衆を有象無象の輩と思っていなければ、とてもあんな人を舐めた言動はできないだろう。

次に、「 カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようとする「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという官僚階級の危機意識から、この権力闘争は始まった。」というくだりに関して。この「 小沢一郎的なるもの 」についての認識は、官僚のものなのだろうか? それとも佐藤氏自身のものなのだろうか? この言い方をみると、官僚が、というより、どうも佐藤氏自身が、小沢一郎という政治家を「 カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、 国家を支配しようと 」している、と認識しているように読めるのだが。たとえ、「いや、そうではない、自分は官僚の経験があるから官僚の気持ちがよく理解できるのだ。」とこれまたいつもの主張をしたとしても、これほどドギツイ内容の推測、想像が可能なのは、自分のうちに同様の、あるいは近似のものを持たないかぎり無理なのではないだろうか。

それはそれとして、「カネの力」で有象無象の国民の支持を取り付けた、という発言は意味が分からない。国民は (愚かだから) 何しろカネのある政治家が好きだとでも? さらに、佐藤氏は、そういう「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという危機意識が官僚階級のなかに生じ、日本の支配者の地位を巡って政治家と官僚の権力闘争が起きている、それが陸山会裁判だというのだ。いや、この分析(?)も物凄いと思うが、でもまぁ、そういうことはありえない、とは言えない。あるかも知れない。だが、前述した場合と同じく、こちらもまったく根拠が述べられていない。発言主が相応に影響力のある人物の場合、根拠のない断定発言をするのは無意味なだけならまだいいが、それが重大問題の場合はたいてい非常に有害だ。

事実として、小沢一郎氏の場合、十数年にわたり常に「政治とカネ」の問題で疑惑がささやかれつづけてきた。前にも書いたが、例えば松田賢弥氏のルポルタージュを読んで、小沢氏とカネに関する実態を具体的に知らされると、その後はこの問題にこれまでどおり無関心のままでいることはなかなか難しい。市民オンブズマンの人々の告発の内容を知った場合などもそうであ る。一般市民のそういう視線や声は徐々に検察の背中を押していったということもあったのではないか。おまえたち検察は、弱い一般大衆に対してはあるかなきかの軽微な犯罪でも容赦なく摘発するくせに、大物政治家の重大疑惑については分かっていながら見て見ぬふりをつづけているのではないか、と。また小沢氏は2007年ころから例の土地購入代金4億円の原資についてメディア上で説明を変遷させつづけてきた。そういう事実は、それを聞いた者の胸に浸透し、疑念は少しづつ大きくなって世間に拡がっていくのだ。

少なくともこの角度からの見方はありえるはずだ。かりにこの裁判に事実権力闘争が関係していたとしても、佐藤氏のように5年も6年も前から鸚鵡のように同じ話を何の代わり映えも発展性もなく繰り返すのはそろそろやめてほしいものだ。それに、佐藤氏がここで述べているような性格の権力闘争なら、それは権力闘争であることが誰の目にも明白な、最もありふれた態の権力闘争なのだから、いくら当人たちは無意識だという説明つきでも、これに「集合的無意識」などという特異な心理学用語をもちいるのは誤りだと思うし、大袈裟で可笑しい。
2011.10.08 Sat l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
日頃から何かと教えられることが多いこちらのブログだが、「佐藤優は「ラスプーチン」ではない!」という記事が大変におもしろく、興味津々たる気持ちで読んだ。佐藤優氏が昔から「ラスプーチン」と呼ばれているらしいことは知っていても、当のラスプーチンがどのような人物なのかほとんど何も知らなかったのだが、ブログ主のZED氏の説明によると、なかなか大した人物のようである。興味を惹かれてウィキペディアの「グリゴリー・ラスプーチン」を読んでみると、

「第一次世界大戦が勃発してニコライ2世が首都を離れて前線に出ることが多くなると、内政を託されたアレクサンドラ皇后は何事もラスプーチンに相談して政治を動かし人事を配置した。前線から届く芳しくない戦況から、敵国ドイツ出身であった皇后とドイツの密約説が流れ、皇帝不在中の皇后とラスプーチンの愛人関係までが真しやかに噂されるようになった。こうしてラスプーチンは廷臣や国民の憎しみを一身に背負うことになったのである。/しかし、元々ラスプーチンは政治に強い関心はなく、その存在は皇帝の政策決定にも大きな影響を与えなかったとされている。第一次世界大戦参戦を主張する皇帝に対して不戦を説いたり、革命派や無政府主義者による運動激化を考慮しての農民の年貢や税金負担軽減など、荒事を嫌う農民出身の聖職者ならではの提言をしたこともあったが、その言が用いられた証跡はない。」 (/は改行部分)

との記述がある。他にも、「20歳で結婚した後、突然、父親や妻に「巡礼に出る」と言い残して村を出奔した。」などという挿話も出ている。これを読むとたしかに、右と左の活字メディアの双方にそれぞれ自分の書き物が受け入れられるように主張内容を書き分け、その手法 (これは正しく読者を騙す詐欺的手法であろう。これでは一体何のためにモノを書くのだ、書く目的は何なのだ?ということになる。) により自分の影響力を保持しようと懸命な佐藤氏の姿勢は如何にも「みみっちく」感じられ、ラスプーチンとの類似性をいうのには無理があるだろう。ラスプーチンという人物は備えていたように感じられる人格的統一性や行動の一貫性が佐藤氏にはまったく欠けているのだ。さて、ウラジミール・ジリノフスキーである。とんでもない暴言を吐いては世間を騒がす極右政治家というイメージしかもっていなかったのだが、

「自身もユダヤ人である事に誇りを持つと言って仲間であるユダヤ人社会を擁護しながら、同時に反ユダヤ主義者の団体にも度々出入して演説や講演を行ったりしている/民族紛争の起きていたアルメニアとアゼルバイジャン両共和国でもやはり対立する双方の反共団体に出入りしてどちらにもいい顔をして応援するかのような顔をしていたが、結果的には双方の対立を煽って紛争を激化させる 」

ということだと、これは佐藤優氏の行動パターンそのままだ。これも私は知らなかったが、何とこの人物についても90年代の日本で、「ジリノフスキー現象」という言い方がなされていたのだという。そうだとすると、「佐藤優現象」には、立派な手本があったということになる。

2005~06年頃、靖国や天皇制を初めとした政治・社会問題に関して佐藤氏がメディアによって意見や主張を別人のごとく違えた言論活動をしているのを見て私は心底驚いたが、それよりも、そういう佐藤氏の姿勢に目を瞑り、当たり前のように彼を「一流の思想家」「知の巨人」呼ばわりして誉め称え、競って重用したり共著を出したりする出版関係者や作家が次々と現れるのにはもっと驚いた。いくら何でもこんなことが起きるとは私はそれまで思ってもいなかったのだ。

この「佐藤優現象」を牽引したのが岩波書店であったことは間違いないと思う。当初は、その岩波の何人かの編集者(講談社や産経や新潮社も同様だろうが。)や山口二郎氏などの学者、ライターの魚住昭氏、宮崎学氏などが中心のように見えたが、その範囲は、「右も左もない」という暗黙の諒解でもあったのか、みるみるうちに新聞もふくめたマスコミ界全体に拡大していった。その象徴とも言うべきが、柄谷行人氏の下記の称讃ではなかったかと思う。

キリストもマルクスも半端じゃない
 佐藤優さんは今までにいなかったタイプの知識人。第一に、外務省で諜報の仕事をした、つまり、生々しい国際政治の現場にいたこと。こういう人は、知識人のなかにはいません。つぎに、マルクスの思想にくわしいこと。本当に深く、読み込んでいる。こういう人は昔から少なかったけれども、今はもっと少ない。ほとんどいなくなってしまった。しかし、マルクスなしに資本主義について考えることはできません。さらに、キリスト教徒であること。彼は神学部を出ているほどですから、これも半端ではない。キリスト教は、日本では、実はきわめて少数派です。キリスト教の教会で結婚式をあげる人は多いけれど、葬式や墓となると、仏教のやり方にもどる。
 佐藤さんは、このように、それぞれが少数派で、しかも、互いに両立しないように見える三つの要素を兼ねそなえている。どうしてこういう人物が出てきたのだろうか。それを考えると、やはり、沖縄出身のお母さんの存在が大きいのではないかと思います。」(『AERA』2007.4.23号)


実際には、佐藤氏の「キリストもマルクスも」、柄谷氏が述べているようなものでないことはあまりにも明らかだと思うのだが、金光翔さんの画期的論文「<佐藤優現象>批判」はもちろんまだ書かれておらず、この現象をどう理解すればいいのか途方にくれた私は、信頼できると思っている古今東西の過去の物書きを頭のなかに引き入れては、推測してみたものだ。彼らが現実に生きていた当時の思想や感覚をそのまま備えた人格としてもし今この場にいたとしたら、佐藤氏を「傾聴すべき思想をもった人物」、「知性ある人物」として評価するようなことがあるだろうか? 結論としては、幸いにしてそのような評価を下すであろうという人物を私は誰一人思い浮かべることはできなかった。

日本の作家に例をとると、たとえば漱石は『道草』で自己の利害や身勝手な欲望によってご都合主義的に意見や主張を変える行為の醜さを養母の私的な行為を描くことにより表現している。その後の作家でも、萩原朔太郎、室生犀星、中野重治などの詩人、戦後の批評家では藤田省三や加藤周一、また、武田泰淳や埴谷雄高、大岡昇平などの小説家でも、これらの人のなかには政治的・社会的発言を主な作家活動として行なう人もいれば、そういう問題とはほとんど無縁にみえる人もいるが、どんな分野における文筆活動であっても、彼らが佐藤氏のような姿勢をとることなどまったく想像できない。3年、5年、10年…、少し長い目で見れば、そのような行動は物書き個人と出版世界の信用を根底から奪う、自殺行為以外の何ものでもないのだから、当然といえば当然のことなのだ。佐藤氏を取り巻く人々は、みんな、「今、自分たちがよければそれでいい、後のことは知らない」とでも考えていた(いる)のではないか? でも、たとえば佐藤氏との共著を何冊も出している魚住昭氏などは、以来、個人としてまともなものは書けなくなっているように見える。

片山貴夫氏は、ご自身のブログに「ボンヘッファー「10年後」(1942) という文章を掲載されているが、そのなかに次のような一節がある。

「将来は、天才でなく、皮肉家でなく、人間軽蔑家でなく、老獪な策士でなく、素直な・単純な・正直な人間が、必要とされるであろう。」

物書きもまた、このような人間性を常に内部に必要とし、また必要とされているのではないだろうか?

そんなこんなで、ZED 氏がジリノフスキーと佐藤氏との共通点を具体的に示して、「佐藤優は「ラスプーチンではない!」、「矛盾・無節操」という哲学で貫かれているジリノフスキーである、と説得的に述べていることに感じ入ったのだった。佐藤氏が意識して真似たのかどうかは分からないが、彼の先行者はちゃんと存在していたのだ。しかし、ジリノフスキーという人物については、支離滅裂なとんでもない騒ぎをひき起こす極右政治家としての実体が国内外で大体正確に知られているようであり、その意味では、日本の現状のほうがロシアよりもはるかに異常といえるのではないか。社民党の衆議院議員の照屋寛徳氏などは、「外務大臣に佐藤優氏を推す」と述べている。また、党首の福島瑞穂氏は、党の機関紙でたびたび佐藤氏と和気藹々の対談をしているようである。このようなことをしていては、社民党はその場かぎりの話題を集めることはできても、結局のところますます有権者に見離されるだけであることはあまりにも明白だろうに…。
2011.10.05 Wed l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
今日から10月。3月11日の大震災からとうに半年が過ぎたことになる。被災地の復旧・復興は遅々として進まず、福島第一原発事故も収束に向かう気配はない。気になることは山積みだが、水をふくめた食べ物の問題も今最も懸念されることの一つだ。事故以来、放射能が食品におよぼす影響に不安を感じることなく生活している人は、日本に居住している以上、ほとんど誰もいないのではないだろうか。

もちろん、福島を中心とした被災地の人々、その近辺の人々の不安と神経の遣いようが比較を絶していることはいうまでもないことだが、私のように関東地方在住の者もスーパーや市場に行くと、事故以来、特に野菜類についてはどうしても産地の表示を見てしまう。瑞々しい青菜を見ながら「これでも放射能を吸っているのではないか?」などという考えが浮かんでしまうのは我ながらつらいし、作物を作っている人々に申し訳ない気持ちにもなる。そうこうしているうちにいつの間にか買い物の時間が長くなり、そのわりに購入する食品は少なくなり、そうして帰宅した時にはヘトヘトに疲れてしまっていたりいる。

そろそろ新米の出盛り期だが、四国の高知や九州の宮崎産の新米からもセシウムが検出されているという。それでいて原発に近い千葉や茨城産の米からは未検出だったともいう。とにかく本心をいえば、放射能が含まれている食べものを購入し、食卓に出すのはイヤでたまらない。

出身が九州・熊本県の小さな島である私は、子どものころ、食べて害毒になるものが農産物に混じっているかも知れないなんて、考えたこともなかった。人参、ピーマン、じゃが芋、さつま芋、玉ねぎ、ほうれん草…。母親や親類や近所の人は大抵畑で野菜を作っていたが、好き嫌いを別にしていえば、それらはみな栄養の塊そのものと思っていたものだ。実際には、農薬や化学肥料も使っていたのかも知れないが、食べ物の安全性に対する子どもたちの信頼感は無限なほど大きかったと思う。

こういうことをつらつら思い返すというのも、大震災・原発事故以後のことである。食べ物を意識し、食べ物について考える機会がいやでも増えてしまったので、関連して思い出す過去の出来事も多い。たとえば、これはもう10年以上も前のことになるだろうか、テレビ朝日の『徹子の部屋』に陶芸の道を歩んでいるという20代半ば、あるいは後半の若い男性が出演しているのを観たことがある。物静かな感じのその人は学生時代にオートバイ事故により記憶を喪失したそうで、病院で意識を取り戻した時は、目の前の母親の顔を見ても誰だか分からなかったそうだ。母親や妹が優しく親切にしてくれるのに対し非常に恐縮した気持ちになったそうで、番組にVTR出演された妹さんが言っていた。「お兄ちゃんは、事故の後、それまでとは別人のようにいい人になってしまって…」。完全に記憶を失っていた彼は親身に世話をしてくれる肉親に有り難くも戸惑い、恐縮するばかりだったらしい。

そのくらい、過去の何もかもを忘れてしまっていたのだが、彼が自分の過去につながるなつかしさを最初に覚えたのは、病室での母親の「…これ、食べる?」という言葉だったという。「食べる」という言葉に聞き覚えがあるような、何ともいえないなつかしさ、喜ばしさが湧いてきたのだと語っていた。

その時から、彼は少しずついろいろなことを、思い出すのではなく、新たに覚えていったのだというが、「食べる」という言葉に感じた彼のなつかしさは、それが本能的、感覚的なことであるからという理由だけではなく、食べることに関して彼のなかに蓄積されていた経験が温かくて混じりけのない悦び、純金のごときものだったからではなかったかと思う。現在のように放射能を気にし、怯えながらの食生活では、食べることが彼のような良き体験として人(特に子ども)のなかに記憶されるものかどうか疑わしいと思う。

食べ物についての私自身の記憶だが、時々ふと思い出す良い体験の記憶をいくつかもっている。みな小学生時代の思い出になるのだが、まず一つは、近所の友達数人と山のてっぺんに登ったときのことで…。遊んでいて、ついつい勢いづき、調子に乗って、眼下に遠く海を見下ろすある山の頂上まで行ってしまった。登り切って、「アー、疲れた、疲れた」と言いながら、ふと傍を見ると、その辺の石の間をチョロチョロと清水が流れている。手で掬って飲んだのだが、その水の美味しかったこと。何か不思議なことに出会っているという気がしたものだった。その後も小・中学校の運動会の練習の後など、列を作って並んで待って井戸水を飲み、美味しさに喉を鳴らしたものだが、山の頂上で飲んだあの水の美味しさにはとうてい太刀打ちできない。完全に別格なのである。たしか墓の上の、そのまた上の山だったと思うが、それも今となってはしかとは思い出せない。ただ、喉を通っていった水の清らかでありながらコクのある味は今も喉のあたりにたしかに残っているようなのだ。

次もやはり山における記憶だが、これは先程の山とはまったく別方向の奥深い山。一緒に行った友達に在り処を教えられたのだと思うが、まず百数十の急階段をのぼって八幡宮に行き、その奥の山道をずんずんずんずん歩いて行くと、やがて薄暗く湿った大きな森のなかにすっぽり入りこんだ。季節は梅雨明けのころだったのか、鬱蒼と繁った大樹から時折ポタ、ポタと水が滴り落ちてきた。足許を見ると、熟して紫がかった深紅の大きなヤマモモが地面を覆った草の上に散り敷かれていた。「ワッ」と喜び、拾って口に入れると、その美味しさに驚嘆した。皆、しばらくの間黙って食べていた。

もともとヤマモモはおつな味の果実だが、そのヤマモモは大きさが一様に直径15ミリほどもあり、その日はちょうど実が大木から振り落とされた後のまさに食べ時だったのだろう。その後、ヤマモモは口にしていない。あのときの美味しさを超えるヤマモモには二度とめぐりあえないと思うから、できればこのまま口にしないほうがいいのかも知れない。

それからお米のこと。親類にお米を作っている家があり、新米は毎年もらっていたが、ある時、稲刈りが済んだ直後、さっき少しだけ精米をしたのだと言って、ウチにも一回分のお裾分けをしてくれたことがあった。その味が新米とはいっても、普通の新米とはまったく別物なのだった。あれは何かの副食といっしょに食べるのはもったいない、そんなことをしてはバチがあたるといいたくなるような新米の味だった。

