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安倍晋三首相は、7月25日から27日までマレーシア、シンガポール、フィリピンを訪問したが、シンガポール首相やフィリピン大統領との会談で、集団的自衛権について「国際的な安全保障環境の変化を踏まえ、日本の安全を確保し、日米同盟、地域の平和と安定に貢献していくという観点から検討を進めている」と伝えたそうである。(東京新聞7月28日)

あきれてモノも言えない。安倍氏は集団的自衛権の行使検討について国内でこれほどハッキリ口にしたことはないはずだ。なぜ外国でいきなりこんなことを言い出すのだろう。こういう行動は小心者、卑怯者のやることであって、まったく安倍氏らしいといえばいえるように思う。外国で明言することによって国内で既成事実化しようと意図しているのではないか。そういえば、民主党の野田首相もTPPに参加すると最初に明言したのは外国滞在中であった。こういう手法は、最近の日本の政治家に顕著な傾向のようだ。マニラでの記者会見ふで、安倍氏は憲法改正についても「誤解がないよう丁寧に説明していきたい」と実現に意欲を見せ、同時に冷え込んだ日中関係の改善に向けて対話再開も求めたそうである。これについて、記事には「集団的自衛権などの説明は安倍政権の「右傾化」への懸念を自ら拭う狙いとみられる。」とあるが、この記事の真意は、どこにあるのだろうか。集団的自衛権の行使の宣言は、「右傾化」宣言以外の何ものでもないのだから、懸念を拭うも拭わないもないものだろうに。

集団的自衛権の行使は決して容認されない。安倍首相は同盟国である米国が攻撃されたら日本はそれを黙って見ているわけにはいかない、云々と何とかの一つ覚えのように述べているが、こういう発言は我々国民を欺くための戯言にすぎない。多くの人が指摘しているように、どこの世界に地球上で最も強力な、敵なしの軍事力をもつ米国に攻撃をしかける愚かものがいるだろうか? 中国にしろ北朝鮮にしろ、もし米国に牙をむくようなことがあるとすれば、それは米国から先制攻撃を仕掛けられた際の自殺的な一矢でしかありえない。子どもにだって分かる常識である。だから日本が集団的自衛権の行使に踏み込むということは、米国につき従って米国とともに他国を攻撃する方向に歩み出すということであり、これは想像するだに恐ろしいことである。イラクはどうだっただろうか。イラクには大量破壊兵器があるといって一方的に軍事攻撃したところ、そんなものは影も形もなかった。イラクの国土は破壊し尽くされ、何十万もの一般市民が無慈悲に殺された。なぜブッシュやラムズフェルドらの戦争責任者がいまだ拘束もされず白昼堂々自由に歩いていられるのか不思議である。アフガンやリビアも同じことだった。集団的自衛権の行使はそういう米国の侵略・攻撃の手伝いをさせられ、また自ら進んでやるということに他ならない。

安倍主張から集団的自衛権行使の話を聞かされたマレーシア、シンガポール、フィリピンの政治家たちの反応がどうであったかは知らない。経済的に密接な関係があるから政府関係者は露骨な不快感や反発は見せなかったかもしれないが、しかし民衆レベルでは今頃安倍首相に対してはもちろんだが、日本という国全体に対しても深刻な不安や懸念、反発が渦巻いているのではないかと想像する。日本の右傾化を憂慮しているのは何も中国や韓国だけではないのだ。2008年に死去した加藤周一が生前折にふれて述べていたことは、東南アジアの学生と話をすると、日本に対する不信感の大きさを痛感するということで、彼らの対日感情についてたとえば次のように述べていた。

「 東南アジアは根本的には韓国、中国と同じです。インドネシアでも、タイでも、マレーシアでも同じだと思いますが、ただちがいもあります。日本の経済的な力は、中国を支配してはいないけれど、東南アジアではかなり強い。戦争の過去から来る反感と現在の日本との経済的結びつきから受ける利益とが競合している。だから、東南アジアの国々の企業の社長や政府の役人に会えば、反日的なことをいう人は少ないでしょう。しかしタイでさえ、大学に行って学生と話せば、日本批判は激しい。おそらくマレーシアやインドネシアではさらに猛烈でしょう。」(「日本はどこへ行くのか」)

別のところで、加藤周一は日本の侵略の歴史に関して真面目に考えていない学生はアジアにはほとんどいないのではないかというくらいの印象を実感的に受けたと述べていたこともある。家族や親族を日本軍に殺されたり、災厄を押しつけられた人が大勢いるのだから当たり前のことだろう。もしその立場に置かれたら私たちだって同じ受けとめ方をするはずである。89年に昭和天皇が死去したとき、それを報じるシンガポールの新聞の辛辣な調子も忘れられない。私は何かで偶然読んだのだが、内容は昭和天皇を平和主義者であるかのように描き出す日本のマスコミと世論への不信と批判であったが、その手きびしさは想像をはるかに上回るものであった。

こちらのサイトには、1940年前後、日本がマレーシア、シンガポール、フィリピンなどの東南アジア諸国に何をしたのか、次のように記されている。

「 戦争中、日本軍に家族を殺されたマレーシア人をたくさん知っているが、彼らは、日本が侵略をし多くのアジアの人たちを殺したから原爆を落とされたのだ、原爆を落とされたのは当然の報いだ、と言っている。」「太平洋戦争が始まってまもなく、占領したシンガポールで一般市民数万人を虐殺し、マレー半島各地でも女性やこどもも含めて村ごと抹殺していった。そうした例はフィリピン各地でもあるし、最近インドネシアやミャンマーでもそうした虐殺があったことがわかってきている。」「犠牲者は、インドネシア約200万人(引用者注:400万人という説もある)、フィリピン約110万人、インドシナ約200万人など多数にのぼる。 人口との比率でいうと日本よりもずっと高い。しかも中国をはじめアジア各地の犠牲者の圧倒的に多くが軍人ではなく民間人だ。日本は死者の約4分の3が軍人であることを考えるとアジアの人々が日本の侵略によって大きな犠牲を強いられたことがわかるだろう。」