  新米にまだ草の実の匂ひかな  蕪村

というようなことをふと思い出したりする昨今である。山や森や海は私たち人間には作り出せない。食べ物のうち、最も貴重であり基本なのは、水であり、米であろう。原発事故はあれもこれも取り返しのつかない事態を無数に引き起し、今もそれを進行させている。福島の山や森や畑など、放射能汚染のために人が通れず、立ち入りできなくなっている場所も数多くある。そのことに言い尽くせない憤りや悲しみをだいている人がどれだけ多いか分からない。
2011.10.01 Sat l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
   
先ほどニュースを検索(google)してみたところ、久しぶりにちょっとうれしい記事を見つけた。それも二つも! 一つは、今日、「大阪維新の会」が9月府議会に提案予定の「教育基本条例案」に関する大阪府教育委員会会議が開かれ、出席した委員全員(意見表明ができない府教育長の中西正人氏以外の5人)が条例について「根本的に問題がある」「ものすごく乱暴」などときびしく批判し、徹底反対の姿勢を示したとのこと。この姿勢はごく常識的であると同時に普遍的でもあることは論をまたないと思うが、このような認識が委員全員に共有されていることを知って安堵した。(強調の下線は引用者による)

「 維新の教育条例案に異論噴出、陰山委員「間違っている」
 大阪府の橋下徹知事が率いる地域政党「大阪維新の会」が府と大阪市の9月議会に提出を予定しておいる「教育基本条例案」について、16日に開かれた定例の大阪府教育委員会会議で異論が噴出。なかでも「百ます計算」で知らhれ、学力向上を掲げる橋下知事の要請で教育委員に就任した陰山英男委員が、教員の管理を強化すれば現場がよくなるという発想は根本から間違っているとして、「(可決されれば)辞めますよ」などと激しく反発した。
 約90分の話し合いのうち、大半を条例への反発と疑問が占めた。
 特に異論が相次いだのが、一定の比率の教員に最低評価を行わなければならないなどと定めた管理強化の規定。陰山委員は「あの先生を辞めさせたいといういじめが始まる」「評価者の方向ばかり向く教員や、一部の保護者とつるむ教員も出てきます。(現場は)むちゃくちゃになりますよ」などと反対理由を述べ、「これで学力が上がりますか、先生のやる気が上がりますか」と訴えた。 」(朝日新聞9月16日)

また、「教育基本条例案」だけではなく、もう一件、維新が提出予定の「職員基本条例案」に関しても、内部では厳しい批判や異論が噴出しているとのこと。当然すぎるほど当然のことだ。橋下氏は弁護士資格をもっているというが(実はこの資格があったればこそ、府知事選への誘いがかかったことはまず間違いないのだが。)、たとえばここ10年間、一度でも憲法を読んでみたことがあるのだろうか。本心では「あんな憲法なんかドブに捨てていい。オレ様こそが憲法だ」とでも思っているのではないか? そんなことが想像されるほど、その言説、行動は傲慢、一人よがり、日が経つごとに増長の度が増しているようで、狂気の気配さえ感じられる。維新内部におけるこの問題に関する記事を読売新聞から引用しておく。

「 維新内 2条例に異論…大阪府議団意見交換会
 大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党・大阪維新の会が、府議会などに提案する「職員」「教育」両基本条例案を巡り、維新府議団が9、12日に行った非公開の意見交換会の詳しいやり取りが、内部資料で判明した。最下位の人事評価が2年続けば分限免職対象となる条文には「無理がある」「いじめが横行する」などと異論が続出。政治主導による教育改革を打ち出した全国でも例のない条例案に「法的に耐えられるのか」と不安も漏れるなど、揺れ動く維新議員の心境がうかがえる。
 読売新聞が入手した内部資料では、維新府議57人のほぼ全員が出席し、2日で計約7時間半にわたって議論。両条例案は一部議員が内密に作成したため、初めて議論に参加する府議もおり、率直な戸惑いが漏れた。
 職員条例案では、職員の5%を最下位ランクとする人事評価について、ベテラン議員が「優秀な人ばかりの職場でも、必ず5%を最低評価にするのは無理がある」と反論。相対評価を採用した民間企業で勤務経験がある議員も「各課でSやA評価の奪い合いがあり、短期目標ばかり頑張るようになった。いじめも横行した」と弊害を訴えた。」(読売新聞9月14日)

維新内部からさえ異論続出だとのこと。各議員には願わくばこのような政党に入ったことがそもそも間違いだったとの認識をもってほしいと思う。「教育基本条例案」「職員基本条例案」(全文はまだ見ていないのだが、公開はされているのだろうか?)については、両案ともに議会で徹底的な議論がなされるべきだと思う。職員の5%を必ず最低評価にしなければならない、などという案はこれ自体まさしく犯罪であろう。決して「やりすぎ」などという程度や範囲の問題ではない。上で誰かが述べているように、「発想が根本から間違っている」のだ。何がなんでもとにかく大阪府に、ひいては日本社会に徹底的な差別といじめを網の目に張り巡らせたい、今ならできるという毒々しい内的欲求に押されているとしか考えようがない。これはこれまで大阪府が行なってきた朝鮮学校への補助金打ち切りや君が代起立条例決議の必然の結果として出てきているのは疑えない。教育および職員基本条例の審議にあたってこの角度からの検討と議論は不可欠のはずだ。そのような審議過程を経て初めて、議会はこれらの醜い案を二度と生き返ってくることのないまでに否定し切ることができるし、完璧に葬り去ることができると思う。

   
もう一つ、うれしくもなつかしい気持ちがしたのは、上の記事とはまるでおもむきの異なる「新種コガネムシ 北杜夫さんにちなみ和名「マンボウ」」(毎日JP 9月16日)という下記の記事であった。

新種のコガネムシ
斜体文
「 長野県安曇野市の昆虫収集家、平沢伴明さん(54)がコガネムシの仲間「ビロウドコガネ」の新種を発見し、近く研究論文を信州昆虫学会の機関誌「ニューエントモロジスト」に掲載する。学名はラテン語で「ユーマラデラ・キタモリオイ」、和名は「マンボウビロウドコガネ」。平沢さんが昆虫採集を通じて交流がある作家、北杜夫(きた・もりお)さん(84)の名前にちなんで命名した。【古川修司】
 北さんは「どくとるマンボウ昆虫記」を執筆し、昆虫好きで知られる。命名に「とても照れくさいけれど光栄。大好きなコガネムシなのでうれしい」と喜んでいたという。
 新種は小豆色で体長約7ミリ。平沢さんの知人が94年に沖縄県・西表島で採取した4匹を譲り受けた。今春、図鑑執筆の際に改めて標本を確認し、雄の生殖器の構造が他の種と違うことが分かった。
 平沢さんは信州大出身。旧制松本高(長野県松本市、現信州大)に通った北さんの後輩に当たる。北さんはエッセーなどの中で、学生時代に信州の山々を歩き、昆虫収集した思い出を書いている。
 2人の交流は86年、北さんがテレビ番組の収録で松本を訪れた際、地元のコガネムシ収集家の平沢さんと出会ったのが始まり。その後も個人的に平沢さんを訪ね、標本を見たりしたという。
 北さんのファンという平沢さんは「昆虫研究が広く理解されるうえでも、北さんの功績は大きい。喜んでもらえてうれしい」と話している。標本は17日、松本市の信州大で開かれる日本昆虫学会の会場に展示される。
 ◇ビロウドコガネ◇
 コガネムシ科コフキコガネ亜科に属する。体長約5ミリ~1センチ。体の表面は細かい毛で覆われ、つやがないことから「ビロード」の名がついた。世界各地に生息し、国内だけで約100種類いる。 」

先年亡くなった辻邦生(と思ったが、ウェブ検索してみたら、辻邦生の逝去は1999年、もう10年以上も前のことであった。あぁ、いつの間にかもうそんなに年月が経ったのだ…。)が北杜夫について書いた文章を読んだことがある。二人は旧制松本高校の同窓(辻邦生のほうが先輩)であった。それ以来の生涯にわたる交友だったから(交友の長さという理由だけでないのはもちろんだが)、その文章も、北杜夫についてさすがによく知っていると実感させる印象深いものであった。

特に印象的だったのは、一つは、北杜夫と昆虫との関係について述べている箇所であった。北杜夫が昆虫について話すのを聴いていると、そこに籠もっている何とも表現のしようのない深い感情に知らず知らず嫉妬をおぼえずにいられなくなるのだと辻邦生は述べていた。手許にその文章がなく、記憶にたよって書いているので、言葉遣いは違っていたにちがいないが、文意は、北杜夫の昆虫に当たるものを自分は持っていない、ということを北の昆虫に関する語りは聴き手に感じさせずにおかない、というようなことだったと思う。私も『どくとるマンボウ昆虫記』を読んだことがあり、幼年時から学生時代まで、北杜夫が昆虫学者になりたかったほどの昆虫好きだったことを知ってはいたが、そういうことまではとうてい感じとれなかった。辻邦生のこの記述によって北杜夫という作家の本質を教えられたような気がしたものであった。もう一つは、北杜夫の文学の原点は、北杜夫がよく語っているトーマス・マンやその他の人物、作品にあるのではなく、父親の斎藤茂吉の短歌なのだと辻邦生が断言していることであった。この指摘は素直に腑に落ちることではあったが、あらためてこのように言われてみると、ふと感動するものがあった。なぜなのか、理由はよくは分からないのだが、多分中野重治の『茂吉ノート』を読んだことが影響しているかも知れない。

松本高校から進学するにあたって、北杜夫は生物学科(多分そうだったと思う)に進みたいと思い、医学部進学を勧める(というより医学部に行くのが当然と一人で勝手に決めこんでいる)父親の茂吉に手紙でその意思を伝えた。すると、茂吉からすぐさま「愛する宗吉よ」という困った呼びかけではじまる、昆虫学では食べていけないから翻意するようにという、優しく諭す返事が返ってきたそうである。息子のほうは志望をあきらめきれずになおも意思を変えずにいると、しだいに茂吉の手紙はきびしい叱責の調子に変わり、医学部受験書以外の本は読んではならぬ、友達が訪ねてきても部屋に入れてはならぬ、決然と追い返すべし、というような手紙を寄越すようになった。その上茂吉には貧困妄想もあったらしく、お前の学費もいつまで捻出できるか分からぬ、という気弱なことを書いてきたりもしたそうである。

北杜夫は結局父茂吉の反対で昆虫学への進路を諦めたわけだが、辻邦生が言うように、北杜夫が思春期以降茂吉の歌を愛読し、あのような歌をつくった茂吉を心底尊敬していたことは事実である。学生時代、東京の家(戦争中、茂吉は故郷の山形に疎開していたので、その期間は山形)に戻る時には、あのような尊敬すべき歌人の側にいられると思うと、胸に震えるような感激が湧いてきたそうである。ただし、一週間も一緒にいると、こういう口うるさい人物の側にいるのは堪らないと感じるようになったそうだが。また今から二十数年ほど前のことだったと思うが、北杜夫は専門の歌人でさえ今や茂吉の歌は難しくて読めない、読まないという話を人に聞き、大変ショックを受けたと書いていた。そして「私の小説はすべて消えてもいいから(『楡家の人びと』だけ残して)、茂吉の歌は読み継がれていってほしい」という趣旨のことをも。

茂吉は日本の多くの詩人同様、戦争中には数多くの戦争賛美の歌を書いている。素人の私がみても、それらの歌は読むに堪えないように思うが、北杜夫もそのことは事実と認めている。高村光太郎、三好達治もそうだが、すぐれた詩をつくる一方、同時に戦争を肯定してしまう心情はその詩とその時具体的にどのような関係にあるのだろう。

今回発見されたコガネムシに「学名はラテン語で「ユーマラデラ・キタモリオイ」、和名は「マンボウビロウドコガネ」が命名されたことについて、北杜夫は「とても照れくさいけれど光栄。大好きなコガネムシなのでうれしい」と述べたということだが、きっとこのとおりの心境だったのではないだろうか。私がこれ以前に読んだ北杜夫の文章は、もう十数年も前のことだが、「夕食に○○○(注 魚の名前は忘れたが、まあまあ高価そうな魚だったと思う)の焼き魚が出ていた。私は、妻に「これ高かったんじゃないかい?」と訊いた。食卓にアジ、サバ、イワシ以外の魚をみると、私は心配になってそう訊ねずにいられない。」と書いていた。あの時も思わず笑ってしまったっけ。まだまだ元気でいてほしい。贅沢をいえば、また文章を書いてもらいたい。もう一度、躁状態になってもらって。

なお、北杜夫と昆虫については、読売新聞(2010年10月18日)の次の記事もたいへん興味深い。
「戦時下の昆虫少年がよみがえる24葉のはがき~北杜夫さん編」
2011.09.16 Fri l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top
先日、あるブログの記事タイトルに、「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」とあるのを見て、びっくり仰天した。記事を読んでみると、幸いなことに、本文にはこのタイトルから想像したほどの異様さは感じなかった。小沢一郎氏の熱心な支持者が自分のカリスマの類まれと信じる政治的力量を存分に発揮する場と機会の獲得を願うあまりについついこんな誇大妄想気味のタイトルをつけたのかも知れないと思った。しかし、そうであってもやはりこの文句は見過ごせない。

ブログ主が小沢氏を「民衆の命と生活を守」ってくれる政治家だと自分一人で信じるのは自由だが(実態をみるかぎり、不健康なことだとは思うが)、しかしこのタイトルの意味・内容はその次元にとどまっていない。ここから感じとれるのは、一人よがりで無根拠な思い込みの他人への押しつけだと思う。たとえば私も民衆の一人であるわけだが、そういう立場の私はこのブログ主から、あなたも自分の「命と生活を守」りたいのであれば、小沢氏に権力を与える必要・義務があると強いられていると感じた。このタイトルでは、読者がそう感じるのは当然ではないだろうか。

しかし現実に自民党や民主党などで要職に就いた小沢氏は、「民衆の命と生活を守るため」のどんな政治活動をしてきたのだろう。自民党離脱後の連立政権時代には、ただでさえ少数者の意見や立場が無視されがちな日本社会で、その傾向をいよいよ強くしただけの、民衆にとってよいことは何もないとしか思えない小選挙区制を中心になって導入し、また解党・解散のたびごとに公金着服疑惑が取りざたされるなどしてきた。後者の「政治とカネ」の問題では、前回のエントリーで記したように、野中広務氏のような直接的・具体的証言者もいる。上脇博之氏のブログの本年2月4日の記事は「研究者ら46名で小沢一郎らを東京地検に刑事告発しました!」である。秘書や小沢氏本人の現在進行中の裁判の件のみで落着とはいかない重大な問題が他にもあるのだ。

小沢氏をめぐるこのような問題についてこのブログ主はどういう見解をもっているのだろう。「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」などとある種畏れ多いことを言うからには、論者には事前に率先してそれらの疑問を調べ検討した上での意見表明が最低限の責任として求められると思うのだが。他にも不思議なことがある。こちらのブログをみると、反原発、脱原発を主張する記事が数多く掲載されている。そして、この原発関連の記事においては小沢氏の名前はほとんど出てこないようなのである。これはブログ主が小沢氏の原発についてのスタンスを、すなわち小沢氏は決して脱原発の考えはもっていないことを察知しているからではないか。そうだとすると、「民衆の命と生活を守るために、小沢氏に権力は必要なのだ。」というタイトルの文句はいよいよもってナルシスティックな、一般には理解し難いものにしかならないのではないか。特にこのような文脈で「民衆」を持ち出すのは問題であり、やめてほしいと思う。それから、「権力」ということばの意味も、もう一つ明瞭でないように思われる。

別のブログにもやはり小沢氏の行動を擁護するための呆気にとられるような文章が掲載されていた。タイトルは「「海江田支持」の小沢を支持する」というもので、こちらはインナーマザーという人物から当該ブログにコメントとして寄稿された文章をエントリーとしてアップしたもののようだが、こちらのブログではこのスタイルはすっかり恒例になっているようである。

「海江田支持」とはもちろん先月29日の民主党代表選挙に関する件であるが、立候補した五人のなかから小沢氏が海江田氏支持を選択したことの正しさを読者に伝え、理解してもらおうとして、インナーマザー氏はまず内田樹氏が自身のブログで述べているという公民論を引用する。「「公民」に求められるのは、何よりもまず「他者への寛容」である。」「システムの失調を特定の個人の無能や悪意に帰して、それを排除しさえすればシステムは復調するという思考法に私たちは深くなじんでいる。「首相のすげ替え」も「小沢おろし」もその意味で思考パターンに代わりはない。」「自分の好き嫌いを抑制し、当否の判断をいったん棚上げし、とりあえず相手の言い分に耳を傾け、そこに「一理」を見出し、その「一理」への敬意を忘れないこと。それが「公民への道」の第一歩である。」「「公民の育成」が今の日本の社会システムを補正するための最優先の課題だろう」等々。次にインナーマザー氏は「公民とは民度の高い市民のことです。小沢思想が官僚システムの改革のためにもっとも必要だと言い続けて来た大前提です。」と語る。小沢氏がそんなことを「言い続けて来た」とは知らなかったが、インナーマザー氏は内田氏と小沢氏の主張は一致していると言いたいのだろう。文章はさらに下記のように続く。