アジア諸国の一般大衆の多くは、安倍首相の「集団的自衛権の検討を進めている」「憲法を改正する」などの談話を多大な苦痛なしでは聞けないだろう。日本の侵略戦争によって最も大きな被害を被ったのは中国と朝鮮だったから、日本の集団的自衛権行使容認や改憲の動きに最も鋭敏に反応するのが中国と朝鮮であるのは当然だが、かといってそれは決して中国と朝鮮の範囲にとどまるものではないことも上述の事情から理の当然であろう。集団的自衛権の解釈変更、行使容認などまったくとんでもない次元の話でしかないのである。
2013.07.31 Wed l 改憲・集団的自衛権 l コメント (3) トラックバック (0) l top
 “7月21日、私は午前11時頃、クレフに乗って長女Nと一緒にペットショップに行き、クレフはいつもどおり、ショップ近くの駐車場に置いていた”
という被告人の供述を、判決文において、自分の一存で勝手に
 “7月21日、私はクレフを終日大原の自宅に置いていた”
に作り替える裁判官の目的は何なのか?


「埼玉愛犬家連続殺人事件」の不公正な判決により、この6月に死刑確定から満4年が経った風間博子さんの無実の訴えです。風間さんの支援誌である『ふうりん』14号に掲載された文章の転載です。
今回の文章は、一審判決文の奇妙さについてこのブログの管理人である私(yokoita)が新たに気づいて指摘した(こちらを参照)問題について、風間さんが次号のふうりん15号で応答し、また補足説明をしてくださったものです。

このブログは、これまでに裁判所が事件全体について、また事件における風間さんの言動と役割について、不審きわまりない事実認定をいかに膨大に行なってきたかを指摘してきましたが、今回私が気づいた誤りは単純といえば実に単純なもので、一審の判決文が、ある一つの客観的事実について完全に誤った記述をしているというものでした。 93年7月21日、EさんとWさんが殺害された日は地域のうちわ祭りの日でした。この日、風間さんは「クレフに乗って長女Nと午前11時頃、八木橋のペットショップに行き」(一審弁論要旨)、午後3時頃、風間さんのお母さんがペットショップにやって来たので、風間さんは午後4時頃お母さんに長女Nちゃんの相手をしてもらい、祭りの混雑を避けるためにクレフは店の近くの駐車場に置いたまま、「バイクで万吉犬舎へ行」った、と述べています。

ところが、一審判決文は、「クレフに乗って長女Nと午前11時頃、八木橋のペットショップに行」ったという風間さんの供述について次のような記述をしているのです。

「…風間は、「自分は、7月21日はうちわ祭りで熊谷市内が混雑していたため、バイクを運転して万吉犬舎に行ったりしており、クレフは終日大原の自宅に置いてあったので、それを運転してE方に行った。」旨弁解し、」

裁判官は、「クレフに乗って長女Nと午前11時頃」ペットショップに行った、という風間さんの供述を、なぜか「クレフは終日大原の自宅に置いてあった」ことにすり替えてしまっているのです。私は、最初この事実を知ったとき、もしかすると、万に一つくらいは、裁判官が単純な勘違いのミスをおかした可能性もあると思っていました。審理の過程で、この件がさして問題にされなかった可能性もあると思ったからです。ところが、そんなことはまず考えられない、ありえないことが、その後分かりました。実はこの件は法廷できちんと審理されていたのです。風間さんは、法廷でこの21日「クレフに乗って長女Nと午前11時頃」ペットショップに行き、いつものように近くの駐車場にクレフを置いていたと供述し、裁判官はそれを聞くと、風間さんに向かって直接下記の尋問をしているのです。第一審61回公判の調書から抜粋します。

裁判官 『クレフを駐車していた、その駐車場というのは、どこにあるんですか。
 風間  ペットショップから、4、50メートルぐらい先のところにあります。
 裁判官 さきほどの地図のカラーコピーありますよね。それに、その駐車場の場所を、赤のボールペンで丸を書いて、駐車場と書いてもらえますか。
 風間  (記入した) 』(47丁裏) 」

上記の「裁判官」とは裁判長のことです。お分かりのように、風間さんがクレフをペットショップ近くの駐車場に置いていたことは、風間さんが供述しているだけでなく、その事実を法廷で裁判長自ら風間さんに図示させて確かめているわけです。これでは裁判官が「勘違い」をする余地はないでしょう。「クレフは終日大原の自宅に置いてあった」という風間さんの供述というものは、裁判官の創作だったのです。完全に裁判官による故意の仕業というしか考えようはないように思われます。裁判官がなぜこのようなことをしたのか、私はこの件を最初に取り上げたとき、「もし裁判所の上の記述が故意によるものであるとしたら、この日ペットショップに風間さんの娘さんとお母さんがいたこと、犬舎から帰ってきた風間さんともども親子三代でうちわ祭りの見物に行ったことなどに照明があたることを裁判所が忌避したということも考えられるだろうと思います。」と書いたのですが、あるいはこの他にも更なる理由があるかも知れません。

それでは、風間さんの訴えを以下に掲載します。風間さんは、裁判官が判決文において、クレフを終日自宅に置いていたと風間は主張している、と、嘘の記述をしていることにもちろんすぐ気づいたようです。この件にかぎらず、風間さんに死刑が下された判決において裁判官の捏造や歪曲がどれほどの数に上り、それがどのような性質のものか、ちょっと想像を絶するものがあるのです。風間さんの声を聞いていただければと思います。