「小沢先生の海江田支持は、弁証法です。対立する者が共生する時に必ず通過する矛盾です。この矛盾を考え抜け、と小沢は国民に投げかけている。民度を高める試練のボールを小沢は本気で私たちに投げているのだと思います。本気で投げて来たボールから目を逸らせてはいけない。小沢のシグナルを見落としてしまいます。

小沢先生はせっかちではないので、弁証法で「日本」を考える人です。目に見える情勢判断の政局を戦いながら、同時に「天命に遊ぶ」ことで「待つ」ことを知っています。小沢先生が『待っている』のは国民の意識革命、国民の共存というアウフヘーベンを待っているのだと思います。 」

ウーム。内田氏は、一般論としては別に誤ったことを述べているとは思わないが、これは小沢氏が民主党の代表選で海江田支持を選択・表明したこととは何の関係もないと思うのだが? また、小沢先生は「国民の意識革命、国民の共存というアウフヘーベンを待っているのだと思います。」と言われても、何のこっちゃ? としか思えない。まして「小沢先生の海江田支持は、弁証法です。」なんて発言は、鴉を鷺と言いくるめる場合の典型的な鷺(?)手法ではないだろうか? 弁証法ということばは、矛盾した行動や筋の通らない発言を上手く取り繕って高みに押し上げようとする場合に重宝なようだから(ヘーゲル氏がお気の毒)、聞くほうはよくよく気をつけて聞き、慎重に考える必要があるようである。以前、柄谷行人氏が『AERA』という雑誌で佐藤優氏について、「国家、キリスト教、マルクスという本来まったく異質の存在をそれぞれ見事に内面化している。これこそ弁証法です。」とかいう趣旨のことを述べていたように記憶する。この時もつくづく呆れてしまったのだが、今回も同じような印象をうけた。そういえば、インナーマザー氏は小沢氏同様に佐藤氏のこともお気に入りらしく、今回いくつか読んだ文章には佐藤氏の名も何度か出ていた。また、インナーマザー氏の地の文に「思考する世論」ということばを見たが、このときには、これは佐藤氏が書いているのかと思ったくらいで(佐藤氏は以前このことばを「読書する大衆」ということばとともに遣っていた。)、二人には発想、思考方法などに共通点が多いようである。

だんだん脱線しそうになってきたので、中途半端だが、今日はこれで終わりにしよう。
2011.09.04 Sun l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
憲法研究者の上脇博之氏のブログには、原発に慎重であった民主党のエネルギー政策が逆方向に変わったのは、明確に小沢一郎氏が党代表に就任した2007年からであると書かれている。
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51568656.html?blog_id=2778940

3・11の東日本大震災による福島第一原発事故後の小沢氏は記者会見などで原発について訊ねられると、「原発は過渡的エネルギーである」と答えている。私は二度ほどその発言を聞いたのだが、気の乗らないしぶしぶのような口調であり、それ以上は何も語らない。おそらく事故後の現在も原発推進の考えに変わりはないのだろう。そう受けとめるしかないのだが、それならば、今回の五人の党代表候補者のなかで最も原発推進に熱心のようにみえる海江田万里氏を推すのも肯ける。

菅直人氏を私は私たち一般庶民にとってさほどよい首相とは思わないが、それでも、原発のない社会を目指す、という方針を打ち出したことは評価する。というよりそれが普通、当たり前の人間の感覚、考え方だと思う。まして、国民の生命と安全、国土に責任を負う政治指導者であればなおさらである。ただでさえ危険きわまりない原発を、世界の地震の10%が集中しているというこの国で動かすことは無理だった、誤りだったと痛感しないほうがおかしいだろう。菅氏は、事故の2~3週間後、今後のエネルギー政策について記者に訊かれて、原発政策を見直す、という主旨の応答をしたのを聞いた記憶がある。ホッとする気持ちが湧いたのでよくおぼえている。その直後、官房長官の枝野幸男氏も菅発言に呼応して「これだけのことが起きたのだから、見直しは当然だ」というようなことを述べていたのだが、最近は考えが後退してしまったようにみえる。どうしたのだろう。

それにしても、6月2日の菅内閣不信任案決議の際の行動にしろ、その後の「(首相は)菅さんでなければ誰でもいい」という発言にしろ、小沢氏の「反菅」の言動の真意は、どこにあるのだろう。「マニフェストをないがしろにしている」といっても、それは菅さんだけの意思ではなかったことは明白だろうに。そもそも、上脇氏によると、2009年の総選挙後、党のマニフェストを率先して破ったのは、小沢氏だったという。

「企業・団体献金の「全面」禁止は、財界政治を復活させないために不可欠である。/当時の小沢一郎幹事長は、マニフェストに掲げていた企業・団体献金の「全面」禁止という公約を反故にするために、同年10月に仕掛けをしていた。/(略)小沢幹事長は、財界の別働隊である「21世紀臨調」に、この件を「諮問」してしまったのである。/民主党が、企業・団体献金の「全面」禁止というマニフェストを本気で遵守する気があるなら、そのための法案を国会に上程すればいいのである。/「21世紀臨調」は、「諮問」を受けて半年後(昨年4月)、案の定、企業・団体献金の「全面」禁止ではなく「部分」禁止を提案した。/「21世紀臨調」は、財界人らでつくる「日本生産性本部」に事務局をもち、年間1億円以上の資金提供を受けているから、企業・団体献金の「全面」禁止を提言するはずがないのである。/要するに、政権交代後、小沢一郎民主党幹事長は、企業・団体献金の「全面」禁止のマニフェストを反故にするために、「21世紀臨調」に諮問し、そして予定通りの「部分」禁止にとどめる提言を受け取ったのである。」 (/は改行箇所)
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51505288.html?blog_id=2778940

マニフェストを裏切るこのような行動をとった人物が、いまさら「マニフェスト堅持」を主張するのは理に合わない。上脇氏が、「それゆえ、小沢氏の「マニフェスト堅持」の主張は、わかりやすく言えば、現時点では「原発推進」堅持にしか受けとめられない」と述べていることに妥当性を感じる。

最近、私は秋元健治氏の著作「原子力事業に正義はあるか―六ヶ所核燃料サイクルの真実」(現代書館2011年)を読んだのだが、六ヶ所村の「反核燃」運動が衰退していく一大転機になった1991年の青森県知事選に関連して、当時自民党の幹事長であった小沢氏の名前も核燃サイクル施設推進派側の一人として出てくるので、この部分を引用しておきたい。(強調のための下線は引用者による)


 …… 1989年の村長選挙を境に、六ヶ所村の「反核燃」派の結束は失われ、その運動は急速に力を失っていく。
 その原因は、土田村長の政治的裏切りの結果だけではなかった。核燃料サイクル基地建設工事、それに関連する公共工事での村内発注が、村の最大の関心ごとになっていた。それは直接的、間接的に多くの村びとの生活を支えていた。
 1989年7月の参院選挙での「反核燃」候補の圧勝、その翌年2月の衆議院選挙でも、「核燃白紙撤回」を訴えた社会党の関晴正候補、山内弘候補が自民現職を抑えて当選。六ヶ所村では「核燃凍結」を人びとに信じさせた土田浩村長の誕生があった。このとき「反核燃」の風は、少しも衰えていないようにみえた。

  県知事選挙
 そして核燃料サイクル基地をめぐる最終決戟は、1991年1月から2月にかけての青森県知事選挙だった。もし青森県の知事が「反核燃」となれば、「核燃白紙撤回」が現実となるかもしれない。核燃料サイクル基地の立地基本協定はすでに締結されていたが、その立地基本協定には事業の進展に合わせて段階的に関係者間で安全協定を結ぶことが明記されていた。施設の建設が完了しても、青森県知事が安全協定の締結を拒めば操業はできない。核燃料サイクル基地の立地基本協定そのものの破棄さえ、政策の選択肢となりうる。もっともそうなれば、事業者は青森県にたいし損害賠償訴訟を提起するかもしれないが、いずれにしろ「反核燃」は大きく前進する。
 社会党や農業団体、市民団体など「反核燃」の人びとが知事選の候補者に選んだのは、「核燃料サイクル阻止一万人訴訟原告団」にも名を連ねる金沢茂弁護士だった。一方、自民党の保守は分裂し、「核燃推進」の現職の北村正哉、そして「核燃凍結」の山崎竜男が立候補した。山崎竜男は参院議員を四期、環境庁長官も務めた有力政治家だったが、「山崎降ろし」に失敗した自民党の公認を受けられず「核燃凍結」を公約として出馬した。「反核燃」の県民世論は、金沢茂に有利であり、保守分裂と「核燃推進」の北村正哉は逆境のなかにいた。
 このままでは核燃料サイクル基地が頓挫する。電力業界、原子力産業界、そしてそれらを後ろ盾とする自民党は大きな危機感を抱いた。北村正哉候補は、中央の政財界から強力な支援を受けた。電事連の那須翔会長は北村支持を表明し、電力業界は資金のみならず、電力や関連企業の社員を動員して電話などで選挙運動をおこなった。内閣総理大臣でさえ青森県知事選挙で動いた。湾岸戦争のさなかという国際情勢下、海部俊樹首相が青森市に姿をあらわし県民6000人の前で北村支持をうったえた。他にも青森県には、大島理森官房副長官、小沢一郎幹事長、橋本龍太郎大蔵大臣、山東昭子科学技術庁長官、加藤六月、三塚博、アントニオ猪木ら国会議員が北村陣営の応援に駆けつけた。こうした政界大物や著名人の登場、潤沢な選挙資金が、逆風のなか「核燃推進」の北村正哉候補の票を確実に増やした。
 そして1991年2月3日、投票と即日開票。青森県知事選挙の結果は次のとおりだった。「核燃推進」で自民公認の北村正哉が32万5985票、「核燃白紙撤回」で社会党、共産党の推薦を受ける金沢茂は24万7929票、「核燃凍結」の無所属の山崎竜男は16万7558票。投票率は、66.46%という青森県知事選では史上二番目の高さだった。
 四選を果たした北村知事は、感慨深げに言った。
 「こんなきびしい選挙を経験したのは初めてだ」一方、敗れた金沢茂は次のように無念の心情を語った。
 「青森県民は核燃との運命共同体を選んだ。私はこれからも白紙撤回への努力を続ける」
 しかしこの知事選の結果から、県民が「核燃推進」を選択したとはいいきれない。「核燃白紙撤回」金沢候補と、「核燃凍結」の山崎候補の投票数を合わせると、「核燃推進」の北村候補の投票数を上回っている。自民党公認を争っての保守分裂が、山崎候補の「核燃凍結」という曖昧な公約をうみだし、結果的に「反核燃」票の何割かがそちらに流れた。また北村陣営は核燃料サイクル基地以外に選挙戦の争点をあてようと必死だった。
 この青森県知事選を境に、県内の「反核燃」の運動はしだいに力を失っていく。これからわずか3カ月後の1991年4月7日の県議選では「反核燃」候補の落選が相次ぎ、自民党が圧勝した。六ヶ所村では核燃料サイクル基地の建設が着々とすすみ、それぞれの原子力施設は操業開始への段階をすすみつつあった。」


6月2日の不信任案決議の時、菅首相を批判した自民党の大島理森氏の語調はまるで「弾劾演説」とでもいいたくなるほどに異様に厳しかった。上述の本の一節 (下線部分)を読むと、この大島氏といい、小沢一郎氏といい、菅直人氏をこれほどまでに厭うのは、あるいは菅氏がエネルギー政策の転換を口にしたことが影響しているのかも知れないという気もしてくるのである。もしかすると、大島氏もそうだが、当時与党幹事長として辣腕をふるっていた小沢氏は、日本の原発推進勢力の重要な一角を占めた一時期があったのかも知れないとも思う。

最後に、もう一件、小沢氏の「政治とカネ」の問題について、次の証言を引用しておきたいと思う。


 野中(広務)は小渕政権にあって、小沢と自自連立政権を樹立する時の官房長官で当時、その実力から「陰の総理」と呼ばれた。その野中が、堰を切ったように言うのだ。
「(法律では)政党は解党した時に、(政党交付金を含めて)その党で持っているカネは使ったように帳尻を合わせれば国に返さなくともいいようになっとるんやろ。あいつは、法律に定められていないからといって自分のものにしているんやないか。政治資金も同じことだ。法律は政治資金で土地などの不動産の購入を禁じてはいない。しかし、だからといって法の不備を突くようにしてぎょうさんの不動産を買って資産を形成することが、政治家として認められるわけがないやろ。第一、その政治資金には(政党交付金という)国民の税金が入っとんのや。後期高齢者医療制度のように国民が負担増に苦しんでいるというのに何や、あいつのやっていることは。国民の苦しみがわかっとらんのや」
 野中は興奮していた。目を見開いて私を見据えると、唐突にもこう切り出したのである。
「あいつは国家的に危険な奴や。経世会分裂の時だってあいつは我々が知らんうちに(派閥の金庫から)カネを持っていったんや」
 私は思わず、「どういうことか」と聞き返していた。野中はこともなげに言った。
「ガポッとカネを持っていった。気がつかなかった。まさか、あいつがそこまでやるとは思わなかった。(経世会に残った人間は)人がよかったんだろうな」
――ガポッというが、いくらぐらいか。億単位か。
「億や。(金庫に)残っていたのは2億円くらいやった。もう、(それ以上は)持ち出されないように急いで封を貼ったんや」
――いったい、派閥にはいくらあったのか。
「8億円くらいはあった」
――ということは、小沢が持ち出したのは6億円ということになる。そのカネが後の資産形成や新生党の結党資金の原資になったということか。
「そうじゃないのか」
 小沢は経世会の分裂に乗じて、本来派閥の活動費として集められた資金を、派閥に相談することなく、自らの資産形成などのために持ち出していたのではないかと野中は疑念を抱いていたのだった。
 事実、経世会の秘書らは金庫を守るためピケを張ったという。 」(松田賢弥著『小沢一郎 虚飾の支配者』講談社2009年)


上の文章は、この本の著者の松田氏が2008年12月に野中広務氏にインタビューをして引き出した話だということだが、私はこれは事実そのままの正確な話と信じてよいように思う。野中氏は、同じ政治家であり、今なお現役の大物政治家である人物のこれほど重大な件について出鱈目なつくり話やあやふやな話はしない(できない)だろうし、松田氏にしても野中氏の話をそのまま叙述したことは疑いのないことのように思う。そうでなければ、これは後で大変な事態になるにちがいないほどのことと思われるが、そうはならなかったことを考えれば、ここに描かれている話は事実と思うしかない。小沢氏が国会の参考人招致などに応じるはずはなかったと思う。
2011.08.29 Mon l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top
菅首相は12月10日、拉致被害者家族会との懇談会で「万が一の時に北(朝鮮)におられる拉致被害者をいかに救出できるか。準備というか、心構えというか、いろいろと考えておかなければいけない」とか「救出に直接、自衛隊が出ていって、向こうの国の中を通って、行動できるか、という所までいくと、まだそうしたルールは決まっていないのが現状」などと述べ、「韓国との間で検討を進める必要性を指摘した」(asahi.com.2010年12月10日23時17分)そうだが、一体何を言いだすやら、何と愚かな政治指導者だろう。

首相は翌日の11日、この発言について、記者団に「一般の邦人が韓国の中、例えばソウルとかに住んでいる。有事のときに拉致被害者を含めて一般の邦人の救出に自衛隊の輸送機などが受け入れてもらえるか、考えなければいけない」と語り、「韓国の邦人救出を念頭に置いた発言」(毎日新聞)だったと釈明したそうだが、これでは何の釈明にも軌道修正にもなっていない。

米・韓・日が寄り集まって北朝鮮に誇示することを目的の一つとして軍事演習をつづけていることは、万人の目に明らかであり、こういう行動を挑発といわずして何というのだろう。万が一、日本が米韓とともに北朝鮮攻撃に加わるようなことがあったら、それは日本国憲法の決定的な否定であり、犯罪であるとともに、朝鮮への再び、三度の侵略に他ならないだろう。そのような事態を招いたら、世界中の心ある人々から、特にアジア諸国の人々から真っ先に指弾を浴びるのは、アメリカや韓国よりもまず日本ではないかと思う。19世紀の後半から1945年まで日本が台湾・朝鮮・中国をはじめとしたアジア諸国でなしてきた犯罪の数々は、当然のことだと思うが、被害国の人々には今もまったく忘れられていないようである。北朝鮮に住む大多数の人々にとっても同様なのではないだろうか。

先日、ブログ「河信基の深読み」12月11日付の記事を拝見していたところ、コメント欄に二人の人の次の意見が載っていた。興味深いコメントなので2件とも引用させていただく。

「ある評論家(元自衛隊)が言ってました。/韓国の軍関係者との会話で、「もし半島で有事が起きた時は、自衛隊は韓国軍に協力して戦う」と言ったところ、その韓国の軍関係者は「もし自衛隊が一歩でも韓半島に立ち入った場合は、南北は即座に協力し、一緒に日本と戦う」と言ったそうです。/それは、その韓国の軍関係者一人の意見というより韓国国民の民意だと思いますし、北の民意も同じだと思います。」

「昔、ある韓国の大統領の前で故金日成主席の“悪口”を散々言った日本の首相(だったと思います)がいたそうです。ところがその韓国の大統領、『立場は違えど金日成は韓(朝鮮)民族の英雄、日本人の貴方が言うのは我慢ならない』という趣旨の発言をしたそうです。」