  冤罪を訴える ~まやかしの判決書~4 《歪曲判示乱発の裁判所の悪辣さ》(「ふうりん」№15)
 ……yokoitaさんがご指摘下さった様に、私の判決書には、不可解な判示・奇妙な判示・歪められた判示・裁判所が勝手に作った虚偽内容の判示などが、本当に無数といっていいほどあるのです。
 それらには、検察によって構築されたストーリーに裁判所が合わせて、私を有罪に導くために事実を歪めているとはっきり判るものや、明らかではないけれど裁判所の目論見を何とか見て取ることが可能なものもあります。
 しかし、どう思案してみても(私の考えでは)裁判所が何の意図をもって事実を歪曲しているのか判らぬものも数多く存在しています。敢えて言えば、裁判官には、証拠や真実を有りのまま見ることが出来ぬ悪癖があるのでは…と、疑いたくなる程です。
 E・W事件当日の午前11時頃から午後9時スギ迄、私は「クレフは、ペットショップ(近くの駐車場)に置いてあった」と、供述しています。
 しかし、それをなぜか裁判所は、私が「クレフは、終日、大原の自宅に置いてあった」と供述していると判示しているのです。
 この誤判示は、裁判所の悪意によるものと私は思っていますが、その意図がどこにあるのか、私には見えていませんでした。
 yokoitaさんが仰言る『単にミスをおかしたのでしょうか?』ではないでしょうし、また、『判決に重大な影響を及ぼすことが明白なこの一件に関して、裁判官三人が、三人そろって、自分たちの過ちに気づかないなどということがはたしてあるのかどうか』とyokoitaさんは裁判官への不信感を綴っておられますが、左程に私の判決文はヒドイ物なのです。

 事件の経過に出来るだけ合わせてこの「まやかしの判決書」を書き進めていこうと思っていますので、E・W事件の項で改めて詳述致しますが、事件当日の7月21日に埼玉県警の機動捜査隊は、アフリカケンネルの関係場所数ヶ所の行動確認捜査を実施しておりました。
 その中の一つは万吉犬舎で、万吉犬舎へ出入りした車や人物については、その車種やナンバー、着衣、持ち物等についてまで、その「行動確認捜査日誌」に記載されました。
 そして、この捜査日誌は、一審の最終局面でやっと開示され証拠採用されています。
 さて、この埼玉県警察機動捜査隊が実施作成した「行動確認捜査日誌」には、万吉犬舎へのクレフの出入りの記録は、一切記述されておりません
 私はこれで、「この日万吉犬舎へはクレフで行っていない」という私の供述の正しさが裏付けられた…と、喜びました。
 ところが、我(わが)裁判所は、常軌を逸していて、ナント! 「この日の午後4時頃から午後11時スギ迄、クレフは万吉犬舎に置いてあった」と認定したのです。
 私は、裁判所が私の供述にはない『クレフは終日、大原の自宅に置いてあった』という虚偽判示をしているのは、上記の『クレフは万吉犬舎に置いてあった』とする虚偽認定を強調するための何かしらの意図なのか? と頭を悩ましていたのですが、今回のyokoitaさんの論評を拝読し、「裁判所の意図はこういう事だったのか!」と目からウロコがポロッ でした。

《私は、いつSと結婚をし、いつ娘を出産したのか?》
 そんなことも判らなくなる程、呆けてしまったのか!? と心配しないで下さい。
 判決の事実認定の歪曲は、万般に渡り、それはそれはヒドいのですが、証拠提出をされている戸籍謄本・住民票・登記簿謄本といった公文書や、更には論告・弁論・裁判官の面前での法廷証言でハッキリとしている動かしようのない事実でさえ、裁判所は自らの事実認定を正当化するために都合よく歪め、不実の判示工策をしています。
 今回は、簡単に2点を提示致します。
① Sと私が結婚したのは、『昭和58年』ですが、
    裁判所は、「被告人両名は、昭和59年に婚姻するとともに――」とし、
                 <確定判決390頁(量刑の理由)>
② 私が娘を出産したのは、「昭和60年6月」ですが、
    裁判所は、「昭和60年8月に長女を儲け――」と判示しています。
                 <確定判決 5頁(背景事情)>
 こういった書き替えは(私が考えるに)Sとの一心同体説を補強したものであり、原判決のこじつけストーリーを真正らしく見せるための狡悪な欺瞞です。
 刑事訴訟法に於ては、『事実は全て証拠に基づいて認定されるべきである』と明記されております。
「証明された事実・証拠」から真実を追い求めていくのが裁判であり、それをやるのが裁判官の使命であるはずです。ところが私の判決では、その基本中の基本を逸脱した卑劣な事実の捏造をしており、裁判官の品質・資質を疑いたくなります。

 こんな杜撰な内容の判決文が通用している司法の不思議さに呆気にとられると共に、負けてはいられないと、心を引き締めております。お力添えをどうぞお願い致します。(風間博子) 」
2013.07.25 Thu l 埼玉愛犬家連続殺人事件 l コメント (1) トラックバック (1) l top
周知のように、民主党の菅直人氏は7月16日、東京電力福島第1原発事故を巡り、安倍晋三首相が「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメールマガジンを掲載し続けているのは名誉毀損にあたるとして、慰謝料など1100万円と謝罪を求めて東京地裁に提訴したとのことである。

「 訴状などによると、安倍首相は自身の公式ホームページに2011年5月20日付で掲載したメルマガで、同年3月12日に行われた海水注入について「東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった」などと記載した。
 菅氏側は「海水注入が中断された事実そのものが存在しない。海水注入の中断を指示したという事実も存在しない」と指摘。首相のメルマガは虚偽であり名誉を毀損したとしている。メルマガの記事の訂正と謝罪を求めたが、首相側の反応はないという。菅氏は16日記者会見し、提訴の理由について「ネット選挙が始まった中で、国民に誤った情報を流し続けることが悪影響になると考えた」と述べた。」(毎日新聞07月16日)