私も1900年代の後半、ある韓国人が、日本は北朝鮮を攻撃すれば韓国は自分たちを支持するだろうと思っているのかも知れないが、とんでもない。日帝支配の40年間の苦難・悲劇の数々、韓国人が日本の味方をすることは決してない。」と述べるのを聞いたことがある。また、その本の題名も著者名も今は忘れてしまったのだが(どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください)、在日朝鮮人の意識と生活を追ったノンフィクションの本に、金日成が死去した直後にその本の著者がボードヴィリアンの故マルセ太郎から聞いた話として記されていた言葉が忘れられない。マルセ太郎は、本当はもっと早く金日成が死んでいろいろなことが自由になればいいと思っていたんだよね。でもそういうことを日本人にだけは言われたくない。…自分がもし、言葉を奪われ、名前を奪われ、土地を奪われ、強制労働に連行されような目にあったとしたら、その時どう思うか、想像してみればいい。」という趣旨のことを述べていた。至極もっともなことだと思う。私がそのような立場にたったら、マルセ太郎氏と同じように感じ、考えるだろう。(下線による強調はすべて引用者による)

戦前・戦中のことだけではない。戦後における日本の行動・姿勢についても疑問視する人はアジアだけではなく、ヨーロッパなど世界中に大勢いるようである。たとえば、前にも書いたことだが、文芸評論家の加藤周一の発言である。加藤周一は、大学卒業後の人生の半分を欧米やアジア諸国の大学に招かれ、日本以外のあちこちで暮らしてきたそうだが、次のような発言をしている。

「それ(引用者注:ドイツ)と比較して日本側はまず第一に賠償を少ししか払っていない。それから個人賠償は今までほとんど全くしてこなかった。しかも政府の態度がちがいます。ブラントにしてもそうですが、ドイツの首相乃至大統領は明瞭な謝罪をしました。それを日本ではごまかす。「残念なことが過去にありました」「心が痛みます」。それは謝罪じゃない。自分の心が痛むか痛まないかが問題ではないのです。被害を受けた方からいえば、相手をはっきりさせて、朝鮮人に対してあるいは中国人に対して謝らなければ意味がない。中国と日本との間に戦争があったことに関して、こっちの心が痛もうと痛むまいと、そんなことに中国側では興味がないでしょう。謝罪というのは相手に対する行為であり、心が痛むのは当方の気分の問題です。それは全然二つのことですね。ヨーロッパ人は、そういうことを強く感じていて、日本の評判はあまりよくない。「どうもおかしい。戦争の時代からずっと続いているんじゃないか」という感じは、ヨーロッパ人のなかにもかなり深くある。もう少し詳しくいうと、ヨーロッパにおける一般大衆は、中国や韓国に対するようには日本に関心がない。しかし、国際的な問題に関心のあるヨーロッパ人の間では、日本の評判があまりよくないということです。国際的には一言でいうと「孤立した」状態になっています。」

「侵略戦争であるかないかを問題にしているのは、日本だけです。必ずしも被害国じゃなくても、どっちかなどということを考えている国はほかにはないでしょう。もちろん韓国や中国やマレーシアでそんなことは問題にならない。日本人に殺されたわけじゃないけど、パリでも「あれは侵略戦争であったかなかったか」ということは誰も問題にしていないでしょう。そういう問題を考えること自体が、鎖国心理のあらわれで、日本の特殊事情です。天下の常識に従えば、侵略戦争だ。」(『歴史としての20世紀』加藤周一著作集24)

加藤周一はまた下記の発言もしている。

「 東南アジアは根本的には韓国、中国と同じです。インドネシアでも、タイでも、マレーシアでも同じだと思いますが、ただちがいもあります。日本の経済的な力は、中国を支配してはいないけれど、東南アジアではかなり強い。戦争の過去から来る反感と現在の日本との経済的結びつきから受ける利益とが競合している。だから、東南アジアの国々の企業の社長や政府の役人に会えば、反日的なことをいう人は少いでしょう。しかしタイでさえ、大学に行って学生と話せば、日本批判は激しい。おそらくマレーシアやインドネシアではさらに猛烈でしょう。
 かつてドイツのヘルムート・シュミット元首相が日本へ来たときに、「日本には友人がいない」といいました。ドイツがヨーロッパに統合されるということは友達がいるということです。日本はアジアに全然入り込めていない。そのためには政府間交渉だけではなくて、その国の人民との関係を構築しなければならない。それには過去の話を忘れることができません。
 中国でも対日批判は厳しい。政府間交渉とかビジネスの交渉の話は知らないけれども、大学のなかの学生乃至教師と接触すると、日本批判の鋭いこと、深いことがわかります。親日的な日本学者でさえもそうです。もちろん日本人がみんな悪いといっているわけではない。しかし侵略戟争の過去にどう対応しているか、南京虐殺に関してどう考えているのかということで、日本人を二つに分けてつき合っているのではないかと思うほどです。私の印象では、日本のことを研究し、日本学の専門家であるような学者で、かなり親日的な人でも、南京虐殺に日本人がどう反応するかで扱いがちがってくる。そのくらい激しいものです。おそらく大学の教師および学生でそういうことを考えていない人はいないのではないかというぐらいの印象をもちました
 それではなぜ「失言」がくり返されるのか。これは政府だけの問題ではなく、社会の問題です。報道でも、メディアでも、芝居でも、映画でも、あるいは雑誌などの言論機関でも、文学でも、意識してその問題に対処するということが、この50年間非常に薄かった。この点ではドイツの方がはるかに徹底しています。」(『日本はどこへ行くのか』岩波書店1996年)

加藤周一はその文章を読むかぎり、事実を脚色して大袈裟な表現をする人ではない。むしろ何事においても抑制的に述べる傾向をもった人のように思う。それでも世界各地で生活し、日本に対する諸外国の人々の評価を知ると、上記のような厳しい日本批判を紹介せざるをえないのだと思う。日高六郎も海外生活の長かった人であるが、加藤周一の共通点の多い発言をしている。

「 1945年、敗戦の11月にアメリカから連合国の賠償使節団としてポーレー(エドウィン・W・ポーレー)という人が日本に来ました。ポーレーはその報告の中で、敗戦日本は日本が侵略したアジアの諸国、朝鮮も含めたアジアの諸国の民衆の生活水準よりも高くなることは許されないというふうに言いました。道義的にこのことに対して反論できるでしょうか。
 その後、冷戦状態になって連合国の方針が変わります。そして朝鮮戦争が始まり、日本の工業はたちまちにして戦前の水準を回復する。それ以後のことはもう申し上げるまでもない。
冷戦の痛ましい犠牲者、分断の悲劇のいけにえとして徐勝さん、徐俊植さんがおり、その他の大勢の方々がおられた。冷戦のおかげで日本人は現在、この経済的繁栄を獲得している。これが歴史です。しかし私はこの歴史の軌道は狂っていると思う。どこかで日本人はそのつけを払わなければならない時が来ると思う。」(『個人的な感想』 民衆が真の勝利者 編集=徐君兄弟を救う会(影書房1990年))

使節団のポーレーという人物が、「敗戦日本は日本が侵略したアジアの諸国、朝鮮も含めたアジアの諸国の民衆の生活水準よりも高くなることは許されない」とまで述べたところをみると、史実と照らし合わせてみても想像できることだが、日本の侵略の規模、日本軍が諸国でまき散らした惨禍の内容がどのようなものだったかを物語っているように思う。日高六郎がいう「日本人はそのつけを払わなければならない時が来ると思う」という発言は、日本があちこちに自衛隊を派遣すればするほど、支払わなければならないつけをさらに大きくするばかりだと思う。「奢れる者は久しからず」はつとに歴史の証明するところであり、21世紀はアメリカの没落の世紀になるだろうとは多くの人が心中深く予感していることである。日本は今のように米国に追従して米軍とともに行動していたら、滅亡の道をひた走るしかないのではないだろうか。民主党政権になって以後、政権首脳から一度として真に見識ある発言を聞いたことがない。今年3月に発生した韓国海軍の哨戒艦沈没問題にしても、当事者の北朝鮮が犯行を否定し、ロシアや中国も北朝鮮の関与を疑問視しているというのに、日本政府は(政府に追随するマスコミも)その主張・見解を徹頭徹尾無視・黙殺し、韓国側の言い分を100%鵜呑みにした言動をしていたが、あの姿は誰の目にも不自然きわまりないものであったと思う。
2010.12.14 Tue l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
11月23日、北朝鮮が韓国に砲撃し犠牲者が出たというニュースが入ると、翌24日、朝鮮学校への授業料無償化制度の適用について、菅首相は「私から(高木義明)文部科学相に、こういう状況の中なのでプロセスを停止してほしいと指示を出した」と述べ、仙谷由人官房長官も「現在進めているプロセスをいったん停止する方向に動く」などと発言した。朝鮮学校の教師や生徒、関係者を長期にわたって散々苦しめた挙げ句、ようやく適用が決まったばかりの無償化制度適用をまたもや棚上げにすると発表したのだ。

子どもにとって生きていく上で何が最も耐えがたくつらいかといえば、不和や虐待などの家庭の問題を除けば、学校や近隣を初めとした日常生活の場における差別・いじめではないかと思う。いじめがつらいのは、大人も同じだが、まして年端のいかない十代の少年・少女においてをや。

菅氏が総理になってすぐに沖縄に行った際、もうこれ以上基地の押しつけには耐えられないと抗議する沖縄の人たちに向かって「感謝します」(趣旨)と言ったとき、この人の感覚は普通ではない、と思ったが、まさかこんなことまでやるとは…。何を目的としてこういうことを言い出したのか知らないが、政治家とか首相とかいう前に、一人の人間として考え方に重大な欠陥があるとしか思えない。菅氏だけではなく、仙石、高木氏などの閣僚も同じである。一体、朝鮮学校の十代の生徒たちが北朝鮮の砲撃にどんな関係があるというのだろう。恥も外聞もない、明白な弱い者いじめであり、百害あって一利なしとはこういう手法を指すだろうと思う。国際的にも呆れられ、軽蔑されるのがオチだということが分からないというのが不思議である。

今年2月に日本は「国連人種差別撤廃委員会」から多くの懸念と勧告を受けているが、当然のことながらその中には、高校無償化から朝鮮学校を除外するという案件も入っている。また3月には、同委員会は日本報告書審査にともなう総括所見を発表。「日刊ベリタ」のこの記事によると、これを受けアムネスティ・インターナショナル日本は、以下のように述べていた。

「日本政府がただちに、勧告の完全実施に向け必要な措置を講じるよう要請した。国連の総括所見は、日本の国内立法は差別の禁止を明確に規定していない。そのため、差別行為、嫌悪発言、公人による差別的な発言の流布、扇動が横行している現状を指摘、包括的な差別禁止法を制定し、刑事上、民事上の責任を明らかにするよう日本政府に要請している。これが実現すると、移住労働者や在日韓国朝鮮人に差別と排外主義の言動を繰り返しているネット右翼や在特会(在日特権を許さない市民の会)などの動きは許されないことになる。また鳩山政権が検討している高校無償化から朝鮮学校を除外する動きに対しても懸念を示し、朝鮮学校高級部の無償化対象からの排除は、現在日本社会を覆っている排外主義と関わりがあると言い切っている。」

何のことはない、菅政権は国連の「日本政府がただちに、勧告の完全実施に向け必要な措置を講じる」ようにとの要請に応えるどころか、朝鮮半島の混乱に乗じて政府自ら率先して、国連の言う差別と排外主義の増幅に手を染めているのだ。「最小不幸」どころか自分たちの手で不幸の種を蒔き散らしているのだから、何ともお粗末な政権だという慨嘆を抑ええない。

それから小沢一郎氏のことだが、この人が信頼のおける政治家でないと思うことの一つには、十何年も前から「国連主義」を唱えておきながら、人種差別や死刑制度の廃止に関しての国連からの勧告をまともに取り上げたり、積極的に取り組もうとする態度を見せたことはただの一度もないように見えることがある。国連、国連というのなら、朝鮮高校の無償化対象除外問題に関する国連の勧告についても真剣に受けとめ、党内で積極的に言葉を発し、排除阻止に力を尽くすのが当然ではないだろうか。これを見ても、小沢氏の国連主義というのは、ISAF(国際治安支援部隊)への加盟など軍事問題に限ってのことであろうという疑いを強くもった。私は国連指揮下であろうとも軍事力を行使することには絶対反対だが、これでは小沢氏は自ら口にする国連問題に関して最低限の筋も通していないことになるのではないだろうか。

人間についての定義をしようとすれば、多種多様、いろいろな意見があるだろうが、何人たりとも差別(それがどのような性質のものであってもそうだが、特に人種差別はそうではないかと思える)に耐えることはできない。自分自身で思いを巡らしたり、経験に即して考えてみたりしても、これは人間の条件の一つであるように思うが、何よりも歴史が証明してきた事実であると思う。もちろん日本の侵略・植民地支配の歴史こそがそうであり、外国人の学校も含めて授業料を無償化するというのなら、何はさておいても、在日朝鮮人の所属する学校に対してこそ真っ先に支給すべき筋合いであるだろう。これは余談になるかと思うが、私は、今の日本に在日朝鮮人がいてくれるということは、日本社会にとってつくづく感謝すべきことであると思う。もちろん例外はあるにしろ、在日朝鮮人の発言を聞いたり、文章を読んだりしてみると、一般的にいって日本人より思考力が、深さといい、鋭さといい、確かさといい、格段に優れているように感じることが多い。同じ社会の空気を吸って生きていながら、そして人口比率からいえば一握りでしかないのに、不思議なことだがこれは紛れもない事実であるように感じる。ずっと以前からそうだったのか、それとも近年の傾向なのか、どちらなのかははっきりしないのだが、あるいは後者ではないかという気もするのである。菅政権は一刻も早く、朝鮮学校の生徒、教員、関係者に謝罪し、今回の冷酷な措置を取り消すべきである。
2010.11.26 Fri l 社会・政治一般 l コメント (1) トラックバック (0) l top
ブログ「media debugger」のこちらの記事経由で、渡瀬夏彦氏のブログを閲読した。「沖縄県知事選と官房機密費。鈴木宗男氏と佐藤優氏の会話に注目!!」。この方はライターだということだが、率直に言って、それにしては情報を上下左右、表から裏までひっくり返して検証し、正確な記事を書くという姿勢に欠けるところがあるように思った。そもそも、まず私は、次の文面をみて押しつけがましさを感じたな。

「以下、琉球新報2010年8月7日付紙面(総合面3面)より、コラムの全文を引用する。鈴木宗男氏と佐藤優氏の重要な会話の内容を、なんとなく読み流してはいけないと思う。/ぜひ、じっくりかみ締めていただきたい。」(強調のための下線は引用者による。以下同じ)

私は一読後、いつものように思惑がいっぱい詰まっていそうな佐藤優氏の発言だと感じたが、渡瀬氏の上の紹介文には、佐藤氏の姿勢を純真、誠実とあらかじめ決めつけ、誉め称えようという意図があからさまなように思う。しかも読者に対してさえ、自分のようであるべきだと言わんばかりのようではないだろうか。官房機密費流用問題は、沖縄在住の人のブログでは作家の目取真俊氏の「海鳴りの島から」でも早速取り上げられていたし、事実重大な証言であろう。しかし、鈴木氏は当時この流用に自分自身も加担していたことには違いないのだ。なぜこの時期にこういう証言をしたのかについても機密費流用の事実関係が明らかにならないことには何とも言えないと思う。佐藤氏の言動についても同様のはずである。私が上記のように「いつものように思惑がいっぱい詰まっていそうな佐藤優氏の発言」と本心を書いたのは、渡瀬氏のように根拠も示さず佐藤氏を賞賛する人物が後から後から続々と湧くように出てくるからである。金光翔氏などから普遍的見地に立った重大な批判が出ても全員で申し合わせたように無視・黙殺。卑劣といおうか醜悪といおうか。私の知るかぎり、言論人や物書きなどがこれほど思考力や誠実さを喪失した時代は戦後なかったように思うのだが、さて、渡瀬氏が述べるように琉球新報の記事を「なんとなく読み流」さず、「じっくりかみ締め」たら、はたして何が明らかになるのだろうか? なんだか、歯だけではなく頭まで痛くなりそうな気がするのだが…。

そもそも佐藤優氏は、自分も官房機密費を30万円もらったと早くから述べているではないか。…と、ここまで書いてきて、渡瀬氏のブログにこの件を扱った記事があるのではないかとブログを訪れて検索してみたところ、この件は見つからなかったが、6月22日発売の『週刊朝日』掲載の「外交機密費を受け取った新聞記者たち」という佐藤氏発言についての記事があった。要するに、これは佐藤氏が外務省にいる時、新聞記者たちに機密費を流したという話のようである。以下は渡瀬氏のブログからの引用である。

「わたしは快哉を叫んだ。
佐藤氏は、語弊をおそれずにいえば、自らの「罪」を語っているのである。
つまり、自分の経験を踏まえた上で、外務官僚がどのようにしてマスコミの記者たちを手なずけて、情報操作のために働かせる状況をつくり出すのか、を語った。
内部事情を知り尽くした人の発言だけに、意味がある。
おそらくは、佐藤氏のこの国における「官僚支配」の強化に対する危機感が、そうさせているのだろう。
受け取った新聞記者が特定できるような話し方をしていないところは、大人の対応というべきか。」

ライターとして恥ずかしいとしか言いようのない内容の文章ではないだろうか。こんな調子では、佐藤氏が官房機密費をもらっていたことも、今「自らの「罪」を語っている」のだから、「立派!」ということになるのだろう。しかし、30万円をもらったことがあると話した時の佐藤氏の態度、口調には自分が悪事をなした、あるいは悪事に加担したというような忸怩としたもの、恐縮した様子、恥じ入った気配などは、微塵も感じられなかった。むしろ勝ち誇ったような気配があった。そのように私は感じたのだが、渡瀬氏の感想は如何に? また、佐藤氏は、昨年「背任・偽計業務妨害」有罪が確定した時には、『サンデー毎日』誌上で、