2011年5月20日付の安倍氏のメルマガの内容について当時チラと聞いたような記憶はあるが、この『菅総理の海水注入指示はでっち上げ』全文を読んだのは今回が初めてである。いや、聞きしにまさる酷い内容だと思った。こんなものを以後今日まで2年余りも自身のサイトに掲載しつづけていたのかと思うと、何事においても恥を知らないらしいこの人の政治感覚にますます恐怖や気味悪さをおぼえずにいられない。2011年3月12日の、福島原発1号機への海水注入をめぐる管氏を中心とした官邸内の動きはその後国会をはじめメディアでもかなり詳細な検証が行なわれてきており、この件に関するかぎり、安倍氏の記事内容こそが完全な「でっち上げ」であることは今では世間周知のことのはずだ。安倍氏のメルマガの全文は下のとおりである。

「 福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。
複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。

12日19時04分に海水注入を開始。
同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。
官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。
実務者、識者の説得で20時20分注入再会。

実際は、東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。
しかし、 やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。
この事実を糊塗する為最初の注入を『試験注入』として、止めてしまった事をごまかし、そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです。
これが真実です。
菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。 」


まず、冒頭の「実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。」という断定調の書き出しからして胡散くさい。日頃、日本のマスコミ報道は、「…が明らかになった」「…が分かった」というような断定調をよく用いているが、こういう場合は、必ずしも明白ではない事実をさも本当らしく見せるための言い方である場合が非常に多いように思う。安倍氏はマスコミのそれをそっくり真似たのではないか。

つづいて、「複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。」というわけで、「菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒」、「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」、「この事実を糊塗する為最初の注入を『試験注入』として、止めてしまった事をごまかし、そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです」などと、あたかもこれらは確実な事実であるかのように数々並べ立てているが、結果的には安倍氏のこの発言こそがすべて明白な嘘であることが明白になっているといっていいだろう。しかも安倍氏は、「これが真実です」と、ご丁寧に念押しの断言までしているのだから罪はいっそう重い。そもそも安倍氏のいう「複数の関係者」とはどういう立場のどんな人物なのか、複数とは2人なのか、3人なのか、それとももっと多人数なのか、皆目分からない。一方の側の一方的な言い分を聞いただけで、それが間違いのない確実な情報かどうかについて検証した気配もない。内容的には、普通ならば「この話はちょっとおかしいな」と感じてもよさそうな話の程度だと思うのだが……。

何より不信を感じずにいられないのは、安倍氏の文章からは、海水注入からやっと10日2ヶ月過ぎたばかりのとき、深刻きわまりない原発事故がこれからどのような経緯をたどるのか、誰もが不安でならない時期だったにもかかわらず、一人の政治家として先行きを懸念・危惧している気配や、事故収束のために自分も精一杯力を尽くそうというような意志や義務感が全然伝わってこないことである。文面にたち込めているのは、ただただ政敵である民主党政権の落ち度や失敗を突いてやろう、それによって自分が得をしようという利己的な下心ばかりであるように感じる。だからこそ、この3月12日官邸で海水注入を実行する意志統一が出来ていたことが後にほぼ判明したにもかかわらず、そのままこの記事をサイトに載せつづけることができたのではないか。安倍氏がもし一貫して自分の記事内容のほうこそ正しいと思っていたのなら、その後自ら検証を行なってその結果を新たにサイトに載せるべきだったのである。それが最低限の責任ある態度だったはずだが、安倍氏はそれさえしていないのだから、「間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべき」なのは、明らかに現在の安倍氏のほうだろう。
2013.07.18 Thu l 社会・政治一般 l コメント (2) トラックバック (0) l top
「ハリケーン長嶋」と称されたダイナミックな走塁

走る
野性味みなぎる長嶋の走り。「私の足は100メートルを11秒2で走り抜けた。陸上用のスパイクを履けば11秒を切る自信があった。」(『ネバーギブアップ』)

滑る
 躍動感とともに研ぎ澄まされた凄みを発散する滑り込み

 「チャンスに凡退してのコメント
前2回の長嶋選手関連の記事は、『月刊 長嶋茂雄』(0・1号の主に写真)に感興をえて書いたのだが、今回もそのつづきを…。『月刊 長嶋茂雄』1号のページを繰りつつ新人の長嶋選手が折にふれて口にしたコメントを読んでいると何やかや感慨にとらえられる。デビュー戦で金田投手に4連続三振を喫したフルスイングの姿もそうなのだが、折おりの言葉もまた、その後の現役17年間を通じて彼が初心を貫くべく日々全力でプレイしつづけたことを再確認させてくれるのである。たとえば、プロの投手と一廻り対戦を済ませた後の7月9日、長嶋選手は「チャンスに必ず打てるバッター、これが私の夢なんです」(この日の国鉄戦で、5回2死1、3塁のチャンスに、キャッチャーフライに倒れた悔しさを滲ませてのコメント)と語っているが、これにはホント驚いた。その現役全盛期に「チャンスに強いバッター」「勝負強いバッター」という形容は長嶋選手の代名詞といってよいほどにプロ野球ファンの間に浸透していたものだが、プロ野球でプレイを始めてまだせいぜい3ヶ月、この時期に自分からそういう発言をしていたのだ。これは打者として退路を断ったとさえいえる内容のものであり、新人の発言としてこれほど大胆不敵なものはそうはないだろう。チャンスに凡退した際のコメントなのだから、自信に基づくものとばかりは言えないだろう。限度をしらないほどの熱烈な意欲に充ちみちていたのだと思えるが、実際長嶋選手は全選手生活を通してこの目標を見失わず、力の及ぶかぎりこれを実現していったことは誰でもが首肯できることと思う。こういう姿をみると、長嶋選手がプロ入りに際して、ベースボール・マガジン社に向けたメッセージで、

「 ルーキー決意を語る
 思えば、僕が佐倉一高から、立教へ入学した当時は右を向いても、左を向いても、上手な人ばかり。この中に交じってやれるかしら、と自信のない気持ちでいた僕を、何かといたわり、励まし、時には傍らから見たら厳しすぎるとまで思われるような指導をして下さった砂押さん(邦信前監督)には、どれだけ感謝してよいか分からない。
 プロ野球の世界――そこは良い意味にも悪い意味にも、野心が渦巻き、実力あるものが勝つ弱肉強食の世界。
 しかし、立教入学当時、手のひらのマメがつぶれ血に染まるほど素振りを繰り返し、また、レギュラーになってからも苦闘の連続。殊に秋のリーグ戦の前半は8号ホーマーという世間の期待が、かえって精神的に負担となり、全然打てず、連続無安打が続く低調さで「いつになったら打つのだ」と先輩、友人から言われ、実際、苦しかった。
こんなことを回想してくると、僕にはプロの厳しい世界も何とか乗り切れそうな気がしてくる。投手は学生野球と違って速い球を投げてくるだろう。しかし僕は、そうした球にぶつかっていけるだけのファイトを、今までの生活から得ているような気もするのだ。
 同僚の杉浦とは袂を分ったわけだが、進む道は同じだ。日本シリーズで逢う日を今から楽しみにしていよう。杉浦よ、頑張れ! 」

といった言葉も、そのまま、プロ入団に向けた断固とした決意の表明だったとして素直に受け取ることができるように思う。また、新人王はもちろん、打点王・本塁打王の二冠を獲得し、リーグ優勝でルーキー・シーズンを終えた後、おそらく日本プロ野球史上「最強チーム」といえるだろうパ・リーグの覇者西鉄ライオンズとシリーズで対決し、健闘及ばず敗れ去った後の次のコメントにも心打つものがある。

「 不気味な威圧感に覆われて…
――日本シリーズを戦ってみて。
長嶋 自分としては、全力を振り絞って頑張っただけです。結果はこうなりましたが、悔しくて、口では言い表せないほどです。
――初めての出場で、緊張は?
長嶋 別に意識はしていなかったから、何ともなかったです。(略)調子は快調だったんですが、中盤からどうも打てなくて。思い出しても、諦められないくらい残念です。
――西鉄に関しては
長嶋 3連勝していたのを逆転したほどですから、その強さはおして知るべしです。底力の凄まじさに、驚嘆させられました。だから、南海に11ゲーム差も引き離されていたのを挽回して優勝できたんでしょうが、チーム全体が気力に満ちあふれているように感じました。
――第2戦以降は、徹底マークされた。
長嶋 稲尾投手には完全にマークされていました。落ちる球に引っかかって、凡打ばかり。まったく翻弄されました。タフネス・ボーイという言葉が、ぴたりと当てはまりますね。とにかくすごい投手です。
――3連勝の時点では覇権奪回なるかと。
長嶋 僕もそう思いました.しかし西鉄と戦っていると、絶えず不気味な威庄感に覆われていました。それが焦りとなって……。
――これからの目票は?
長嶋 二度とこの敗戦のような憂き目を味わわないように、来年こそ「打倒・稲尾」を果たすだけです。稲尾君さえ攻略できれば、選手権奪回がなりますからね。 」

シリーズ第1戦の第1打席、何の気配もなくただ打席につっ立っているように見えた長嶋が稲尾投手の外角スライダーを見事にとらえてライト戦に三塁打を打ったこと、これが稲尾投手に大きなショックを与え、この試合の稲尾4回降板の原因になったこと、その後稲尾投手は長嶋選手の打席をノーサイン投法に切り替え、長嶋の身体の動きに合わせてスライダーとシュートを投げ分けるというやり方で彼を抑えることができたこと、などの稲尾投手による長嶋対策はいまも語り草である。「悔しくて、口では言い表せないほどです。」「思い出しても、諦められないくらい残念です。」という長嶋選手の言葉は偽りでも大袈裟でもなかっただろうと思われる。この敗戦の記憶は長く長嶋選手のうちで尾を引き現役引退後もこの年対戦した西鉄ライオンズというチームについて畏敬の念の込もった口調で「理想のチームの一形態」(『ネバー ギブ アップ-キューバの太陽カリブ海に誓う-』集英社1981年)と語っている。長嶋選手は稲尾投手の底力とともに、中西太選手の打球の物凄さにも驚嘆させられたようである。じつはオープン戦で初めて対したときからそうだったらしく、「グワシッという怪音とともに打球が私の正面に飛んできた、と思った時には球はもう見えない。打球は、グローブにさわりもせず、きれいに股間を突き抜けてしまって」いたと述べている。「あれが下腹部に命中していたらどうなっていただろうか」などとも語っている。もちろん長嶋選手の打球も強烈であり、阪神の二塁手だった鎌田実選手は、長嶋選手の当時の打球のスピードについて「打撃は大きく動きのあるバックスイング。そしてシャープなスイングから弾き出される打球の速さは強烈で前進守備のときなどは怖さを感じた。」と語っているのだが、しかし長嶋選手は、中西選手がかつて平和台のゲームで飛距離160メートルの大本塁打をかっ飛ばしたという逸話も現実にありえないことではない、飛距離といい、底知れぬほどの打球の鋭さといい、そのパワーは確かに自分を上回っているとの感触をもったようである。

長嶋選手は上のコメントで「二度とこの敗戦のような憂き目を味わわないように、来年こそ「打倒・稲尾」を果たすだけです。」とも語っている。この「来年こそ」は、その59年に西鉄が優勝をのがしたために現実のものとならなかったが、5年後の63年にようやく再チャレンジの願いが叶い、長嶋選手はこの西鉄ライオンズとの対戦で稲尾投手を打ち込み、自身初となるシリーズMVPを獲得した。この後、長嶋選手は「シリーズ男」という異名をとるようになるのだが、シリーズMVP獲得回数4回、日本シリーズという大舞台で「完璧!」といいたいような活躍を見せることができた原点は、おそらく58年の西鉄ライオンズとの闘いの経験だったのではないだろうか。

打撃
 力強い腰の回転の打撃フォーム(1958年秋対カージナルス戦)