「率直に言いましょう。支援委員会は背任のための組織です。日本しかカネを拠出していない“でっちあげ国際機関”を作って会計検査院の検査から逃れ、外務省が単年度で使い切らなかった通常の予算をプールできるようにした。打ち出の小槌です/私的な流用さえなければ構わないというのが我々の認識でした/(しかし)カネが目的外に使われるという検察の言う背任の意味では……(支援委員会も)背任機関でしょう。たとえば要人の招待は配偶者の航空費や滞在費が出ないが、「背任機関」があればカネを持ってこられる…」

と述べて、著書を読めば佐藤氏が中心になって運用・活用していたことが明白だと思われる「支援委員会」なる組織の実態がいかに胡散くさいものであったかを自ら認めている。これについての渡瀬氏の感想は如何に? これもまた佐藤氏は「自らの「罪」を語っているのである」から、立派である、ということになるのだろうか? しかしおそらく佐藤氏は、上述した3件のすべての場合において、渡瀬氏が見せているような反応をあらかじめ見越した上で話していると思う。自らが責任を問われることは決してなく、渡瀬氏のように「快哉を叫ん」でくれる人が後を絶たないのだから、それは堪えられないはずだ。発言の牽制効果もいっそう強まることだろう。


8月20日朝、一部文章の訂正をしました。
2010.08.19 Thu l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
藤田省三に「今なぜ大嘗祭か」という文章があるが、これを私は10年ほど前に「藤田省三著作集 8 戦後精神の経験Ⅱ」で読んだ。1990年、今上天皇の即位の礼と大嘗祭が行なわれた際に、集会というか講演というか、(おそらくは大勢の)聴衆の前で話した内容を記録したもので、大変おもしろくまた興味ふかいものであった。特に印象に残った箇所を要約すると、次の3点になる。

① 「元号」と「天皇」という称号と「日本」という国名、称号とは一緒にワンセットでせいぜい8世紀に中国を真似てできたものである。これは古いと言えば古いが、ほかの文明と比べればどうか。中国文明は紀元前5世紀、ギリシァ文明も紀元前5世紀に始まった。そういうあちらが「我が国古来の文化的伝統にのっとり」なんて誇らないのに、それより遥かに13世紀もおくれてやっとその模倣としてできあがった制度を、「古来の文化的伝統にのっとり」という感覚は国際的感覚に欠けるだけではなくて、自分の位置を知らない、自分を批評的に見ていない、自分の社会を批評的には見ていないということを意味するので、これは国際感覚に欠けるだけではなくて倫理的な問題として、反省の能力に欠けるということでもある。

② 「君が代」について。1905年日露戦争の最中、『朝日新聞』の今で言う「天声人語」みたいなコラムに、「皇室に歌あり、民に歌なし、民に歌なき国民は不幸なるかな」という政府批判が載っている。「君が代」は皇室の歌ではあっても、民の歌ではないことがちゃんと社会に認識されていた。ところが、その後、きびしい条件のもとで、周囲から圧力をグンと加えて、「臣」と「民」を溶接させて、一億一心にするころになると、学校のなかで殆ど毎日のように歌わせて、いつの間にかそれが「国歌」であるかの如き幻想を日本中の一億人がみんなもってしまった、もたしてしまった。

③ 今日、問題として考えてみたいのは、下記の文章についてである。本文から藤田省三の発言をそのまま引用する。

「 「国民」というのは、あれ英語の翻訳ですから“nation”でしょ。これはあの帝国主義、自分の国内市場の中でだけ賄えるような経済のあり方や生活のあり方が、もう金余り現象の結果儲けすぎて、要するに資本家が儲けすぎて出来なくなったとき、よその国に出ていってよその国でもっと儲けようとする、帝国主義とよばれていますね。そういう世界政策に対しては国民的政治家は、例えばフランスのクレマンソーなんていう人が、一時、――後で駄目になりますけれども、一時期は――国民的立場の政治家として世界政策をやめさせようとする、それに箍をはめようとする、そういう政策といいますか、統治のしかたをした時期があるんです。そういうときにそれは国民的政治家、国民的立場の政治家というふうに呼ぶので、「国民」という概念は帝国の一翼であっては駄目なのです。それに協力するようではそれは「国民」ではないのです。「国民」と帝国主義の尖兵になったり、帝国主義に服従したり、従順であったり、忠実であったりすることは矛盾するのです。だから一億一心、「家臣」と「民」は強力に液体空気の如く溶接したけれども、その溶接ができたときには、もう帝国主義に忠実な、つまりアジア諸地域その他でたくさんの何の罪も無い人をわんさと殺す。そういう戦争に忠実な一億人を作り出しているわけで、これはだから「国民」という定義に反する訳です。
(略)
今の我々が国民主権という場合、一般的に言った場合賛成なんでありますけれど、戦後の今言う「国民」の概念が新しく作られ、憲法の最初の英文で、――英文が大概付いていますから、御覧になればわかりますけれど、――最初の案は例えば14条で法の下の平等には、外国人の法的権利を保証してないのが大日本帝国憲法の間違いだという指摘のもとに、外国人の権利も保証すべしという独立条項も16条に入って、14条での法の下の平等の所では最初はすべての自然人に対して法的保証が、基本的人権が保証されるということが明記されていたのです。英語で言いますと“All natural persons”という、「すべての自然的人間」という。すべての自然人ですから、もちろん国籍を問わないで人権を保証するという、法律上の市民権も保証するというふうに最初はなっていたのです。それを日本の役人というのは悪いのがいますね。相当なものですね。あの戦後の混乱の時期でも交渉をしてですね、それを“people”に変えさせたのですね。そうすると、その頃のGHQの中にいた対日政策を決める人たちが、ニューディーラーと呼ばれていた民主派の人たちが、(略)“people”というのはいいものだと思っていますから、先方は、当然我々もいいものだと思っていますけれども、“people”で宜しい。それを日本語に訳して「国民」と訳しちゃったわけです。すると、それをもう一回英語に訳し返すと“Japanese national”という感じでしょ。すると日本国籍を持たないものには、日本国民に与えられる法の保証を与えなくてもいいということの法律的起源がそこから既にもう出発している。 」

上記の文章は、もちろん日本国憲法の「第3章 国民の権利及び義務」の条文について述べているものだが、このときまで私はGHQ草案に“All natural persons”という言葉が記されていたことを知らなかった。それが日本側の交渉の結果“people”になり、その後外務省が作成した英文に今現在もこの“people”という単語が使用されていることもこのとき初めて知った。この文章を書くにあたって、ネットを検索してみたら、下記のサイトに簡単ではあるが、ちゃんとその経緯が記されていた。藤田省三の発言内容のとおりであった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC14%E6%9D%A1

藤田省三のこの文章を読んでから、ずっとこの結末、決着のつき方に割り切れない気持ちをもっていた。14条の「法の下の平等」の条文における “All natural persons”が、GHQの草案に沿って「全ての自然人」と正確に翻訳されていたら、その後、日本政府は外国人――とりわけ在日朝鮮人を苦しめてきた国民保険や年金制度の問題を初めてとした、数々の差別待遇もなすことはできなかったはずではないだろうか。しかし、考えてみると、どうも日本側の政府役人はGHQと交渉した際に、“All natural persons”の意味する趣旨に真っ向から異議を唱えたり、否定的な意向を示したりしたわけではなさそうである。もしそのようなことがあったのだとしたら、何らかの形でその議論の経過が記録に残っているはずではないだろうか。藤田省三が述べているように、GHQ側は、「“All natural persons”→ “people”→国民」という語彙の変遷過程のなかで、この「国民」は帝国憲法下での「臣民」に対立する概念として考え、「誰にとってもよいもの」と受け止めたのだろう。そしてもし日本側がこの点に異議を唱えなかったのだとしたら、その段階では、双方の間でこれは「全ての自然人」として諒解がなされていたと考えてもいいのではないだろうか。少なくともそのような考え方も成り立つはずである。というのも、

「第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

に「人種」という言葉があるが、もし冒頭の「すべて国民」(引用者注:英文ではpeople)が戸籍上の「日本国民」のみを指すのならば、この条文に「人種」という文言があるのは不自然、不合理ということにならないだろうか。条文は、人種の違いは法の下の平等を妨げないことを保障しているのだから、外国人、とりわけ当時在住200万人をはるかに越えていた在日朝鮮人の立場はこの14条によって法的に保障されていると考えるのが自然ではないだろうか。もしそうでないというなら、この条文の「人種」は一体何を意味しているのだろうか。そもそも、「第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める」における「日本国民」は、英文で「a Japanese national」との対訳がなされている。そして、この「第10条」以外の、つまり第11条以下のすべての条文の「国民」は英文で「the people」と訳されている。これが双方ともに、同一内容の「日本国民」を表現・意味していると考えるのはどうしても不合理だと思えてならないのである。

以上、胸のどこかでずっと気になっていたこのことが、「高校無償化法案」の朝鮮学校排除問題が起きてから何度も意識に浮かんでくるようになったので、焦点が絞り切れず、まとまらないながらも書いてみた。GHQ草案の意図がそのとおりに生かされていたならば…と思うからだが、同時に日本の理解・運用は完全に過っているのではないかという不審も感じる。国家や社会が特定の個人や集団を差別するのは、差別される人の人権を否定し、塗炭の苦しみを与えることだが、しかもそれだけではすまない。そこに住む他の人々の人間性を阻害し、社会は誰もかれもが住みにくく、生きにくくなるのだ。問題になっている「高校無償化法案」で朝鮮高校のみを除外すれば、除外されない他の高校の関係者にも甚大な悪影響を与えることは間違いない。この問題で心を痛めている他校の生徒や関係者もいるに違いない。そういう人には心に傷や人間不信を植えつけるだろうし、もし自分たちは除外されないでよかった、というように考えるものがいれば、それもまた人間性の頽廃につながるだろう。70年代に朝鮮高校の生徒たちが日本の大学生などに集団で暴行される事件が相次ぎ、作家の高史明が「なぜ、朝鮮人が襲撃されなければならないのか。朝鮮人がいつたいどんな悪を働いたというのか。これらの襲撃者らは、『朝鮮人をぶつ殺せ』と怒鳴つたという。」と書いたとき、中野重治は、次のように述べている。

「ひとりの日本人として見れば、高史明の問いは、日本人がそれ以上はずかしくなれぬところまで余りに素直であるだろう。
「どんな、悪いことをしたというのか。」
「朝鮮人がいつたいどんな悪を働いたというのか。」
 それは正反対だつた。朝鮮人がどんな悪をも働かなかつたという事実、ただただ日本人側が悪を働いたし現にも働いているという事実が暴行全連鎖の事実上の原因だつた。」(三・一運動と柳宗悦)

この政策もまた「日本人がそれ以上はずかしくなれぬ」ところのものではないかと思う。さて「藤田省三の「今なぜ大嘗祭か」を読んだ後、この問題について述べている文章を二つ目にすることができた。一つは、在日朝鮮人作家の徐京植氏の文で、もう一つは政治思想家の日高六郎氏の文である。以下に抜粋して掲載する。

 朝鮮人は当分の間、外国人とみなす 「(徐京植「秤にかけてはならない」影書房2003年)
 そして1947年に外国人登録令が出されました。朝鮮人は「当分の間、外国人とみなす」――今度はまた外国人とみなされてしまったのです。
 実は朝鮮人は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効するまでは日本国籍保持者なんです。その一方で日本国は、外国人とみなすので外国人登録をせよと命じた。これを拒絶すると強制退去。
 そういうわけで私の父を始めとする在日朝鮮人たちは役所に出頭して外国人として登録しなければなりませんでした。これは先ほど言ったようないきさつで日本に住むことになったという事情はまったく顧慮されずに、昨日日本に到着したビジネスマンとか一般外国人とまったく同じ条件のもとで、自分の国籍、現住所を書けというわけですね。
 何と書きます? 国籍はこのとき何と書けますか? 国籍は日本国籍だと一方で日本政府は言うのですよ。だけどお前たちは外国人なんだから国籍を書けと。そのとき朝鮮にはまだ国はないのです。朝鮮半島で大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の二つの国が、政府として成立してしまうのは1948年のことです。まだ国がないのに国籍を書け。だから大半の人は「朝鮮」と書きました。これが「在日朝鮮人」の始まりです。
 この「朝鮮」は「北朝鮮」という意味ではありません。朝鮮出身者、朝鮮民族という意味なのです。ですから私の話に先だって、朝鮮民族の呼称の問題についてこの集会の主催者が、「呼称については諸説がありそれぞれの人々の判断に任せることにした」と言いましたが、このことに私は反対です。私たちは在日朝鮮人です。その在日朝鮮人の中にいろんな国籍の人がいると私は考えます。その在日朝鮮人という存在が現在まで続いているということなのです。
 その在日朝鮮人たちは1952年に、またしても何の相談もないままに日本国籍を否定される。「日本国籍を喪失したものとみなします」と。またしても法務省の通達でサンフランシスコ講和条約そのものの中には、旧植民地出身者の国籍に関する取り決めはありません。そしてまた当の朝鮮人に選択の機会はまったく与えられていません。それから朝鮮人代表はこの決定にまったく関与していません、
 韓国の政府も北朝鮮の政府も在日朝鮮人も。だから自分たちの意志とはまったく関係のないところで、今度は日本国民の枠の外に放り出された。在日朝鮮人は難民なんだと私が申しているのはそういう意味なのです。

 憲法における「国民」規定のまやかし 
 日本国憲法第3章、第10条から第13条と国籍法、そして憲法のこの箇所の英文対訳について少し説明をしましょう。
 まず第3章「国民の権利及び義務」。この第10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあります。第11条「国民はすべて、基本的人権の享有を妨げられない。」第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」。第13条「すべて国民は、個人として尊重される。」
 これらを第3章「国民の権利及び義務」とくくりますと、第10条の「日本国民」という言葉と11条以下の「国民」という言葉はイコールに見えますね。そして第10条の「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」という「法律」とはどういう法律かといいますと、国籍法です。
 この国籍法は 「日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる」と第1条にありまして、第2条に「子は、次の場合には、日本国民とする」とあります。つまり出生の時に父または母が日本国民であるとき――母という言葉は1980年代になって付け加わったもので、もともとは父親が日本国民である場合に限られていましたが――そういう子どもだけが日本国民であるという規定ですね。後には帰化についての取り決めがあってこれはこれで大きな問題ですけれども、今日は時間の関係で省略します。
 これはどういうことかと言いますと、国籍法の上で日本国籍を持っている者、それが日本国民だということがこの憲法第3章第10条に書かれている。それでは国籍法の上で日本国民は誰かと言いますと、「日本国民の子」なのです。そういうことなんですね。
 第11条以下は、その「国民」に基本的人権があるんだと読めますね。しかし英文をご覧ください。これは私が訳したのではなくて、日本国外務省の公式の英文ですよ。日本国憲法第10条における「日本国民」という言葉の原文は、「a Japanese national」。「national」というのは形容詞ではなく、普通名詞として使われる「国籍保持者」という意味です。「日本国籍保持者であるための必要条件は法律で決める」と、こう書いてある。そして第11条は「The people shall not be……」――つまり10条と11条とでは、同じ「国民」という言葉が当てられていますが、原文の言葉が違うんですね。第10条では「a Japanese national」イコール「日本国籍保持者」の要件は法律で決めると書いてある。第11条以下は「日本国籍保持者」ではなく「people」に基本的人権があるんだと書いてあるのです。
 しかし日本国の多くの人々は、「日本国民」には基本的人権があるけど外国人にはないんだという、こういう本来的には間違った解釈の根拠としてここを読んでいる。「あなた気の毒だけど日本国籍がないんだから仕方ないわね」、ということとして読んでいる。
 しかしこれは実は幾重にも問題があります。在日朝鮮人は、例えば私の父親は、1952年まで日本国籍を保有していたのです。「日本国民」の子です、在日朝鮮人は。しかし在日朝鮮人と何の相談もなく、その国籍が否定されています。そして「今日からお前たちは外国人だ」ということが法務省によって一方的に通達されましたが、その通達にもとづいて一般の日本国民が享受する社会保障等のあらゆる権利から排除されました。最もわかりやすいことを言うと、1968、9年まで国民健康保険にも入れなかった。ということは、戟争が終わってから20年以上のあいだです。