長嶋選手の打撃技術についてド素人の私は語るべきものを何ももっていないのだが、かつて、内野手の間を猛烈な勢いで抜けていくゴロのヒットこそがもっとも長嶋的な打球だ、と評した人の意見に賛同したい気がする。たとえば、何ヶ月か前にテレビで偶然、南海の杉浦投手の引退式に登場した長嶋選手がバットを振り切って打ち返す場面をみたのだが、三遊間に糸を引いて飛んでいったその打球は息をのむほどに美しかった。最近、長嶋選手の打撃に言及した文章で印象に残ったものが2つあった。一つ目は、1957年(昭和32年)春の東京六大学で東大の一年生投手として立教の4番打者長嶋を間近に観察した経験をもつ岡村甫氏(現高知工科大理事長)が語る打者長嶋評。

「 長嶋選手らの立教に唖然
私が東京六大学野球のすごさを実感したのは、1957年、春季リーグ開幕戦で、1年生ながら初めてベンチ入りしたときだっった。
 相手は当時最強の立教大学。主将は名内野手本屋敷錦吾、投手は杉浦忠、4番打者は長嶋茂雄である。彼の最初のフリー打撃を見て驚かされた。2か所のゲージの内、レフトから遠い方の打席に立つ。それでも彼の打球は、当時の広い神宮球場の柵越え率は実に7割、しかも2割はバウンドして場外に消える。彼の体力のピーク時であり、プロに入ってからは、このときの力強さとしなやかさを超えた彼を見たことはない。
 杉浦投手の球はホームベースの近くでホップする。本屋敷選手はピンチでも何気なく球をさばく。これが六大学の野球か。東大とのあまりの差に唖然(あぜん)とした。(略)
 長嶋選手に対しては誰もストライクゾーンに投げない。もしも、私が対戦しても、おそらくそうしたであろう。東大の吉田治男投手は、彼に対してストライクゾーンからボールになる球だけを投げた。それを打たなければ四球になるので、思い切って振る。打球は柵際まで飛んでは行くが、あらかじめ深く守っている外野手のグラブに収まる。他のチームの投手もそれを見習った。
 もし、長嶋選手がストライクだけを打っていたら、プロ野球でも4割を何度か打てたと思う。プロ野球での彼の記録は、王貞治選手や落合博満選手らと比べて劣っている。しかし、通算200勝以上の投手との対戦成績を比べると、おそらく長嶋選手が最高の記録を残しているのではないかと思う。そのような投手のみが、彼に対して堂々と勝負するからである。
 プロ開幕戦で金田正一投手から4三振をした映像を見る機会があった。3打席目までストライクゾーンには一球も投げていない。絶対に打たれないためには全盛時の金田投手ですらストライク勝負をしなかった。そして、杉浦投手の球は当時の大学レベルでは誰も打ち込めなかった。打てるとすれば、同僚の長嶋選手だけであったろう。この年、立教は春秋連覇を果たした。 」

岡村氏が見たという4三振の映像とはどうやらこの金田対長嶋の対戦の全場面を指しているようである。テレビ局には空振り三振の場面しか残っていないようだが、個人か団体かは分からないが、映像は誰かの手でちゃんと保存されているのだろう。それにしてもこのころの立教大学野球部はききしにまさって強くまた魅力的なチームだったようである。(見てみたかったなァ)。次は、長嶋選手と同時代に西鉄ライオンズの中心打者として活躍した、現在野球評論家の豊田泰光氏の弁。

「 ……私はドーム球場が苦手で、東京ドームでの授与式をテレビでみただけでも息苦しかった。特に長嶋には開けた空と天然芝、土が似合う。そうした球場を、巨人ともあろうものが持ち合わせていないのは球界全体の不幸ではないか。
 野球は文字通り野で遊ぶのが原点だ。長嶋のような野人が、ユニホームを真っ黒くして跳んだりはねたりできる舞台が東京の真ん中にほしい。いや、スポーツがおかみに頼み事をすると、やがて法外な年貢を取られそうな気もするので、寄り過ぎない方がいいかもしれない。
 今回の受賞のずっと前から、私たち野球関係者は長嶋の銅像をそれぞれの胸の中に立ててきた。それだけプロ野球にもたらしたインパクトは大きく、革命的だった。
 長嶋がプロ入りしたとき、我々打者が注目したのは派手なパフォーマンスより、実戦に即したスイングだった。178センチという、当時では十分な大男が、思いのままに振り回しているようにみえながら、しばしばバットを短く持って振っていた。
 そうか、あれもありか――。プロの長距離砲はプライドにかけてもバットを短く持つことなど許されない、というのが「長嶋以前」の世界だった。源平の合戦よろしく、長大な得物を振り回してこそ大打者、とみんな思っていた。
 藤村富美男さん(阪神)の「物干しざお」が時代の価値観を示している。ところが、既成概念と無縁の長嶋は「こうすりゃいいじゃないの」とバットを短く持ち、あっけなくスイングスピードと精度を両立させた。まさにコロンブスの卵だった。(略)」

「もし、長嶋選手がストライクだけを打っていたら、プロ野球でも4割を何度か打てたと思う。」「通算200勝以上の投手との対戦成績を比べると、おそらく長嶋選手が最高の記録を残しているのではないかと思う。そのような投手のみが、彼に対して堂々と勝負するからである。」という岡村氏の批評は、長い間漠然とながら胸のなかにいだきつづけてきた素人ながらの私の印象と合致している。しかし、「ストライクだけを打」つ姿勢を保持しつづけることは長嶋選手には不可能なことだったろう。敬遠責めがつづいたとき彼が打席で露わにみせた「焦燥感でいっぱいの顔つき」は今も目の奥に鮮やかなのである。