 映画日本国憲法読本 日高六郎(インタビュー2004年)
日高 憲法問題が起こってから、いわゆる私擬憲法が、明治時代と同じでたくさん出る。民間憲法は面白いですよ。高野岩三郎を中心とする憲法研究会が作った民間憲法は、たとえばね、「国民は法律の前に平等にして出生または身分にもとづく一切の差別はこれを廃止す」とかね。それから「国民は拷問を加えられることなし」。そういうことが入っている。日本国憲法のなかにも拷問はいけないという条項がある。
 GHQのほうが民間憲法をしっかり読んでいる。社会党の憲法も、共産党の憲法も読んでいる。ところが憲法問題調査委員会はそれらを無視した。(略)/ 自主憲法というのは松本案、宮沢案など4つあった。その一つの案が『毎日新聞』に出た。これはスクープでリークではなかった。その案を見てね、GHQは愕然とした。日本国憲法を日本政府に任すわけにはいかない。GHQは即座に20人あまりのチームでGHQ側で草案作りの作業を始めます。2月13日、日本政府はGHQが幣原政府案をどう取り扱うか、聞きにいきます。2月1日からその13日の2週間の間にGHQのチームは草案を作ったわけです。/ そして幣原案は全面拒否。これでは連合国側に出しても拒否されるに決まっている、と宣告する。吉田外相以下みんな顔面蒼白だったようです。/そのときGHQ側はこの案の丸飲みを強要していない。意見交換の末、語句の修正、条項の削除、条項の追加が行われます。要するに3月6日の日本政府によって発表された「憲法改正草案要綱」は、GHQ原案を日本側の「改正」要求によって修正された案だということを忘れてはならない。
 特に発表直前、日本側が、GHQ原案を日本側に都合よく書き直させるために懸命に努力する。そのとき、的は第3章にしぼられる。第1章、第2章(9条)の天皇と9条はGHQの姿勢は硬いと見て、修正をあきらめた。そこで第3章に批評を向けて、日本側で改悪した。一例を挙げると、原案の13条の主語はall natural persons(一切、自然人は)から始まる。その訳を、「一切、自然人」→「人は」←「凡そ人は」→「すべて国民は」と変える(法の下の平等の項目)。英語と日本語の単語の感触を悪用して、最後には原文にあったnational originを削除した。外国人排斥の感じ。
質問 それはダワーさんのお話のなかにもちらっと出てきます。ダワーさんは、GHQ側の英文を翻訳する段階で意図的な意訳をしたのではないかと指摘をされていました。
日高 そのとおりです。GHQ側は日本語のニュアンスがよくわからない。それを利用した。Japanese peopleを日本の外務省は初め「人民」と訳した。それをあとで全部「国民」に直した。GHQ側には人民と国民の区別がつかないですよ。そして制憲議会では、新しく第10条を追加挿入しました。「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」。日本官僚の知恵です。そのため、兵隊として前線で戦った朝鮮人、台湾人に大きな経済的不利益が生じるのです。Japanese nationalも「日本国民」と訳した。ジャパニーズ・ナショナルというのは日本国籍人です。 」


なお、伊藤芳博氏の下記のサイトがこの問題に関連して丁寧な考察をしておられるので、大変参考になると思う。
http://www.geocities.jp/iyo59/iyo145.html
2010.03.25 Thu l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
「高校無償化法案」について、しっかりした意見を書けそうになくて躊躇していたのだが、ほんの少し述べてみたい。この法案は、マスコミによると、「民主党の政権公約の柱」(asahi.com)、「鳩山政権の目玉政策」(毎日新聞)とのことである。このように政権の「柱」とまで目される法案がその対象となる条件を完全に満たしている特定の学校を排除する動きにでたことで、これは当初もっていた性質・意味を一変してしまった。「高校無償化法案」は、私には成立を前にすでにして「在日朝鮮人に対する差別・迫害法案」としか感じられなくなっている。鳩山総理を初めとして民主党政権首脳は、「法の下の平等」という原則さえ自分たちの都合次第、気分次第で踏みにじって恥じないのだ。議員のなかに一人くらい真にまともな政治家がいてもよさそうなものなのに、現実には、国会で傾聴に値する質疑や演説を一度も聞いたためしがない。本当に残念かつ不幸な事態である。

この問題に最も重い責任を負う者として、政治家では鳩山首相、川端文部科学大臣、朝鮮学校排除を最初に言い出しその後も終始声高に同じ主張を繰り返している中井洽・拉致担当相等の顔が浮かぶが、もう一人きわめて悪質なのが橋下徹大阪府知事である。「無償化法案」についてこの人がマスコミでしゃべりだしたとき、「またでてきたか!」と思ったが、発言内容はいつにもましてタチの悪いものであった。

「朝鮮学校に交付している私立外国人学校振興補助金について「廃止を念頭に置いている」」「民族差別だという指摘があるが、朝鮮民族が悪いわけではない。北朝鮮という不法国家が問題。それはドイツ民族とナチスの関係と同じだ」「「金正日の肖像を外さないと無償化を認めない」「不法国家の北朝鮮と結びついている朝鮮総連と朝鮮学校が関係があるなら、税金は投入できない」、等々。

支離滅裂な妄言・暴言の連発としか思えないが、正面きって諫める人間がいないからどこまでも調子に乗るのだろう、ついには朝鮮学校の視察にまで至ってしまった。このときの発言内容について、朝日新聞の下記の報道を基に見てみたい。朝日は3月13日、「「総連と断絶を」朝鮮学校視察の橋下知事、府補助に条件」と題して次のように報じている。

「 高校無償化制度をめぐる朝鮮学校の除外問題で、大阪府の橋下徹知事は12日、同府東大阪市の大阪朝鮮高級学校など朝鮮学校2校を視察し、学校を運営する法人理事長や学校長らと会談した。知事は府独自の補助金を出す条件として、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)との関係を絶つことや、北朝鮮の指導者を崇拝するような教育をしないことなどを要望。法人側は対応を検討すると約束した。

橋下知事は、国が朝鮮学校を無償化制度から除外した場合でも、法人側の回答次第では府独自に助成する方針だ。

大阪府は各種学校にあたる朝鮮高級学校の生徒についても、国が無償化法案に盛り込んだ1人あたり年約12万~約24万円の私立高校生助成に府独自の支援を上乗せし、年収350万円未満の世帯の授業料を無償化するなど、新年度当初予算案に7600万円を計上した。
しかし、その後、橋下知事は「拉致問題を引き起こした不法国家の北朝鮮と付き合いのある学校に府の公金は入れられない」として無償化の対象外にすることや、府内の朝鮮学校11校に対する既存の外国人学校振興補助金の打ち切りを示唆した。

橋下知事は助成の是非を判断するため、12日に初めて朝鮮学校を訪問。知事は法人理事長や学校長らとの会談で、
▽総連からの寄付を受けない
▽朝鮮総連の行事に学校幹部が参加しない
▽大阪朝鮮高級学校の教室の黒板の上に掲げられた故・金日成主席らの肖像画を外す
―― などを求めた。」

記事の冒頭で朝日新聞は「高校無償化制度をめぐる朝鮮学校の除外問題で、大阪府の橋下徹知事は(略)朝鮮学校2校を視察し」と書いているが、この書き方はちょっとおかしいのではないか。こちらのブログが詳細に説得的に述べていてつくづく納得させられたのだが、橋下府知事は、国の「高校無償化法案」に関連して何ら権限を持っておらず、無関係なのだ。朝日の書き方では、読者に橋下府知事が「高校無償化法案」に関与する何らかの資格を持っているという誤解・錯覚を与えるだろう。事実は、朝鮮学校に対し大阪府が現在審議中の「私立高校・専修学校等授業料軽減補助金」の交付対象から除外されたくないのなら、また既存の「外国人学校振興補助金」を打ち切られたくないのなら、朝鮮学校は自分のだす条件を呑め、と言いに行ったということのようである。

橋下氏は、朝鮮学校に府の就学助成金を交付する条件として朝鮮総連や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との関係を絶て、というが、一体どんな権限をもってそのようなことを口にしているのだろうか。こういう条件を学校に求めてもよいだけの権限が知事に付与されているのだろうか。聞いているとこれはほとんど犯罪行為ではないかと感じるのだが、法的にはどうなのだろう。大変気になる。また上述のブログによると、朝鮮総連との関係を絶てば、実質的に朝鮮学校の運営は不可能になるとのことである。申し訳ないことに私は不勉強で朝鮮高校の歴史的な背景を詳細には知らないのだが、それでも、ブログを読ませてもらうと、確かにそれはそのとおりであろう、と得心させられる。府知事が現に多くの生徒をかかえた学校に対して最も重大な経営事情に言及することなく、「どこそことの関係を絶て」などというのを聞いていると、どこかの侵略国家がかつて朝鮮と朝鮮人になした暴虐な行為の数々が思い起こさせられる。破廉恥と無責任にも程があるのではないだろうか。

朝日新聞も朝日新聞である。これまで親身になって支えてくれた最大の支援者との関係を絶てば、学校運営に重大な支障がでることくらい分かるだろうに、何の疑問を呈することもなく、府知事の言い分をそのまま掲載し、さらに「橋下知事は、国が朝鮮学校を無償化制度から除外した場合でも、法人側の回答次第では府独自に助成する方針だ。」と書いている。何を考えているのか。学校経営が成り立たなくなってから、助成金をもらっても仕方ないだろうに。「死ね。死ね。死んだら香典をやるからそれでいいだろう。」というような譬え話を誰かが書いているのを読んだことがあるが、橋下氏の発言はこれによく似ているように思う。

橋下府知事がこうやってしゃしゃり出てきて、「不法国家だ」「暴力団だ」と決めつけるのは、こういう言葉を使って攻撃しても、相手が反撃する力もなく弱っている、弱い立場にあると見越しているからなのだ。これまでの言行をみるかぎりでは、弱いと見れば居丈高になり、言いたい放題。でも相手が強ければ決して歯向かわず従順そのもの。これがこの人の言動の特徴だと思う。昨年末、小沢一郎民主党幹事長と面談したときの感想は次のとおりである。

「陳情なんてできる雰囲気じゃなかった。すごいとしか言いようがない。とてつもない。日本を動かしている感じ」

笑いだしたくなるほど予測に違わない発言であった。ところで、北朝鮮を「不法国家」と呼んだのは今回の橋下氏が初めてではないかと思うが、どんな意味なのだろうか?どんな法的根拠をもって発言しているのか、マスコミはそこでちゃんと質問をして確認しないとだめではないか。自治体の責任者である人物がこれほど重大な発言をしているのだから、これからでも遅くない、マスコミはその発言の根拠を追求し、聞きただして報道してほしい。

「暴力団」「ナチス」などの発言は、どうもこれまで自分がその言動に対して人から指摘・評価されつづけてきたことをそのままなぞって口にしているのではないかとも思われる。弁護士時代は、「合法的な脅し」と「仮装の利益」による交渉方法が交渉の8割から9割を占めていたと自身のホームページで述べていたし、「詭弁を弄してでも、黒いものを白いと言わせるのが論理的な交渉の醍醐味」(「月刊ビジネススタンダード」2002年9月号)とも語っていたのだから、まったく暴力団風の手口そのものである。光市事件の弁護団に対する懲戒請求扇動発言の際には、多くの人がテレビを使ってデマゴギーをふりまく橋下氏の手法を「ナチス」になぞらえていたんじゃなかったっけ?

この人の現職は大阪府知事だが、もしこういう人が団地なりマンションなり、自分の居住する自治区域で会長職などに就いていたとしたら。そう考えると、私などは辟易、ただちに引っ越したくなる。盗撮あり、恫喝あり。発言がしっかりした論理性をもってなされているのを見たことがないのだが、こういう人物を選挙で当選させるのだから、東京都民もそうだが、大阪府民も不思議な種族だと思う。

2月24~25日にスイスジュネーブで開かれた国連人種差別撤廃委員会(UNCERD)に参加したという師岡康子弁護士のインタビュー(Eメール)がこちらに掲載されている。師岡弁護士によると

「日本政府報告審査会議では、在日朝鮮人たちに対する差別問題が主要案件として論議された。日本の民主党政府が高校授業料無償化に朝鮮学校だけ除くことを検討中の状況なので、この会議はたいへん注目された。/日本政府はこの度会議に15人の公務員を派遣し、国際社会で人権後進国としてのイメージが刻印されないようあらゆる力を注いだ。」

とのことだが、この会議で日本政府は、《この問題に対しては今後の国会審議などを見ながら慎重に対応する》と述べたそうだが、こんな毒にも薬にもならないありきたりの発言では「国際社会で人権後進国としてのイメージが刻印されない」はずはないだろうに、国際感覚に欠けていること甚だしいと思う。師岡弁護士は、民主党政権について「授業料無償化対象にブラジル学校・中華学校など民族学校を含めながらも朝鮮学校だけを排除したら自民党政権と変わらない民族差別主義政権であると評価するしかない」との見解を述べた上で、「在日朝鮮人に対する日本政府の差別及び日本社会の差別的態度を見ると、北朝鮮に対する外交問題という「仮面」をかぶっているが、本質的には植民地時代から続いている植民地主義に根を置いた民族差別だ」と発言しているが、私もそのとおりなのではないかと思う。
2010.03.23 Tue l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ブログ「私にも話させて」の金光翔さんは裁判に訴えた自身に関する『週刊新潮』の記事について語るとき、別の2つの『週刊新潮』の記事について言及することもよくある。2007年、半年余の間に佐藤優氏を批判したり、佐藤氏本人を怒らせる記事を書いた執筆者を『週刊新潮』が取り上げ、中傷を含めた記事を書くということが金さんを含めて3件つづいて起きたからだ。このことを単なる偶然とは誰にしろなかなか思えないのは無理のないことであろう。そしておもしろいことに、金さんがこのことをブログで取り上げ、これは佐藤氏と『週刊新潮』の連携プレイではないのかと厳しい批判を始めたら、とたんに『週刊新潮』にはバッタリこの類の記事が出なくなった。これもやはり偶然と考えることは難しい。

上述の経過で『週刊新潮』に記事を書かれた三人についてだが、金さん以外の一人は原田武夫氏(原田武夫国際戦略情報研究所代表・元外務省職員)であり、もう一人が、『AERA』の大鹿靖明記者であった。『AERA』の特集で佐藤優氏を取り上げたところ、内容が佐藤氏の気にいらなかったらしく、つよい怒りを呼び、この経緯が『週刊新潮』に取り上げられた。この出来事はただ一回きりのものであり、学校や職場における「イジメ」のような連続性はない。もしこの出来事を報じる『週刊新潮』の記事を読まなかったならば、私もイジメとか、集団による個人のつるし上げ、というようなことを連想することなく、単に『AERA』と『AERA』に記事を書かれた佐藤優氏の間のもめごとと受け止めていただろう。そういう意味でこの場合、『週刊新潮』の記事の影響は私には大きかったということになる。金光翔さんから提訴が行なわれたという背景があるとはいえ、2年以上もたってから、こうしてブログに記事を書こうという気にさせられるのだから。

最初にこの出来事を知ったのは、2007年の春頃、「私にも話させて」の記事でだったと思う。その他にもブログでこの問題を取り上げている人が数名いて、遅ればせながら私も『AERA』と『週刊新潮』の両方の記事を読んでみた。『AERA』のほうは、「佐藤優の「罠」」というタイトルで、佐藤氏の人物像を探ったもの。執筆者の大鹿氏自らが「活字メディアは佐藤の張った蜘蛛の巣に、私も含めて次々と飛び込んでゆく。」と記すように、自らも魅力を感じている佐藤優氏の吸引力の源泉を追求するという趣旨の下に書かれた記事だったようだ。読んでみて、筆者に佐藤氏が述べるような悪意などの他意があったとは思えない。ただし、取材を重ねることで、佐藤氏への批判的な見方も世の中には相応に存在することを明白にした記事になったとは言えるのではないだろうか。執筆者は佐藤氏に好意・敬意をもっていたことは事実のようなので、おそらくはその意図を超えて。

たとえば、大学の恩師という人物は、佐藤氏が細やかな気遣いのできる人柄であることとともに、「彼の書くものには昔も今も「きな臭さ」を感じる」とも述べている。佐藤氏の書くものにうさんくささを感じる私などには、恩師のこういう批評は興味ぶかく感じられる。また、大鹿氏が、東京地検特捜部の「国策捜査」という言葉の生みの親とも言える取調べ検事から「しょせん彼は」という言葉を引き出し、「しょせん」という言葉に検事の憤懣を感じた、と記しているが、この箇所にも感じるものがないわけではない。いくら官僚同士のなれあい的取調べ風景の叙述として読んでも、あの関係はヘンではあるのだ。「国家の罠」を読むと、あの検事はまるで佐藤氏の高潔・高邁な精神性の証言者として登場させられているようにも読める。佐藤氏は小谷野敦氏の「言論界の「みのもんた」」とか「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」というような表現にも苛立ちを募らせたのだろうが、この激怒の程度は記事全体の内容からすると異常に激しくて、前回の記事に書いた吉本興業タレントの怒り具合に匹敵するかもしれない。小谷野氏によると、激怒した佐藤氏は大鹿氏にたいし「右翼に言うぞ」とも言ったとのことである。

で、その『週刊新潮』の記事タイトルは、「朝日「AERA」スター記者が「佐藤優」に全面降伏」というもので、リードには、

「朝日新聞の『AERA』(4月23日号)が、佐藤優氏(起訴休職外務事務官)の人物ルポを掲載した。しかし、これに当の佐藤氏が異を唱えている。その“抗議”に対し、執筆した記者は、ロクな釈明もせず全面降伏。余りにお粗末という声がしきり。」

とある。本文に入ると、「4月18日。都内で佐藤氏ら主催のマスコミ人を対象とする勉強会が聞かれた。」ということで、事件が起きた場所は「勉強会」だったことが分かるのだが、この「勉強会」というのは、「神保町フォーラム」の会とみて間違いないだろう。魚住昭氏や宮崎学氏らと共に佐藤氏も中心となってマスコミ関係者相手に何やらかにやら活動しているらしいのだが、『週刊新潮』の記事にはこの日の勉強会に参加したという人物がでてきて、次のように話す。

「冒頭、司会役が、この記事を“悪質だ”と言って取り上げたんです」/「すると佐藤さんは“書いた人は一番前の席にいます”といって、参加者は当事者がその場にいることを知った。で、その後、佐藤さんの母親の名前を間違えたり、佐藤さんが裁判のために多額の借金をしたとか、事実誤認や疑問点について、一気に話し始めた」/「件の記事が出た直後ということもあり、参加したのでしょう。記事について触れたのは40分程。大鹿さんは、じっと聞き入っていましたが、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかったのでは」

このようないわば内輪の出来事を、『週刊新潮』にむかって具体的に打ち明け話をするこの「参加者」が誰なのかは、同じく『週刊新潮』で金光翔さんについてデタラメ混じりの話をしゃべっている「岩波関係者」同様皆目分からないが、私はこのような内容を『週刊新潮』記者に滔々と話す人がいること自体大変不思議に思う。『週刊新潮』は「反人権雑誌」として世間に知れ渡っている週刊誌である。その週刊誌から、勉強会で発生した一事件についての取材がくれば、誰にしろ警戒するのが当然ではないかと思うのだが、「岩波関係者」がそうだったように、この人物の話しぶりにもそんな気配は毛頭感じられない。安心しきって話しているように見える。『週刊新潮』はこのような出来事が発生したことを、そしてこの『週刊新潮』に登場している人物が当日会に参加していたことを(もしかすると毎回参加している人なのだろうか)誰から聞いたのだろう。あるいは、この会に『週刊新潮』の記者も参加していたのだろうか?

「参加者」が語るこの出来事の様子は驚くことの連続だが、司会者がこの記事を“悪質だ”と言って取り上げたのは、もちろんあらかじめ佐藤氏と打ち合わせ済みだったのだろう。びっくりするのは佐藤氏が「一気に話し始めた」というその時間の長さである。40分! それは、母親の名前を誤記されたら不快ではあろう。また借金問題は、佐藤氏が『AERA』に送った公開質問状に対する編集長の返答によると、佐藤氏の「国策捜査で逮捕されると、逮捕から最高裁まで約2000万円かかる。しかし、裁判費用は税控除対象とならないので実際には4500万円くらい稼がなければならない」という内容を大鹿氏が誤って受け止めて記事にしたのなら、それも不快ではあるだろう。でもたとえば、借金問題については、取材の際に、「借金」という言葉が使われた可能性はないのだろうか? いずれにせよ一方的に40分も責めたてられたら、そりゃあ誰だって参るよ。この40分もの間、「勉強会」のほうはどうなっていたのだろう。外部からの参加者もいるだろうに、これは佐藤氏による会の私物化ではないのだろうか。それとも、もともと私物だからこれでいいのか。 

「 佐藤氏がひとしきり話した後、無論、大鹿記者にも反論の機会が与えられた。/大鹿さんは座ったまま、“佐藤さんによかれと思って書いたことが、全然そうなっていなかった。申し訳ない”といきなり謝っていました。声のトーンは普通だったが、完全に打ちひしがれた雰囲気だった。明らかに疲れた表情でしたね」

「無論、大鹿記者にも反論の機会が与えられた」という言い方には驚かされる。40分もの長い時間(こういう場合の40分は普通の時間の5倍にも10倍にも感じられるのではなかろうか。)、一方的に責めたてられた方を指して、「反論の機会が与えられた」と言える神経はすごい! こういう言い分を聞かされると、否応なく佐藤氏が40分話している間のその場の空気を想像させられる。おそらく、無言のうちにほぼ全員一致して佐藤氏に同調し、大鹿氏を冷やかに眺めていたのではないだろうか? しかしこの参加者はこう言うのである。

「大鹿さんは、取材はこういうものだとか、もっと反論するべきだった。情けないし、意地がない。自分のスタンスがないというのか、記者としてこれからやっていけるのかと思いました」

この場で反論したらどうなっていたのだろうか? 大鹿氏が自由に反論できるだけの空気がその場にあったのだろうか? 大鹿氏は敵地に一人でいるような孤立状態にさせられていた、精神的なリンチ状態に置かれていたということはないのだろうか? この参加者の言葉は一応もっともな発言のようでいて、その一番肝心のことについて触れていない。「右翼に言うぞ」という発言が本当にあったのかどうかについても聞きたかったな。誰もかれも金光翔さんのようにつよい人ばかりではないのだ。そもそも弱いものイジメの常習犯『週刊新潮』にむかって大鹿記者の名誉を傷つけ、トドメを刺すような内容の話をしゃべる参加者とは一体何者なのだろうか。『週刊新潮』は佐藤氏についてこのように述べている。

「 佐藤氏は、ネガティブな記述が多いことに腹を立てているのではない。」

そうなの? では佐藤氏自身の発言について見ることにする。

「批判的に書かれることは全然かまいません。ジャーナリズムとして当然でしょう。ただ、事実に基づき、論理的に説明できることが最低限の前提です。この記事には、その前提がない」/「(略)スカス力な取材と相当飛ばした書き方、そんな手法でいつもやっているとするなら、書き手として大いに疑問です」

「事実に基づき、論理的に説明できることが最低限の前提」だというのなら、佐藤氏は小谷野氏の批判・反論に対し「事実に基づき、論理的に説明」すればよかったではないか。「AERA」における小谷野氏のコメントについて大鹿氏に文句を言っても仕方がないだろうに、佐藤氏はこれについても小谷野氏には何らものを言わずに「コメントを掲載した」という理由で大鹿氏を責めているのだ。大鹿氏は気弱なので黙って打たれていてくれるが、小谷野氏はそうはいかないので、「事実に基づき、論理的に説明」できず、大鹿氏をサンドバックにしたのではないかと疑ってしまうのだが、もしそうだとしたら、これも一種の弱いものイジメではないだろうか。

そもそも、佐藤氏に「事実に基づき、論理的に説明できることが最低限の前提」などと他人に説教する資格はないのではないか。なぜなら佐藤氏ほど平気でデタラメを書く物書きはめったにいないと思えるからである。少なくとも私ははじめて見た。これはおそらくこういう人物はいつの時代にもいることはいたにちがいない。しかし、これまではこういう存在が佐藤氏のようにもてはやされることはなかった。そのため読者である私などの目に触れることはなかったのだろうと思う。だから私は、佐藤氏の文章にデタラメを見るたびに、佐藤氏だけでなく出版社や編集者からも騙されているように感ずる。これは読者として当然のことであろう。ここであらかじめ言っておきたいのだが、故意に二重基準を用いる言説はそれ自体嘘であるということである。佐藤氏の嘘はこの二重基準、つまり二枚舌と、もう一つ事実関係の明確なデタラメという、ここでも二重構造をもっていることを指摘しておきたい。金光翔さんの論文「<佐藤優現象>批判」によると、佐藤氏の『獄中記』を企画・編集したという岩波書店の馬場公彦氏は、

「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、(略)雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」

と述べているとのことだが、佐藤氏の言論活動は、金光翔さんが論文で「佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。」と具体例をあげて記述しているとおりで、「立論は一貫していてぶれていない」などの評価はまったくの誤りである。編集者が事実を見抜けないのか、それとも見抜いていながら読者を欺いているのかは分からないが、もういい加減にしてほしいものである。ここでも述べたことだが、亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」に関する佐藤氏のデタラメ発言についてあらためて書いておきたい。

ロシア文学者の木下豊房氏は、亀山郁夫氏の「カラマーゾフの兄弟」翻訳について、ご自身のサイトなどで厳しい批判を続けている方だが、佐藤氏についても次のように触れている。

「佐藤優のような、ご追従の人物が現れて、いわく、「亀山訳は、読書界で、「読みやすい」ということばかりが評価されているようですが、語法や文法上も実に丁寧で正確なのです。これまでの有名な先行訳のおかしい部分はきちんと訳し直している」(文春新書『ロシア 闇と魂の国家』38頁)などと、ロシア語を知らない読者を欺くことをいうので、マスコミもたぶらかされているのである。」

佐藤氏の発言はことごとく私たち読者を欺く非常に悪質なものである。たとえば、次の発言、

「亀山先生の翻訳の強さの一つは、キリスト教がわかっていて、そこから外れないように訳していくところにあります。(略)/亀山訳は「大審問官」の冒頭を、「ドイツ北部に恐ろしい新しい異端が現れたのはまさにそのときだった。『松明に似た、大きな星が』つまり教会のことだが、『水源の上に落ちて、水は苦くなった』」とキリスト教の正確な理解に基づいて訳すことで、このくだりがルターの宗教改革を表わしていることがわかる。それ以前の訳では、「大審問官」の舞台を15世紀の中世と受け取りがちですが、新訳のおかげでプロテスタント誕生直後の16世紀だということがはっきりします。」

ひどいデタラメの文面である。米川正夫、小沼文彦、江川卓、原卓也、これらの「カラマーゾフの兄弟」の先行翻訳者のなかで「時代は16世紀」「舞台は16世紀」というように、場面を「16世紀」と明記していない翻訳者は一人もいない。私は一通り上記の翻訳者の訳文を確かめた上でこのように書いているのだが、しかし、佐藤氏の上記の文章を見ただけで、これがほぼ間違いなく嘘であることは確信できるのである。なぜかと言えば、上記の翻訳者はみな70年頃までの文学者を含めた厳しい読者の目に耐えて一定の高評価をかち得てきた人々であり、作品中最も広く世に知られかつ大事な場面の舞台を「15世紀」と訳すようなそこつ者がいるはずがないのである。かりに「15世紀」と訳されていることがあったとしても全翻訳者のうちのせいぜい一人、それも公正ミスか何かの不手際のせいでしかありえない。このことは、日本文学の歴史やドストエフスキー作品の受容の歴史を多少なりとも知り、ごく普通の人生経験と人並みの読書経験があれば、そこで自ずと身につく常識が教えることなのだ。文学作品の読解力をまったくもたない人物、あるいはデタラメを言って平気な、いわば恥を知らない人だけが上記のように「有名な先行訳のおかしい部分はきちんと訳し直している」とか「以前の訳では、「大審問官」の舞台を15世紀の中世と受け取りがちですが、新訳のおかげでプロテスタント誕生直後の16世紀だということがはっきりします」などと口にすることができると思う。

このようなデタラメが、先行する翻訳者たちを侮辱する行為であることの自覚もないのだろう。私は、こういう発言は読解力の問題やいい加減さに限定されるのみならず、それ以上に文学にも文学者に対しても、また文学を含んだ文化的遺産に対しても愛情や敬意の片鱗も持たない人だけがなせることだと思うが、このような実態を見てみぬふりをしている出版・編集者も同罪、あるいはそれ以上の責任を負っているのではないだろうか。それからまた文学と思想や哲学とは別の分野のものではあるが、互いに関連があることもまた事実だと愚行するが、このような文学的不感症の人物が語る思想がいかなる性質・水準のものでありえるのかという考察も一考にあたいするのではないかという気も最近しきりにする。どんなものであろうか。

「名詞と名詞を重ねるという誘惑に、翻訳者は陥りがちです。そうすると「銀座の和光の五階の時計売り場の角で待つ」というような文章をつづっても抵抗感がなくなってしまいます。亀山訳の「大審問官」は、正確であり、読みやすく、思想的深みがあるという点で翻訳の傑作だと思います。」

「銀座の和光の五階の時計売り場の角で待つ」文章がいけないなどの説教は、中学生相手になら相応しいかもしれないので、そういう機会にやればいいのではないか。大人を相手にした文章指南にしては低次元すぎて誰に対しても非礼と思うのだが、「亀山訳の「大審問官」は、正確であり、読みやすく、思想的深みがあるという点で翻訳の傑作だと思います。」という発言は、「舞台は16世紀」と訳したのが亀山氏だけでないことがはっきりした以上、取り消されるのだろうか? また、「亀山先生の翻訳の強さの一つは、キリスト教がわかっていて、そこから外れないように訳していくところにあります。」という断定もまったく根拠不明である。「AERA」の大鹿記者に、「事実に基づき、論理的に説明できることが最低限の前提です。この記事には、その前提がない」と言うのなら、私には佐藤氏の上記の文章のミスのほうが大鹿記者の記事のミスよりずっと重大だと思うので、まず佐藤氏こそ「事実に基づき、論理的に説明」してみたらいかがだろうか。「スカス力な取材と相当飛ばした書き方、そんな手法でいつもやっているとするなら、書き手として大いに疑問です」という言葉を、私は佐藤氏にそのまま投げかけたい。
2010.02.14 Sun l 社会・政治一般 l コメント (0) トラックバック (0) l top
95年に結成された「女性のためのアジア平和国民基金」について肯定的に語る声を過去私はあまり聞いたことがなかった。戦後補償運動に携わる人々の間での実態はよく分からないが、一般市民レベルでは概して不評、そういってよかったと思う。私もこの「呼びかけ文」を呼びかけられる側の一人としてはじめて読んだ時、読む者にひどくストレスを感じさせる自分本位の言い分だと思った。その後、拠金が思うように集まらなかった、多くの被害者に基金の受け取りを拒否されたと聞いても、必然の結果であろうと受け止めてきた。呼びかけ文の一部を下記に引用すると、

「この戦争は、日本国民にも諸外国、とくにアジア諸国の人々にも、甚大な惨禍をもたらしました。なかでも、10代の少女までも含む多くの女性を強制的に「慰安婦」として軍に従わせたことは、女性の根源的な尊厳を踏みにじる残酷な行為でした。こうした女性の方々が心身に負った深い傷は、いかに私たちがお詫びしても癒やすことができるものではないでしょう。しかし、私たちは、なんとか彼女たちの痛みを受け止め、その苦しみが少しでも緩和されるよう、最大限の力を尽くしたい、そう思います。これは、これらの方々に耐え難い犠牲を強いた日本が、どうしても今日はたさなければならない義務だと信じます。」

今、あらためて読んでみると、これまでに指摘され言い尽くされてきたことかと思うが、文面から主語が完全に抜け落ちていることに気づく。「この戦争」を起こしたのは、誰なのか、「多くの女性を強制的に「慰安婦」として軍に従わせ」、「女性の根源的な尊厳を踏みにじる残酷な行為」をしたのは誰なのか、みな主体が曖昧である。どうも「戦争」こそが主体だと言っているようにも読める。このような仕掛けというか形式によって、「いかに私たちがお詫びしても癒やすことができるものではない」「私たちは、なんとか彼女たちの痛みを受け止め、その苦しみが少しでも緩和されるよう、最大限の力を尽くしたい」という文章が示す「お詫び」し、「痛みを受け止め」、「その苦しみが少しでも緩和されるよう、最大限の力を尽く」さなければならないのは、「私たち」日本国民だということになり、その唯一の方法が、拠金をし、被害者に届けることであると述べているように読める。そのため、これにつづく「これは、これらの方々に耐え難い犠牲を強いた日本が、どうしても今日はたさなければならない義務」であるという文章のなかの「日本」は、「日本国家」でも「日本政府」でもなく、「日本国家と日本国民」または、「日本国民のみ」を指しているように受け取れる。この記述は、下記の結論めいた文章に帰結する。

「「従軍慰安婦」をつくりだしたのは過去の日本の国家です。しかし、日本という国は決して政府だけのものでなく、国民の一人一人が過去を引き継ぎ、現在を生き、未来を創っていくものでしょう。戦後50年という時期に全国民的な償いをはたすことは、現在を生きる私たち自身の、犠牲者の方々への、国際社会への、そして将来の世代への責任であると信じます。/この国民基金を通して、一人でも多くの日本の方々が償いの気持ちを示して下さるよう、切に参加と協力をお願い申し上げる次第です。」

ここで初めて「「従軍慰安婦」をつくりだしたのは過去の日本の国家です。」と国家の責任が明示されるが、その国家の果たすべき具体的責任は一切問われず、何ら言及もされず、日本国民の一人一人に対して「過去を引き継ぎ、現在を生き、未来を創っていく」責任を問い、「全国民的な償いをはたすこと」が、「犠牲者の方々」への、「国際社会」への、「将来の世代への」務めであるという託宣がなされる。被害者は、「慰安婦」制度を作った日本国家の責任を問うて名乗り出てきたのに、肝心要の被害者のその基本的姿勢に対する言及はなされない。償い金を届けさえすれば、受け取ってもらえることは自明のことであるかのようである。政府が負っている責任の実体は問われず、能うかぎりやさしく労られているように見え、ここには、結果として、1945年の敗戦後、最大の戦争責任者である「国家」とその頂点に位置する天皇の責任について何らの言及もしないまま、国民に対して「一億総懺悔」を述べた人々が用いた論理と似通ったものがあるように思える。国家や政府の責任を問わないまま、国民に対して「犠牲者の方々への、国際社会への、そして将来の世代への」責任を問うたり、説教したりするのは筋違いであろう。もちろん、「一億総懺悔」の場合とは異なり、「国民基金」の人々が善意の持ち主であることは疑わないが、こういう呼びかけ文を作ってしまうのは、自分たちの善意を微塵も疑わないところからくるのではないかという思いは否めない。

また呼びかけ文には「全国民的な償い」という言葉が使われているが、戦後補償運動関係者やよほどこの問題にふかい関心をもった人以外の日本国民のほとんどは、「慰安婦」制度が作られた経過や、どのようにして女性たちが集められたのかという基礎的事実についてほとんど知識をもっていないのである。「償いをせよ」というのなら、「呼びかけ文」は、まずその実態について国民に正確な知識を与え、一人一人が償いをしなければならない根拠を示すべきなのに、それはなされず、むしろ曖昧にやり過ごそうとしているように見える。そもそも、当たり前のことだが、政府予算は政府が稼ぎだしたものではなく、日本の住民一人一人が納めた税の集積なのだが、それには手をつけずに拠金を募ることについての説明らしきものは「日本という国は決して政府だけのものでなく」という言葉で責任をとるべき主体を政府から国民に転嫁しているように思える。このような姿勢・態度で「拠金」を募ろうとする、募ってもよい、これで拠金をしてもらえるとする考えが初めからおそろしく甘いし、不遜でもあると思う。「国民基金」は、拠金を届ける先の被害者の意思や心情についても、拠金をする側の日本国民のそれについても正確な判断ができなかったということになると思う。