豊田氏の文章中の、「私たち野球関係者は長嶋の銅像をそれぞれの胸の中に立ててきた。」ことについては、それが事実かどうかかなり疑わしい気がするが、長嶋の登場が「プロ野球にもたらしたインパクトは大きく、革命的だった。」、「既成概念と無縁の長嶋は「こうすりゃいいじゃないの」とバットを短く持ち、あっけなくスイングスピードと精度を両立させた。」という指摘に間違いはないはずだ。オールスター戦で初めて稲尾投手と対戦した長嶋選手は、1日目は三振を食い、2日目は安打(二塁打)を放っているが、そのとき、「昨日の三振を反省し、バットの握りを少し短くしてみた」(『月刊 長嶋茂雄』)とあっけらかんと語っている。
2013.07.10 Wed l スポーツ l コメント (0) トラックバック (0) l top
よく読ませていただいていたZED氏のブログが6月始めから突如アクセス不能になったので、これについてどなたか事情をご存じの方がいらっしゃれば教えてください、と記事に書いたところ、復活希望さん、やすさん、 (゚∀゚)さんたちから、貴重な情報やこの件を同じく気にかけている旨のコメントをいただいた。おかげで、ZED氏が幸いにも新たなブログを立ち上げておられることがわかったのだが、新ブログでの説明によるとこの間の事情は下記のとおりだったそうだ。

「 まずは以前使用していたブログが突然凍結されてしまった事について、ちょっと御説明申し上げます。原因は筆者が以前記事で批判した「言論封殺魔」としか言いようのないある卑劣な人物が、忍者ブログの運営会社に圧力を掛けた事が原因でした。この人物は批判に対して言論で反論するという事をせずにいきなり運営会社に圧力をかけるという手口を好み、本当に言論でメシを食う人間の風上にもおけない下劣な存在としか言いようがありません。
もちろんそれでブログを凍結されたからといって、筆者は簡単に引っ込むつもりはありません。改めてブログを作り直して活動を再開する事にいたしました。過去の記事はこれから少しずつ復活させて順次再掲載していきますので、もう少しお待ち下さい。
忍者ツールの運営会社に圧力を掛けた「言論封殺魔」が何者なのかについては敢えて実名を挙げませんが、大体想像がつきますよね、という事にしておきましょう。筆者がこれまで何度も激烈に批判してきたある人物です。この言論人失格である事を自ら証明してくれた「言論封殺魔」に対して、筆者は今後とも変わらぬ批判を続けていく事は言うまでもありません。」(2013年06月24日)

石丸次郎氏は、かつてZED氏(の記事)に対して、いきなり法的手段に訴えることをちらつかせた上に、「あなたがサイトを使用している「忍者ブログ」に対しては、悪質な迷惑行為、名誉棄損および信用棄損、偽計業務妨害があった旨を通告し、場合によっては、「忍者ブログ」に対しても法的対処をすることを通告します。」というメールを送ってきたことがある。(ZED氏のブログでは今も巻頭にこのメールの全文が掲げられている)。それを見て、私は文筆業者を名乗っている人物が一市民の批判的書き物に対していきなりこんなものを送りつけてくるなんて、前代未聞ではなかろうか、と思ったものだった。

今回「忍者ブログの運営会社に圧力を掛けた」人物が誰であるかについてZED氏は確言していない。ただ石丸氏はかつてのZED氏にあてたメールのなかで、「あなたには、私を批判する自由があります。あなたが私の言論活動を嫌うこともあなたの自由です。/論争することを私は歓迎します。/しかし、いわれなき誹謗中傷とは断固闘います。」と述べていた。このうちの「いわれなき誹謗中傷」とは、

「NEDから石丸次郎およびアジアプレス、アジアプレス出版が発行する雑誌「リムジンガン」は一切の資金提供を受けたことはなく、これからも受ける予定はまったくありません。韓国で発行されている雑誌「イムジンガン」と、石丸次郎およびアジアプレス、アジアプレス出版が発行する雑誌「リムジンガン」は、現在いかなる関係もありません。」

という実情をZED氏が理解しないままに(あるいは曲解して)、事実とは異なるデタラメの文章を書いているということではなかったかと思う。しかし石丸氏のメールを受けとったZED氏は石丸氏の上記言い分を自分のブログにそのまま掲載し、納得したところは納得したとちゃんと書いたのだから(新たなる疑問やそれに伴うさらなる批判は批判として書き加えながらも)、批判の中身に誤解・過ちを混じえてしまった側の責任の取り方としてはこれでひとまず十分ではないかと思うのだが…? むしろ、自分のほうからメールを送っておきながら、この返答に対して何らの応答もしていない(第三者にはそのように見える)石丸氏のほうにこそ問題があるのではないだろうか? たしかにZED氏の言葉遣いは時に苛烈すぎて文章の内容よりもその言葉遣いのほうが読み手の印象に残ってしまう場合があるような気がするので、もしかすると石丸氏はその苛烈さに怯えてしまい、裏から手を回す以外に自分自身の手や口ではウンともスンとも応答できないでいるのだろうか? それともまともに論争しても内容で勝ち目がないという自覚でもあるのだろうか? まぁ北朝鮮に関して何十年も渾身の取材をつづけてきたという硬骨のジャーナリストに限ってそんな情けないことはないとは思うが、不可解には感じる。

この件に関しては、もう一点気になることがある。かつてmedia debugger氏がZED氏の問題に関してアジアプレスおよび石丸氏にメールを送ったところ、

「 吉沢さま
メールをいただきありがとうございます。
しっかりしたブログを運営されていらっしゃいますね。
現在非常に多忙にしておりまして、来週、お返事を差し上げたく存じます。
ご了承くださいませ。
 石丸次郎拝 」

という返信をもらったそうである。ところが、その後、約束の「来週」になってもmedia debugger氏のブログに石丸氏からの返事が届いたという記事は書かれなかったように記憶する。これもおかしなことだと思う。 

私は石丸氏の連載も著書も読んだことはないのだが、ただ時折ZED氏のブログで紹介されている石丸氏の発言には唖然とすることが多かった。たとえば、ツイッター上での次の発言である。

「平壌地方の今朝の天気は快晴だとか。そうそう、昨日北部のムサンからも電話。砲撃事件の報道見て、「とっとと戦争起こったらいいのに」。早く政治が変わって欲しいという表現だ。」(2010年11月24日)

それから2011年、ZED氏が書店で「週刊金曜日」(2011年4月8日発売号)を立ち読みしていたところ、石丸氏のコラムに「北朝鮮でも地震が起こったらいいのに」という発言が「北朝鮮内部の情報提供者」のものとして出ていたという。「北朝鮮でも」ということは、2011.3.11東日本大震災の発生を受けてのものだろう。これも上述の「砲撃事件」の場合と同じく、「早く政治が変わって欲しいという表現」なのだそうだ。

2件ともに、この発言が実在したものとは正直なところちょっと信じられない。2つの発言の主が同一人物かどうかは分からないが、この人(たち)は、北朝鮮でどんな地位、職業に就いているのだろうか。完全に天涯孤独の身の上であり、家族も隣人も友人も持っていないのだろうか。しかし北朝鮮のような物質的に貧しい国では、そういう環境下で生きていくのは不可能ではないかと思われるし、そもそも戦争にしろ大地震にしろ、そういう大惨事が起きたら真っ先に自分自身の身が危ういではないか。それなのに2つの発言から伝わってくるのは、無責任というか、気楽というか、まるで他人事のような雰囲気だけなのである。要するにこれらの発言は私には信憑性が感じられなかったのだが、もし本当にこういう発言がなされたのだとしたら、発言主は石丸氏が欲している情報の傾向・性質を察した上で、それに調子を合わせている、迎合している確率が高いのではないだろうか? そのように推測していくと、「朝鮮半島で戦争が起こるのを一番待ち望んでいるのは石丸次郎自身ではないのか」と言われても仕方がないのではないかと思える。

さらに問題なのは、今年初め、石丸氏が発信源となってネットで大きく喧伝されることになった「餓死者急増で「人肉喰い事件」続発の断末魔」(2013年02月21日)という情報の件である。こちらも上述の場合と根っこは同じなのではないだろうか?

「アジアプレスの報告書によれば、空腹に耐えかねた人民の様子を、黄海南道農村幹部はこう訴えている。
「私の村では、5月に子供2人を殺して食べようとした父親が銃殺になりました。妻が商売で留守の間に長女に手を出したのですが、息子に目撃されたため、一緒に殺したのです。家に戻ってきた妻に『肉がある』と勧めたのですが、子供の姿が見えないことをいぶかしんだ母親が翌日、保安部(警察)に通報すると、軒下から子供たちの遺体の一部が見つかったそうです」
 祖父が死んだ孫の墓を掘り起こして食べたり、殺した人の肉を豚肉として流通させる事件もあったという。」

「飢餓」「餓死」という問題は、人間ならば誰にとっても無関心ではいられない共通の関心あるテーマである。まして「人肉食」という問題が絡んでくるのであればなおさらである。日本軍国主義下の戦場における兵士の死因は、実際の戦闘よりも餓死のほうがはるかに多いと言われている。大岡昇平の小説『野火』のように「飢餓」と「人肉食」とをテーマとした深刻な作品もある。こういう問題をジャーナリストが取り上げる場合、特に取材の過程では繊細な注意深さや慎重な上にも慎重な態度などが要求されることは言うまでもないことだろう。しかし、上記のアジアプレスの報道内容にそういうものが少しでもあるだろうか? 「子供2人を殺して食べようとした父親」というが、父親が自分の子を食べようと思うほどに飢えた状態ならば、子どものほうもすでに骨と皮のごとく痩せ細った状態にあるのではないだろうか。父親はどうして外部の人間に向かって牙をむこうとしないで、哀れな自分の子どもを殺そうとしたのだろう。鴨長明の『方丈記』にも、養和の饑饉の悲惨な現実が活写されているが、著者は、僅かな食料を得ると親は子に率先して与えるがために、先に息絶えるのはたいてい親のほうだったと述べている。もちろんそういう場合だけではないだろうが、「息子に目撃されたため、一緒に殺した」とか「妻に『肉がある』と勧めた」などという表現には、飢えによってわが子を殺すまでに追い詰められた父親の苦悩や迷いなどの感情が片鱗も感じられず、ひどく奇妙な印象を受けるのである。また「祖父が死んだ孫の墓を掘り起こして食べた」などというのも、その孫がいつ死んだものか分からないが、常識的には誰でも、墓の下の遺体は腐乱状態になっているものと考えるのではないだろうか。このような話を「餓死」「人肉食」が在ることの証拠として差し出してもかまわないという石丸氏の姿勢には驚かされる。石丸氏は国連に対して報告書を提出して真相究明を求めたようだが、「イタル・タス通信」は下記のように述べている。

「 FAO(国連食糧農業機関)の平壌代表部副代表ビライ・デルザ・ガガ氏は、イタル・タスによるインタビューの中で、一部西側メディアで報道されている北朝鮮における飢饉は「実情に即していない」と述べた。
北朝鮮には食糧問題が存在するものの「飢饉の兆候は何一つ認められない」。食糧の中央配給システムが作動している北朝鮮では、現在、住民ひとりにつき、一日あたり穀物400gが与えられているが、北朝鮮市民の食物はこれに限られるものではない、とガガ氏。
 北朝鮮政府は食糧問題が未解決であることを認識しており、状況改善のために必要な措置を取っている、とガガ氏は強調した。」

石丸氏の「北朝鮮は餓死・人肉食」報道によって、ネット上にはさもこれが疑いのない事実であるかのようなおびただしい数の書き込みがあふれている。北朝鮮に対して、読者に対して、石丸氏はどのような責任のとり方をするつもりなのだろうか。
2013.07.02 Tue l 社会・政治一般 l コメント (3) トラックバック (0) l top
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