どうしてそのようなことになったかの原因を考えると、市民団体や個人が、責任を負う姿勢も自覚も不十分な政府に対し、それと対峙する姿勢や覚悟を欠き、あまつさえその政府と共同でこのような難題に取り組もうとすると、悲惨な結果になるということではないだろうか。1、2年前、「国民基金」の代表的存在だった大沼保昭氏の著書「慰安婦」問題とは何だったのか」(中公新書・2007年6月)」を読んだ後では、とりわけつよくそう思った。これほど鉄面皮な、といっては言い過ぎか、完全な自己肯定、自画自賛を内容とした本はそうそうないのではないかと私はその時感じたし、今でもその思いを拭えない。きっと大沼氏と同じような考え方をしている人は他にも存在するのだろう。そういう人でもこのようなことを書けば他人にどう受け取られるかという判断のもとにおそらくは控えるであろうと思えることを大沼氏は堂々と書いている(「はじめに」からして私は度肝をぬかれた)が、その点、他人の思惑を慮って控える人よりは、大沼氏は正直といえば正直と言えるのだろうか? 例をあげれば、「償い金の額をきめて個々の被害者に手渡しはじめたあとで受け取りを希望する元「慰安婦」が続出して、償い金が足りなくなったらどうするのか。この不安も大きかった。」、「基金設立時の呼びかけに応える国民の熱気が冷めないうちに一刻も早く基金を財団化して寄付金への税の免除措置を、と日々焦燥を募らせていたものとしては、……」などと平気で書いているのである。被害者に対しても、日本国民に対してもこの考え方がどれほど非礼であることか本人は気づかないのだろう。とにかく書かれている内容に驚かされることの連続であった。

それでもこれまで私は、「『慰安婦』問題とは何だったのか」について、感想を述べようなどとはまったく考えていなかった。本の問題性を指摘してもしかたがない、通じるはずがないという無力感に似たものをおぼえさせられていた。言葉づかいや手法の問題ではなく、ものごとの根本的な観方・捉え方に関する問題だと感じられたからである。また、「国民基金」に対してこのような見方を多くの人が共有していると思っていたためでもあった。

ところが、ところが、である。最近、「国民基金」や大沼保昭氏に対して、否定一辺倒ではなく、新たな角度から検討し、見直そう、というような声をチラホラ聞くようになったのだ。こちらのブログを読ませていただいたところ、『戦後責任論』や『靖国問題』の著者である高橋哲哉氏もそのような人の一人であるようなのである。そこで『世界』1月号に掲載されている高橋氏のインタビューを見てみると、確かにかつてとは論調が異なっている。時とともに考えが変化すること自体は人間当たり前のことではあるのだが、問題はその論調の変化がその人の基本的なものの考え方や思想を形成していたはずの核心部分における変貌であり、後退・変質のように見えることである。唐突な感想のようだが、“高橋氏までも!”という思いを禁じえなかった。ここ数年顕著になったことだが、これまで公言していた根本原則をいつの間にやらひそかに、あるいは平然と変えてしまう学者やマスコミ人が続出するようになった。どうしてこんな事態になったのか、実に呆気にとられるばかりである。2年ほど前、辺見庸氏の講演を聞きに言った時(演題は「死刑廃止」に関するもの。)、辺見さんは終わりに近くなってから何人かの政治家やマスコミ人の悪口をあけっぴろげな調子で述べた後、「すばらしい学者だと思っていた人が、近頃コマーシャルに出ている」といかにも落胆した口調で話していた。あまりテレビを見ない私は誰を指しているのか分からなかったが、後で連れの友人に訊くと「カンサンジュンでしょ」という話であった。確かに、姜尚中氏の場合も最近の発言の変容ぶりには驚かされることが多い。現代日本においては、マスコミで活躍するような人はみな初めから知性といえるほどの知性などもっていないということなのだろうか。それともマスコミの世界で生きていくためには日本ではもはやこのようないき方しかないのだろうか。雑誌などに登場する人で年齢・経験を増すにつれ成熟・発展を感じさせる人は最近ほとんど皆無のように思える。少し前までこんなことは想像していなかった。戦前・戦中の知識人の転向や戦争協力には、天皇制下の治安維持法や、一方「アジアの解放」という宣伝文句の浸透など複雑な側面もあり、体制の側に巻き込まれた人に同情してしまう場合もある。知識人ではない私などにしても当時を生きていたならば同じ経緯を辿ったかも知れないとも思う。しかし、日本は現にあれだけの悲惨かつ悲劇的な歴史をもっているのだから、もう二度と同じ言いわけは通用しないと思うのだが…。さて、高橋氏は次のように書いている。

「 論争的な本についてはきちんと検証する場が必要で、ここでは感想のみにとどめざるをえません。先ほども一例をあげたように、大沼氏の議論には同意できない点もありますが、国家補償論の立場から一刀両断に否定することのできない論点も提起されていると思います。事業が終了したアジア平和国民基金について、何の成果もあげなかったといま私は言うつもりはありません。大沼氏が指摘するように、被害者の意識や要求が多様であったことは事実でしょうし、首相の「お詫びの手紙」や「償い金」を受け取り、それに慰籍された被害者の方がいたとしても不思議ではないでしょう。しかし、大沼氏も「結果責任」を主張していますが、結果的に、同基金が、日本政府が国家補償をしないで済ませるための隠れ蓑として機能してきたことは認めざるを得ないのではないでしょうか。村山政権のあと、自民党政権になったことも影響しているでしょうが、基金の設立後、政府が不作為であったことは大沼氏も認めています。
 法的責任を重視して国家補償を求め、アジア平和国民基金を批判してきた私たちが、国家補償を実現できていないことは批判を受けて当然です。国民基金を拒否し、国家補償も受けられずに亡くなっていった被害者の人たちに、いま、どんな言葉をかければよいのか。」

上の文で、高橋氏が大沼氏に「同意できない点」として挙げている「一例」とは、大沼氏が「日本という国家」について述べている次の文章である。

「白人支配・欧米人優位の現実と神話が支配した19世紀から20世紀の世界において、そうした白人支配・優位を打ち破るのに大きな功績があり、限りない希望を世界の諸民族に与えた国家である。」/「『慰安婦』制度とは、そうした優れた国、世界に誇るべき数々の美点をもつ日本が、たまたまある時期犯してしまったひとつの過ちであり、負の遺産である」

大沼氏は上記のように述べているらしい。らしい、と言わなければならないのは、私は「「慰安婦」問題とは何だったのか」を図書館から借りて読んだのだが、実はこのような記述があったことを記憶していない。気になった箇所をコピーしたのに、そのなかにこの文は含まれていなかった。おそらく見過ごしたのだと思うが、これを読むと、大沼氏は「慰安婦」をめぐるこの問題には関わらないほうがよい人だったのではないかという気がする。高橋氏は、「この文章に現れている感覚を私は共有できません。大沼氏はそうではないはずですが、韓国や台湾における「慰安婦」問題が、「戦争責任」の問題としてだけではなく、長い植民地支配のもとで生じた問題としてあることが抜け落ちてしまう傾向があります。」と、あえて「大沼氏はそうではないはずですが」と断っている。これは大沼氏への配慮だろうか、それとも精一杯の皮肉なのだろうか? 中塚明氏は、『司馬遼太郎の歴史観』(高文研2009年)のなかで、インドの政治家ジャワーハルラール・ネルーが日露戦争における日本の勝利について述べた言葉を引いている。

「 日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかを、われわれはみた。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたというにすぎなかった。そのにがい結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した。」(『父が子に語る世界歴史』)

日本について「白人支配・優位を打ち破るのに大きな功績があ」った、「限りない希望を世界の諸民族に与えた国家である」などと考えているのは、日本人だけ。それもほんの一部の人だけではないのだろうか。加藤周一も『日本はどこへ行くのか』において、アジア諸国の大学で教鞭をとった経験によると思われるが、次のように述べている。

「 東南アジアは根本的には韓国、中国と同じです。インドネシアでも、タイでも、マレーシアでも同じだと思いますが、ただちがいもあります。日本の経済的な力は、中国を支配してはいないけれど、東南アジアではかなり強い。戦争の過去から来る反感と現在の日本との経済的結びつきから受ける利益とが競合している。だから、東南アジアの国々の企業の社長や政府の役人に会えば、反日的なことをいう人は少いでしょう。しかしタイでさえ、大学に行って学生と話せば、日本批判は激しい。おそらくマレーシアやインドネシアではさらに猛烈でしょう。(略)/ 中国でも対日批判は厳しい。政府間交渉とかビジネスの交渉の話は知らないけれども、大学のなかの学生乃至教師と接触すると、日本批判の鋭いこと、深いことがわかります。親日的な日本学者でさえもそうです。もちろん日本人がみんな悪いといっているわけではない。しかし侵略戟争の過去にどう対応しているか、南京虐殺に関してどう考えているのかということで、日本人を二つに分けてつき合っているのではないかと思うほどです。私の印象では、日本のことを研究し、日本学の専門家であるような学者で、かなり親日的な人でも、南京虐殺に日本人がどう反応するかで扱いがちがってくる。そのくらい激しいものです。おそらく大学の教師および学生でそういうことを考えていない人はいないのではないかというぐらいの印象をもちました。」

日高六郎が「個人的な感想」として20年近くも韓国の獄中に囚われの身になっていた徐勝さん出獄のさいに述べたこんな言葉も思いだされる。

「 1945年、敗戦の11月にアメリカから連合国の賠償使節団としてポーレー(エドウィン・W・ポーレー)という人が日本に来ました。ポーレーはその報告の中で、敗戦日本は日本が侵略したアジアの諸国、朝鮮も含めたアジアの諸国の民衆の生活水準よりも高くなることは許されないというふうに言いました。道義的にこのことに対して反論できるでしょうか。」

このような数々の証言を前にすると、日本が「19世紀から20世紀の世界において、そうした白人支配・優位を打ち破るのに大きな功績があり、限りない希望を世界の諸民族に与えた国家である」などという大沼氏の言葉は、あまりにも虚しいし、これでは「国民基金」が国内外でさまざまな軋轢を引き起こしたのは必然だったろうと思う。

高橋氏の発言に戻ると、氏は「『慰安婦』問題とは何だったのか」に関連して、「ここでは感想のみにとどめざるをえません」と述べているので、いずれきちんとした検証文が発表されるかも知れないが、このなかで気になるのは、

「 法的責任を重視して国家補償を求め、アジア平和国民基金を批判してきた私たちが、国家補償を実現できていないことは批判を受けて当然です。国民基金を拒否し、国家補償も受けられずに亡くなっていった被害者の人たちに、いま、どんな言葉をかければよいのか。」

と述べていることである。これでは、「国民基金」を拒否した被害者の支援に携わった人たちに対しても責任を負わせるかのような言い分で酷だが、拒否したまま亡くなった被害者に対して礼を失するのではないだろうか。被害者が国家補償も受けられずに亡くなったのは、日本政府が補償しなかったせいであり、高橋氏をはじめとした支持者のせいではない。「国民基金」を拒否した被害者にとっては拒否し通したことはせめてもの誇りであり慰めだったのではないかと私は思うが、それはもし自分が、あるいは自分の家族が被害者の立場だったならば、と考え、想像してみた上でのことである。基金拒否の意思をもっている人にとって、基金を代表する人物から発足にあたって「受け取りを希望する元「慰安婦」が続出して、償い金が足りなくなったらどうするのか。この不安も大きかった。」とか、お詫びの手紙に総理の署名が入ったことについて「その意義は過小評価してはならない」、「そうした重みをもつ決断だったからこそ、(略)橋本首相は被害者個々人宛の総理のお詫びの手紙を書くことについて躊跨し、基金と内閣のあいだに極度の緊張が走ったのである」などの何ともいえない無神経かつ恩きせがましい倒錯発言が出るような性質の「償い金」を受けとって救いになる何ものがあっただろうか。大沼氏は、本のなかでしきりに「お金がほしい被害者」という言葉を繰り返しているが、被害者の人たちが自分のこの発言を知ったらどう感じるだろうとは考えないらしい。人間がある程度集まれば、どんな集団であってもそのなかには経済的逼迫をかかえている人が必ずいる。こういう被害者に関する大沼氏の記述を読んでいると、大沼氏は被害者のその逼迫にいわばつけこんで基金を誇示しているかのように感じられる。これでは被害者のなかにもし経済的に困窮している人がいなかったならば、「国民基金」の存在価値はなかったことを自ら認めていることになるのではないだろうか。それでは償いとはとうてい言えないことになる。私は言葉の壁が存在したことは「国民基金」の活動にとってどれだけ助けになったか分からないと痛切に感じた。

逆に高橋氏に問いたいのだが、基金を拒否して亡くなった被害者の方のなかに生活費にも事欠いている人が現実にいたのだろうか? 何とか食べられ、通院費などに困窮していたということがなかったのなら、拒否し通したほうがまだしも仕合わせだったのではないだろうか。だんだん年をとってきて分かることだが、老齢になると、食うに困るような生活は不安でたまらない。生活の安定はどうしても必要である。しかし、それは必要が満たされる生活であればいいので、その保証さえなされれば、例外はあるにしろ、物質的な欲望はしだいに減少していくのが老年期の特徴である。同時に、自分にとって真に重大なことが鋭く研ぎ澄まされて感じられるようになるのも老年期である。多くの被害者が齢60、70になってから意を決して日本国家の責任を問うてきたのは主にその理由によるものだったのではないかと思う。お金に関していえば、大沼氏は「多様な被害者の認識」という項目にこんなことを書いている。

「 もちろん、すべての被害者が総理のお詫びの手紙を高く評価したわけではない。わたしにとって忘れがたいのは、フィリピンで会ったひとりの元「慰安婦」のケースである。わたしが、「総理のお詫びの手紙はどうでした?」と尋ねたのに対して、彼女は質問の意味が理解できないようだった。話を進めていくうちに、彼女にとっては償い金と医療福祉支援費という「お金」をもらえたことがなによりも大事なことであって、総理からのお詫びの手紙についてはほとんど関心がなかったことがわかった。/これは、総理のお詫びの手紙を喜んでもらえるだろうと考えていたわたしにとって、ひどくショッキングな体験であった。われわれがあれほど努力してようやく勝ち取った総理のお詫びの手紙は、被害者にとって受け取ったことも忘れてしまうようなものにすぎなかったのか。こうした悲しい、というより情けない、気持ちがした。ただ、よくよく考えてみると、このことは総理のお詫びの手紙の問題性を示すというより、わたし自身が言い続けてきた被害者の境遇と考えの多様性のあらわれを示すものだった。」(p188)

「われわれがあれほど努力してようやく勝ち取った総理のお詫びの手紙」という言葉は、日本の総理大臣がいかにシブシブ、イヤイヤ、お詫びの手紙を書いたかという事実を証明するものでしかなく、被害者に対する侮辱になるのではないかと思うのだが、大沼氏にとっては、自分たちの多大な努力を強調するいわば手柄話の一つになっているように感じられる。被害者は「総理からのお詫びの手紙についてはほとんど関心がなかったことがわかった」というが、上記の大沼氏の言い分を見ると、手紙に関心を見せなかったことの理由を、こんなに単純に「お金」のせいにしてしまっていいのだろうか、と思う。またこの被害者の女性が現実に「お金」に非常に困っていたとしても、あるいは困っていたのならなおさら、このような「金がすべて」のごとき解釈をくだすことには問題があるだろう。大沼氏は、自分の母親や妻や娘がもしこのような立場に置かれたらと想像し、考えをめぐらせてみるといいのではないだろうか。

高橋氏は、徐京植氏との対談本である「断絶の世紀」(岩波書店2000年)のなかで「ハムレット」を援用して、次のように述べている。

「 たとえば日本では、元「慰安婦」など名のり出てきた被害者たちに対して、「なぜいまごろ」という声がまずあがった。いまでもそういう感覚が共有されている。しかし、これは時間のズレの問題の露呈なのだと思います。
 私はこの問題を考えるときに、『ハムレット』を思い出すんです。ハムレットは自分の父が亡くなって非常な悲嘆にくれている。亡くなった王の座を叔父のクローディアスが襲い、自分の母ガートルードと、つまり先王ハムレットの妻と結婚してしまう。冒頭で、クローディアスとガートルードが、悲嘆にくれるハムレットを教えさとそうとする場面がある。ハムレットは精神分析的にいうと喪の作業をしているわけです。つまり自分が愛着をもってそれに同一化していたような対象が突然失われた場合、現実を認めたくない、しかしやはり認めざるをえない。それを現実として認めるまでに喪の時間、悲哀の時間を過ごしてそこから立ち直る。
 それに対して新王と王妃は、さっさとその時間を切り上げてしまえというわけです。生あるものは必ず死ぬ、これはわかりきったことではないか、これは人間の運命なのだ、いつまでもそういう悲しみに沈んでいるのは、クローディアスの言葉を使うと、天に背く不遜のきわみ、何より理性、道理に背く罪であるというのです。早く『未来志同一的に生きるのが男らしい態度なのだ、と。まさに自然的時間に戻れとハムレットに言っている。 」

「国家補償を実現できていないことは批判を受けて当然」とか「国民基金を拒否し、国家補償も受けられずに亡くなっていった被害者の人たちに、いま、どんな言葉をかければよいのか」などと述べているところをみると、高橋氏はこのような考え方はもう捨てたのだろうか。「靖国問題」で、「靖国信仰から逃れるためには、必ずしも複雑な論理を必要としない。悲しいのに嬉しいと言わないこと。それだけで十分なのだ」という記述を読んだ時も、私は上記のハムレットについての話を思い起こして意図を理解したつもりでいたのだが。
2010.01.25 Mon l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top
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